8月9日
この世界には何度人類が滅亡するかわからないほどおびただしい数の核爆弾があります。
しかし、それが使われたのは人類史において2回だけです。
そしてそれは2つとも日本に落ちました。
今から81年前です。
それは戦争を終わらせるために正しいことだったと言う人がいます。
しかしならばなぜその2回だけなのでしょう。
争いを早期に終結させられる素晴らしい爆弾だというのなら、なぜそれから一度も使われていないのでしょう。
たくさんの核爆弾を保有しておきながら、なぜ使わないのでしょう。
簡単なことです。
すべて嘘だからです。
一瞬にして何万もの人を消し飛ばし、周辺にいた人の皮膚を焼き焦がし、腕や足や目を欠損させ、身体中を放射線によって目に見えない領域まで破壊し尽くす。
それが核爆弾です。
これが正義だなんて白々しいにも程があります。
これが落ちた場所が白人の住む場所なら何と言っていたでしょう。
きっと話は全く違っていたでしょう。
結局のところ、日本に落ちたから許されるとその人達は言っているのです。
日本に生まれた人間なんて爆弾で滅茶苦茶に殺されてしまえ、いい気味だというわけです。
わかりやすい、人種差別というやつですね。
日本に生まれたから悪い、日本人など生意気なことを言ったらまた核爆弾を落としてやればいい、とこういうわけです。
おもしろい話ですね。
もちろん言ってくる人たちは本気でそんなことを考えているわけではありません。
言った言葉の日本の部分を変えただけで許し難い罪だと糾弾するわけですから、これは論が破綻しているのです。
そこまで考えが至らないほど浅はかではないでしょう。
彼らがなぜそんなことを言うのかと言えば、力関係というものを印象付けたいからです。
そうする事でしか身を守る術がないのです。
核爆弾というものは誰が持っても危険です。
81年前の技術の段階ですら、どうしようもないほど強力な殺戮性能を有しています。
こんなものは落とされたら終わりなのです。
それなのに、簡単に作れてしまうのです。
どの国でも、作ろうと思えば作れてしまうのです。
核爆弾以上の強力な兵器は未だ存在していません。
人類はいつでも人類を滅ぼせる技術を81年前に確立したのです。
日本はその実験場だったというわけです。
さて、山程作って保有しているわけですから、使われそうになったことはあるでしょう。
しかし今まで踏みとどまっているのはなぜでしょうか。
これも簡単なことです。
自分たちは使いたいけど、他の人に使われるのは困るからです。
だって止めようがないですし、一度落ちたらもう終わりですからね。
指令を出している人たちが狙われるのは当然です。
打たれちゃったら、自分が死んじゃいます。
それもとんでもなく残虐で悲惨な死に方であることは、もう実証済みです。
他人はどんな死に方をしようとどうでもいいけど、自分が死ぬのは困るというわけですね。
笑っちゃうほど幼稚です。
でも実際こんなとんでもない兵器を作っておいて、あらゆる国がそれを用意していて、それなのに人類が滅んでいないのはそういう理由です。
核爆弾を自分たちだけが使いたいけど、それができないから使えないのです。
さてここで、宇宙の視点から見てみましょう。
この星ではどの国も爆弾を作って、打つなよ打つなよと牽制し合っているわけです。そこに膨大な労力を注ぎ込んでいるわけです。
滑稽ですね。
戦争を始める人間というのは、自分で兵器を作ったわけでもないですし、自分で人を殺したりもしない。
彼らの関信事は、自分が死なないで贅沢な生活をして周りからチヤホヤされる事だけです。
自分が死んじゃうかもしれない核爆弾の存在は彼らにとって非常に脅威な訳です。
普段は隠れていて安全な場所にいるのに、核爆弾というものは何もかも打ち壊しにする破壊力があるのです。
幼稚な彼らは他人の死や苦しみなど理解しようとはしないでしょうが、自分の痛みや苦しみには人一倍敏感であり、自分が死んでしまう可能性についていつも怯えているわけです。
恨まれるようなことしかしていないわけですからね。
さて、核による安全保障の仕組みについて考えてみましょう。
みんなが核を持てば、お互い打たれるのが怖くて牽制し合うから安全というわけですね。
こいつはほんとに馬鹿の考え方ですね。
みんな拳銃を持てば撃たれるのが怖くてみんな撃てないから安全だよって言われて信じる人はいるでしょうか。
誰でも銃の所持を許可されている国は銃刀法のある日本より安全でしょうか。
そんなわけありませんね。
幼稚な人間が感情的になって銃を撃ってしまうことは実際にあります。同じ事を幼稚な統治者が核爆弾を使ってやらないという保証はどこにあるのでしょう。
すべては間違いだったと認めて、核爆弾などというものはこの世界から抹消すべきなのです。
作ろうとすることを厳しく取り締まり、作れないように人類みんなで協力すべきなのです。
唯一の被爆国である我が国は核爆弾を所持していません。
これからも持ちません。それが我が国の民意です。
核爆弾により目を覆うほど悲惨な、地獄という言葉ですら生ぬるい被害を受けておきながら、自分たちはその兵器を持とうとはしなかった。
その高潔さこそ、我が国に生まれた人間としての誇りです。
唯一の被爆国が核を持たないという選択をし続けているのに、世界中で核による牽制合戦は続いています。
もうやめませんか。
どれだけ酷いものであるか、誰もが分かっているのでしょう。理解しているのでしょう。
自分の頭の上に落ちたら、自分の国が唯一の被爆国であったら、同じ事を言えますか。
こんなくだらないことに労力を使って、こんな残虐なことに金を使って、こんな馬鹿馬鹿しいことに時間を使って、一体人類は何を次の世代に誇れるのですか。
協力することができれば、人はすごいものが作れるのです。
もっとすごいものを作りませんか。
文明をもっと発展させませんか。
爆弾を落とされ、大勢が死んだ焼け野原から、我が国は凄まじい速度で発展を遂げました。
その原動力は決して憎しみなんかではなかったと感じます。
もっと先を見ていた、もっと未来を見ていた。
この世界はもっと素晴らしいはずです。
殺戮兵器を廃絶するという快挙を、この場所で達成しませんか。
核爆弾を落とされた事実について我が国が許すことは未来永劫ありません。
あらゆる手を使い原爆を落とした罪について、その大罪について訴え続けます。
これを許した瞬間とは、誰の頭上へも核爆弾が落ちることであり、人類の滅亡そのものです。
こんなことはもうやめるべきです。
悲惨な、絶望的な、この世の地獄の果てからでも、人はまたやり直し、手を取り合い、協力して、素晴らしいものを一から作り上げて行ける。
そのことを我が国の戦後の発展は証明しています。
唯一の被爆国として、我が国が訴えたいのは、戦争とはあまりに馬鹿馬鹿しく、くだらないということです。何でもいいから戦争なんかやめちまえ、核兵器なんてふざけるなということです。
人間でありながら人間を滅ぼす兵器を作って、滅びましたではあまりに情けなさすぎませんか。
人類は協力してこんなにも素晴らしいものを作ることができる。そう違う星へ向けて胸を張って語れるようなそんな生き方をしていきたいと、我が国は考え、賛同を得たい次第です。
以上です。




