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天国と地獄

「全く、あいつときたらどうしてあんなことを言うんだろう」

僕はぶつくさと彼の大胆な性格と情報収拾能力にほとほと呆れ果てていた。いや、情報収拾能力と表現するには不可解な点が多すぎる。

まず、彼は転入する前から僕や木実ちゃんの事を一方的に詳しく知っていた。そして、母に限ってはお互いによく知る間柄だった。もしかすると、記憶には残っていない僕の幼馴染なのだろうか。それに、彼は僕の家の向かいに引っ越してきたとはいえ一人暮らしをしている。中学三年生が一人暮らしなど、そうそうするものではない。たまに母が彼の家に趣き家事を手伝っているとはいえ、不自然過ぎはしないだろうか。母に詳しく話を聞こうとしても、頑なに話を逸らしてくる。恐らく人には言えない両親との悲しい過去を持っているに違いない。例えば、両親の仲が悪く、父親からDVを受け、母親は家に男を連れ込んでネグレクトを続けられた。そしてそれが公的な機関に知られ、身元を保護され、以前から交友のあった僕の母に引き取られる形で引っ越してきた、とか。

ここまでくると推理というよりも妄想の類だろうか。どうにも考えが纏まらない。それに、これらの妄想が事実だったとしても、最後の謎が大きく僕のオール4の頭脳に立ちはだかる。

「そもそも、あいつはどうやって木実ちゃんの秘密を知ったんだろう?僕でさえ、気づいたのはほんの三、四日前なのに」

「ひょっとして、エスパーなんじゃないかしら?」

「んなバカな。いやでもそうとでも考えない限り説明がつかないよな」

「そうよ。私なんて毎日神経をすり減らしながら腐女子ってことを隠しつづけてきたのに」

「そうだよね。へ?」

推理妄想に頭をフル回転させていたせいだろうか。突風で横顔が髪に隠れていたせいか、木実ちゃんが隣に現れたことに全く気付かついておらず、いきなりの声掛けに気の抜けた声を出してしまった。

「こ、木実ちゃん。いつからいたの?」

「はあ?何言ってんのよ。アンタ頭おかしくなった?二人で彼の秘密について考えようって屋上に連れ出したの、公男君でしょ」

「ああ、そうだ…った」

いや、本当なら「そうだっけ?」と聞きたい所なのだが、如何せん話をしているのは三年間憧れつづけたあの木実ちゃんなのだから、うまく話を合わせなければ。しかし待てよ、いつの間に学校に来て、いつから屋上に来ているのかさえ定かではないぞ。ああそうか。これは夢だ。あいつが僕たちの秘密を喋ったせいで気絶したことを思い出した。でなければこんなに嬉しい状況になるはずがない。それにしても、何だか木実ちゃんの性格がおばちゃん化していないだろうか?女性とろくに話したことの無い僕のイメージの中では、木実ちゃんはこんな風にしか喋れないのかも知れない。うちの母に少し似ている所に親近感を覚える一方でほんの少し落胆する。

「おかしいわよ。私だって公男くんの気持ち、全く気付かなかったし。まあ、全く興味なかっただけだけど、女子の間でもそんな噂話全然出なかったわ、あの目ざとい彼女たちでさえ、よ?」

そうだった。木実ちゃんの秘密の話どころではない。僕が三年間、伊達公子呼ばわりされ、男なら好きな女子の名前を言ってみろ、という誘導尋問や拷問にも決してくじけず、ひた隠しにしてきたこの想いが。あろうことか、当の本人に直接知られてしまっているのである。僕の十四年間の人生で、これほどの危機はない。今隣にいる彼女は夢の中の存在なので問題はないが、現実の彼女にもこのことは当然知っているのだ。まあ、クラス中に知れ渡らなかっただけまだましではあるが。それにしても、いきなり木実ちゃんと二人っきりだなんて緊張するにも程がある。ずっと隣の席だったのに、一言も挨拶を交わせなかった臆病な僕には刺激が強すぎて、夢から覚めてしまいそうになる程だ。

「それにしても、なんでキモオなのかしら」

「え?キモオって…まさか僕のこと?」

「当ったり前じゃない。他に誰がいるってのよ。だから、どうして彼ほどのイケメンがあなたのようなキモオと付き合ってるのかってこと。もしかして、あなたから誘ったの?あなたもゲイだったりして?」

興味がないというのは恐らく嘘だろう。半分母が乗り移っているせいかも知れないが、この彼女の僕への悪口といったら半端ない。さて、夢とはいえ彼女の質問にどう答えるべきか。どうせだからこのいい雰囲気をできるだけ長続きさせたいものだ。もしここで彼女が腐女子だからといって僕が男好きだと言ったらどうだろうか。もしかすると、僕に恋でないとしても何らかの好意は示してくれるかもしれない。だが、元々キモオなどと心の中で僕のことを呼んでいた彼女が、僕がゲイだったとしても好意をもってくれるだろうか。僕だって、もし告白されたとして自分の好みと全く懸け離れている異性だったとしたら、嫌な気持ちになるかもしれない。ここは、どちらとも取れない返答でやり過ごすことにした。

「いや、根本的に勘違ってるから!あいつも話してただろ?君の気を引くためにあいつと仲良くしてただけだって」

「いや、違うわね。最初は私のためだとしても、公男君あいつと凄く自然に話せてたじゃない。男子皆からいじめられてたってのに。いきなり現れた謎の美男子。彼の好意に戸惑いながらも徐々にその気持ちが嬉しくなってくる冴えない童顔少年。『ああ、これって恋なんだろうか?』ってね。こんな萌えるシチュエーション、そうはないわよ。私のどツボ」

