第二十七話 黒い髪
魔道師メイス。
青の国最強である蒼雷の魔道師メイスの弟子。
魔道具の製作と魔法式の暗号化と簡略化が得意で、八属性全ての魔術を扱える。
そして師匠より反転魔術を受け継ぎ、若干10歳でそれら全てを習得。
フレイルとマスケットとドクの友達。
公爵ギロチン邸の使用人で、その夫人クリスのかわいい着せ替え人形。
魔法学園学園長の兄の弟子。魔法学園の全生徒のライバル。
あの春の首都襲撃事件では、街中に侵入した魔物を単身で迎撃に向かい、被害を最小限に抑えた。
そのことは後に国に表彰された。国もバタバタしていたので、遅れに遅れたうえ式も簡素なものだったが、今では首都の少なくない人が私のことを知っている。
野暮ったいローブを常に着ていて、師匠の形見のとんがり帽子を被っている。
そんな、金髪の少女。
それが、私を構成する「砂の像」だ。
ちょっと見れば見目麗しく、人々の敬意の眼差しを一身に受ける金色の像。
崩れ易くて危なっかしいけれど、師匠の魔術が守ってくれるはずだった。
本当の私はその像の影に隠れて、人々の前には決して現れない。
真の私は人々に醜く映り、途端に私に向ける目は色を変えるだろう。
私を隠してくれる砂の像。
私を守ってくれる金色の像。
何より誇らしい、私の自慢の、「虚像」
その像が今、錆びて色を変えて行く。
音を立ててボロボロと崩れていく。
私はその像を必死で取り繕おうとするけど、
崩れる姿を両手で必死に押さえるけど、
…………、
……………あの「音」が聞こえる気がして、うまく身体が動かない。
○
どうして。
どうして。どうして。
なんでなんでなんでなんでなんで。
答えの出ない問いが頭の中をぐちゃぐちゃにかき回す。
とにかく髪を染めないと。
黒髪をまとめて帽子に隠し、深く被る。
何が悪かったのか。
髪の色を変えられることが黒髪たちの気に触れたのか。
スラムなんて立ち入るべきではなかったのか。
髪の色を戻したりなんてしなければよかったのか。
そもそも西の街に来るべきではなかったのか。
奴隷時代の恩なんて忘れて、いつものように奴隷のことなど見ない振りを続けていればよかったのか。
街でもどこでも見かける奴隷たちの列から目を逸らして、私は違う、私はアレじゃないと心の中で言い張って暮らしていればよかったのか。
髪の色なんか戻して、いまさら中途半端に歩み寄るべきではなかったのか。
あれから、
二人の騎士から逃れようと街の中に追い込まれ、帽子を押さえて必死で走り続けている。
魔術で戦って勝てる見込みは薄い。騎士達は魔道師鎮圧の訓練も受けている。それでも街の常在の騎士数人くらい撃退することは出来るだろうが、春からの騎士団の再編成で一つの街にはそれまでの倍以上の騎士が配属されることになっている。
手加減できない。私が本気で戦えば殺してしまうかもしれない。人殺しにはなりたくない。
霧や砂埃を発生させて逃げ続けることしか出来ない。
それも時間の問題だ。
私はもう、包囲されている。
じわじわと包囲を狭められて、街の一角に追い込まれているのだ。
街中に時間を知らせる鐘塔に登る。塔は一気に包囲されるだろう。
時間になったら鐘を鳴らす仕事の人と鉢合わせたが、雷魔術で気絶してもらった。これで魔法技術取締法違反傷害の罪か。殺人罪より断然マシだ。魔族として捕まるより億倍マシだ。
少し間を取るためその場で息を潜め、また考える。
騎士たちは私を見るなり剣を抜いてきた。私を脅威と認識している。魔法が使えることを知られているのだ。魔法が使える黒髪。躍起になって捕まえてくるだろう。その場で斬り捨てられるかもしれない。
黒髪の子が通報したのは間違いないだろう。私がスラムで大勢に聞き込みしてる間に、詰め所に向かっていたのだ。あのリーダーの男が命令したに違いない。
何故そんなことをするのか。そんなこと、私が髪を染めて暮らしていることに嫉妬したからに決まっている。考えるまでもなく当然のことなのに、私はなぜ髪を戻して近づこうとしたのか。
それは私に後ろめたさがあったからだ。その罪は赦されないものなのに、ヘラヘラ仲間面して近づいて、身勝手に自分の心を洗おうとしたのだ。
しかし何故私が魔法使いだと知れているのだ? 髪染めの魔術は生成したジェルを塗りつけるもので、反転させてもそれは変わらない。魔力も感知できない黒髪に魔法と薬液の判別がつくはずがない。浜辺でもそれっぽく振る舞って魔術を使っていたのに。
