第二十二話 魔術戦闘3
耳を劈く様な警報音。あまりの音量に思わず耳をふさいだ。
私たちがいる学園前、全方位から聴こえてくる。
音はしだいに音量が抑えられるが、鳴り止む気配はない。
通行人たちも不安げに辺りを見回している。一体何が起こった?
「…これは、緊急警報だ」
フレイルはすぐさま、
「三人とも、僕は騎士団に行かなくちゃ。念のため、君たちは学園に避難しているんだ」
それだけ言ったかと思うと、全速力で城の方へと走って行ってしまった。
なんだって言うんだ。
少なくとも緊急警報ってことは何がしか危険だってことだ。とりあえず二人を避難させないと。
フレイルの言うとおり目の前の学園がいいだろう。建物頑丈だろうし。
「どうやら、何かあったようだね」
「うぅ…、何なんでしょう?」
マスケットも不安そうだ。ドクも同じく、どうしていいのかわからないでいる。二人ともこんなことは初めてなのかもしれない。
「一応、避難しておこう。誰かが警報器にいたずら…だったらいいけど」
ここに居ても何もわからない。学園の先生たちなら何かわかるだろうか。
すでに通行人たちは非難を始める人もちらほら。とにかく私たちもその場を離れ、学園の敷地内へと移動した。
○
校舎に入ると、アネラス先生たちが避難してきた人の誘導をしていた。私たちも指示を仰ぐ。この時間は図書館や中庭に生徒が集中しているはずだが、そちらはハチェット先生が誘導しているようだ。いくつかの教室に集められて待機しているだけだったが、先生たちも状況を確認している最中らしい。
50人単位で15階の講義室まで誘導され大勢でぞろぞろ階段を昇っていると、まるで避難訓練のような気分だった。
クラスメートも大勢いる講義室に着いていくらか落ち着いたらしいマスケットとドクは、すでに魔術の予習復習モードだ。ドクは図書館で借りていた魔法属性の本を取り出し、マスケットは小石と睨めっこを始めている。
「あれ? メイス何処に行くんだい?」
「ドク…、淑女が何も言わずにその場を後にするのに、その言葉は無粋だろう」
「む、確かに失礼した」
「何です?トイレですか?」
「うん、ちょっと行って来るよ」
二人にはそういい残してしかしトイレには行かず、階段へ向かう。
緊急警報。一目散に走り去るフレイル。
何かあったのだ。間違いない。
これはいたずらなんかじゃない。
東の街で警報といえば、十中八九魔物の襲来だ。
年に数回とはいえ、首都と違って魔物の襲撃のある東の街では、誰かが魔物を発見したときにはすでに街の中という場合もあった。
だからいつもは街中に時間を知らせてくれる鐘が、いつもとは違う様子でガンガンかき鳴らされると、街の住人は一目散に避難する。常駐騎士のフレイルか師匠に知らせる。私はというと勝手に気付いて討伐に赴いては怒られる。
ビンビン感じるもん。この警報はおそらく魔物の襲撃だ。
たぶんフレイルも似たような感覚を覚えたはず。それ以外の人間、首都に住む人々はそういった感覚が鈍いのではないか。
まぁ無理も無い。東の街と違って首都は平和だ。ネズミくらいの魔物なら街中にもいるが、命を脅かされるような目に逢ったことはおそらく無いだろう。
一般市民はともかく、フレイルや他の騎士たちは気付いている。ひょっとしたら騎士団が出動しているかもしれない。これを見物しない手はないだろう。
2段飛ばしで階段を駆け上がる。どうせなら一番高いところがいい。
「学園長!!」
バーン!!と扉を開けて学園長室にダイレクト入室。
「メイス君か」
ちょうど学園長も窓の外を見ていた。有無を言わせず窓際に割り込み外を見て…、
……絶句した。
「…何あれ?」
すぐに理解できた。
緊急警報の原因はあれだ。
「学園長。あれ何ですか?」
首都は広いが三十階から見れば外周の高い城壁が見越せた。
首都の城壁は三つある。三つ目の城壁の向こう。首都から北と東の地域はこちらより土地が高い。丘のような土地の向こう遠くに、首都の北東の大きな山脈が見える。
そして今、なぜか城壁のすぐ外の丘にも山があった。
しかも動いている。こちらに向かって進んでいる。
「鉱山亀だよ」
「鉱山亀? あれが?」
鉱山亀。
戦いは好きではない。カラが非常に固くナパーム弾でも壊せない。
ちょっと想像以上のものが出てきたのでビックリしたが、説明を始めよう。
鉄の甲羅と山のような体を持つ亀の魔物だ。
この無闇に経験値が高そうな名の魔物は、ご想像の通りとても頑丈なことで有名である。
鉱山亀の危険度ランクはA+。
危険度ランクはAにもなると、魔法でも仕留めるのが難しいと言われている。鉱山亀はその中でも特に防御力が高い。中級魔術でもダメージを与えられないかもしれない。
亀なので動きが遅いと侮るなかれ。常軌を逸して巨大な鉱山亀は、ただ歩くだけで馬車も逃げ切れないような速度を出し何もかもを踏み潰していく。そしてそれを止める手段は無いのだ。
しかし、ただでさえ鉱山亀は図鑑に載ってる中でも最大種の大型の魔物で、小さい個体でも全長30mほどはあるらしいのだが、遠くに見えるあの個体は200mを超えているのではないか?
