宇宙生命体ジード
単発です。面白そうなら連載版書きます。
1969年2月8日。
メキシコ、チワワ州。
昼下がりの空を、巨大な火球が横切った。
轟音。
空中で砕けたそれは、無数の黒い石となって大地へ降り注いだ。
後に、アエンデ隕石と呼ばれることになる隕石だった。
世界中の研究機関へ送られ、長い年月をかけて調べられることになる、貴重な試料。
その一つ。
割れた黒い石の奥に小さな種のようなものがあった。
石でもない。
植物でもない。
それは誰にも気づかれることなく。
一度だけ脈打った。
*
2026年、日本。
テレビの向こうで、街が燃えていた。
崩れたビル。
ひっくり返った車。
逃げ惑う人々。
その中を、一体の異形が歩いている。
人の形にも見える。
けれど。
腕は異様に長く。
皮膚の半分は、黒い殻のようなものに覆われていた。
『各地で被害が拡大しています。政府は不要不急の外出を控え、屋内に留まるよう呼びかけています。』
画面が切り替わった。
白衣を着た男が、険しい顔でカメラを見ている。
『当初、未知のウイルスによる感染症と考えられていた一連の症例ですが、現在ではウイルスや細菌とは異なる、未知の生命体によるものと考えられています。』
隣で兄ちゃんがポテトチップスをかじった。
「感染症じゃなかったのかよ。」
「昨日までそう言ってたよな。」
「適当だな。偉い人も。」
「分かんないだけだろ。」
兄ちゃんがもう一枚食べる。
俺も袋に手を入れた。
『この生命体は、単体では数センチほどの種子に似た姿をしています。人間の体内へ侵入すると宿主の細胞に干渉し、肉体そのものを変質させます。』
画面に映像が出る。
小石ほどの大きさ。
黒くて丸い。
種のようにも見える。
その殻が開き。
細い脚のようなものが伸びた。
「うわ。」
兄ちゃんが顔をしかめる。
「気持ち悪。」
「CGかなんかじゃないの。」
「いや、ニュースで流さないだろ。」
「そりゃそうか。」
画面が変わる。
今度は人間のシルエット。
胸に、小さな点。
そこから黒い筋が全身へ広がっていく。
腕が伸びる。
背中が膨らむ。
頭部が歪む。
人間だったものが、異形へ変わった。
『寄生された人間は、変異後も記憶や人格を保持する場合があります。一方で、完全に宿主としての人格を失う症例も確認されており――』
袋に手を入れる。
カサカサ。
覗く。
何もない。
兄ちゃんは得意顔で最後のポテチを持っている。
目が合う。
「ずるい。」
「兄だからな。」
「関係ないだろ。」
「兄は偉い。」
「二歳しか違わないじゃん。」
「二年分偉い。」
兄ちゃんは笑ってそれを口に運ぶ。
俺は恨めしそうに、でも少し楽しそうに笑う。
テレビの中では、世界が終わりそうなのに。
うちのリビングだけは。
まだ、いつも通りだった。
『なお、研究チームはこの生命体の外見的特徴から、暫定的に――』
ドン。
家が揺れる。
テーブルの上のコップが跳ねる。
「……地震?」
俺が言った直後。
ドン。
もう一度。
今度は近い。
窓ガラスが激しく震えた。
外から悲鳴が聞こえる。
兄ちゃんが立ち上がった。
さっきまでのふざけた顔じゃない。
カーテンを開ける。
道路の真ん中に。
何かがいた。
人だったのかもしれない。
破れた服。
片方だけ残った靴。
でも、腕が四本あった。
異様に長い脚。
顔の半分を、黒い殻が覆っている。
そいつが道路に倒れていた男の頭を掴んだ。
持ち上げ、そして。
握りつぶす。
「……。」
声が出なかった。
テレビからアナウンサーの声が聞こえる。
『――ジードと呼称しています。』
道路の異形が。
こちらを向いた。
「逃げるぞ。」
兄ちゃんが俺の腕を掴んだ。
「え。」
「早く!」
玄関へ走る。
靴を引っかける。
