第百七話 最後に吹く風
紅炎の魔術は私に視えないが、こう何度も使われれば正体も理解できる。
これは『火』
ただの火だ。ただしとんでもない大きさの。
火魔術というのは魔力を燃料にして燃える。その究極たるこの魔術は、私にわからないまま広範囲を包み込むほど大量の魔力を広げ、一気に全てが点火されている。
そして『熱』。ただの、熱。
もちろん、とんでもない熱量の。
抗魔術が無ければ人間なんて瞬時に消えて無くなる熱量だ。そんな熱が範囲内の全てで同時に発生している。起点というものが無い。全体で瞬時に熱が発生する。
最後に『光』。
この光は、ただの光とは言えない。
光線魔術ならばその効果範囲は直線上の点だ。なのにこの魔術は文字通りの全方位。術者を中心として全ての方向に牙を向く殺人光線になっている。逃げ場は無い。
火と熱と光、火魔術の属性の全ての攻撃が、爆発のように全てを燃やし尽くす。
「 爛真想火 」
火属性魔術の最終奥義。三度目の紅炎の光が世界を焼いた。
それでも、
それでも私の防御はビクともしない。完全に相殺しきっている。
薄く圧縮された20層の暴風の盾が炎を巻き込み20層の真空の盾が炎を消し熱を遮断する。気圧差が蜃気楼を起こして光まで捻じ曲げているのだ。光の魔術は眩しさすら無くなってしまった。
グリフォンの魔法は完全だ。超高圧に圧縮された空気の壁は複雑に流動し、あらゆる外圧を受け流すだろう。雷魔術だって抵抗0の真空の層に捕らえられてしまう。風属性の最終奥義が他の全ての属性を受け流し、往なし、無効化する。
もはや誰も私を傷つけられない。
「忌々しい………が、これならどうかね?」
憎々し気なフランベルジェ老が続けて魔術を放つ。
どんな魔術も、今の私を傷つけられないけれど……、
「そら、赤熱溶土だ」
辺りの地面が、一瞬で溶岩に変わった。
まるで地獄のような光景だ。人間が飲み込まれればそのまま溶岩の一部になって溶けてしまう。赤く泡立つ灼熱の海を風の盾の範囲内の地面だけが溶けずに浮かぶ。風に守られた私には熱さも感じないけれど、
足場が崩された。
風の守りはあっても私は地面に立っている。それを崩されれば私は他の魔術で対処せざるをえない。落ちても盾がある限り無事だと思うけど、溶岩に沈んで生き埋めにされてしまうかもしれない。
グリフォンの魔力で飛ぶことは出来るか? 無理だ。風の盾を展開するのに魔力のリソースの大半を使ってしまっている。そしてそれを解けば紅炎の思うつぼだ。
それでも私一人ならなんとか飛べるかもしれないが、フレイルを置き去りには出来ない。なんとか水魔術で溶岩を冷やすしかない。
フランベルジェめ、この力で出来ることの限界を知っているのだ。もっと深く繋がればもっともっと魔力を引き出せるけど、今の状態ではこれ以上グリフォンとは繋がれない。
魔道師が魔道師と戦う場合、相手の抗魔術を突破する勝負となる。
基本的には単純に魔力の多い方が勝つ。攻めや守りの巧さでその差を埋めるわけだが、つまり結局は魔術の技くらべだ。効率良く魔術を相殺し、相手が防ぎ難い魔術で攻める。
自分が使う魔力を最低限に、相手に多くの魔力を使わせる。そのために搦め手だってもちろん有効だ。
「よく防ぐではないか。まだまだゆくぞ」
紅炎の攻めは止まない。今度は大量の上級魔術を寄越してきた。
地面を這う無数の炎の蛇やランダムなタイミングで5方向に分かれながら私に向かう火の尾、爆熱をもたらす光の玉なんかは速度を遅らせゆっくりとこちらに向かってくる。ほかにも土魔術や金魔術まで織り交ぜて緩急をつけながら防ぎ難い術を連発してくる。
こんな大規模な上級魔術の連続行使、紅炎もおそらく杖から魔力を引き出しているのだ。
