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第五十二話 マスケットとの再会


 マスケット。

 大きな眼鏡に青い髪。そのオカッパ頭には丸い金属プレートのバレッタが輝いている。

 裕福な生まれである彼女は身なりに気を使っているようで、着ている服にもセンスが光る。貴族が好むようなブランドの物ではないが、趣味のいいマスケットの選ぶ服の中には貴族のそれより質の良い物がある。

 私と違って化粧も上手で、学園ではよくサンプル品を試し合っていた。私の知名度を利用して商品を売り出し、あの恥ずかしい私の絵を他国にまで広めたこともあった。

 普段は大人しい性格なのに、商売のことが絡むと途端に変貌し意外な行動力を見せる。


 何故なら彼女は、商人の娘だから。


 青の国の流通を司る大きな商会のひとつが、彼女の実家である。

 魔法の才能があった彼女は親族の潤沢な資金力の下、魔法学園に通うことになったわけだが、私の目から見ても彼女は魔道師でありながら商人に近い存在だった。

 きっと父母からよく教育されていたのだろう。

 計算が速く、物価に詳しく、流行に敏感で、合理的。

 そんな彼女は、根っこの部分からとても商人らしい女の子だった。



「久しぶりですね。メイス」


 マスケットの再会の言葉は、私の中まで響いて来ない。

 あんなに楽しみにしていたというのに、私は再会どころではなかった。

 わけがわからなかった。


「あの、マスケット…?」

「ドクが心配なんですか? 大丈夫ですよ。今頃疲れて眠っているはずです」


 ドクの姿はここには無い。

 マスケットの部屋に居るというが、わからない。

 それが無事であるということなのかどうか、

 何故だか、私にはわからない。


「マスケット……」

「ふふ…。メイスおもしろい顔をしてますよ?」

「マスケット!!」


 2年ぶりの再会。

 マスケットは終始無表情で、笑っているのに笑っていない。

 ただ二つの瞳が、大きな眼鏡越しに私をまっすぐ見ていた。


「マスケット、何があったんだ? 何でそんなこと言うんだよ」

「……実はメイスに相談したいことがあって、ここに来たんです」


 2年ぶりに見るマスケットは、少し背が伸びている以外はあのときと何も変わっていない。

 なのに並べ立てる科白(セリフ)がいちいち不吉で、

 あの(・・)とき(・・)のことを、

 私が、最後にマスケットと会ったときのことを、思い出してしまう。


「……相談したいことって?」

「メイスも知っているでしょう? 三国同盟の条約で、奴隷が無くなるんです」


 奴隷制度の廃止。

 今回の三月式典の大議会によって、この世界から奴隷はいなくなる。

 全ての奴隷は解放され、魔族と呼ばれる者も、その差別もきっと無くなる。

 私にとっても喜ばしいことだ。

 でも、それは、

 誰以外にとって喜ばしいことなんだ?


「うん、もちろんそれは知ってるけど…」

「信じられないですよね。世界から奴隷が無くなるなんて」


 フレイルが言っていた、制度改革を拒む勢力。

 私はそれを貴族のことだと思っていたけれど、

 奴隷が居なくなれば困る人は、貴族以外にもいる。

 マスケットは、その商人の娘だ。


「困りました。私たち商人はこれから何を売り買いすればいいんでしょう?」

「……奴隷以外を売り買いすればいいじゃないか」

「………、やっぱりメイスにはわからないでしょうね……」


 二年前に、

 最後に、会ったときに、

 マスケットは私に向かって、何と言ったのだったか。


「ねえメイス。私、ずっとメイスに会える日を待っていたんですよ?」

「……わ、私もだよ! 私もこの2年間ずっと」

「…だってメイスは、必ずその剣を持っていると思いましたから」



 自分の顔が青くなるのを、自覚する。


 本当に、

 マスケットが何を言っているのか、まるで理解できない。

 どうして…、

 どうしてマスケットが、この剣のことを知っているんだ?