まともに履いている暇なんてなかった。
外に出る。
町が変わっていた。
人が走っている。
泣いている子供。
叫ぶ女。
車を乗り捨てる男。
遠くで爆発。
黒い煙が上がる。
「こっち。」
兄ちゃんに引っ張られる。
走る。
どこへ逃げればいいのかなんて分からない。
ただ、あそこから離れなきゃいけない。
路地へ入る。
「兄ちゃん。」
「止まんな。」
「でも、どこ行くんだよ。」
「知らねえよ。」
「知らないのかよ!」
「走りながら考える!」
こんな時まで適当だ。
でも兄ちゃんが前を走っている。
それだけで、怖さが和らぐ。
ガン。
背後で音がした。
硬いものが地面を叩く音。
ガン。
ガン。
速い。
近づいてくる。
兄ちゃんが振り返る。
俺も振り返った。
さっきのジードが四本の腕を地面につき。
獣みたいに走ってくる。
「走れ!」
兄ちゃんに背中を押された。
「兄ちゃん!」
ジードの胸元が裂けた。
そして、中から。
黒い何かが飛び出した。
小石ほどの大きさのそれ。
さっきテレビで見た。
ジード。
真っ直ぐ。
俺に飛んでくる。
動けなかった。
不意に兄ちゃんの背中が俺の目の前に。
黒い種が兄ちゃんの胸に張り付いた。
「……え。」
殻が開く。
細い何かが、兄ちゃんの体へ食い込んだ。
「ぐっ……!」
「兄ちゃん!」
黒い筋が。
胸から広がっていく。
首へ。
顔へ。
腕へ。
皮膚の下を、何かが這っている。
兄ちゃんが膝をついた。
「逃げロ。」
「何言ってんだよ!」
「はやク!」
背中が膨れ上がる。
服が裂ける。
黒い殻が生えてくる。
「兄ちゃん!」
近づこうとする。
「来ルな!」
足が止まった。
兄ちゃんが顔を上げる。
右目はまだ兄ちゃんだった。
しかし左目は、真っ黒だった。
「行ケ。」
「嫌だよ。」
「駄目ダ。」
「兄ちゃんも来いよ!」
「……。」
兄ちゃんが笑った。
いつもの顔。
少しだけ馬鹿にしたような笑い方。
「兄ちゃンノ言うこと聞ケ。」
兄ちゃんの体から。
黒いものが一気に溢れた。
空気が歪む。
地面が割れる。
「兄ちゃん!」
黒い殻が。兄ちゃんの顔を覆っていく。
次の瞬間。
世界が弾けた。
爆発。
そう思った。
兄ちゃんが黒いジードへ変わる。
その余波。衝撃が路地を吹き抜けた。
窓が割れる。
壁が崩れる。
俺の体が宙に浮いた。
「兄ちゃ――」
背中から地面に叩きつけられた。
骨が折れる音がした。
息ができない。
熱い。
痛い。
耳鳴り。
視界が滲む。
黒い煙の向こう。
何かが立っていた。
大きい。
人間じゃない。
全身を黒い殻に覆われた異形。
でも分かった。
兄ちゃんだ。
「……兄……。」
手を伸ばす。
動かない。
指一本、動かない。
意識が落ちていく。
黒い異形は空へ跳ぶ。
その時、
黒い異形の足元から何かが落ちた。
白い小さな種。
黒いジードから剥がれ落ちたみたいに。
ころころと転がって俺のすぐそばで止まる。
一度だけ脈打つそれは。
俺の胸へ。
ゆっくりと近づいて・・・。
*
真っ白だった。
上も、下も、何もない。
「……ここ、どこだよ。」
声が響く、返事はない。
「兄ちゃん?」
何もない。
「兄ちゃん!」
「うるさい。」
声がした。
振り返る。
辺りを見回す。
誰もいない。
「……誰だよ。」
「よく見ろよ。」
「見えねえよ。」
「はあ、ほら。」
目の前に俺が立っていた。
ただ、髪も肌も真っ白い俺。
「は?なんだよ、お前。」
「知らん。」
少しだけ間があった。
「俺は……多分、ジードだ。」
「は?」
頭が止まる。
「ジード?」
「お前たちは、そう呼んでるみたいだな。」
「俺に寄生したのかよ!?」
「した。」
「ふざけんな!出てけ!」
「いいけど、お前死ぬよ?。」
「……え。」
「骨も折れてたし、中もかなり壊れてた。」
