第百二話 戦士ククリ
「赤の国の兵士団が、来るのである」
立ち塞がる真青の騎士のダミ声が、馬車内の私たちの耳まで響く。
「先ほど偵察隊の一人が戻った。兵士団はすでに再度の進軍を開始している。偵察隊は追撃を受け全滅したのである」
赤の国の兵士団、再度の進撃は予想よりずっと早いのか。
魔導兵器のお陰で戦力的には強大とはいえ、兵士の数は騎士団よりずっと限られているはずだ。人員の少なさは組織的体力不足を招くというのに。
一度は失敗した北の街への進軍だ。二度目はさらに入念な準備をしてくると思っていた。
それとも、手札は他にあるということか。
「サーベルの隊が先行している。我らも直ちに出撃せねば。
予定変更である。もはや君の意思を尊重している猶予すら無くなった。抵抗せず出て来て貰いたい」
戦争が始まる。
一方的な戦いになるのだろう。
青の国が赤の国に負ける。
きっともっとたくさんの騎士が、死ぬ。
「全滅した偵察隊には騎士フレイルもいた。君とは浅からぬ関係だと聞いている」
…………、
…………………、
………え?
……あのチョビ髭、いま何て言ったの?
フレイルが?
………全滅?
「どうしたんッスかメイス氏? 騎士フレイルってメイス氏の知り合いなんッスか?」
「そんな、騎士フレイルが……」
「これは雲行きが怪しくなってきたね~」
そんな、
はは、 そ そんなわけがない
あぁ、そうか。
まただ。
私はまた、目を逸らしていたんだな。
あたまがわれる。
こんな当たり前のこと。
フレイルが しんだ なんて
うそ
「先に言ったように、既にサーベルの隊が向かっている。救出も任せておけるだろう。
安心して欲しいのである」
きゅうしゅつ ?
………救出 救出だって!?
そ、そうだ。隊が全滅したって言って、全員死んだとは限らない。
きっと捕虜にされてるんだ。助けに行かなきゃ!
「ここまで聞いて、まだ気持ちは変わらないかね?」
変わった。コインのように裏返った。私はすぐにでも戦場へ行きたくなった。
何がフレイルには会えないだ。何を言うことも出来ないだ。眩しすぎるから避けて生きようなんて。私はまたも目を閉じていただけだった。
そういえばフレイルは騎士だった。
そういえばフレイルは戦場へ赴くのだった。
そういえばフレイルは、死ぬかもしれないのだ。
…………マスターのように。
「………ぁ……」
すぐにも馬車から出ようと立ち上がった。
外からのダミ声に誘われるように、治ったばかりの足が歩き出す。
フレイルが死ぬなんて馬鹿な私は考えもしていなかった。
マスターのように、フレイルまでもが……、
そんなの絶対、
絶対に嫌だ。
「メイス氏、ちょい待つッス」
それをククリさんに止められた。
止めないで欲しい。フレイルを助けに行かないと。
「…………」
「二人とも、メイス氏を頼むッス」
「え、ククリさん?」
「行くのかい? 戦士ククリ」
「自分はメイス氏の戦士ッスから、ちょっと行ってくるッス」
目で訴える私に構わず、ククリさんは足取りも軽く馬車の外へと出てしまった。
ドクは困惑顔だが、グレイブ先生は訳知り顔。何だと言うのか。
私たちの乗る馬車の前で青い騎士団長と、そして数十の騎士たちと向かい合ったククリさんは、
「さっきから聞いてればデタラメなこと、今の騎士団に捕虜救出に割ける戦力なんて無いはずッス」
声を張り上げてそう言った。
その通りだった。
青の騎士団の戦力は赤の兵士団と戦うのに足りていない。頭数では圧倒しているとはいえ、この土壇場に戦力を分散させるようなことはしないはずだ。まして蒼剣サーベルは最強の騎士。このチョビヒゲよりもずっと強力で重要な戦力なのだ。そんな人を少数で捕虜救出へ向かわせるとは思えない。
「メイス氏を利用するためにそんな嘘まで吐いて、青の騎士は下衆にまで堕ちたんッスかね!」
「……この国と民のためならば、我らはどこへでも堕ちよう。
だが嘘ではない。本当なのである」
「どこに本当があるって言うんッスか?」
「偵察隊は本当に一人しか帰ってこなかった。そして騎士フレイルが捕虜にされ敵陣営の中心に捕らえられているという報告を受け、サーベルが少数の騎士とともに出撃したのも本当だ。
騎士フレイルは彼女の夫だ。心中を想えば止めようもあるまい」
「その割りには何人か顔面ボコボコの騎士が居るみたいッスけど。単に止められなかっただけじゃないんッスか?」
「………うぉほん。ともかく蒼剣という戦力は無駄には出来ないのである。サーベルが事を起こせば確実に兵士団に混乱が生じる。その機に乗じて敵陣の喉元深くまで切り込むのだ」
「なるほど、そこからなら、メイス氏の魔術が届く……」
「そのとおりである。作戦には蒼雷の魔術が不可欠。
何と言われようともメイス殿には協力してもらう他は無い」
やはり私を、縛ってでも戦場へ連れていくつもりだ。これだけの数の騎士たちに囲まれては逃げ道はないな。
しかしフレイルを助けるためなら、私は協力でも何でもする。ただ利用されるだけだとしても私は構わない。
それが本当に、フレイルを助けるためなら。
「じゃ捕虜も救出隊も、見殺しなんッスね?」
「……………」
嘘はそこにある。
そしてチェインハンマ騎士団長は、国を救うために何でもやるつもりだ。
救出は蒼剣サーベルに任せるなんて言って、そんなタイミングで私が雷を落とせばまとめてみんな死んでしまう。
数人の騎士を見殺しにすることも、蒼剣を失うことも厭わないのだ。それで大きな戦果があるのならば。
敵に多大な損害を与えられ、私という新しい戦力が手に入れられる。
救出隊の帰りは待たない。この人はさっきから一言だって「フレイルを助けるため」なんて言っていない。
「それじゃぁメイス氏を渡せないッスね」
「…………止むを得んな。実力行使である」
そう言って、とうとうチェインハンマ団長が剣を抜き放った。
だが私たちは今数十人の騎士たちに囲まれている状態だ。たとえこのチョビヒゲを倒しても脱出することは出来ない。
いくらククリさんでも全員相手にするなんて無茶だ。
「言ったッスよね? 自分たち戦士は何者にも負けないって」
「ほう? この数が相手でもかね?」
「当然ッス」
不敵に笑うククリさんの手には、
いつの間にやら、透明な小石が握られていた。
ククリさんの『切り札』か。あれが戦士が女王に持たされるという魔道具?