さすが攻め方をわかっている。私が防御だけでいっぱいいっぱいなのがわかれば、遠慮なく手を変え攻めて来た。
私は防ぐのに手がいっぱいで、フランベルジェは攻め手を切らさない。
あらゆる魔術は四方結風が無効化するけど、栓を抜いたように魔力が減っていくのを感じる。守りはジリ貧だ。しかし攻めに転じようと防御を解けばその瞬間、またあの光が全てを焼くのだ。
「ほれどうした、忌々しいメイスの弟子よ。守りだけでは息が切れるぞ?」
私は魔力を全開で使って常に最強の防御を維持し続けなければフレイルを守れない。
フランベルジェは魔力を温存しながら適度に切り札を使えばよい。
風の魔物の力を使っても、火の魔物の力を使う紅炎と条件は同じ。……いや、私は未熟でフランベルジェは偉大な魔道師だ。そして攻め手の無い分だけ私が不利。
このままでは私に勝ち筋は無い。なんとか攻めに転じなければ。
魔力が足りない。
………手が足りない。
……だというのに、
私は全然負ける気がしていない。
私は今、剣を通して爪と繋がっている。
グラディウスを通してグリフォンと繋がっている。
さっきも見た、魔物たちと繋がるときに見る夢。首の無い鎧を私は確かに見た。
あれがグラディウスなのだろう。自分を失い、自分の中身を失い、かつて人間だったその姿すら失ってしまったヒトガタ。
私が繋がっているのは、グラディウスなのだ。だからグリフォンに心を奪われることもない。そしてここにある魔物の素材は、グリフォンの爪だけではない。
私の鞘には水の魔物が宿っている。
手が足りないというのなら、他の手を借りよう。
クラーケンの手は10もあるのだ。ひとつくらい借りても文句を言う奴じゃない。
だから、
全部が終わったら私は、
チャーハン作るよ。
ピザを焼くよ。鰤大根煮るよ。カレーも作るよ。なんでも作る。でも作れないものがたくさんあるんだ。私はラーメンが食べたい。
インスタントラーメンが食べたい。カップラーメンが食べたい。焼きそばもうどんも食べたい。
この世界には無いあの世界の食べ物が食べたい。だから絶対に元の世界に帰りたいんだ。スイーツだって思いっきり食べるんだ。この世界はチョコレートすら貴重品だし製法がわからなければ材料の高価なお菓子を試行錯誤で作れないんだ。
それ以前にそういえば今日は何も食べていない。お腹がすいて堪らない。だからなおさら、故郷の食べ物を味わいたい。
もうどれくらい食べていないのか。地球の日本の食べ物はとてもおいしいものだった。あの味を私はまだ覚えている。なんとか近い味を料理してみても再現率は低いけど覚えている。思い出してヨダレが溢れそう。
ぐぅ、と私のお腹が鳴った。
クラーケンが応えてくれたのだ。
途端に、魔力が、
私の鞘を染めるイカスミから、津波のように魔力が吹き出してきた。
「さぁ、グリフォンにクラーケン、私に力を貸してくれ」
「…………!?」
紅炎のフランベルジェの顔が驚愕に歪んで、攻め手を止めた。
これで魔力は2対1になった。
紅炎のフランベルジェ、守らなければ人の身なんて即座に吹き飛ぶぞ。
さぁ反撃だ。
私の周りに、無数の黒い球体が現れる。
クラーケンの得意の魔法。光も通さぬ深度を持つ圧縮された膨大な水の塊。
「 黒天水雨 」
解放される水のレーザーで、今度はフランベルジェが防御にまわった。
金剛石を切り裂く水の刃だ。火の魔物の力を使って全力で焼き消さなければ蒸発する前に命に届く。
「ぐぅ……ぅぉぉぉぉおお!!!!」
老魔道師が吠えてその杖のランタンの火が一際燃え盛った。
爆発したかのように拡散する水蒸気で姿が隠れる。