「そ、そんなんじゃな」

「所謂ツンデレってやつね。本当は転入日初日、遅刻しそうになって交差点でぶつかったりしたんでしょ?それで倒れた拍子にキ、キ、キスなんかしちゃって。じゃなきゃいきなり抱き付いたりほっぺにチュ、なんて出来るはずないもの」

これが、腐女子の妄想力か。噂には聞いていたが、話を挟む隙がない。訂正しても、恐らくそれを上回る妄想や逆境をバネにした凄い妄想で被害が拡大する可能性もある。それに、どうやらこのまま僕をゲイだと思ってもらった方が印象は良いようである。このままにしておこう。

それにしても、あいつを抜きにすれば、これこそ僕が夢にまで見た楽園である。もう、このまま夢の住人になっても良いとさえ思う。

「もうっ、公男くんのエッチ!」

いやらしい考えで夢見心地のところだったのは確かだが、疾しい行動は何もしていないはずの頬に木実ちゃんの強烈なビンタが炸裂した。もしかすると、木実ちゃんの方こそ超能力があるのではとも思ったが、恐らく、頬にキスをする妄想が彼女の視空間で具現化したせいで興奮して手が出てしまったのだろう。その考えに至るやいなや、またもや意識が遠くなってきてしまう。

「あれ?公男君?公男くーん、誰にやられた!」

「お、おま、えだ」

「大前田?ダメだわ、気が動転してる」

それはあなたの方です。と思いながらも、お互い名前で呼び合える幸福の余韻に浸りながら、フェイドアウトしていく人形を見つめていた。


見慣れた天井。聞きなれた静寂。ここは、僕の部屋だ。いつの間に帰ってきたのだろう。いや、もしかしたら吉野が運んできてくれたのだろうか。夢の中でとはいえ木実ちゃんにビンタされた衝撃やここ数日の夢のような現実が頭をぐるぐると駆け巡り、寝起きの朦朧とした意識をさらに追い詰める。

「とりあえず、水でも飲むか」

まだ足取りも覚束ない体を階段の手すりに預けながら、よたよたと台所まで降りる。

「あ、起きたね。もう大丈夫なの?」

母親が気を利かせてコップに水を入れて渡してくれた、と思いきや、よくよく見るとあいつ。全ての元凶と幸福の始まりである吉野だった。

「あ、ああ。まだふらふらするけど、大丈夫みたいだ」

「ビックリしたよ。いきなり倒れるんだもの。でも良かった、無事でいてくれて」

最近意識が朦朧とすることが多いせいか、時間の流れや前後の繋がりが上手く把握できない。いや、元々現実逃避気味の僕には、まれにこういうことはあるのだが、ここの所毎日がこういった調子なので自分でも不安を感じてしまう。いや、恐らくそれもこの吉野のせいなのだ。助けてくれたのであろう彼だが、礼など言う必要はない。木実ちゃんもいないのに彼と仲良くする必要もない。

「お前には関係ないだろう。悪いけど、もう少し休みたいから一人にしてくれ」

「大丈夫。元気になるまで一緒にいてあげるよ。俺のことは気にしないでいいから、横になっていいよ」

彼には、空気を読む、という能力が欠如しているのだろうか。学校でもほとほと嫌気がさしてはいるが、体調の優れない時には我慢ならない嫌悪感がせり上がってくる。僕のことを抱きしめようとしてくる彼の事を軽く突き放すつもりが、バランスを崩した勢いも手伝って思い切り突き飛ばしてしまった。

「お、お前が良くても、僕が良くないんだよ。頼むから、出ていってくれ!」

「またなの?」

「え?」

「また、俺を一人にするの?また、俺は居場所を奪われるの?俺は、どうして生まれてきたの?どうして助けたの?そんなことなら、いっそ見殺しにしてくれれば良かったんだ。孤独を全身に浴びながら、主人に罵られなれながら生きる気持ち、あんたには分からないんだ!」

「な、何言ってんだよ。落ち着けって」

もしかすると。僕の妄想も強ち間違ってはいないのかも知れない。嫌われることの恐怖。突き放され、一人にされることへの抵抗感。僕の言動を、自分の両親に重ねているのかも知れない。いつもの、僕を慕ってくれるキラキラとしたパグのような瞳は鳴りを潜め、訓練を積んだドーベルマンのように僕を威嚇し、適度な距離を保ちつつ吠えてくる。今まで彼のことをうっとおしいとしか思っていなかったが、考えてみれば彼は、彼だけは、僕のことをいじめないでくれていた。いつも純粋に僕の元に駆けつけてくれ、僕の言う事に耳を傾け、見方でいてくれた。木実ちゃんのことだって、本心では応援してくれていたからこそ、僕の気持ちを知った上で僕の計画に協力してくれていた。それなのに、助けてくれたお礼をするばかりか、恩を仇で帰すような事をしてしまったことを、今更ながらひどく後悔した。

「もういい。出ていけばいいんでしょ?それで公ちゃんが喜ぶんならそれでいい」

気持ちが昂ぶり、凄い威圧感を発してはいるが、体はふらつき、声は震えている。

「ま、待ってくれ吉野!違うんだ。僕がどうかしていたんだ」


引き止める僕の声が発せられた時には、俊敏な吉野はすでに玄関を出てしまっていた。体が、鉛のように重い。声が掠れて上手く喋れない。目の焦点が一定に定まらず、遠くまで見渡せない。海底を歩く探検隊にでもなったかのような自分の体が、どうにも憎らしい。悪夢を見ているようだ。頭だけは何とか働くことが却ってじれったいが、その頭でさえ、次第に思考が鈍くなってきた。とその時、家の外で大きな物音がした。あの音は…まさか、まさか。


第3部 了

次回予告

第4部 最期の別れと願い


投稿予定日

08月22日00時

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