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恐怖の始業式

きっと。自分の人生はきっと、生まれた瞬間から上手くいかないように出来ているのだろう。そう神様に運命づけられたに違いないのだ。

黒板に書かれた「伊達公子」の文字を消しながら、何千何万回は考えたであろう推測を、涙ながらに今日もまた繰り返し思い浮かべる。


忘れもしない、小学校三年生のあの時もそうである。

雨の日の下校途中、公園に捨てられていた可愛らしい仔犬を拾い、どうしても飼いたいと珍しく母親にせがんだ時のことだ。我ながら有りがちな話だと自嘲してしまう。大概、そういったよくある話では、思うに「どうせあなたは世話しなくなるんだから」と無下に却下されてしまうのが事のてん末なのではないだろうか。

しかし、自分の場合はそうでないのだ。どういうわけか、自分の予想よりも斜め下へと現実がズルズルとずれ落ちていってしまうのである。

「そうねえ、可哀想だから飼ってあげましょうか。でも、ペットを飼うってことはしつけをしっかりとしないといけないのよ。そのためにはまず、自分のこともしっかりとしつけられないといけないの」

「分ったよお母さん!掃除でも、皿洗いでも、何でも言いつけて。じゃあ、早速この子に名前つけるからね」

「とまと」

「へっ?」

「別に皿洗いも掃除もしなくていいの。でもね、あなた未だにトマト食べられるようにならないでしょ。だから、この可愛らしく太った子をとまとって呼んで、トマトが食べられるようになりなさいね、公男(きみお)

六年経っても未だに、どう好意的に解釈しても自分の頭では母の理屈が理解できなかった。結局、トマトが食べられるようにならなかったどころか、肝心な愛犬とまとの事さえ、名前が原因で次第に嫌いになっていってしまったのである。

そもそも、うちの親はネーミングセンスからしてどうかしているのだ。とまとのことといい、僕の名前といい。いくら父が学生時代にテニスを嗜んでいたとしても、いくら母の初恋の相手が公男さんだったとしても、我が子を「伊達公男」などという呼び方にするのはあんまりな仕打ちだと思う。

結局、僕がいじめられるのは名前に原因がある。母に言わせれば「一生に三人位には好かれる、致命的な欠陥が無い、やや童顔気味」の顔、通信簿は三年間狙いすましたかのようなオール4、性格は素直で冷静な訂正(世間はそれをツッコミと呼ぶそうだ)を入れられるこの僕が、それ以外にいじめられる筋合などあるはずがない。おかげで僕は、不本意ながらも夢で現実逃避をするという習慣が身に付いてしまったのではないか。


などと考えながら秘技・ワイパー黒板消しをしていると、いつもの通り教室中の女子から僕に向けて黄色い歓声が浴びせられた。僕をいじめていた男子どもは、対照的に一気にやっかみ声を上げ始める。

こんな時、僕は街頭インタビューをいきなり受けた時のような高揚感を覚える。所詮彼等はこんなに女子に注目してもらえることなど無いのであろう。ひょっとすると、そのことを妬んでいじめている輩もいるのではないだろうか。

そんな黄色い高揚感に浸っている時間は、実は一瞬しかない。なぜなら、当然といえば当然だが、この黄色い声は厳密に言えば僕ではなく、その横わずか五センチ右の人物に降り注いでいるという現実に気付かされるからである。

「今日もいじめられてるの?公ちゃん」

「うわっ、お前またどこ触ってんだよ!そんな慰め方する奴が何処にいる?」

考えられる限りの怪しい微笑を漂わせながら、後ろから右鎖骨と左太ももにしがみついて自信あり気に自らの頬を指さした。

「ここにいるよ、ってか?ベタ過ぎるんだよ!」

「いいじゃないか。こんな美男子に抱きつかれて、公ちゃんは幸せ者だなぁ」

訂正すべき箇所が多過ぎて、僕はこの台詞を添削する意欲を失ってしまった。ただ、是が非でも言っておかなければならない訂正点を、いくつもの悲しみを堪えて叫んだ。

「僕にッ、はッ、そんな趣ヒはないッ!」


悲劇の始まりは、ほんの三日前のことだった。

誰もが憂鬱になるであろう、夏休み明けの始業式の日に奴は隕石のごとくやって来たのだ。

間違えても彗星のごとく、ではない。彗星は綺麗に輝いて僕たちの手の届かないところへ無限に落ちてゆくばかりだが、あの変態は、教室の一番奥で窓側をぼんやりと眺めていた僕に向かって文字通り衝突してきたのだ。あろうことか、転入生紹介の挨拶を始めたその瞬間に、である。

