第二十六話 西の街
季節は少し巡り、秋が来た。
学園に入学して半年。長期休暇の季節が来たのである。
夏休みだよ夏休み。夏はもう過ぎてしまったがそんなの関係ねぇ!
二週間の休みの間に地方から来た学園生徒は帰省するのが一般的だ。地方から入学しているのが少数派だが。
私も東の街の出身なので、邸にも休みを貰って帰省することにした。師匠の墓参りもしたいしね。
ドクもマスケットも首都出身だから二週間ほどお別れだ。
マスケットは実家のお手伝い。ドクはひたすら勉強に励むらしい。
フレイルも帰省するのかと聞いてみたが、定期訓練があるので帰れないとのこと。
というわけで私はこの二週間、一人きりだ。
東の街までは往復一週間ほど。ゆっくりしてもいいのだが、私にはやることがある。
私がこの世界に来て6年。
5年間は修行で自由が無かった。
こんなに時間が空いたのは初めてのことだ。
長期休暇の後半。一週間をかけて私は、西の街に行きたいと思う。
エッジがいるはずの港街だ。
首都から乗り合い馬車に乗って2日。それほど遠い場所ではない。
今まで赴かなかったのは、5年も経ってしまって気まずいからだ。
いつか行かねばならないと思いながら先延ばしにした結果6年。
エッジは私のことなど忘れてしまっているかもな。
しかし私は覚えている。
私を奴隷の身から救ってくれようとしたのは、師匠とエッジだけだ。
私はエッジの誘いを台無しにしてしまったが、エッジは強い。きっとあそこから逃げおおせて今もあの街で元気にやっていると思う。
ほんの少しの間一緒だっただけだが、一言あのときのお礼を言いたい。
私を誘ってくれてありがとう。
救おうとしてくれてありがとう。
私は元気にやっているよ。
おあつらえ向きに、一人きりの時間が二週間も出来た。
誰かと一緒なら、奴隷時代の知り合いをたずねるなんてことは出来ない。次はいつになるかわからない。
やはり少し気まずいが、ずるずると先延ばしにした挙げ句、結局機会が無かったなんてことにはしたくない。
やれるときにやっておきたいのだ。
じゃあいつやるか?
今でしょ!
○
東の街。久しぶりに会う街の人たち。マスターやマスターの奥さんやピルムさんたちとの再会。みんな元気のようだった。
師匠の墓にお酒を供えて手を合わせた。
マスターが掃除に来てくれているので師匠の家は綺麗なものだった。半年前と何も変わらない。
私も少しばかり掃除して、一晩泊まったらすぐに出発した。
あっという間の一週間。滞在時間はたったの一日だ。もう少しのんびりしてもよかった気もする。
首都を経由して寄り道せずに西の街への馬車に乗った。
青の国の西側の土地を、たくさんの風車を眺めながら行く。
2日を掛けてたどり着いた西の街は、海辺の大きな港街だ。
石造りの街並とひたすら港を埋め尽くす倉庫の群れ。
海鳥の鳴く声と波の気配。潮風に吹かれてジャリジャリする。
海に浮かんでいるのは商人たちの帆船だ。
この西の街は白の国と赤の国の貿易の要。
北の街と並んで、この青の国の玄関だ。
人も多い。三国から商人や貴族。休暇中の観光客なんかが道に溢れている。
港まで出てみると、ポパイみたいな二の腕をした屈強そうな兄貴たちが大きな木箱を運んで船と倉庫を行ったり来たりしている。
食べ物もおいしい。
基本はシーフードだが、ここは三国の貿易の中心。あらゆる食材がここに集うのだ。もちろんお酒も。
お昼の鐘を聞いて入った食堂で見た。大きな酒樽。
横に向けられた樽には蛇口が取り付けられて、そこから出てくるお酒に私は釘付けだ。
男達その樽に群がり、木製のジョッキを片手にバカ笑いしている。
…あれはたぶん、ビールだ。
黄色いもん。泡も乗ってるし。
……飲みてぇぇぇぇ。
しかし我慢だ。
わざわざこの西の街まで酔っ払いに来たわけではない。
ビールのアルコールを舐めてはいけない。どれだけの人たちがあのホップの魔力にしてやられてきたことか。
それにおそらく日本で飲んでたようなビールとは違うだろう。この世界にあるのはもっと原始的なやつだと思う。エールのような。
ということはこのお店にあるのはエールということだ。生姜が入ってないやつ。
果実のような香りを含んだ。甘くておいしいビールである。
これを飲まない手はない。
……こまけぇこたぁいいんだよ!
