最終話 何故なら未来は……
「おいメイス、起きろ、次あてられるぞ」
「ふぇ……、へあ!?どこ!?何ページですか?」
隣の席のテイル君が居眠りをする私を起こしてくれます。
昨日も遅くまで師匠の残した魔術の課題に取り掛かっていた私は寝不足なのですが、先生の注意が飛んでくる前にテイル君が気を利かせてくれました。彼には数日前の昼食の恩があるのでそのお返しもあるのでしょう。
しかしテイル君は頭の上の犬耳をパタパタさせるだけで口を閉じてしまいました。教科書の何ページなのかまで教えてくれないと私を助けたことにはならないと思うのですが、ハッとして前を見るとすでに先生が私に向けて丸めた教科書を振り下ろすところでした。
……ちょっと痛かったです。
「オホン! 続けるぞ。え~小戦争の後の世界は混乱が続きマスケット王様の統治の下に~……」
軽い音が教室に響きクラスメートの小さな笑いの後、何事も無かったように授業が続きます。
近代史の授業は私にとって退屈なものです。
50年ほど前に、恐るべき悪の魔道師が現れました。
たくさんの罪もない人を手にかけ、青と赤の国の間に戦争を引き起こし、世に混乱をもたらしたそうです。
時の赤の国王マスケット様は若くしてその魔王を捕らえ幽閉塔に封印し、争乱は犠牲を出しつつも終結することができましたが、世の混乱はそれに収まりませんでした。
世界中の魔物が、人の姿に変わってしまったのです。
テイル君の様に頭に犬の耳がある人。フーフちゃんのように牛のような角(と牛のような胸)の生えた人。エリトラちゃんのような虫翅を持つ小人や、ラビットレッグはうさ耳だし、魚尾の人やトカゲみたいな人や植物みたいな人も。
そんな、いろんな姿の『魔物人』と呼ばれる人が突然世界中に現れた世の中で、
偉大なるマスケット王はそんな魔物人たちを新しい人類として受け入れ、
魔物人も人間も共に暮らせるよう、公共事業を整備してこの街を新しく作ったのです。
それが私たちの街。
人と魔物が共に住む『黒の街』
中央山脈を開拓するため鉄道を東の山の向こうへ繋げた、世界で最初の駅の街です。
それももう50年も続く話なのですが、今もこの街は最先端の技術の街です。
教室の窓から空を見れば風船鯨が山の向こうから帰ってくるところ。
ひとつやふたつではありません。朝もはよからこの街にはたくさんの人が訪れ、ホテルは連日満員御礼。切符に書かれた時刻まで鉄道蜈蚣を待っているのでしょう。
何せ明日は、そのマスケット王様の命日なのですから。
世界中から喪に服す人々がこの街に降りて鉄道に乗り換え赤の国へと向かうのです。
「ふむ時間か……、今日はここまで。明日から休暇だが、羽目を外さず喪に服すように」
時計を見る先生が授業の終了を伝えると同時にチャイムが鳴り響きました。
退屈な授業はこれで終わり。
……ここからが本当の地獄なのです。
クラスメートのみんなが各々休暇に浮足立ち帰っていく中、私は一人でしばし憂鬱に沈んでいます。するとテイル君とフーフちゃんが話しかけてきました。
「メイスはこの後どうするんだ?」
「ウチら15時の鉄道蜈蚣乗って家族と一緒に赤の国に行くんよ~」
「あぁ……二人ともやっぱり式典に行くんですね……、私は……、師匠に」
赤の国ではマスケット王の命日ということで盛大な式典が開かれます。みんな喪に服すというよりお祭り気分です。
しかし私は師匠の呼び出し。13時の鉄道蜈蚣に乗って青の国に行かなければなりません。もちろん式典には行けないです。
「あ~メイスの師匠って厳しいんだっけ? こんな日くらい式典でうまいもんでも食って遊べばいいのに」
「藍の国のスケイルが東から来るんやって。明日は式典で歌うんちゃうかなぁ?」
ぐ……、それは私も行きたい……。
マスケット王が亡くなられて二周忌。式典は一大イベントの様相を呈しています。流行の歌手はもちろん著名人も数多く訪れるでしょう。
だというのに私は師匠から呼びつけられ参加できず。どうせまた雑用なのです。師匠のあほぅ……。
「それでは私はあほ師匠にコキ使われるために青の国へ行きます。二人ともさようなら。私のこと、どうか忘れないで……」
「まるで死にに行くみたいだな」
「おみやげ買ってきたげるし、元気出してな~」
慰めなんて要りません。惨めな女じゃないのです。
いっそ師匠の呼び出しなんてぶっちぎっちゃいましょうか。
そんなことを考えながらも、やっぱり師匠のおしおきが怖い私は二人と別れ師匠譲りのとんがり帽子をかぶり、学校を後にして駅へ向かいました。