「えー、突然ですが皆さんに新しいお友達を紹介します。じゃあ木下くん。自己紹介を…」

「あーっ、公ちゃんだ!」

「えっ、へぇ!?あんただ……」

少年漫画のような衝突音がしたその瞬間から、僕の人生はいじめられるだけの人生から気味悪がられもする人生に変わったのである。

「じ、じゃあ、木下君の席は…」

「もちろん、公ちゃんの隣で」

「何でだよ!ていうか、僕の隣ってもう机あるんだけど」

「そんなの、こうすればいいじゃん」

転入早々、木下吉野という男は、その逞しい腕で僕の左隣にある椅子と机とを座っている女性ごと一気に持ち上げ、一つ隣の席に移動させてしまった。

「これでよし」

「いやいやいや!良くないだろ。渡辺さんの席勝手に変えちゃって」

「ああ、あなたが(この)()ちゃんか。良かったじゃん、眺めのいい席になれて」

「君、この…渡辺さんのことも知ってるのか?ていうか、君が決めること…」

「はい。良かったです」

「じゃないだろ。って、えぇっ!」

いつも冷静沈着、いわゆる委員長タイプの渡辺さん。いや、僕の心の声ではすでに木実ちゃんで通っている彼女。先程まで窓の外を見ている振りをして盗み見ていた限りいつも通り人形のように無表情だったはずの木実ちゃんが、あろうことか吉野が僕に飛びかかった瞬間から、目の潤んだ従順な子犬になってしまっている。

賢明な方ならもうお気付きかもしれないが、僕は木実ちゃんのことが三度のご飯より好きなのである。毎日学校でいじめられている僕が、なぜめげずに学校に通っていられるかといえば、僕がいじめられている度にその冷徹な瞳で僕を見つめていてくれるからなのだ。その、僕の生きる目的と言っても過言ではない木実ちゃんと僕のスイート・シートに、あろうことか今現れたばかりの美男子が割って入るなぞ、どうにも許し難い。そもそも、なぜこの狼藉者は僕や木実ちゃんのことを知っているのか。さらに、今までどんな美男子にも興味を示さなかったはずの愛しの木実ちゃんが、なぜ吉野に好意を抱いたのか…

謎が謎を呼ぶ中、一ラウンドノック・アウトのゴングとでも言わんばかりに、終了時間を知らせるチャイムがキンコンカンコンと間延びして鳴り響いた。


「君、なんで僕と同じ方に歩いて来るんだよ?」

「別にいいじゃない。俺と公ちゃんの仲でしょ?」

始業式の唯一の良いところである、半日で学校が終わるという特典も、今回ばかりは無駄になった。

「いや、だから、僕は君のことなんて見たことも聞いたこともないんだってば」

当然だが、僕は吉野のことを全く知らない。だが吉野曰く、僕たちは以前からとても親しい関係であり、二人は運命的な再会を遂げているのだそうだ。

それを聞いたときは何を血迷ったことを言っているんだ、と心の中でつぶやき、もう関わるのは止そうと黙々と帰路に着くことにした。しかし家に帰ると、困ったことに僕の母親も吉野のことを知っている風で、彼に対してまるで僕の生き別れの双子の弟が現れたかのような愛情を注いでいる。いや、双子なら流石にここまで似つかわしくはならないはずだ。自称美男子の吉野であるが、他称になるとこれに超がつくほど端正な顔立ちで、全身がマグロのようなハリのある赤色筋と肌の艶で覆われている。これで頭が良ければ言うこと無しなのだろうが、先程からの言動を見ての通り、頭は相当足りていない。性格は、恐らく第三者から見れば悪くはないのだろうが、こと僕からみる限りでは、迷惑なことこの上ない。

「じゃあ、今日は俺帰りますね」

「あら、吉ちゃんもう行っちゃうの?ゆっくりしていけばいいのに」

「いえ、引越しの整理がまだですから。また遊びに来ますね」

「あ、そうね!じゃあ粗品ですが、ウチのコレ、お貸しするわ」

と言うやいなや、我が母親は僕の胸をポーンと押し出し、吉野の前に差し出した。

「断る!っていうか、粗品扱いかよ」

「粗チンって言わないだけましでしょ。ほら、さっさと行きなさい!」

母の卑猥(ひわい)揶揄(やゆ)に猛抗議しようとした瞬間、「じゃあ、遠慮せずに」などと吉野が僕の首根っこをがっちりと掴み、機敏に外に向かって歩き出してしまう。

「おい吉野!下ろせよ!ってかなんて怪力なんだお前。これじゃ僕の手助けなんて本当に要らないじゃないか。かえって足手まといになるだけだから、離してくれ!」

出逢って半日もしないのに、クラスメート・想い人・親という僕にとって身近な人全てからの評価を下げさせたこの吉野の引越しを、僕が手伝わねばならない理屈が有るだろうか。いや、皆無である。憎きこの男から一刻も早く逃げ出し、ほとぼりが冷めるまで近くのコンビニにでも行って時間を潰そう。そう思っていた矢先、意外にも吉野は僕をすぐに下ろしてくれた。

「お、あ、ありがとう」

「いえいえ。僕こそありがとう。さ、入って」

「え?」

夏休みが開け、まだ夏バテから全く脱せていない始業式に、幾度となく驚かされた僕だが、最後に最悪の衝撃を体験させられてしまった。

「こ、ここが君の家か?」

「そう。宜しくね、お隣さん!」

今日何度目かの驚きに言葉も出ないでいるその刹那。

僕の唇が、初めて奪われた。


第1部 了

次回予告

第2部 三人の性癖


投稿予定日

08月08日00時

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