第五十一話 紅炎のフランベルジェ
髪を染める。
何度も何度も、何度も使ってきた髪染めの魔術。
両手に出現したジェルを塗り込んで、私の長い髪が金色に染まる。
ローブに袖を通す。
ここへ来たときに買っておいた、厚手の浅黄色のローブ。
これこそが私の一張羅だ。
そして師匠の形見のとんがり帽子を被る。
ローブと同じ浅黄色。私の頭にはサイズの大きい、古ぼけた大切なとんがり帽子。
この帽子はお守りだ。きっと師匠も見ていてくれる。
私はこれから、蒼雷の弟子として魔道師会に出場する。
逃げも隠れもしない。
マスケット。ドク。
私が、必ず助けるから。
○
魔道師会に出場する魔道師は総勢219名に上った。
それが予選で32名まで絞られる。
フレイルや奥さま旦那さま、エッジにウルミさんも様子を見に来てくれた。ちなみにウルミさんは女王の護衛なので魔道師会には出場しないそうだ。
すでにみんなに事情は話してある。外ではフレイルたち青の国の騎士勢、エッジたち白の国の戦士勢による厳重な警戒網が引かれている。
私の方は問題無く予選を通過。外で列を作る観客たちのざわざわとした声を聞きながら、控え室である大きなテントの中で待機している。
『私に願うのでは駄目なのか?』
「…駄目だ」
奴らには私が、この手で引導を渡してやる。そうしないと気がすまない。
ギタギタにしてやろう。力いっぱいギタギタにしてやろう。その後フレイル達に突き出して然るべき裁きを受ければいい。そして死刑とかになればいい。今から楽しみだ。
『お前は冷静ではないな 少し落ち着いた方がいいぞ』
「…………黙ってろよグラディウス」
この32名の中に奴らが居るかもしれない。注意深く周りを見ると、マスケットの姿を見つけた。
マスケットも私に気付いた様子だが、顔を逸らしてこちらには近づいて来ない。
何処からか見張られているのか。やはりこの中に奴らがいるのかもしれない。ドクが居ないところを見ると、人質に取られて無理矢理従わせられているのか。
でももう大丈夫。私が来たからには安心していいよ。
「マスケ……わぷ」
「おいチビ。ここはお前みたいな子供が来るところじゃないぞ」
私がマスケットに駆け寄ろうとすると他の魔道師にぶつかった。
見るとその魔道師はとんでもない奴だった。
箒を逆さまにしたような赤髪。年は20前くらい、エッジと同じくらいだろうか。体型は黒いマントに覆われて窺い知れないが、かなり高身長だ。
そしてその身長よりもさらに大きい、黒く細長い鉄柱のような杖。杖頭が大きく曲がってフックのようになっている。そこにアンティーク調のランタンが一つぶら下がっていてその中で小さな灯が揺らめいている。
とんでもないというのは、この箒頭の魔力がだ。
魔力の量がケタ違いに多い。
才能ってやつだろうか?
人が体内に持つ魔力は個人差があるとはいえ、そう大きなものではない。だからこそ魔道師は魔力を練る必要がある。
普通の魔道師の魔力量で魔力を練らずに魔術を行使すると危険だ。中級魔術一つで魔力切れを起こすこともある。しかしこの赤箒は魔力を練っている様子もないのに上級魔術でも行使するのかというほどの魔力量を保持している。ケタ違いだ。
しかし恐るるには足りない。私だって同程度の魔力を保持しているのだ。
私は常に全身で魔力を練り続けている。ウルミさんに教わった魔力操作だ。気を充実させ集中している今なら瞬時に上級魔術を放つことも出来る。たとえ相手が今この瞬間に魔術を使ってきたとしても、何時如何なる時でも対応できるつもりだ。
「ちょっとそこどけよ。邪魔なんだ」
「な、何だと!? お前、俺を誰だと思ってるんだ!」
「いや、知らないけど…」
誰なんだよお前は。グレン団の鬼リーダーか? 私はこんな奴見たこともない。
この箒頭め。箒は箒らしく教室の隅っこの用具入れにでも納まっとけよ。掃除の時間でもないのにいきなり私の前に出てきて因縁付けて来るとはどういう了見だ?
