異臭騒ぎ
お題:緩やかな、と彼女は言った 必須要素:変なにおい
その日の校舎は異臭騒ぎの件で持ちきりだった。
何があったというのか、朝から何か変なにおいがしたのだ。それも教室一部屋というならともかく、校舎内の全域で。腐ったようなにおいではなく、どちらかというと薬品くさいというか、それも保健室にある薬品のようなにおいではなく化学室にある冷たい薬品のような、あるいはどこかの工場から垂れ流された廃液のにおいのような、あまりかぎたくない匂いだった。
一時間目が始まった段階では誰も気づかないような些細なにおいだったのだが、三時間目のころには誰もがそのにおいに気付くようになり、四時間目を前にして体調が悪いと訴える生徒も大勢出てきた。
この段階で教師も全校生徒を体育館に退避させ、手荷物検査を実施した。
……もちろん、誰の荷物からも異臭騒ぎの原因になるようなものはなかったのだが。
「それにしても、変なにおいの原因は何だったんだろうね」
彼女の言葉はこの小一時間ほど、様々な生徒の口から、多少の違いはあれど繰り返された質問だ。だからそれに対する僕の答えもテンプレートに沿ったものになる。
「わかんない。それを今先生たちが調べているんだろうけどね」
「そうだよねー。いったいなんだろうね」
彼女はそうやってにこやかに笑う。実際大きな被害が出たわけでもなく、ただくさいにおいをかがされただけでなかったらそういう風には笑えなかっただろう。
「ところでさ、あの変なにおいだけどさ。あれを嗅ぎつづけていれば、緩やかな――」
と彼女は言う。まるで芝居を演じているように。
「苦しまない、気づかない、そんな死を迎えられるような気がするんだ。君もそう思わなかった?」
「いや、全然。でも確かに面白いね。苦しまない死、それ自体はある意味人類が求め続けて、今なお答えの出ない質問の一つだと思うよ。まさかこんなところでその答えを見ることになるとは思わなかったけれど」
対する僕の言葉も芝居調だ。文芸部の僕と、演劇部の彼女。ふとしたタイミングで交わされる思わせぶりな言葉を、こうして芝居っぽく演技する。僕と彼女のひそかな楽しみの一つだった。
「もし、そうして死ぬことができるんだったら、君はさ、どうする?」
「僕? そうだなぁ……」
考える。どういう答えをするか。答え自体は決まっている。どういう装飾をつけるか、それだけをほんのわずかな間、考えるんだ。
「僕は、君と死にたいよ」
出た答えはまっすぐで、何も飾っていないものだったけど、彼女が微笑んだこと、それだけはわかった。