第四十四話 メイスの杖
結局、杖が完成したのは半年後。夏も折り返しに入ろうかという頃だった。
徹夜を続けるとロクなことにならないので余裕を持ってじっくり魔法式を組み上げた。その判断は正解だったようで、出来上がった魔法式は自分で言うのもなんだが芸術的な仕上がりである。
私の杖たるこの鞘が省略してくれる魔術は全属性。およそ200ほどの火と風の魔術に80の雷魔術、さらに200に及ぶ水土氷木金魔術、合計で500近くの魔術を省略してくれる。八つの属性を環状に繋げた圧縮魔法式は三次元的に意味を重ね、魔方陣のようにも見える。自分で見ていて思わずニヤけてしまう。完璧な出来だ。
鞘本体への描き込みも昨日終わった。中央の穴にはめ込まれた大粒の白い宝石、白王石がキラリと光る。浮き彫りが施された濃いセピア色の鞘の真ん中にあってなおさら輝きを主張していた。それを見て自分の顔がまた綻ぶのを自覚する。こんないい杖を作ることが出来るなんて私はひょっとしたら天才なのかもしれない。
いやいや、鞘自体はエッジのツテで職人さんが拵えてくれたものだし、なんといっても塗装に使ったイカスミはクラーケンの素材だ。私だけの力ではここまでのものは出来なかった。
他にもウルミさんやショテル、サイも一応手伝ってくれたことになるのか。
せっかく魔法式を書き写した紙の山をうっかり燃やしてしまった私は、気分転換に別の魔道具を作ることした。
というのも、火属性の魔法式をもう一度弄くっている間に、神の与え賜うた私の天才的脳細胞が天啓を受けたのだ。
出来上がったのは爆発して色を変える火の玉を上空に打ち出す魔法式を封じた小石。前に作った玩具や大閃光などの応用でもあるので殺傷力はまったく無い。超安全な打ち上げ花火である。
魔道具というのは本来は使い捨てでないのが普通だが、私の偶然のひらめきにより魔法式を大幅に簡略化することに成功してしまった。その辺の小石を使い捨ての魔道具に出来る。
この魔法式により魔道具と化した小石は雀の涙ほどの内蔵魔力をフルに使って熱を持たない極小の爆炎弾を重力と逆方向に射出し魔力切れを起こして割れる。上空で爆発四散する光は様々な色に変化しながら跡形も無く霧散し、見る者にもののあはれを感じさせるのだ。
かなり簡単に出来るので製作にも時間が掛からない。一日に1、2個のペースでどんどん量産出来る。とんでもないものを作ってしまった。
元手が0なので格安で商人にお試し提供したら一部の貴族に受けたらしく、次の週に発注書が届いた。ウルミさんやショテルにも手伝ってもらって花火を作り続けると、サイがそれを港まで持って行き商人と交渉を繰り広げた。
サイはその頃酒場での仕事をクビになって港町の倉庫で働き出していた。カトラスのために作ったような髪染めの魔道具を頼まれ作ってやると、それを持って首都から港町に引っ越し、この国の貿易流通に携わっていたのだ。
女王の口利きもあったらしいが、もともとサイに商才があったということなのだろう。本人が言うには昔グラディウスを売った金を高い授業料にしたからだそうだが。
花火は大量の金貨に化けた。
手伝ってくれたウルミさんやショテルの取り分を引いても凄い額が残った。
さらに、その金を持って私も港の商人を訪ねると、サイが横から宝石の値引きを交渉してくれた。
「あんたの魔道具はかなり評判いいんだよ。それをこれからも買わせてやるんだ。ちっとくらい負けさせてやるくらいでいいのさ」
私は白の国に着いてからというもの、せっせと魔道具を作ってきた。
ギルドの仕事を請けていた頃、夜に私が作った魔道具を暇を見てサイが売りに出ていたのだ。
その頃からサイの商才は芽を出していたようで、私の予想を上回る値段で魔道具を売り込んでいた。手に入ったお金はきっちり山分けだが、私は物を売るのは不得手なので納得の出来る額だった。
別に大したものは作っていない。しかし質の良さには自信があった。商人にはその分の評価もあっただろう。宝石は半額以上を値引きして貰えた。
一時商人を路地裏に引き摺っていったサイがどんな手段を使ったか、そのときの私はまだ知らなかったが。
宝石というのは、色や純度や大きさ等で価値が変わる。