「いくらなんでも、でか過ぎないですかアレ…?」
「うむ、大きいねぇ。あれほど大きなものならランクはSに相当するだろうね」
「大丈夫なんですか?こっちに向かってきてますよね」
「騎士団が総出で対処しているし、魔道師たちも出ているから安心していい」
あぁ、そうなんだ…。そんなもんか?
ここにいる私たちもさっさと別の街に逃げるべきではないのか、と思うレベルの魔物だ。
学園長は危険度ランクSって言ってるし、騎士が剣でどうにか出来る範疇を完全に超えているように思う。
それでも学園長は大丈夫だと断言する。ならば魔道師が魔術で何とかするのだろう。
この世界にはいわゆる大砲のような兵器は無い。魔族の武器はすべて葬られたので、火薬というものが無いのだ。つくづくデコボコな文明だと思う。
しかし兵器は無いが魔道師がいる。
上位魔術には地球の大砲やミサイルなどの戦術兵器レベルの威力がある。私が使えるものだと、それこそミサイルのような爆発を起こす火の玉を飛ばしたり、竜巻を起こしたり、雷を落としたり。頑張れば建物ひとつ破壊出来る程度だ。
師匠が使う極星皇雷は一撃で街ひとつクレーターに変える。あれはそれくらい簡単に出来る。とても恐ろしい魔術である。二度と見たくない。ガクガク。
ではあの巨大な亀の化け物を、魔道師は倒すことは出来るか。
師匠なら楽勝だろう。私ならどうだろうか。
この国の魔道師ならどうにか出来るのか。
「出来るとも。私の弟子たちを甘く見ないでもらおう」
「…………」
そうだった。
この国の魔道師は魔法学園の卒業者。全員が学園長の弟子だ。
私の師匠、蒼雷のメイスの実の弟の弟子。
自分の弟子の有能さをとくと見ていろとばかりに、学園長はドヤ顔で私を見る。ちょっとウザい。
そうか、学園長は今、自分の兄の弟子と話しているのだ。
言わば自分のライバルの弟子。自分の弟子のライバルたる私に、自分の弟子を侮ってもらっては困るということかもしれない。
だとしたら失礼だったか?
いやいや、私が引け目を感じることはない。私は学園長の兄の弟子なのだ。
学園長の弟子が私のライバルだと言うのなら、負けるつもりは微塵も無い。
私は、あの師匠の弟子なのだから。
「そうですか。まぁ私ならあの程度、3秒で畳んでやれますけどね~」(棒)
「はっはっは、これは大きく出たね」
とりあえず強がっておくことにした。
私の強がりをどう取ったのか、学園長は笑う。
…ちゃんと見栄を張れているだろうか? ボロが出る前に早めに退散するのがよさそうだ。
「………?」
…おや?
亀から目を離し、窓から眼下を覗くと首都の青い街並みが見える。
だが様子がおかしい。
さっきまで疎らな人々が避難しようかどうしようか間誤付きながら警報の音を聴いていたはずだが、今は大量の人が押し合うように、大通りを埋め尽くしている。
ようやく避難を始めた、というわけでもなさそうだ。
「学園長。様子が変です」
「む…、本当だね」
「……北側から、人が流れてる?」
大通りの人々は、北から南に向けて雪崩れているようだ。
ここからでは人は豆粒のようでよく見えないが、何か様子が変だ。
すぐに北側の窓を覗いてみる。
北門まで続く大通りには、東側と違って誰も居なかった。
…いや、
数人の人が見える、が、道に倒れて動いていない。
どう控え目に見ても尋常ではない様子だ。
「北側で何かあったんでしょうか?」
「…すぐに使いを出そう」
「私、行ってみます!」
「待ちなさいメイス君!」
走り出そうとした私の手を、学園長に掴まれた。
「これを持っていきなさい」
学園長はそう言うと手早く紙に何かを書き、サインを付けて私にくれた。
内容を読むと、学園倉庫の教材の持ち出しを許可する署名だった。
倉庫には講義用の教材として杖がいくつか保管されている。
万が一のために持たせてくれたのだ、ありがたい。
まさかとは思うが、あの亀以外にも魔物が現れたのかもしれない。
私は飛び降りるように、30階分の階段を降りていった。
○
階段を降りて学園の一階に着くと、そこは人の海だった。
なんとかハチェット先生を捕まえて事情を聞くと、突然避難を求める市民が雪崩れのように押し寄せて来ているのだという。