○
私はつくづく馬鹿だと思う。
貴重な時間を一日、酒に潰れて浪費してしまった。
いやだって、ダメもとで頼んでみたら船乗りのおっさん達がおもしろがって、次々に私に奢ってくれるんだもの。
酒を呑む幼女が珍しいのだ。当たり前か。
だが未成年者に飲酒をすすめる大人はダメな大人だと思う。
未成年者でありながら飲酒を嗜む私はどうだろう?
とにかく気を取り直して、エッジを探して街中を歩き回る。
しかし全然捗らない。
エッジは魔族で元奴隷だから、聞き込みがやりづらいのだ。
人を一人探すのがこんなに大変だとは思わなかった。
結局街中を歩くだけ歩き、時間だけを浪費して昼の鐘が鳴ってしまった。
ビールの誘惑に今度こそ耐えて、昼食も早々に次の手を考える。
………、そうだ。
そういえばエッジと一緒だったとき、私はまだ髪を染めていなかった。
師匠と会う前だったんだ。今は染めて金髪にしているが、この状態ではエッジと会っても私だと気付いてもらえない。
聞き込みが出来ないなら、向こうに気付いてもらうというのはどうだろう?
黒髪のままで歩き回れば、ひょっとしたらエッジの方に気付いてもらえるかもしれない。
そう思い立って宿に戻り、鏡の前に立つ。
大丈夫だ。この街に私を知っている人はいない。
いるとすれば、それがエッジだ。
黒髪のまま魔法でも使わなければまず大丈夫なはずだ。魔力を感知できる魔道師に気をつけよう。
それさえ気をつければ、魔族といえど道を歩いているだけで即捕まるなんてことは無いはずだ。
何度か自分に言い聞かせて、詠唱を始める。
いつもの髪染めの魔術を反転させて髪を元の黒髪にもどした。
久しぶりの真っ黒な頭に、ふぅと息を吐く。
帽子も部屋に置いて外に出ると、効果は如実に現れた。
街の人たちの態度が、さっきまでとはまるで違う。
道を尋ねようとしても、舌打ちされて無視されるばかり。
露店で飴を買おうとしたら水を掛けられて追い払われた。
周りから聞こえて来るヒソヒソ声にふと目を向けると、信じられないくらい冷たい視線がそこかしこから私に向けられていた。
ああ…、そうか。
忘れていた。
思い出したよ。嫌なことを。
私が奴隷だった頃、繋がれて街を歩かされていたときに周りから向けられていた視線だ。
魔族を見る目。
奴隷を見る目だ。
………、
やはり髪を戻したのは失敗だったかもしれない。
おかげで最悪だ。
もう、最悪の気分だ。
すぐに宿に戻った。
頭の中がぐちゃぐちゃになった。
部屋に置いていた帽子を被って、少しの間ベッドの上で目を瞑った。
そうだった。私は、コレが嫌でいつも帽子を被っているんだ。
染めた金髪が戻って最初に黒くなってしまう頭頂部をいつも隠しているんだ。
黒い髪を見られるということは、こういうことだ。
私が住む首都の街で、私を知る人たちの前でこの髪を見られれば、いったいどういうことになるのか計り知れない。想像するだけで背筋が凍る。
こんな街で黒髪がまともに生活できるとは思えない。
エッジはこの街にはいないのかもしれない。
…いや、この規模の街なら大なり小なりスラムくらいあるはずだ。
まだ諦めるな。めげるな。明日はあまり人の寄り付かない場所を探そう。
あの冷たい視線の中を、全速力で走りぬけて…。
ああ嫌だ嫌だ。心が腐る。
とりあえず今日はもうどこにも行く気がしない。
そのまま帽子を深く被り、ごろんとベッドに横になって眠りについた。
○
翌日、宿の主人に追い出された。
昨日は中途半端な時間に帰ったので受付には誰も居なかったが、宿に入っていく私を見た誰かに聞いたのだろう。
朝一で部屋に押し入られてベッドから飛び起きた。
今日もこのまま人探しをしようと考えていたので、私の髪はまだ黒い。
魔族だとは思わなかった。平気な顔で泊まっていやがって。騙したな。出て行け。
罵詈雑言を浴びせられて、着の身着のまま追い立てられた。
まさか宿を追い出されるとは思ってなかった。
ただ髪が黒いことがそんなにも罪なのか?