まさか、コイツがドクとマスケットを?
……いや、二人を攫った奴なら私の前に出てくるのはおかしい。目の前の箒頭が人質を取るような臆病者とは思えない。
ならばそいつらが雇った刺客か。見た感じかなりの使い手のようだ。
いやそれも変か。私の命が狙いならば試合で殺ればいい話だ。わざわざ今接触してくる必要はない。
わざわざ私に喧嘩を売る理由。
私がコイツの魔力を見るように、コイツも私の魔力を見ているのだ。
よほど自分の魔力量に自身があるのだろう。それと同量の魔力を持つ私を警戒しているのだ。
ようするに私のことが気になるのだ。それをさも気にしていないように高圧的な言葉を浴びせてくるのは自尊心からか。
何にせよ私が子供だからちょっと脅かしてやれば震え上がるとでも思っていたのだろう。残念ながら私は見た目通りのお子様ではない。
「はいはいすんません。ちょっと通りますよ」
「お、俺はフランベルジェだぞ!!」
「………はぁ?」
……だから?
名前だけ名乗られても困るんだが。私はお前なんか知らないってば。
私の基準ではなんだか中二病な臭いのする名前ではあるが、この世界では普通の名前だろう。炎状剣か。私の鈍器みたいな名前とはえらい違いだ。
だがどうやらそれだけじゃない。私以外の周りの魔道師たちにとって、その名前は特別な意味を持つようだ。
「おい、あの子かわいそうに。あの人に目を付けられるなんて……」
「もう名前をお継ぎになったんだな。さすが次代の紅炎と目される人だ…」
「まさか、あれが紅炎の…? なんて魔力量だ……」
「ちょっと待て。あの子の魔力量も多くないか? どうなってんだよ…」
「あの子あれだろ? 例の魔族の……」
三下どもが台本にでも書いてあるかのようなお約束の台詞を並べ立てる。
「……紅炎の…弟子」
「ふふん、そういうことだ」
自分の名前が知れていることに満足気な赤箒。
紅炎。赤の国最強の魔道師の称号。
私の師匠である亡き青の国の蒼雷、そして白の国の白雪に並ぶ、三大魔道師の一人。
師匠は引退していたし故人だから今の蒼雷は不在だ。そういえば白雪には会ったことがない。だが紅炎の噂は聞いたことがある。
師匠ほどではないが、結構高齢であるはずだ。目の前の箒頭がそんな老人には見えないので、普通に考えてその弟子だろう。
しかしこの赤箒は何をそんなに自慢気に…。師の名前を継いでいるということは、紅炎が修了を認めた弟子ということだが、それを言えば私は蒼雷が認めた弟子である。名前を振りかざすなら相手を選べよ。
「私の名前はメイスだよ」
「メイス? ……まさか蒼雷の!?