明確な区分はないが、大体はその宝石の色に大きさや稀少さを指す言葉をつけた名前になる。赤小石とか青大石とか。
色は三国と同じ青赤白の三色が一般的。他にも緑や黄など色々あるが、純度が高い物は蒼や紅などの名が付き価値が高い。金や銀などの貴金属の色を冠するものはそれ以上に稀少だ。
もちろん大きさでも価値が上がる。こちらはおおまかに小中大で区別されている。
純度が高くさらに大きさもある石は王石や稀石などの名が付く。エッジが持っている金稀石は色、大きさ、純度の全てに於いて最高レベル。あれ一つでデカい邸が立つほどだ。どんな貴族でも簡単には買えないだろう。
白でも王石となれば一般人にはそう買えるものではない。宝石は王以上の大きさになると途端に価値が跳ね上がるのだ。
ともあれ白王石を手に私は終始ホクホク顔だった。
そして帰り道。次にサイが寄越したのは数枚の紙束。
料金前払いの、一般普及の家庭用魔道具の発注書だった。
……なるほどね、と思ったものだ。
○
「とうとうこの時が来たのだぜサイ!! ここで会ったが百年目だ!!」
「……あんたとは今でもたまに顔合わせてメシ食ってるじゃないか」
いつもみんなで修行に使っている海岸。サイと向かい合い、決闘を申し込む。
これまでこいつに受けてきた仕打ちにセクハラの数々、その恨みをまとめて返すときが来た!今でしょ!
とうとう杖が完成したのだ。
グラディウスの鞘。私の杖。これでもってサイを打倒する。
こいつを越えなければ私はいつまでたっても弱っちいままで終わる気がする。私の弱さを払拭する意味でも、今日こそここでサイを討つ。
頼むぜ、鞘!
『とうとう私の出番か! さぁ願え!』
「お前じゃないお前の鞘の出番だ。黙ってろ」
ちなみに本日の試合、観戦にはショテルとハルペが来ている。少し離れた海にはクラーケンもいた。
エッジとウルミさんは仕事らしく、居ない。二人は最近になってさらに忙しそうにしているのだ。ギャラリーが少ないのは残念だが、なんとかテンション上げていこう。
「それがメイス姉の杖かっ。今度オレにも使わせてくれよっ」
「いや駄目だろショテル…。無闇に人に杖を見せるもんじゃないんだってば」
「やっつけてやるのですメイス姉! そのババアは今朝もワタシのお尻を揉みしだいてきたのです!」
「……またハルペにイタズラしてたのか、サイ」
「女の子は青いまんま味わうのがあたしの主義なのさ。
それはいいけど、あのイカなんとかならないのかぃ? 落ち着かないったらないよ」
「お前が落ち着かないなら私にとって好都合だよ。
クラーケーン! 見ててくれー!」
少し距離を置いた海にいるクラーケン。この鞘の完成は彼にイカスミを貰ったお陰でもある。ぜひとも完成した私の鞘を見せたい。
私が名前を呼ぶと海面から顔を出している食腕が左右に揺れた。
ちなみにクラーケンのことは、すでに女王からエッジウルミさん含む一部の戦士魔法士たちに伝えられている。弟子であるショテルとハルペも、今では一緒に遊ぶくらいだ。
「そのババアを倒したら次はあのイカを仕留めるのです!! あのイカもさっきまでワタシに死ぬほど水玉をぶつけてきたのです!!」
「……ちがうよ。あれは遊んでただけだよ。クラーケンが本気だしたらたぶん国が滅ぶ」
「あんな魔物と仲良くしろなんて無茶にもほどがあるのです!!」
「師匠には言われてるしっ、たしかに普通の魔物とは違うみてーだけどさっ。なんでメイス姉は魔物となんか仲良くしてんだっ?」
「……………」
……クラーケンがこの国に馴染むにはまだ時間が必要なようだ。嫌われてるのが分かるのか、食腕を揺らすだけでこの浜辺に一定以上近づいてこない。
まあいい、そっちは女王と計画を練ってある。今はサイだ。
「私が勝ったらいままでのこと、全部まとめて謝ってもらう!! 土下座でだ!!」
「あたしが勝ったらどうなんだぃ?」
「私がメゲる!!」
「…賭けになってないじゃないか。
そうだねぇ、あたしが勝ったら、あんたのことを一日好きにさせてもらうよ」
「………まあいいだろう!」
決闘を申し込むならある程度のリスクを飲まなければならない。当然のことだろう。いたしかたなし。
ここに決闘が成立した。合意と見てよろしいですね!