私は正門から表へ出るのを諦めて、階段で二階まで戻り窓を破壊。
突風撃で一旦外へ出て建物の屋根まで飛び、屋根伝いに北門を目指した。
人の流れは、とにかく北門から逃れようとなりふり構わない感じだ。
学園東側の窓から飛び出てきた私はとりあえず人の流れに逆に沿って北に向かう。
風の魔術を駆使して屋根から屋根へ飛び移り進む。
北側の大通りに出ると、途端に人の数が減った。
大通りは首都の北門までまっすぐ伸びるメインストリートだ。
私はこちらの方まではあまり来ることは無いが、首都の街並は東西南北4本のメインストリートを軸に出来ているのでどこもあまり変わりはない。
中央街と一般街。一般街と商業街を分ける2本の環状道路との交差点。その北門に近い方の大交差点に、ことの原因が見えた。
やはり新たな魔物の襲来だったのだ。
一般街と商業街を分ける外側の環状道路との大交差点。
そこにいたのは、大虎狼。
虎を凌ぐ膂力と虎柄模様の毛皮を持つ大きな狼の魔物。
危険度ランクA-の魔物が、返り血に塗れて人を食べていた。
魔物というのは必ず一匹で現れる。
群生型の魔物はたくさんの個体に見えるが、群れる動物の姿と習性を真似るたった一体の魔物だ。
鉱山亀は群生型ではない。騎士団があの亀に出払ってしまっているのは、他に魔物が現れないことが通例だからだ。
なぜなら魔物は優先的に人間を食べるが、人間の次に魔物を食べる。
魔物は同じ場所に複数体いると、同種であっても互いを喰い合うのだ。
だから人間が魔物に遭遇するとき、多種であれ同種であれ、違う魔物に襲われるということはない。
しかし今回、その虚を突かれた。
あんな巨大な亀の魔物が現れて、誰もそれ以外に気を回せなくなっている。
再編成中の騎士団の戦力総出で鉱山亀を相手にするため、北側の警備が手薄になっていたのだ。
異動してきたばかりの新米騎士の門番では、予期せぬ襲撃に対処出来なかったのだろう。
結果首都の中にまで魔物の進入を許してしまった。
よりにもよって大虎狼だ。最悪の結果としか言いようが無い。
大虎狼のいる交差点から北門までは、凄惨な光景が広がっていた。
あまり見たいものではないが、手とか足とかよくわからない赤いモノとかモノというかモツとかが、道と言わず壁と言わず転がっている。食い散らかしながらあそこまで来たのだろう。
魔物に人が襲われれば、血は流れるし人は死ぬ。東の街でもこんな光景は無いではなかったが、ここまでの惨状は初めてだった。
目を覆いたくなる衝動を心の中で叱咤する。
今は魔物を倒すことだけを考えろ。
これ以上の被害を出させるな。見たくないものは見なければいい。余計なものは全て意識の外へ締め出しておけ。
私はもう一度突風撃を唱えて道に降り立ち、借りてきた教材の杖を構える。
杖の使い方は付属の取り説を流し読みしてある。基本の四属性の下級魔術をいくつか詠唱省略してくれる。ランクAの魔物に通用するかどうかはやってみるしかないが。
くたばれ、と心中で祈りながら、火炎弾を放つ。
威力を強化する詠唱を付け足した私の頭ほどの大きさの火の玉が、くちゃくちゃ人の腹を貪る虎柄の狼に向かって飛ぶ。
大虎狼は、その火の玉をつまらなそうに一瞥し、ひょいと身を捻ってかわしてみせた。
火の玉は後ろの屋台に直撃し、一度大きく燃え上がってから炭を残して消沈した。
くっ、やはりこんな下級魔術ではダメか。火炎弾はそれなりの速度で飛ぶものの、この距離では軌道を読まれてしまうようだ。凄惨な現場を見て気が逸ったか。ファーストアタックなんだからちゃんと詠唱して爆熱光でも放てばよかった。
大虎狼は一旦食事を止めて、大通りの真ん中で私とまっすぐ対峙する。距離は約100m。
しばらくまっすぐ私を見ていたが、
「ゥアオオオォォォォォ…ン………!!!!」
ひとつ大きな遠吠えをした。
まずい。早く仕留めないと。
すぐに中級魔術を詠唱する。一からの詠唱には10数秒掛かるが、爆熱光は秒速約30万kmの熱光線だ。避けられるものなら避けてみろ!
…だが、当然ながら大虎狼は10数秒も待ってはくれない。
ダンッ!! と音がしたと思うと、大虎狼が跳ねた。
距離を縮めながら次々と跳ねて飛び、壁を蹴っては広い大通りをジグザグに近づいてくる。ちょ!?速っ!?
