教養の壁
お題:愛と死のテロリスト 必須要素:三島由紀夫
小説を読めと母に言われていた。小さいころからずっとである。
しかしそんな風に言われ続けた私は小説が苦手だった。小説だけならともかく、評論文もエッセイも果てには漫画ですらも読むのが苦手だった。書物という形式が苦手だった。そしてその苦手意識が伝染したのか、電子書籍というやつも苦手だった。電子端末というやつですら苦手になってしまうほど苦手だった。
だから私は馬鹿だった。少なくとも勉強は苦手だった。テストをやると必ず追試や補習を受けなければならなかった。教科書を読むのが苦手なあまり、八つ裂きにしてしまおうと思ったことも一度や二度ではなかった。
私は教養とは無縁の存在だった。それを身に着けることで何ができるのかさっぱりわからなかったからだ。たとえば誰もが知っているであろう小説家の名前を挙げろと言われて、高校時代に教科書に載っていた三島由紀夫をいうのが精一杯だった。
そんな私も、こんな年になって一目ぼれをした。相手は電車で乗り合わせた若い女性だった。女性は黒い髪を短く揃え、黒縁の眼鏡の奥からの視線はぱらぱらとまくられる頁に注がれていた。簡単に言えば、本を読んでいたのだ。
女性はやがて私と同じ駅で降りた。少し後ろめたさを覚えながら後をつけると、女性はやがて駅前の広場で立ち止まった。そしてしばらく佇んでいた。おそらくは待ち合わせなのだと私は思った。
半時ほど待っていただろうか。私がそろそろ諦めるかと立ち去ろうとしていたところに男がやってきた。茶色く染められた髪ながら、知性を感じさせる男だった。
私は憤慨した。教養があればいいのか。私は男女関係にそんなものは必要ないと常々思ってきた。だがしかしこうして見せつけられると、私は認めざるを得なかった。私には教養が足りなかったのだ。
しかし私は女性を諦めることはできそうになかった。こうして愛を自覚してしまった以上、女性を追いかける以外の選択肢などないに等しかった。女性と男性は仲睦ましげに腕を組むと、近くの図書館に入っていった。私の前に立ちはだかったのは、またしても教養という壁であった。
私は本が嫌いだった。本を開く音がするだけで吐き気がするほどだった。私はそれでも、負けるわけにはいかなかった。私はこの命をかけてでも、あの女性を愛さなければと使命に燃えていた。私の歩みに、迷いはなかった。
こうして私は愛と死のテロリストになった。教養という前提条件を崩すために、この命を捨て去る覚悟をしたテロリストになったのである。
しかし結末はあっけなかった。私は会員証をもっていなかったのである。
私はこうして、女性を諦めた。