…荷物を抱えてトボトボと歩く。
西の街は大きい。拠点も無しに人なんか探せるわけがない。
何より私の心がめげてしまう。
…もう諦めて髪を染め直そう。
そう考えて路地に入り、誰にも見られていないことを確認してから髪染めを行った。
ローブを着替えて帽子も被ると、街人の態度もまた手を返したように変わった。
……内心ホッとする。やはり黒髪のまま人前に出たくない。
道行く人にスラムの場所を聞くと、あまり近づいちゃダメだと念押しされたが、すんなり教えてくれた。
南側の街外れか。親切な人にお礼を言って、さっそく向かうことにした。
○
西の街のスラムは南の海岸沿いにあった。
砂浜にあばら家が10数件。肩を寄せ合うように立っている。
子供たちが砂浜を走り回って遊んでいるのが見えた。
皆、髪が黒い。
私が近づくと子供たちも気付いた。
…まるで怯えるように、走って家に戻っていってしまった。
そうか…、ここでもまた髪の色か…。
ああ…もう!!
詠唱する。
反転魔術で髪染めの魔術を消した。
髪が戻りきるまで少し待ち、小さな集落のそばまで寄る。
どうしようか少し迷ったが、
「すいません! 尋ねたいことがあります!」
誰かに出てきてもらうことにして、その場から声をかけた。
するとあばら家の隙間から、まるで染み出るように数十人の黒髪が出てきた。
まさか全員で出てきたのか? ちょっとたじろいでしまう。
黒髪たちは家からは出てきたものの、まるで地面に線でも引いているかのように、私から一定の距離を取ってそれ以上近づいてこない。全員あばら家の影からじっと私を見てくるだけだ。
その中から一人、男が線を越えて歩いてきた。
「お嬢ちゃん、魔族か?」
目つきの鋭い男だ。髪も黒いが肌も黒い。この海辺のスラムで長年日に焼けているのだろう、身体は筋張って痩せている。
顔もやつれて年齢がわからない。そんなに歳を取っているようにも見えないのにどこか老いても見える。
あばら家の影からこちらを覗く人たちも似たような姿だ。この人はスラムのリーダーなのだろうか?