詠唱を中断。杖を構えて火炎弾を三つ連続で放つ。
しかし横移動を繰り返す目標に狙いが定められず、ソフトボール位の火の玉は一つは空に消え二つは街路樹と街灯を炎上させてしまった。
狼が来る。最後に地面を蹴って大きく飛び上がり、まっすぐ私に飛び掛ってきた。
とんでもなく速い。こりゃ魔術が通じないのも頷けるが、感心している場合ではない。
「岩石壁!!」
ポケットにいつも忍ばせている魔法紙を取り出し、防御用の土魔術を使う。
一瞬で出来上がった石の壁に、目標を見失って激突する大虎狼。
大きな虎柄狼の全体重をかけた体当たりを受けて、石壁に音を立ててヒビが走った。怖っ!
間髪いれるな。すぐに次の魔法紙を使う。
こちらは突風撃だ。爆発的な空気の塊が、うまい具合にヒビの入った石壁ごと、向こう側に張り付いている大虎狼を吹っ飛ばす。
狙いは的中!
岩石壁の残骸を巻き込んで、大虎狼が肉屋の入り口の上に叩きつけられる。その身に岩石を打ち付けながら地面にべしゃりと落ちた。
トドメは忘れない。杖を構えて火炎弾を放つ。
こんどこそ火の玉は虎柄の毛皮に命中し、大きく燃え上がった。
「ふぅ…、なんだ、当たればちゃんと通用するじゃないか」
肉屋の店先に吊るされていた食肉が一緒に焼き上がり、香ばしい匂いと生き物の毛髪が焼ける嫌な匂いが混じって、なんかしばらく肉が食べたくなくなる気分だが、ぼさっとしているヒマは無いのだ。
残りの魔法紙を確認する。あと3枚しかない。
いまから新しい紙を調達して魔法紙を作るか?
止めておく。中級魔術を書くならそれなりに大きな紙に書かなくてはいけないし、時間が掛かり過ぎる。そんな猶予は無いだろう。
すぐに奴らが来る。その前に迎え撃つための準備をしよう。
三秒で詠唱する突風撃を二回。大交差点の真ん中に立つ。さっきの大虎狼が腹を貪ってた人が転がっているのだが今は何も見えないことにする。
魔法紙を一枚使用して地面を燃やす。
どれだけの効果があるかわからないが、特大の地炎焼で交差点を囲む四方の道を封鎖した。
焼け上がる道に周囲の温度が急上昇し、辺りは陽炎に包まれる。
その陽炎の向こうに、奴らは現れた。
正面。北門の方向から一匹。
東側。向かって右の道から一匹。
そして反対の西側からも、もう一匹。
計三匹の大虎狼が現れた。
○
大虎狼は危険度ランクA-、「群生型」の魔物である。
狼の習性を持つこの魔物は複数体の身体を持ち、集団戦闘で獲物を狩る。
首都に侵入したこの魔物も、獲物を求めて方々に散っていただけだ。
私がさっき倒したのは、その魔物のほんの一部でしかない。
今私の目で確認出来るだけで3体。
あと何匹いるかわからない。本体がどれかもわからない。一匹ずつ確実に倒すしかない。
それぞれの距離は約100m前後。三匹の大虎狼はまるで値踏みでもするかのように、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
こうしている内にも新手がくるかもしれない。
先手必勝!
ゆっくり値踏みしてくれてる間に詠唱を完了し、爆熱光を東側の大虎狼に放った。
秒速約30万km。光速の赤い中級火魔術が、まずは一匹の大虎狼を炭に変える。
それを戦闘開始と取ったのか、北と西の二匹が走る。さっきの奴と同じようにジグザグ跳ねて、凄い速度で距離を詰めて来た。
さっきの奴のタイミングと同じなら私の身体が引き千切られるのに5秒掛からない。
だが3秒あるなら突風撃が詠唱出来る。
タイミングを計り、地炎焼を飛び越え私に飛び掛って来ていた西側の大虎狼に爆風をお見舞いしてやる。
地形効果のおかげで幅跳びせざるを得ない狼。跳躍のタイミングが読みやすかった。見事命中した魔物は今自分で跳んで来た放物線を逆にたどり、途中で勢いを無くして地炎焼の範囲の中に落ちて燃え上がった。
続けて北側のもう一匹。
一番大きい雷魔術の魔法紙。放射雷の電撃の網が、私に飛び掛る大虎狼を捕らえる。
勢いを失いその場に落ち、全身を激しく痙攣させる魔物に杖の火炎弾でトドメを刺す。
「ぜぇ…、ぜぇ……、あと何匹いる…?」
視界にちらつく赤色と、血と肉の焦げる匂いで気分が悪い。むせ返るような血の匂いが熱に巻き上げられて私の意識を侵食する。