……どうりでその魔力か。お前も才能を見込まれて弟子になったってわけだ」
「いいからそこどいてくれ。邪魔なんだ」
そろそろしつこいな。この箒頭が誰の弟子だろうがデッキブラシだろうが私には全く持って興味がない。私はすでにこの世界に掃除機をもたらしてしまったよ。お前の出番はもうすぐ無くなる。おめーの席ねーから。
私が用があるのはマスケットだよ。お前のような掃除用具筆頭に係わっている暇はない。あ、筆頭という字は箒頭と似ているな。
さっきの三下たちを含め、周りの魔道師たちもキラキラした目で私と赤箒を遠巻きに見ている。止めに入る様子はない。
うーん。やはり紅炎の弟子と蒼雷の弟子という立場に並々ならぬ憧れがあるようだ。まぁ当然か。
うん、そういえば魔道師というのは貴族に生まれた者が多いんだった。白の国と違って名のある魔道師に師事する事が高貴な家柄に生まれる事と同じように重要視されるのかもしれない。
しかしそういう目で見られると、私としてはなんだか微妙な気持ちになるんだよなぁ…。
師匠のことは尊敬しているが、私自身は蒼雷の弟子という意識は無い。私は飽くまでメイスという名の一老人の弟子であるつもりだ。
何故なら私は『蜥蜴の翼』を受け継いでいない。
私が受け継いだのは、師匠の反転魔術ととんがり帽子、そしてメイスという名前だけだ。
修了の印である青魔銀のコインは貰ったが、青の国の至宝たるあの杖を扱うことは許されなかった。国王の立会いの下、正式に蒼の称号を貰ったわけでもない。だから師匠の蒼の勲章も国に返上した。
私はメイスの名は名乗れても、蒼雷としては中途半端なのだ。
しかしそれでいい。私は師匠に教えられた魔術は全て覚えることが出来たのだ。師匠の反転魔術も覚えることが出来たのだ。
師匠は己の全てを余さず弟子に受け継がせることを望んでいたが、これ以上は望めなかったのだ。
だって私と師匠との時間は、
たったの五年しかなかったから。
そして私はこの世界を去る。せめてこの大会で優勝でもして、私の名前を師匠に並べるくらいしか、私が師匠に出来ることはもう無い。
しかしそれも今は二の次だ。
私はここへ、友達を救いに来たのだ。
かまわず赤箒の脇をすり抜ける。
私が強く押しのけると赤箒の持つ杖、黒い細鉄柱に掛かったランタンがカランと音を立てた。
突如、私の目の前の魔素が揺らぐ。
火属性。小規模の爆発を起こす魔術だが威力はほとんど無い。
箒頭の魔術だ。当たっても軽く火傷するくらいだな。コケ脅しか。
咄嗟に鞘を握る。
魔法が発現する瞬間に反転魔術で消してやった。
「…な!? なんで魔術が!?」
「………おいコラ」
傍目には何が起こったのかもわからないだろう。
赤箒本人にも、魔術が不発したように見えたはずだ。
この赤箒、とうとう魔術に訴えてきた。
私のことを舐めてるんだな。絶対に許さない。
魔素の揺らぎを感じとることで魔術を先読みし、反転魔術を操る私にはもう魔術は通用しない。私は今や全ての魔道師という存在に対して圧倒的に有利なチート能力を手に入れたのだ。
「今の、顔に向けてただろ。ふざけんなよ?」
「…くっ、抗魔術じゃないな。このっ!!」
また魔素が揺らぐ。
今度は私自身を炎上させる魔術。名前の通り火属性の魔術がお得意のようだ。
さっきと違って病院送りになるほどの威力である。とても危ない。
しかしそれも反転させる。私を燃やす炎は現われない。
私に魔術は効かないよ。
「お前! お前何してんだよ!! なんで魔術が出ないんだ!!」
「…………」
火球を飛ばす魔術。火柱を上げる魔術。高温を生む熱の魔術。
杖によって省略されているが、魔素の揺らぎはそれより一瞬早く発現する魔法を教えてくれる。
赤箒から次々に放たれる魔術。それを反転させていく私。
私は涼しげな顔のまま。赤箒は何が起こっているのかもわからず、みるみる顔まで赤くなっていく。高位の魔道師を気取るならもう少し落ち着けばいいのに………、
……!!?
それまでとは違う魔素の揺らぎに、私の全身が総毛立つ。
「これならどうだ。爆炎弾!」
「ちょ…!?」
放たれる魔術は、このテントを丸ごと爆破する威力!?