私の師匠は変わった人です。
その魔術は確かにすごいもので、他の誰も知らないような術式や魔法概念をたくさん教えてくれますが、
あの風船鯨も鉄道蜈蚣も自分が作った物だと言い張り、
お酒を飲んでは50年前に戦争を引き起こした悪の魔道師は自分だなんて泣き喚き、
おまけに、見た目は10歳ほどの幼女なのです。
○
青の国は大陸西側の南方大部分を占める大きな国で、緑豊かな土地に畜産農業を営む多くの街があります。
その街の一つの『東の街』は首都から最も離れた場所にありながら、鉄道の中継基地として栄える田舎町です。
鉄道蜈蚣に乗って3時間。駅を降りて街から少し森に足を踏み入れると、程なく師匠の家があります。
「師匠~、来ました~。弟子一号が呼ばれて来ましたよ~」
この家は師匠の師匠が住んでいたお家らしいです。師匠に似合わず慎ましやかな家だと思います。胸以外に慎ましいところの無い師匠には似合いません。
「ん、来たか! 入れ弟子一号!」
扉の向こうから師匠の声がすると、ひとりでに木製の扉が開きました。……憂鬱です。一体今回はどんな無理難題をふっかけられることでしょうか。
「…………」
「どうした? 怖がってないではよ入れ」
「……師匠、入れません」
中に入ると混沌とした紙の海が部屋いっぱいに広がっていました。
床どころかテーブルも見えません。腰ほどまで紙が積み重なって部屋中が埋まってしまっています。
「このダメ師匠!!!! またこんな散らかして何考えてんですか!!!!」
「散らかってないよ。これでも私にとって完璧な配置で片付いて……」
「どこにいるんですか!! 言い訳はせめて顔出して言ってください!!」
「いるよ~。ここにいるよ~」
紙の海の中に一際小高い紙山がありました。そこから細い腕が生えてひらひら手を振っています。
しかし足の踏み場もないどころの騒ぎではありません。全ての紙に師匠の魔法式が書き連ねられていて、おそらくですがこれが同じ体積の金塊に等しいほど、魔道師にとって価値のある新魔術の集合体です。
何するものぞ、踏んで中を進みますが。
「また新しい魔術の研究ですか?」
「私はいつでもそれしかやってないよ。ていうか踏むなよそいつらがどれだけ価値のあるものか……」
「どうせ同じ量の金塊だとか言うんでしょう。わかってますけど付き合いきれません」
「いや今度のは特別。この家と同じ大きさの金塊が買えるよ」
「付き合いきれません!!!!」
そんな無茶苦茶な取引したら相場が吹っ飛びます。頭の悪い発言ですが心臓に悪いのはあながち冗談とも言えないところです。
紙山から生える腕を取って師匠をズルリと引きずり出してあげました。
…………軽い。
這い出てきたのは金髪の少女。幼い顔で弟子の私を見上げてきます。
この年端もゆかぬ女の子はどんな魔術ギルドにも属さず、人目を避けて外道を歩み己が魔術の研鑽だけを目的とする、闇医者や闇商人などと同じく公に認められていない意味での闇魔道師。
私の、師匠です。
「今度はどんな魔術なん…………、まさか私を呼びつけたのもその魔術のことですか?」
「そうだけど今はまだ言えない」
「私を実験に使うつもりでしょ!!言え!!このロリ!!かわいい顔でごまかそうとするな!!」
「あぶなくないって~。全っ然あぶなくないって~」
「嘘です!! この前みたいに私を水平線に向けて60ノットで撃ち出すつもりです!! この暴力師匠!!ロリババア!!片付けられない幼女!!お子様ランチ!!!!」
「……静電気」
「痛い!!!!!!」
……この人が、私の師匠なんです。
この大人気の微塵も無い幼女師匠は弟子が言うことを聞かないとすぐにバチリと電気を流して暴力に訴えてくるのです。信じられません。
弟子の私は師匠の魔術に成す術もなく屈するしかないのですが、私はとても悔しいです。師匠が散らかした部屋もいつも私が掃除することになるのです。悔しい。
「まあ今回の実験は本当に危なくないんだ。助っ人も呼んでるし」
「助っ人って誰れすか……」
痺れが残りつつも電気幼女にコキ使われ部屋を掃除していると、お家の外に数人の人の気配。
「 メイス、全員連れてきたぞ 」
ビクリと来ました。
グラディウスさんの声です。
「グラディウスだ。思ったより早かったな。よし行くぞ弟子一号」
「ちょちょ、ちょっと待ってください。助っ人ってグラディウスさんなんですか??」
「一人じゃないよ。お前はグラディウス以外は初見だな」
碌な説明もしないまま外へ出て行く師匠。掃除が途中なのですが、これはこのままでいいのでしょうか?