まだいくらも魔術を使っていないというのに、軽い魔力切れでくらくらする。
集中力が足りない。魔力の練りが甘いのだ。
少し休憩しないと。
「ぜ……、ぜぇ…、そんなわけ…、無いか」
そんな暇を与えてくれるわけがない。
新手の大虎狼の数は六。
…さっきの倍か。北門への道に四匹。東から一匹。西から一匹来る。
新手が現れると同時に、四方に展開していた地炎焼が効果時間を終え、掻き消えた。
はぁ…、これはもうダメかな? そろそろ引き際を考えないと。
最後の1枚の魔法紙、水濃霧は攻撃魔術ではない。霧を発生させる目くらましの魔術だ。
西と東の二匹がこちらに向かって来る。
爆熱光の詠唱を始めるが、逃げるなら今か? 四匹はこちらに向かって来ないし、二匹はゆっくり歩いて来ている。
水濃霧で姿を晦まし、学園に戻って助けを呼ぶべきか。
走って追いかけて来られたら簡単に追い着かれるだろうが、突風撃で屋根に昇ってしまえば奴らは追いかけて来れないだろう。
迷うことはない。私はよくやったよ。
最後の魔法紙を取り出して、六匹の狼どもの様子を見やる。
右と左から来る二匹は確実にこちらに狙いを定めているが、まだゆっくり歩いて近づいて来てるだけだ。
正面の四匹はこちらに来る様子は無い。
何をしているのかと思ったら、どうやら食事を始めたようだった。
北門へ続く大通りには、最初の奴が食い散らかした人々の亡骸がまだいくつか残っている。
四匹の大虎狼はこれ幸いという風で、くっちゃくっちゃと腹ワタを貪り始めた。
くしゃり。
知らず魔法紙を握り潰していた。
ちょうど詠唱の終わった爆熱光を四匹で固まった大虎狼に放つ。
一匹に命中して燃え上がり、当たらなかった3匹を散り散りにする。慌てふためく奴らの様子が少しウケた。
すぐさま走り出す東西の大虎狼。
東側に向かって、杖で岩石弾を3つ放つ。
しかし杖から放たれた岩石の弾丸は、大虎狼を狙ってはいない。
道路の左右に点在する街路樹や街灯の根元に命中してへし折る。
道側に倒れてきた障害物に怯んで、東側の奴の足が止まった。
そしたら魔法紙で濃霧を発生させる。
私が飛び込むように身体を投げ出すと、西側の道から私の頭上を風を裂いて飛び込んで来た大虎狼が、私を見失って通り過ぎていった。
濃霧の中、石畳の固い地面が抉れる凄い音がする方向に向かって火炎弾を3連射。
2つが命中。大虎狼が燃え上がり、熱が濃霧を吹き散らしてしまった。
北側の道の向こうからは三匹の大虎狼が走ってくるのが見えた。
すぐに立ち上がる。
が、視界が揺れて倒れてしまう。立ちくらみ。脱水症状だ。
こんなときに、魔力切れか。
免疫不全の症状だろう。身体が熱を出して少し朦朧とする。
周りの音が聞こえ難い。頭が重い。意識を繋いでいるのが辛い。
…ここまでか。
……いや、まだだ。
杖を構える。まだもう少し、あと一匹二匹道連れに出来るはずだ。
学園長に大見得切っただろう。
A+の鉱山亀を三秒で畳んでやれるんだろう。
この程度の魔物にやられるわけがない。
何の罪も無い人々の死体を貪る畜生どもに負けるわけがない。
私は、師匠の弟子なのだ。
東から障害物を乗り越えて来る大虎狼に、火炎弾を5連射。
避けられないように、道幅いっぱいの移動範囲を囲い込むように放った火の玉の一発が狼の足に当たった。
ハンマーで殴られたような頭痛が私を襲うが、これでもう一匹仕留められる。
足を燃やされ地に落ちた大虎狼にもう一発火炎弾。
これで仕留めた数は計七匹。
…それが私の限界だった。
東側を仕留めたときには、北からの三匹の内の一匹が、もう私に飛び掛って来ていた。
虎以上の膂力でもって、野太い前足と鋭い爪がまっすぐ私に飛んでくる。
とっさに杖を盾にして身を守ったが、一撃で引き裂かれるのを回避したに過ぎない。
杖は私の代わりに原型も無いほどバラバラになってしまった。
私の身体は十数mも飛ばされて、背中から街路樹に激突して落ちた。
「ぁ…ぐぅ!……っ!!」
声も出ない。
一瞬意識がトンで、激痛によってすぐ引き戻される。
肺にちゃんと空気を送れているのかもわからない。
何とか目を開けて前を見る。
三匹の大虎狼が、私を取り囲んでいた。
「う……うぅ……」
……ここまでか。
ここで私は殺されてしまうのか。
……前にもこんなことがあったな。
あれはいつだっけ?