このとんがり帽子にローブ姿はいかにも魔法使いスタイルだが、それは別世界の常識だ。どこにでもあるローブを着てどこにでもある帽子を被っているだけにしか映らないはずだ。
この街に来てから、私は人に見られるところで魔術は使っていない。魔力を感知できる魔法使いが近くにいたこともない。
窓から表を見る。
この鐘塔を包囲しようと、騎士達が集まっている。18人。これ以上集まる様子は無い。
その周りには物々しい雰囲気に寄せられて野次馬達が遠巻きにこちらを見ている。もうあまり時間を掛けるべきではないか。
すぐに騎士たちも登ってくるだろう。私は最上階まで登り、大きな鐘の脇から顔を出した。
高さにして8階くらいだろうか。海風が冷たい。
ここはどの建物よりも高い。眼下には西の街並と騎士たちと野次馬。
詠唱を始めよう。
私は塔の最上階の縁に登って立ち、
そこから思い切って飛び降りた。
もちろん逃げ切れぬと諦めて自殺を謀ったのではない。
操気流。風の魔術で空を飛んだのだ。私の身体は強い風に乗って、騎士達の包囲を飛び越え街の外に向かって飛んでいく。
さらばだ明智くん。この魔法は自由自在に飛べるわけではないが、高いところから私の身体を街の外に運ぶくらいは出来る。
街の外に出たら姿をくらませて髪を染めなおそう。帽子を荷物に押し込んで服も着替えれば私だとはわからないはずだ。
馬車をヒッチハイクしてもう首都に帰ろう。二度と西の街には来れないな。
風に乗ってそんなことを考えながら街の外まで一直線。
だが、残念ながらそうはいかなかった。
突如として風が乱れ、私の身体は失速した。
今度は地面に向かって一直線に落ちていく。
何が起こった!?
地面がせまる。ポケットの携帯を握り突風撃で落下速度を抑えたが、無理な体勢で不時着して体のあちこちを打ちつけた。
通りに落ちてごろごろ転がり、露店に突っ込んでようやく止まった。
痛みで一瞬呼吸も出来なくなるがすぐに立ち上がる。ヤバイ。ヤバイ。すぐに逃げないと。次の手を考えないと。
立ち上がって、
心臓が止まった。
頭の中が真っ白になって
いみのあることを かんがえられない
めのまえの げんじつが うけいれられない
ここに、マスケットがいることが信じられなかった。
私を守ってくれる砂が、指の間から抜けていく。
必死に両手で押さえるけど、崩れた砂が目に入って涙まで出てくる。
私の姿が皆にバレて、全部なくなってしまう。
砂の像が、私の全てが失われてしまう。
○
なんで?
どうして?
頭が割れるように痛い。
マスケットが何故こんなところにいるんだ?
マスケットは首都にいるはずだ。
実家の手伝いをするって言ってた。
マスケットの実家は大きな商会だ。
それが何故ここに?
ここは青の国の貿易の中心。
国中どころか、三国中の商人たちが集まる街だ。
それが…どうして……。
何も、よりによって、マスケットが、今、この街にいる必要なんて無いじゃないか。
なんでこんな、私に都合が悪いことばかりが起こる。
なんでそんな目を私に向ける。
やめて。
やめて。
私を見ないで。
「メイス…その髪は……」
マスケットが口を開く。
とっさに頭を両手で覆う。そんなことで隠せるわけないのに。
帽子が無い。墜落したときか。いつのまにか落としていた。
街の人々も私を見ている。
通りの真ん中に墜落してきた私を、距離を置いて取り囲んでいる。
まもなく騎士も駆けつけるだろう。
マスケットの隣に、見覚えのある人がいた。
私を追い出した宿屋の主人だ。
あの宿はマスケットの実家と関係があったのだろう。例の商会の制服を着た人もその周りにたくさんいる。
あいつか。
あいつがマスケットに余計なことを喋ったのか。
マスケットは私がスラムに向かっている間に街に到着したのだろう。そして商会関係の宿を訪れ旅の疲れでも癒そうとするときに、私のことを聞いたのだ。
『とんがり帽子の金髪の女の子』を泊めたら、実は黒髪の魔族だった。
私が魔法を使えることを知っているマスケットは、それを聞いて騎士に通報していたのだ。あの黒髪の子供もちょうどそのころ騎士の詰め所にいたのだろう。子供の証言で私の居る場所を知った騎士があの場に来たというわけだ。逃げる私が空まで飛び出して、マスケットが風魔術でそれを墜とした。
そして私は、この様だ。
「メイス、答えてください」
ビクリと身体が震えた。
誤魔化さないと。取り繕わないと。
考えろ!考えろ!