「……なん…で…?」

「あの時西の街から逃げ出したメイスが、どうして首都の公爵様の邸に現われたのか不思議でした」

「…………それは」

「フレイルさんたちに最後のお別れを言いに来たのかと思いましたけど、普通は『何か大切な忘れ物』があったからだと考えるのが、自然ですよね」


 剣を握る。

 あのとき西の街から逃げ出した私は、サイと共にグラディウスを回収することを計画した。あのとき私達を目撃したのはフレイルと奥さまだけだ。

 そのことはフレイルからドクに伝わっていた。だから私達は船で白の国に渡ることが出来た。

 そしてドクが知っているということは、マスケットもそのことを知っていて当然だろう。


 でも剣のことは、フレイルですら知らない。

 旦那さまと奥さまが、この剣の秘密を他言するはずが無い。


「指名手配されているのに危険を冒してまで邸に忍び込まなければならないほどの物が、あの邸にはあった。…違いますか?」

「…………マスケット」

「そもそもずっと疑問だったんです。メイスは立派な魔道師なのに、どうして魔法学園なんかに通っているのか。色んな魔道具を作って売ることも出来るのに、どうして公爵様の邸で働いているのか」

「…………」


 私が学園に通っていたのは、学園長の兄である師匠に推薦されたからだ。

 私が邸で働いているのは、師匠が残してくれた学費を全て失ってしまったからだ。

 あの邸に剣があったのは、本当に偶然だったのだ。

 ………だけど、


「私たち商人の間には、ある噂があるんです。

 何年も前に旅の魔族が不思議な剣を法外な値段で売っていた。

 そしてある公爵がその剣を買った」


 全てはどこかで繋がっていて、

 運命、とでも呼べるような巡り合わせがあって、


「その剣は到底信じられないような値段で取引されたとのことですが、この話には不思議な信憑性があるんです。曰く噂が広まるのと時を同じく、公爵邸の使用人には給金が払われなくなり、一人残らず邸を後にした」