そうだ、歩行樹と戦ったときだ。
私は油断してやられてしまい、ちょうど今と同じような状況になっていた。
あのときはどうしたんだったか。
覚えている。師匠が助けてくれたのだ。
なんだかんだで私を助けてくれる師匠。
いつも私を気に掛けてくれていた師匠。
だがその師匠は、もう居ない。
誰も私を助けてくれない。
だから、
私は一人でも、誰にも負けてはいけない。
師匠の助けが無くても、一人で生きられなければいけない。
誰の助けも要らないくらい強くなければいけない。
だというのに…、
「メイスちゃん!!!」
フレイルは、必ず私を助けに来る。
私の窮地に、絶対に間に合う。
……くそっ、
「待ってて。すぐにこいつら片付けるから!」
フレイルが腰の剣を構える。
大虎狼は動けない私よりも、フレイルをまず排除すべきと判断したようだ。
三匹の魔物がフレイルを囲む。
だが、たとえランクがAだろうと、剣が通じる魔物ならフレイルは負けない。
さっきもゴロツキ相手に助けてもらったばかりなのに、
またフレイルに助けられてしまう。
…くそっ、
飛び掛かる大虎狼に、フレイルが剣を一閃。
あんな速いの、避けられるわけがない。
斬られた大虎狼には、見えてもいなかっただろう。
愛用の片刃の剣を見て私の呟いた一言をヒントに、フレイルが完成させた居合い斬り。
私があれだけ苦労した大虎狼が、袈裟に斬り捨てられて地面に転がる。
それを見て残りの二匹がフレイルから距離を取る。囲み直して今度は同時に仕掛けるつもりだろう。
わざわざ相手の策には乗らない。
フレイルは弾かれた様に距離を詰め、瞬きの間にもう一匹を仕留める。
最後の一匹の爪が背後に迫るが、フレイルは横っ飛びにそれを避け、地面を一回転して着地した。
そして身を捻って跳ね返るようにまた跳躍。大虎狼にすれ違うような剣撃を浴びせ、腹ワタを地面にブチ撒けた。
…あっという間だった。
「メイスちゃんしっかり。すぐに医務室に連れて行ってあげるからね」
結局宣言どおり、あっという間に魔物を片付けてしまったフレイル。
私の小さな身体を抱きかかえて、風のように軽々走る。
息ひとつ乱れていない。
私があんなに苦労した相手なのに。
追い詰められて、殺されかけていたというのに。
くそっ、くそっ、
くそぅ…、
かっこいいなぁ……、
○
「う…ん。…ここは?」
「気がついたようね」
目が覚めると、私はベッドに寝かされていた。
すぐ側にはハチェット先生。ハチェット先生がいるということはここは学園か?
あ、ここ医務室だ。
どうして私が医務室に?
「どこまで覚えているかしら?」
「え~と、並み居る魔物を千切っては投げ、国の危機を救った英雄としてお城で表彰されたところまでは覚えているんですけど、どうも記憶が曖昧です」
「重度の記憶障害アリ、と。頭を強く打ったのかもしれないわね」
「すいませんウソです。覚えてます。無茶して死に掛けました」
「そう。他に異常があったらすぐに言うのよ」
あの後私はフレイルに抱えられたまま気を失ったようだ。学園の医務室。フレイルが運んでくれたんだな。
魔力切れを起こしていた私に、ハチェット先生はお水を入れてくれた。この後高熱が出るらしい。治癒魔術の先生は今あっちこっちに奔走しているらしいが、今夜一晩お世話になりそうだ。
ハチェット先生は丁寧に今回の顛末を教えてくれた。
騎士団と国家魔道師の連携によって鉱山亀は無事殲滅したそうだ。甲羅から剥ぎ取れるという大量の鉱物資源で一部の関係者はウハウハだろう。
そして首都に侵入していた大虎狼は全部で15の身体を持っていたらしい。その内10匹は私とフレイルが殲滅して、残りの5匹の中に本体がいたようだ。そちらもあのあとすぐに殲滅されたらしい。
騎士団本部には数人の騎士が残されていたらしいのだが、やはり亀に気を取られて伝達が十全ではなかったようだ。
学園長の使いの人が赴き、ようやく騎士団の残りの人員が出動。北の大通りに集合しつつあった狼どもを確固撃破。
私が一人で囮を引き受けていたことになる。さすがに無茶しすぎたと思うけど…、
死傷者80人。それが今回の魔物の襲撃の被害だった。
私はがんばったと思うのだが、なんだかやるせない。結局魔物を倒せずに、自分も殺され掛けていたし。
ハチェット先生は、とにかく私が無事でよかったと言ってくれるが、…う~ん。
と、そこへ、
「あ、メイスちゃん。気がついたの?」
フレイルが来た。
声に全身が粟立つ。
「あぅ…、フレイル…」
「気分はどう?どこもケガしてない?どこか痛いところはないかい?」
あうぅ…、
は、恥ずかしい!!