外に何人か来ているようですし、何よりグラディウスさんがいます。壁に掛けられた小さな鏡で前髪を整えてから、私もいそいそ師匠に続きました。
○
外にはグラディウスさんの他に、知らない人が4人いました。
「みんな、揃ってるな」
「久しぶりだねメイス!!」
その内の一人が師匠を抱き上げました。熱烈なハグで頬を擦りつけ、本当に旧知の仲のようです。
モデルのような長身の女性で、師匠を抱えてくるりと回ると鮮やかな緑色のロングヘアーが陽の光を反射してサラサラと揺れ、褐色の肌に笑顔が眩しいです。
とても綺麗な人で、やはりモデルさんか何かかもしれません。
「急に呼びつけるものだからメイスがとうとう僕の子供を産んでくれるものかと」
「んなわけはないな」
「ですよねー」
……いま何か変な発言があったかもしれません。
「弟子、こいつはアルラウネだ。前に話したことがあるだろ?」
「あれ、何その娘!?きゃ~わいいね~~!!」
「え…?え……??」
モデルさんは私に気付くと目をキラキラさせながら近付いてきて私のスカートの端を……って何をするんです!!???
「再会がうれしいのは、わかりますが、やめなさい。この人は、メイスの弟子でしょう。前に話を、聞きました」
「ああ、この娘がそうなんだね~」
いきなりスカートをめくられそうになりましたが、その手は別の人の手が阻んでくれました。
これがかなり大きな男の人で、身長は2メートルを超えているのではないでしょうか。白い三角帽子に白い服装、肌まで白くて真っ白白ずくめです。
「初めまして、メイスの弟子の人、私は、クラーケンと言います」
「はぁ、初めまして、弟子です……」
アルラウネさんにクラーケンさん。たしかに以前、師匠から聞いたことがあります。
ということは、後の二人は……、
「こいつがメイスの弟子か。ならメイスが俺のモノになれば、こいつも俺のモノになるわけだな」
「ちょい待ちバジリスク、メイスがいつ君のモノになるのかなそんな未来は永遠に来ないよ。メイスは僕の嫁になるんだからね!」
「ギャギャギャギャ、こいつら会えばいつもメイスの取り合いだな大人気だな羨ましい」
赤いモヒカンの男の人がバジリスクさんで、燃えるような緋色の女の子がフェニックスさんでしょうか。
「嫉妬してるのかなフェニックス、安心して僕は君のことだってニャンニャンしたいといつも妄想してるから」
「やめろ近寄るな気色悪い!ギャギャギャ!」
「どうすれば、アルラウネが、大人しくなるのか、メイスも、いつも悩んでいますよ」
「そんな、クラーケンは僕の味方だと思ってたのに……」
「彼我の勢力は決したな。味方は全て俺のモノだぞ」
「……別にバジリスクの味方になったわけじゃないよね、ね、クラーケン」
「バジリスクには、さっきお昼ご飯を、ごちそうになりました」
「賄賂でしょそれ!?」
「ギャ!? 聞いてないんだぜなんで俺抜きでお前ら羨ましいんだぜ!!」
「二人は汚い贈収賄の関係になったよ。ここは女同士、僕と同盟しようフェニックス」
「いやそれはいい」
「…………」
「やめろ、いつも通りのくだらない諍いを一旦やめろ」
手を叩いて4人を諫めるグラディウスさん。
そこまで険悪な感じもしませんでしたが雑然とした空気がそれだけでまとまりました。4人ともグラディウスさんの言うことは聞くみたいです。さすがグラディウスさん。素敵です。
グラディウスさんのことは、師匠に弟子入りしてからずっと知っています。
師匠に厳しく鍛えられる私に優しくしてくれる、素敵な人でした。
…………もう50年も師匠と一緒に居るのだそうです。
他の四人のことも、話だけは聞いていました。
50年前からの師匠の古い知り合いで、
その頃からずっと姿を変えない、この世界で最初の『魔物人』
「メイス、お前の言う通りに四人を連れてきたぞ」
「ありがとう。じゃあ例の計画を実行に移すぞ」
「例の計画? ここでやるのか?」
「うん。今ここでだ」
師匠の言うことに、少し思案するグラディウスさん。
「よし、みんな手伝ってくれ」
「結局今日はどんな用事なのかな?」
「またお前らの魔力を貸して欲しいんだ」
「メイスの、頼みならば、喜んで」
「え~~~、子作りじゃないの~~?」
「フェニックス、こいつの口を閉じて焼き付けてくれ」
「ギャギャ、別に燃やし尽くしても構わんのだろう?」
「魔力はいいが、報酬は? お前は俺に何をくれる?」
「報酬は用意してはいない。けど………」
師匠は小さな体で胸を張り、宣言するように、言いました。