信じられない。こんなところで手加減無しの上級魔術を使うとは。
慌ててこれも反転させたが、いきなり危険が危なくて冷や汗が出た。危なすぎるぞこいつ。早くなんとかしないと。
「………わかったぞ」
「……?」
「魔術を、ひっくり返してるんだな。魔法式の意味を逆さまにして行使しているのか。……そうか…そんなことが」
おっと、大きな魔術を反転させるのにこちらも大きな魔術を行使せざるを得なかったので追加詠唱に隙が出来てしまったようだ。
タネがバレた。
いきなり魔術の威力を上げることで鎌をかけて来たのだ。油断していたとはいえ、こんなに容易く看破されてしまうとは。どうやら馬鹿ではないようだな。
じゃあそろそろ私の方からも反撃させてもらおうか………。
「これより第一回戦を始めます!! 次の者は準備を始めるように!!」
そこで職員の声が掛かった。
ハッとして我に返る。また頭に血が昇っていたか。赤箒の相手をしている間に思ったよりも時間が経っていたようだ。こいつと遊んでいる場合ではなかった。
職員が第一試合を行う魔道師の名前を呼ぶ。
最初の試合はナタとトリアイナという名の二人だ。
チッ、と露骨に舌打ちをしながらテントの出口へと向かっていく赤箒。
……あれ?
ちょっと待て、こいつの名前はフランベルジェだったよな? まだ名前は呼ばれてないぞ?
………、
…………はは~ん。
「おいどこへ行くんだフランベルジェ。お前の名前はまだ呼ばれてないだろうがフランベルジェ」
「……………」
「試合に呼ばれたのはナタさんとトリアイナさんだフランベルジェ。紅炎から名前を継いだお前の出番はまだのはずだろフランベルジェ」
「………うるさい」
「どういうことなんだフランベルジェ! 私にわかるように説明してくれよフランベルジェ!! お前の名前はフランベルジェなん……」
「うるさいんだよお前ぇ!!!!」
ニヤニヤ顔で煽る私にブチ切れる赤箒。もともと逆毛の赤髪がさらに怒髪天を突く。おもしろい。
なんだよこいつ。まだ師匠に名前貰ってないんじゃないか。勝手に自称しているだけか。笑わせてくれるなよ。
私より年上なのにまだ師匠に認められていないんだな。私のような幼女に喧嘩売ってないでもっと精進したまえよ、ナタ君(笑)
「お前……試合で会ったら覚悟しておけよ? 言っとくけど、俺の力はこんなもんじゃないんだからな」
「子供相手に何も出来なかったくせに。せいぜい手を抜け、その間に…優勝は貰って行く!」
トリアイナと呼ばれた女の人(どっかで見たことあるな)とともにテントを出て試合会場に向かうナタ。
またフラグが立ったようだ。
私の師匠、蒼雷のメイスに並ぶ魔道師、紅炎のフランベルジェの、弟子。
概念すら知らなかっただろうに、私の反転魔術を簡単に看破してみせた。
……今更私にライバルキャラの登場か。
まあいい。今はマスケットだ。
遠巻きに見ていたギャラリーたちの視線を全て無視して、テントの隅に居るマスケットに駆け寄った。
やっとだ。
やっとマスケットと再会出来る。
○
「マスケット!! 久しぶり!!」
「……メイス。来たんですね」
「私が来たからにはもう大丈夫だよ。今の見てたでしょ。私は誰にも負けない。すぐに助けてあげるから」
「………はぁ?」
「フレイル達も動いているから安心して。ドクは無事なの?」
「……あの、メイス? 何の話ですか?」
「私の所為でこんなことに巻き込んで………って……え?」
「すいませんメイス。あまり私に近づかないで貰えますか?」
「え? あれ、マスケット??」
「メイスが何の話をしているのかわかりませんが、
ドクなら今、私の宿に居ますよ?
手足を縛っておきましたから、間違いありません」
マスケットは私の言うことがわからないと言ったが、
私もマスケットが何を言っているのか、わからなかった。
二人を助けるために出場した、魔道師会。
第一回戦。
私の最初の相手は、マスケットだった。