「ち、違うんだマスケット、これはちょっと、イメチェンで、事情があって」
「わざわざ奴隷みたいに黒くする事情って何ですか!!」
吐き捨てるマスケットの目は、いままで私が見てきたどんな人の目よりも冷たかった。
私はその目に心の底から怯えて、もううまく頭が回らない。うまい言い訳を考えられない。
「そっちが本当の色なんですね? 魔術で金色に染めて、よくもいままで私たちを騙して……」
もう、
もう、誤魔化せない。取り繕えない。
それでも私は諦めきれずに、まるで手で掴めば何かを失わずにすむというように、よろよろと両手を伸ばしてマスケットに近づく。
その私に対して、マスケットは、
「近づかないでください!! この…」
それを、言った。
「この……奴隷!!」
○
私はいま、誰もいない草原に立っている。
秋の日が暮れる。西日に照らされて、冷たい風に晒されて寒い。
裸同然で肩を抱いて、震えてその場に膝をついた。
「…………」
一度は捕らえられ、口を塞がれて手も縛られ、荷物も、着ている服まで全て奪われた。
牢に入れられたが、脱走した。
壁に顔面を思い切り打ち付けて、鼻血で壁に魔法式を書いた。縛られてない足で書くのに少し苦労した。
「ひっ………、ひっ……」
笑えてくる。
全部無くなってしまった。
あっけないものだな。驚きだ。
私の正体はマスケットから皆に伝えられるだろう。
ドクにも、フレイルにも、学園長にだって。
皆驚くだろうな。なんとあの天才魔道師は魔族だったのだ。
旦那さまや奥さまは、カトラスを抱きながら少しは同情してくれるだろうか。
「ひっ……、ひっく……」
帰ろう。
もはやこの世界に私の居場所は存在しない。
白の国に行って召喚魔術を探し、私の元の世界に帰ろう。
ああ、でもどうしよう。剣が無いと元の姿に戻れない。
まぁそれももういいか。
もう全て、どうでもいい。
一刻も早くこの世界から居なくなりたい。
剣があればすぐにでも帰れるのにな。帰る気になったときに剣が無いのが皮肉に思えた。
「ひっぐ……、うぇぇ……」
へこむわー。
だいたい異邦人である私が、魔族である私がこの世界でのうのうと生きるべきではなかったのだ。
さっさと帰る方法を探して、さっさと帰ればよかったのだ。
ちょっと幸せで楽しくて、もうちょっともうちょっと、と先延ばしにした結果がこれだよ。
「うぇぇ……、うぅぇぇぇ…」
もう少しここでゆっくり休んだら、白の国に行こう。
今夜は野宿になるかな。アウトドアなんてワクワクするじゃないか。
別に魔術が使えなくなったわけでなし、まだまだ私が持っているものは多い。
私は一人でも大丈夫だ。
白の国でおいしいもの食べてお酒呑んで、お風呂入ってぐっすり眠ったら、召喚魔術で地球へ帰ろう。
「う゛ぇぇえぇ…!! う゛ぇえええ…!!」
「おや~? かわいい泣き声が聞こえると思ったら、懐かしい顔に会ったもんだねぇ」
――――!?
声に振り返る。
そこには見覚えのある女。
私がまだ髪を染める前に出会った人間が、エッジの他にもう一人いた。
黒髪の私しか知らないエッジに気付いてもらうために元に戻した黒い髪。
それを見てすぐ私に気が付いたのは、皮肉にもあの盗賊の女だった。