私は命の危機を助けられてしまったのだ。
よりによって、このフレイルに。
「わ、私は平気だから!! それ以上近づくんじゃない!!」
「ちょ、なんでそんな邪険にされるの?今度こそ僕何も悪くないよね?」
何だかフレイルの顔をうまく見れない。
恥ずかしくて逃げ出したいのだが、まだ本調子でない身体はうまく動かず、ハチェット先生に首根っこ掴まれて静止された。
私はベッドの上で何も出来ずに、結局そのまま俯くことしか出来ない。
ハチェット先生はまだ話があったようだが、何か気を使うように席を外してしまった。うぅ…ニヤニヤウザい。
「とにかくメイスちゃんが無事でよかったよ。けどなんであんな無茶を…」
「うるさいなぁ。私なら楽勝だと思ってたんだよ」
しかしフレイルは私が魔物と戦うたびにそんなことを言うな、子供扱いするなと言いたいが、助けてもらった手前強く出れない。
「…………」
「…フレイル?」
急に、…急激にフレイルの顔から、表情が消えた。
「メイスちゃん。前から言おう言おうと思っていたけれど……」
フレイルは一度大きく息を吸い込むと、
「 い い か げ ん に し ろ よ !!!! 」
師匠にも負けない、特大の雷を落とした。
「フ、フレイル…?」
「何でいつもいつも危ないことに首を突っ込むんだ!!死んだらどうするんだ!!メイスちゃんに何かあったら悲しむ人がいるんだって何でわからないんだ!!!毎回毎回魔物が出るたびに一番に飛びついて!いつも危険なことはするなって言ってるだろ!!人の話を聞いてないのか!!それとも馬鹿なのか!!今日だって僕が助けられたからよかったものの、間に合わなかったらどうなってたかわからないよ!!何度死に掛ければ気が済むんだ!!心配ばっかりかけないでよ!!めちゃくちゃ心配したんだよ!!!何でいつも一人で行くんだ!自分なら楽勝だって!?何でも一人で出来ると思ってたら大間違いだこのバカ!!!!」
気付けば私はベッドの上で正座をしていた。
早口に捲くし立てるフレイルの言葉のひとつひとつが私に突き刺さる。
え?え?説教なんて私は慣れっこのはずなのに。
何故かぎしぎしとココロが悲鳴を上げる。
たったこれだけのことで、もう心が屈服してしまった。
やめて。もう許して。
「だいたいメイスちゃんはいつも一人で…ってうわっ!?」
私の心の悲鳴を聞いてか、フレイルの説教が唐突に止まる。
「め、メイスちゃん、その…、僕はそんなつもりじゃ……」
今度はしどろもどろになるフレイルの顔が、不思議な形に歪む。
シーツにポタポタと雫が落ちる。
私は、泣いてしまっていた。
「うぅ・・・う゛ぅぅ・・・・」
「メイスちゃん、謝るから。謝るから泣かないで…」
「泣いてない!!」
うぅ、くそっ、なんで涙なんか。
シーツでがしがし顔を拭いて気合で涙をせき止める。
オロオロするフレイルの顔面に力いっぱい拳を入れた。
「メイス!!大丈夫なのか!!?」
「どこもケガしてませんか!?魔物に食べられちゃってませんか!?」
私の渾身の右スマッシュがフレイルの美顔を捉えると同時に、ドタバタと音を立てながらドクとマスケットが来た。
…どうやらこの二人とフレイルは、とてもタイミングが悪いようだ。
フレイルの頬に刺さる私の拳を見て二人は、何か見てはいけないものを見たような顔になる。
あ、あわてて取り繕う私とフレイル。
「ど、ドクにマスケット。どうしたのこんなとこに?」
「どうしたもこうしたも、トイレに行ったのかと思ったら全然帰ってこないから変だと思って探してたんだ。さっき学園長に事情を聞いて飛んで来たんだよ」
「街中で魔物と戦って倒れたって聞いて、心配したんですからね!」
目を潤ませながら私に抱きつくマスケット。あぁ女の子やわらかいあたたかい。
そういえば忘れていたが、私はトイレに行くといって出たきりだったのだ。どうやら二人に心配させてしまったらしい。ゴメン。
「とにかく、大事無い様で安心したよ」
「うん、私は大丈夫だよ。二人ともありがとう」
「まぁ私は、メイスならどんな魔物にも負けないって信じてましたけどね」
「え?あぁうん、ちょっとドジっちゃったけどねー」(棒)
ドジるどころか普通に負けていたのだが、それは言わないでおく。
ドクもマスケットもフレイルも、こんなドジで無茶な私を真剣に心配してくれてたのか。
なんだか、くすぐったいな。
「ほら言ったでしょメイスちゃん。君に何かあったら悲しむ人がいるんだ。もちろん僕もだよ」
「わ、わかってるよ! わざわざ言うな!」
さらりと恥ずかしいことを…。少し黙っててくれよ。また私の右が欲しいのか? 欲しければくれてやる。
ぺちぺち平手で頬を叩いてやるが、それを見る視線にハッと気付く。迂闊。
マスケットとドクがニヤニヤした目でバッチリその様子を見ていた。ていうか目の前にいるんだから当然だ。何してんだ私は。