「じゃあ……。」
胸に手を当てる。
「助けてくれたってことか?」
「俺も死にそうだったからな。」
「……。」
「お互い様だ。」
妙に軽い。
こっちは何が起きたのかも分からないのに。
「それより。」
声が言った。
「そろそろ起きろ。」
「は?」
「来たぞ。」
「何が。」
「他のジード。」
白い世界に。亀裂が走った。
*
目を開ける。
瓦礫だらけの路地。
最初に見えたのは、自分の手だった。
白い。
皮膚じゃない。
硬い殻が腕全体を覆っている。
指先には白い爪。
「……え?」
立ち上がる。
痛くない。
さっきまで息もできなかったのに。
胸に触れると何かが中で脈打った。
ドクン。
「これ……俺?」
『今のお前だ。』
頭の中で声がする。
「勝手に喋んな!」
『混乱してたから。』
「いや、するだろ!?」
瓦礫の向こうで音がした。
一体のジード。
さっきとは別の個体のようだ。
二本の腕。
大きく裂けた口。
背中から、骨みたいな突起が伸びている。
こっちを見る。
「……どうすんだよ。」
『やるしかないね。』
「いきなり!?」
『逃げても追い付かれるでしょ?』
「戦い方なんて知らねえよ!」
『まあなんとかなるよ。』
「はあ!?」
ジードが跳んだ。
「右!」
考えるより先に右へ飛ぶ。
景色が流れた。
一気に数メートル。
壁にぶつかる。
「うわっ!」
『動きすぎ。』
「加減が難しい!」
ジードが振り向く。
もう一度、突っ込んでくる。
「どうすんだ!」
『殴ってみれば?』
「雑だな!」
拳を握る。
地面を蹴った。
体が勝手に前へ出る。
白い拳が、ジードの顔に叩き込まれた。
轟音。
黒い体が吹き飛ぶ。
壁へ激突した。
「……。」
自分の拳を見る。
「なんだよ、これ。」
『おお、これが寄生か。』
「お前も知らねえのかよ!」
『初めてだからね。』
瓦礫が動いた。
ジードが立ち上がる。
まだ生きている。
胸元。
殻の隙間で赤いものが脈打っていた。
ドクン。
俺の胸も同じように脈打つ。
「……あれ。」
分かった。
理由なんて分からない。
でも分かる。
「あそこだ。」
『何が?』
「分かんねえ。でも。」
拳を握る。
「壊せばいい。」
『俺もそう思う。』
ジードが走る。
俺も走った。
腕が振り下ろされる。
避ける。
二発目。
白い腕で受ける。
衝撃。
でも折れない。
その腕を掴む。
引く。
ジードの体勢が崩れた。
胸の赤く脈打つものへ。
「そこだ!」
拳を叩き込む。
硬い。
もう一度。
殻に亀裂が走る。
「うおおおっ!」
白い拳が胸を貫いた。
赤いものが砕ける。
ジードの動きが止まった。
ゆっくり倒れる。
そのままジードは白くなり、動かなくなる。
俺は自分の白い手を見る。
足元に倒れているジードを見る。
そして兄ちゃんがいた場所を見る。
黒い異形はもういなかった。
「兄ちゃん……。」
返事はない。
胸の中で白い何かが脈打つ。
『まあ、生きてはいるだろ。』
声がした。
「……え。」
『お前が生きてるんだし。』
少し間を置いて。
『なら、あいつも生きてるかもしれない。』
俺は兄ちゃんが消えた先を見る。
白い拳を握った。
*
それから三年が経った。
兄ちゃんはまだ見つかっていない。
ジードは増えた。
世界も少し変わった。
そして俺は今日もジードを狩っている。
『来るぞ。』
頭の中で声がした。
「分かってる。」
『三体。』
「見えてるよ。」
『右からも一体、追加で。』
「……それは見えてなかった。」
『感謝しな?』
「うるさい。」
白い腕を構える。
目の前で四体のジードが咆哮した。
俺は地面を蹴る。
兄ちゃんを探すため。
そして人間として生き残るために。
三年前。
死にかけた俺に寄生した白いジードと共に。