命に届く前に水のレーザーは蒸発したようだ。とんでもない量の水蒸気が熱を纏って辺りを覆い、さらなる火炎によって散らされる。
姿を現したフランベルジェは無事で、黒いマントの端が切り取られたくらいだ。燃え盛るランタンの火に負けないくらい爛々とぎらつく眼が、怨嗟を込めて私を睨んでいた。
「忌々しい……、それほどまでに、
それほどまでに私を、この国を滅ぼしたいか!!」
老体が、全身で叫ぶ。
「どいつもこいつも!!貴様らはなぜ我が国を!! 何も知らぬ貴様らが!! 我が王の国を!!」
……くる。
爛心想火の光。今一度、私を焼き尽くそうと。
これで決めるつもりだ。グリフォンの四方結風がある限り私の守りは絶対だけど、
さっきから、手が震えてきている。
膝が落ちそうで、耳鳴りが止まらない。平衡感覚が怪しくなってきた。
さすが攻め方をわかっている。
この力を使う人間の限界を、知っているのだ。
これだけの魔術を使うために私の中には人の許容を越えた魔力が渦巻いている。魔力だけがどれだけ増えようとも、私の身体が限界に近づいているのだ。
勝負が決まるまで、おそらく次の紅炎の光は止まない。
老魔道師の魔力が尽きるのが先か、私の身体が壊れるのが先か。
ならば私の身体が限界を迎える前に、魔力を尽きさせてやる。
紅炎の光が世界を焼く中で、風の防御はそのままに水のレーザーをありったけ展開。
黒球が光に焼かれて沸騰していく。気を抜くと水蒸気爆発を起こしそうだ。
構わずレーザーを射出する。光の源へ向けて。蒸発していくのも構わない。私の身体がもつ限り黒球を展開し射出し続ける。
10の黒球が爆発して、左目が見えなくなった。
30の水のレーザーが蒸発して、鼻血が出る。
50の黒天水雨が水蒸気に変わり、ついに膝が折れた。
まだ、光は止まない。
こっちも魔力はまだまだ溢れるほどに残っているのに、私の身体が捻じ切れるようで風の守りが解れそう。
水蒸気が少しでも光線を減衰してくれているのに、次から次へと吹き散らされる。
終わりが近い。
手が、足りない。
いやもう少し、手を借りられるだろう。
ここで終わるわけにはいかないんだ。
わかってるんだろう? 私の気持ちは。
黙ってないで、
手を貸してくれよ。
「 極星 」
ドラゴン。
「 皇雷 」
グラディウスを通して、蜥蜴の翼から魔力が溢れ出て、
蒼いイカヅチが空と地を貫く。
それが決着となった。
グリフォンとクラーケンとドラゴンの力。
3対1の戦いだ。
私の身体が崩れる前に、老体の魔力の方が尽きた。
光が止む。
光の後には……、
「お師匠さま。お戯れはここまでに」
光の後には、紅炎フランベルジェと同じ格好の黒マントの男がいた。
ナタではない。緑の髪の男でナタよりもずいぶんと年上に見える。
金属性の見事な抗魔術。鉄針を編み込んだ避雷針を6方向に立て極星皇雷の威力を殺したのか?
「そうか……、すまぬな我が一の弟子よ」
その時になって気が付いた。
いつのまにか、私たちは囲まれていた。
「お師匠さまは手を出すなと言われましたが、見ていられませんでした。申し訳ありません」
「よい。おかげで助かった」
いままでずっと見ていたのか。
周りには6人の魔道師の姿。
いま目の前に現れた男とあわせて7人の魔道師がいた。
私たちを取り囲んでいる。
……全員、同じ姿。
黒いマントに身を包み、
細い鉄柱の先にアンティーク調のランタンがぶら下がった街灯のような『杖』を持つ。
全員が、
鳥の火を持っている。
たしかにナタは言っていた。
自分の上に、7人の兄弟子がいると。
8番目の弟子であるナタがフランベルジェを襲名しようとしていたのだから……、
ここにいる7人、
全員が『フランベルジェ』なのか。