「メイスとフレイルさんって、仲いいですよね~」
「うん、同郷の友人という域を越えているように思うね」
「さっき私たちが来たときも、なんだかスキンシップの最中だったみたいですし」
「いやあれは、その、違うくて…」
やばい…この流れはなんかやばい気がする。
「ほら、フレイルがムカつく顔だから、ついつい殴りたくなっちゃうんだよ」
「メイスはフレイルさんのこと、好きなんですか?」
話を逸らそうとしたが、無駄だった。
マスケットの恋愛脳が、私を獲物として捉えてしまったようだ。
「ねぇフレイルさんはどう思ってるんです?」
「いや、メイスちゃんとは10も年が離れてるわけだし…」
「愛があれば年の差なんて関係無いです!メイスもきっとそう思ってますよ」
「違うマスケット。私はそんなんじゃない」
「それじゃメイスはフレイルさんのこと嫌いなんですか?」
「イグザクトリィ!大正解だマスケット。私はこいつのことを誰よりも嫌っている。正直死ねばいいと思っている」
「えー。全然そんな風に見えないですよ?」
「…私に発言権あるの?コレ」
「僕にもそうは見えないな。メイスはフレイルのことを、少なくとも憎からず思っているように見えるね」
「フレイル、お前からもなんとか言ってくれ!」
「いや、いつも散々なこと言われてるけど、この際メイスちゃんが本当に僕のこと嫌いなのかどうかは聞いておきたいかな」
「このゲス野郎!!」
どうやったら逃げられるんだ。無理ゲーすぎる。
鼻息の荒いマスケットにつられてドクもフレイルも悪ノリし出している。私の旗色は悪い。
なんか気分も悪くなってきた。
「ほらほら~。メイス顔が赤いですよ。正直に話してください」
「ちょ……ほんとマジで……勘弁して………」
「…ん?メイス本当に大丈夫なのか?…ってすごい熱じゃないか!?」
「うわっメイスちゃん大丈夫!!?」
「えぇっ!? メイス!メイスしっかりしてください!!」
か、身体が動かない。頭が重い。
そういえばさっき先生が、魔力切れの所為で高熱が出るって…。
「はいは~い。面会時間は終了だよ~。病人と治癒魔道師以外は医務室から出てっておくれ~」
ちょうどいいところに治癒魔術のグレイブ先生がやってきた。
た、助かった。
「先生!メイスは大丈夫なんですか?」
「命に別状はないさ。魔力切れの患者は大抵こうなるんだよ~。ボクが治癒魔術で面倒見るから安心したまへ」
先生に言われて三人が医務室を出て行く。
おかげで助かったが、なんかこの先生苦手なんだよな。何考えてるのかわかんなくて。
まぁとにかく私はあとは寝るだけだ。
なんとか逃げ切れてよかった。
「それで~? 途中から話聞いてたんだけど、あれ騎士フレイルだろ? 君は彼のことどう思っているのかな~?」
逃げ切れてなかった。
なんだこの先生。馴れ馴れしいぞ。
「先生…、私、熱で今にも死にそうなんですけど…」
「そっちは安心していいさ~。でも患者の心のケアもボクの仕事だからね。ホラホラ言っちゃいなよ。言えば楽になるよ他言はしないよ~」
うぅ…ダメだこの先生。早くなんとかしないと。
しかし私も熱で頭がぼーっとしてもう何も考えられない。
先生は軽薄そうな口調ではあるが、私に声を掛けながらもてきぱきと私の熱や脈を測り、氷嚢やタオルを用意している。
掴めない人だが、任せてもよさそうかな。
「ホラどうなの? 騎士フレイルだよ~?女子のあこがれだと思うけどな~」
「違います……私は…」
「好きなの?」
「………」
「嫌いなの~?」
「いえ……」
私がフレイルのことを好きかどうか。
あの顔と剣しか取り得の無いヘタレ騎士に恋心を抱いているか。
無い。断じて無い話だ。
だが…、
「好きです。私の初めての友達だから…」
私は東の街にいる頃、師匠を除けば一番にフレイルと一緒にいた。
師匠はもう居ないから、あとはもうフレイルだ。
たぶん私という人間が一番長く時間を共有しているのは、フレイルしかいない。
だからフレイルのことを、私が嫌いなわけがない。
「飽くまで…、友達として…ですが……」
「ふふ~ん。それがホントに本当なのかはどっちでもいいけど、こんな状態になるまで建前でも「好」が出てこないなんて、君は相当素直じゃないみたいだね~」
先生の言葉が引っかかるが、私はいよいよ熱がヤバイ。これ本当に大丈夫なのか?
グレイブ先生は可笑しそうに笑うと、魔術の準備を始める。
「これから夜中までぶっ続けで治癒魔術を掛け続けるけど、その前に君が良く眠れるように、軽い催眠の魔術を掛けるからね。いい夢見てね~」
グレイブ先生がタクトのような小さな杖を振り、短い詠唱を唱えると、私の身体を心地良い睡魔が包み込んだ。
抵抗せずに身を任せると、私の意識がストンと落ちる。
今日の私は、本当に疲れた。
熱もひどいし、もう何も考えたくない。
先生の言うとおり、今夜はいい夢を見るとしよう。