エッジが持っていたそれは確かにすごい威力だった。
それを持てば戦士は一騎当千だという。
強力な古代魔術が封じられた必殺の武器。
高々に掲げ、
吠える。
「 これぞ女王より賜りし力!!
その威力を!!輝きを!!
その身と眼に焼き付けて!!
恐れ慄き 倒れるがいい!! 」
高く揚げられ太陽を浴びて輝く色の無い宝石。
数十人からなる騎士たちの視線が一点に集まる。
私にはその宝石の『中身』までが、よく見えた。
見えてしまって、全てを理解した。
ククリさんは透石を力強く握り込んで、思い切り投げた。
全身を使った投球姿勢。長剣を雄牛に構えるチェインハンマ団長が防御姿勢を取るが、フェイントだ。
渾身のフォームで投げつけられたかに見えた透石は緩やかに放物線を描いて、
周りをぐるりと囲む騎士たちの包囲へと飛んで行った……。
これが、白の戦士の戦い方か。
この場でそれを一番よく理解していたのは、グレイブ先生だった。
いつの間にか先生は御者台に立ち、タマハガネの手綱を握っている。
煌めく透石は必殺の古代魔道具。いきなり足下に手榴弾でも投げ込まれたのに等しい。団長と女戦士の一騎打ちかと観ていた騎士たちが古代魔術の効果範囲を逃れようと包囲網を崩してしまっても仕方がない。
それがただの『ガラス玉』だとしても。
魔道具じゃない。
地面に落ちてコロコロ転がるガラス玉には、少しの魔力も感じない。
もちろん爆発なんてしないし、何も起きない。
しかし騎士に魔力を感じ取る能力は無く、包囲は崩れグレイブ先生の手綱でタマハガネはすでに走り出している。崩れた陣形では二頭の巨大な魔馬は止められない。
瞬く間に馬車は包囲を抜け出た。そのまま速度を上げて走り抜ける。
これが白の戦士の力。女王の魔道具なんか無くっても、
ただのガラス玉ひとつだけで、
騎士団の包囲からまんまと私たちを逃がして見せた。
………自分一人の犠牲だけで。
「メイス氏~。気を付けて行くッスよ~」
手をひらひらさせながらそんなことを言って、ククリさんはあっという間に騎士たちに囲まれた。大勢に圧し潰されるように捕らえられ組み伏せられてしまう。その光景がどんどん遠く離れていく。
ククリさんを残して、私たちの馬車は走った。
自らを犠牲にしてまで私に道を拓いてくれた。
戦士の誓い。サイの言葉を守ったのだ。
そのためならたとえ自分の身がどうなろうと意にも介さない。
確かに白の国の戦士は、何者にも負けない強さがあった。
○
「……行ってしまったか」
「へ……へへ………ざ、ざまぁみろッス」
「うむ。してやられたのである。
これではまた作戦を変更せざるを得んな」
「どうするつもりッスか?」
「それはこれから考える。巧く行かぬことには慣れているのでな。
我らは青の国を守る騎士。そしてこの身は騎士団の団長である。常に次善の策を用意しなければならぬのだ」
「そのためなら、何でもやるんッスか」
「何でもやる。何でもだ。この身と剣は青の国の物なのだ。良心などで鈍ることは許されない。
例えそれが間違ったやり方だとしても、国を失えば裁かれることすら無くなるのだ。
何でもやろう。どんな罵りも受けよう。誰にでも憎まれよう。
それでも無理を通さねばならぬ。己が全ての力で、祖国と民を守るのが我が勤めである」
「騎士のその考えは嫌いッス」
「古い考えである。部下たちには嫌われているよ。
私は後任に恵まれているようだ。この戦いの後も青の国が永らえられれば、私は喜んで剣を捨て祖国の法に裁かれよう。
その後は、こんな考えの要らぬ世になればよいな」