「…………」

「そしてこれも時を同じくして、ギロチン公の病弱な妻が、生まれ持った不治の病から立ち直られた……とか」


 旦那さまは、サイからこの剣を買うためにその財産の大部分を失い、結果邸の使用人を解雇せざるを得なくなった。

 この剣を使って奥さまの病気を治し、子宝にも恵まれたが、資産の回復には数年の月日が掛かった。

 だから私が雇われることになった頃まで、あの邸にはメイドの一人も居なかった。


「それは、その不思議な剣の力でしょう?」

「……なんで、マスケットがそんなことを」


 マスケットの言う噂話は、誰にも信じられるものじゃなかったはずだ。

 この世界の医学はとても拙い。不治の病を治すなんて、奇跡に頼るようなものだ。

 そんな奇跡が剣の形をして転がっているなんて、誰も思わないはずなんだ。


「前にドクが言っていました」

「ドクが……?」

「メイスはよく学園で、おとぎ話の本を読んでいたって。

 魔王を倒す勇者よりも、奇跡の剣を振るう魔王のことを調べていたって」


 ―――――、

 確信を込めて、マスケットが笑う。

 私は、どんな顔をしていただろう。


 私は元の世界に帰る方法を調べていた。

 魔王と、魔王に呼び出された100人の魔族の記述を、片っ端から調べ上げた。

 そんな私を、ドクが隣で笑っていたっけ。


「公爵ギロチン様は魔王の奇跡の剣を手に入れ、奥方の病を治した。メイスは邸にある剣を狙って、公爵邸で働いていた。学園に通っていたのは、そのいいわけのためです」

「…………それは」


 違う。

 細かいところが、間違っている。

 けれど本質的には、違わない。

 私はこの剣を探していたし、

 この剣はあの邸にあったのだ。


「その剣は奇跡を起こす剣。おとぎ話に出てくる『魔王の剣』ですね」


 マスケットは確信を持って、そう断言してきている。

 しかし憶測による部分も多いし、細かいところで推理を間違えている。

 それを欺くことは難しくないだろう。


 てんで的外れ。

 大間違いだよ。

 そんな嘘を吐けばいい。


 だけど……、

 だけど……………、


「マスケット……なんでそんなこと言うんだよ…。そんな話なんかしたくないよ。私はみんなに…、マスケットに会えるのを凄く楽しみにしてたのに…」


 もうマスケットには嘘を吐きたくない。


 ずっと嘘を吐いて来たから。

 髪を染めて、黒い髪を隠し続けてきたから。

 だからあのとき私は、全てを失う絶望に見舞われた。

 そう思って、後悔した。


 マスケットとは、あのとき西の街で別れたままだったから。 

 私は、まだ言ってないことがあるのだ。


「マスケットに、言わなきゃいけないことがあったんだ。

 ずっと隠していたけど、私は黒髪の魔族だよ。

 この髪も魔術で染めてたんだ。嘘ついてて、ずっと騙しててごめん」


 …私は今、きっと酷い顔をしている。

 胸の中は祈るような気持ちでいっぱいだ。

 だってマスケットの顔には、何も無い。

 能面のような無表情に、笑顔だけが張り付いている。


「メイス……、

 私がメイスに会いたかったのは、その剣を持っているからですよ。

 本当は、メイスに会いたくなんかなかったんです」


 私の謝罪の言葉に、

 マスケットは、許すでも、許さないでもなく、

 私が考えもしていなかったような、

 決して考えたくなかったような言葉を言った。


「うぅ……う……ぅ………」

「………その話はそのくらいにして、相談の話に戻るんですが」


 脳みそが絞られるような気持ち悪さ。

 自分の足で地面に立っている感覚が無い。

 ふわふわと、現実感が失われていく。


 奴隷制度廃止の話。

 私の持つこの剣の話。


 マスケットの目的が、わからない。

 わかりたくない。

 それを、考えたくない。


「その剣を賭けて、私と決闘してください。そのために魔道師会に来たんです。誰にも邪魔されないところで、メイスと戦えるように」


 マスケットはこの剣を欲しがっている。

 この奇跡の剣を使って、叶えたい願いがあるのか。


 けれどこれは渡せない。勝手に勝負に賭けることもできない。

 私にはこの剣が必要だ。

 この剣が無ければ、元の姿に戻ることも、元の世界に帰ることも出来なくなる。

 それに私が使った後は、サイに譲ることになっている。

 そしたらサイは白の国の女王に売りつけるはずだ。値段の交渉だって済んでいるのだ。

 女王の下で管理されるために、この剣を誰かに渡すことは出来ない。


「それは…、ダメだ……できないよマスケット……」

「………そうですか」


 マスケットは相変わらす無表情のまま。

 張り付いた笑顔が、私には何より恐ろしい。

 それは切り札を隠す人の目に見えたから。


 奴隷制度廃止の話。

 私の持つこの剣の話。

 そして、もうひとつの話。


 マスケットの部屋には、ドクがいる。


「メイスが勝ったら、ドクに会わせてあげますよ?」

「…………」


 手足を縛っていると言った。

 何のために縛る必要がある。

 何のために部屋に閉じ込める必要がある。


 私が考えていた通りじゃないか。

 考えたくなかったけれど、

 ドクが今どういう状態なのかは、考えていたことだ。


 監禁されて、人質にされている。


「どうしますメイス?」

「…………どうして」


 ドクは、マスケットの人質にされている。

 助けたければ、言うことを聞け。

 そう、言っているのだ。


 本気なのか。

 マスケットは、本気で私の敵になってしまったのか。


「……マスケットはこの剣で、一体何を叶えるつもりなんだ?」

「それはもちろん、これからも今までどおり奴隷の売買が出来るようにします」


 マスケット…、

 どうして、こんなことに……。


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