私が勝ったらサイが謝る。
サイが勝ったら私が慰みものに……あれ?リスクでかくね?
「そいつは楽しみだねぇ……」
などと、ジュルリと舌なめずりをするサイ。怖っ!?
ぞわりと全身に怖気が走る。いつにも増してニタリと笑うサイが今頭の中でどんな風に私を弄んでいるのか想像もしたくない。手の平をわきわきさせるのに生理的嫌悪を感じるが、大丈夫だ、問題無い。ウルミさんやエッジの下で修行したし、私にはこの鞘がある。…大丈夫だよね?
私はこれまでサイに勝ったことはない。サイは魔法を先読みして避けることが出来る。エッジに教えてもらったが、空気中の魔素を感じ取り、魔法の動きを読むことが出来るのだ。私のような魔道師にとって天敵である。
この世界の空気中には、エッジが魔素と呼ぶ「魔力の素」のようなものが存在する。普通の人はおろか魔道師にも感知できない魔素は、エッジ曰く黒髪にしか感じられないものらしい。
魔道師は魔術を用い魔法を使う。このときに魔力を練って空気中から魔力を集めるわけだが、その空気中の魔力というのは観測できないものだと言われていた。それが魔素というわけだ。どうやら魔力とは質が違うらしい。
それを観測する。
ハルペもある程度それが出来るようで、私もこの半年でなんとか出来るようになった。
黒髪は訓練で魔素を感じることは出来るが、魔力を感じることは出来ないらしい。その両方を感知できるのは私だけの強みだな。
魔素を感知するといろいろなことがわかる。
魔力を練ればそこに魔素が引き寄せられるように集まっていくのがわかるし、集まった魔素がその人の支配下で魔力に染まるのも見て取れる。
集まった魔素が魔力に染まり、さらにそれを種にして魔法と成して世界に影響を与えるときに、空気中の魔素が揺らぐのだ。
火炎弾を例にしてみる。火の玉がまっすぐ飛ぶという魔法だ。
この場合、火の玉を放つ手から目標に向かってまっすぐ、火の玉が飛ぶコース上の魔素が詠唱している段階で揺らぐ。予測コースを線で繋いだようだ。どこを狙っているのか一目瞭然である。
これなら子供でも簡単に避けることが出来る。範囲魔術を放たれても、サイほどの膂力があれば魔素の揺らいでいない隙間に逃げ込み回避することも難しくないだろう。
この魔素の揺らぎをさらに見れば放たれる魔法の属性や威力すらもわかるようになる。反則だ。
しかしそれは杖の省略無しでの、詠唱を必要とした場合の話だ。
対策はすでに出来ている。
詠唱途中の段階で大いに揺らぐ魔素を感じ取れば、魔法は簡単に避けることが出来る。
ならばその詠唱を杖や魔法紙で省略したときはどうか。
魔素が揺らぎ、そこに魔法が飛んでくるタイムラグはほとんど無くなる。瞬間的に察知することは出来ても、避けるのは格段に難しくなるはずだ。
そしてさらに私は、ウルミさんの教えの下に全身で魔力を練れるようになったのだ。
まだまだ拙いし、ウルミさんのように常に魔力を練り続けることは出来ないが、私が扱える魔力の総量はおよそ十倍になった。これだけあれば中級魔術なら湯水のように使いまくっても大丈夫だ。
全身に纏うように魔素を集める私の姿はサイにも認識できるだろう。私はここから魔力を、最大で27に小分けして魔術を行使することが出来る。
これから私はその魔力と杖でもって、魔術を連射しサイを制圧するつもりである。
「で? いつ始めるんだぃ?」
「ああ、そろそろ始めようか」
決闘開始の合図はショテルが出してくれることになった。
サイは一息に距離を詰めてくるだろう。ぼやぼやしていると前からバッサリだ。サイは武器を持っていないが、勝負はすぐに決まる。
ショテルが大きく息を吸い、
始め、の声が響いた。
まずはサイの動きを制限する。
地炎焼。サイと私との間に火の海を作りだす。
距離を詰めるならサイは幅跳びをする必要があるだろう。空中でも魔術を避けるサイだが、まさか空を飛べるわけではない。着地地点にさらに火の海を出してやればそれで詰みだ。そう考えていた時期が私にもありました。