「…はい。私は魔族です」
「さっきは「色付き」に見えたが?」
私が帽子を取って答えると、男は警戒心も露に疑問を投げてきた。
「普段は生活のために染めています。こちらが本来の髪の色です」
「染める? 髪をか?」
「えーと…」
正直に答えたいが、私が魔法を使えることは伏せていた方がいいかもしれない。
魔法が使える人は魔族じゃないと判断されるだろうし。魔法が使える黒髪なんて、どんな扱いを受けるかわからないのだ。たとえ同じ魔族でも。
「特殊な薬で髪の色を変えられるんです」
「……ふん、そうか」
………、そんな薬がこの世界にあれば、魔族はどんな手を使っても手に入れようとするだろう。
だが男は納得したのかどうなのか、鼻を鳴らすだけだった。
しかし男の私を見る目からは、まだ鋭さは消えない。
一度男は後ろの人たちに目配せした。あばら家の影から覗く人たちは警戒心を緩めたのかどうなのか、家の中に戻っていった。
「それで、お嬢ちゃんこんなとこに何の用だ?」
どうやら話を聞いてくれるようだ。
「人を探しています」
私の目的は、尋ね人だ。
6年ほど前にエッジという名の、10才くらいの男の子がこの街に来なかったか。
今は15歳前後だろうその男の子に恩があり、礼を言いに来た。
もし知っているなら、どんな小さなことでも教えて欲しい。
私が説明すると、男は少し考え、
「いや、ここにそんな奴は来ていないな」
と答えた。
「そんな! たしかにこの街にいるはずなんです!」
「少なくとも俺はそんな名前、聞いたことも無い」
バカな。そんなはずはない。
ウソついてるんじゃないだろうな?
「誰か、知っている人はいないんですか? どんな情報でもいいんです」
「それなら、自分で聞いてみるといい」
男の許可を得て、おずおずとスラムの中に入る。
折り重なるような木材の塊の中に、合計50人ほどの黒髪が住んでいた。
だが、その全員がエッジの名を聞いたことも無いという。
やはりエッジはここにはいないのか?
あんな風当たりの強い街の中で暮らしているとは考え難い。いるとしたらこのスラムに間違いないと思っていたのだが。
居ないというならまだしも、見たこともないということは、ひょっとしたらエッジは……。
いや、ネガティブな考えは止めよう。
きっとあの脱走劇で逃げたあと、何か事情があってこの街に来なかっただけだ。
ひょっとしたら人里離れた場所に家を構えて、ひっそり暮らしているのかもしれない。だとしたら捜し出すのは困難だが。
スラムの人たちに一応の礼を言って、またとぼとぼと海岸を歩き出す。
はぁ…、どうやらここで手詰まりだな。諦めて首都へ帰るとするか。
あ、そういえば宿を追い出されていたんだった。今からまた別の宿探さないとな。
うん、どうせなら奮発してもっと高い宿を取ろう。今夜はゆったりお風呂に入って、ふかふかのベッドで眠るのだ。
晩御飯は何を食べよう。明日はもう帰るんだし、首都では食べれないものを食べておきたいな。
お昼のお店はおいしかったが、同じ店に入ってもしかたがない。そういえばここは貿易の中心。どこかで米を扱っているかも。パエリヤかなんかがあれば食べたいな。というか米食べたい。
そうだ、皆にお土産買わないと。何と言ってもここは貿易の中心。ありとあらゆる物品が手に入るはずだ。珍しいものがいいだろうな。旦那さまや奥さまにはどんなものが喜ばれるだろう。ドクはともかくマスケットは家が商会だからセンスのあるもの選ばないとな。フレイルには…どうでもいいか。
それからシーフード食べて、お酒飲んで、せっかくだから最後の半日を楽しもう。もうあまり時間は無いが、ここからは観光モードだ。西の街を遊び歩いてやる。
…………、
まるで、今まで、息でも止めていたかのように。
嫌なものを、考えたくないものを考えないために、全部忘れるために、
考えなくちゃいけないことまで、私は忘れて、
馬鹿みたいに、無理矢理明るい気分になっていた。
波の音を聞きながらザクザク砂を踏んで歩いていると、街の方向から人が歩いて来るのが見えた。
二人の騎士が子供連れで歩いてくる。
子供の髪は黒い。騎士がスラムに迷子を連れてきたのか?
私がぼけっと見ていると、
子供が私を指差し、
二人の騎士が、こちらに気付き、
剣を抜いた。
二人が連れた黒髪の子供。
さっきまで、スラムの砂浜で遊んでいた子供たちの一人だった。