「 みんなに懐かしい景色を見せてやる 」
その言葉に、
その場にいる全員が、なるほど、と納得したようです。
……私には意味がわかりませんでしたが。
「魔術は完成したのだな?」
「うん、今日完成したよ。マスケットの命日に間に合ってしまった」
「いいのか? 二年前はあれほど泣いていたではないか」
「いいんだ。いつも想ってるんだから、いまさらだ」
「そうか……」
「じゃ、手筈通り頼む」
「わかった。では、いくぞ!」
グラディウスさんが最後の確認をすると、みんなの期待に満ちた空気が私にもわかりました。
手をかざした先に、金属の塊が生まれ出でます。金属性の魔術。みるみる膨らんで、形を変えて……、
「 黄金郷儀 」
あっという間に、
大きな大きな、金色の『扉』が出来上がりました。
「メイス、どうだ?」
「大きさは十分。魔力容量も、十二分だ。さすがの魔術だな!」
「以前の様にはいかないがな。この程度が限界だが、うむ、もう少し褒めるがいい」
「ま、私だって負けてないけどな」
言いながら今度は師匠が地面に幾何学的な模様を描きます。
師匠の特殊筆記詠唱『展開式魔法式』です。長大で複雑な魔法式を手で書いていたらそれだけで日が暮れてしまうという理由で編み出された魔法式を書くための魔法式が起動して、光が灯りました。
小さな模様が淡く光ると、その光が金の扉を取り囲むように地面に広がり、微細な模様の魔法式を形成していきます。なおも光は留まらず走り、扉の表面まで魔法式が浸食して、展開が終わる頃には私の及びもつかない……いえ………、
……たぶん、この世界の誰も想像も出来ない魔術が、
今、完成したのだと思います。
「よし、みんなの魔力をこいつに注いでくれ。
私とみんなの合作超魔導器。名付けて『異界門』だ!」
黄金の扉の魔導器。
扉なのですから、開くのでしょう。
「師匠……」
「うん?」
「これは、どういう魔術なんですか?」
「うん、聞いて驚け。この扉の向こうは異世界と繋がってるんだ」
師匠は饒舌に魔術式を説明をしてくれましたが、
今の私には理解できませんでした。
「この向こうの世界は私たちの故郷なんだ。まあ帰るチャンスは前にもあったんだけどさ、私は欲張りだから、こっちの世界にも戻って来れるように、自由に行き来できる扉を作った」
アルラウネさんとクラーケンさん、バジリスクさんにフェニックスさんが、
扉に魔力を込めて、
大きな大きな黄金の扉が、ガチャリと開きました。
その先には、私の知らない景色。
「これからみんなで向こうに行くから、お前にも来てもらう」
「え!? そんな急に異世界って、今からですか!?」
「いつでもすぐ帰って来れるよ。でもゆくゆくは向こうにしばらく住んでもらうことになる」
「無理です!! なんでそんなこと……」
「そりゃお前が私の弟子だからだよ。お前には私の魔術を継いで貰って、こことは全然違う場所に行ってもらわないと」
「ええ……??」
「最終的にはお前の好きな場所に行けばいい。でもとにかくお前には、いろんな場所でいろんな景色を見てもらう」
首根っこ掴んでも連れて行くからな。そう笑う師匠は開いた『異界門』の向こうの景色を見て、大きく深呼吸をしました。
グラディウスさんも他のみなさんも、その先の異世界を知っているのでしょうか。故郷と言っていましたが、どういう意味なのかは推し量れません。
一体、どんなところなのでしょうか……。
「向こうに着いたらやることが山積みだ。やりたいことが山積みだ。
私には叶えたい願いがまだまだあるんだ」
「師匠の叶えたい願いですか?」
「まだ元の姿に戻る研究もあるしな。私は自分の願いを全部叶えるって決めたんだ。願いを百個にしたんだよ」
「……今日の師匠はいつにも増してわけがわかりません」
「何故ならこの先の未来にはたくさんの出会いがあって、その度にたくさんのことを願うようになるんだから。百個でも全然足りないくらいだ」
「未来の、願い事……?」
「そう、だからどんな願いでも一つだけ叶えてくれるなんて剣があっても、私は剣に願わなかった」
師匠が、とうとう歩き出して、
今、異世界の扉を、くぐって……、
「この先、未来はどうなってるかもわからない異世界だ。
どんな問題にぶつかってどんなことを願いたくなるかわかったもんじゃない。
一つだけじゃ全然、足りないんだ。
何故なら未来は、無限大なんだから……」
長い間お付き合いいただき、また最後まで読んでいただいて、
ありがとうございました。