私もこれまでいろいろとサイのセクハラ迎撃を試みたのだ。魔法紙を用意して同じようなことをしてみたが、どういう体術なのか空中で滞空を伸ばしてみせるサイにぎりぎり範囲外まで逃れられた。エアトレックでも履いているのか奴は。
そんなことを繰り返している内に、ここのところサイの方も油断がなくなってきた。こと戦闘に於いては、もはや隙を見せないのだ。
開始と同時に仕掛けた地炎焼を、サイは飛び越えずに迂回する。砂浜だというのに問題無く素早い。走るサイに向けてさらに鞘を構えた。
お次は轟雷打。師匠が使えば避ける隙間も無いような密度の雷の束を放てるが、私では先述の通り20本程度が限界だ。
サイを取り囲むように複数の雷が落ちるが、当たり前のように掻い潜られる。まあこれは牽制だ。期待はしていない。
右から火の海を迂回してくるサイ。私は距離を取るように移動する。
もちろんサイからは走っても逃げられないし、逃げるつもりもない。
迂回してくるサイを火の海で挟むように、追加の地炎焼を放った。
二つの地炎焼で挟んで、サイの立つ場所を一本道にする。
構わず突っ込んでくるサイに間髪入れず暴旋風だ。こうなるとサイの逃げ道を塞いで行く作業になるな。そのまま竜巻に飛ばされるなら良し。左右の火の海を飛び越えるなら、今度は少々身体を捻ったくらいでは逃れられないような火の海を作ってやる。
が、
「痛っ!?」
いざ暴旋風を放とうとする私の手が、寸前で鞘を落とした。
何かをぶつけられた。…石。投石だ。
サイにはこれがあった。砂浜にこんな石が転がっているはずもない。いくつか懐に忍ばせてあるのだろう。
いくつ仕込んでいるのか知らないが、一つだけで十分だった。砂の地面に落ちた鞘を慌てて拾う隙を突かれ、サイが一気に距離を詰める。
裂けたような口で笑みを浮かべるサイ。
私に向けて、その腕が伸びる。
捕まえられたら、ゲームオーバーだ。
ウルミさんもこの投石にしてやられていた。
私は、失念していた、
……わけではない。
鞘は半ばわざと落として、油断を誘ったのだ。
何も拾い上げる手間はいらない。
私はいまや全身の何処でも魔力を練ることが出来る。手でも足でも、身体が触れていれば鞘を使えるのだ。
突風撃は爆発的な空気の塊を生み出し、反動で自分の身体を飛ばすことも出来る風属性の下級魔術である。
落ちた鞘を足で踏み、そこから魔力を叩き込んで踏み切るように魔術を起動。
爆風の反動を利用して、サイに体当たりをぶちかましてやる。
杖が省略してくれるなら、魔術は一瞬で出すことが出来る。
魔素の揺らぎを読んでも、その座標に魔法が発現するまでのタイムラグはほとんど無くなる。
至近距離魔術の突風撃なら、なおさらだ。
「くらえっ!!!」
「なぁっ!?」
風魔術の反動を利用した体当たり。
重く鈍い音がして、私の体ごとサイを吹っ飛ばした。
サイにはかなりのダメージがあっただろうが、頭からサイにぶつかったのだ、私もかなり痛かった。
だが砂浜に投げ出される私と違って、サイが落ちるのは地炎焼の火の海だ。
「あ゛っつぅあっっ!!!!」
火の海の魔術は手加減しているとはいえ、これは決闘でありサイには「まいった」と言わせる必要がある。軽いヤケドくらいはしてもらうつもりで放った。
すぐに立ち上がり、いましがた踏み抜いた鞘を拾って悲鳴を上げるサイに水魔術をぶつけてやる。
服も少し焦げ、水浸しで尻餅をついたサイに鞘を構えた。
サイは両手を挙げて、つまらなさそうに負けを認めた。
「はぁ…まいったよ。降参。あんたの勝ちあづぁっ!!?」
つまらなさそうな態度が気に食わないので、加減した爆熱光でヤケドを追加してやった。
○
勝った。
サイに勝った。
とうとう私は、サイに勝ったのだ。
サイには誠心誠意、土下座で謝ってもらった。
サイの性格を考えると心から反省はしてないだろうが、とても気分がよかったので許してやることにした。
ともあれ修行の成果はあったのだ。
ありがとうエッジ。ありがとうウルミさん。
そしてありがとうクラーケン。
この鞘があれば、私は無敵だ。
もはや誰にも負けはしないだろう。
ああ、心が晴れやかだ。こんなに気分がいいのはどれくらいぶりだろう。
はぁ……、
なんだか、とてもお腹が空いたなぁ……。