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わたしは麗美得るん

 ぱちり、と目を開いた。黒く淀んだ瞳は重たげで、まだ眠っていたい、と語っているようだった。

 それでも、女の子は起きて、着替えを始める。よれよれのパジャマから、よれよれの服に着替えて、学校指定の名札をつける。名札には「ゆいがれみ」とひらがなで書いてある。女の子らしい、丸っこい文字だ。

 彼女の名前は唯賀麗美。小学二年生である。父親はギャンブル三昧、母親は働き詰めだけれど、親子の交流はある。

 暴力痕。

 ギャンブルで負けた父はよく荒れて、酒瓶を投げたり、振り回したりする。働き疲れの母はヒステリーをよく起こし、だらしのない旦那を怒っていたはずが、いつの間にかその矛先が麗美に向くこともしばしばある。こちらは殴る蹴る、物を投げるなど様々だ。

 二人共、寝起きが悪く、麗美が物音を立てて起こそうものなら、麗美の小さな体をつまみ上げ、玄関からアスファルトの固い地面に容赦なく放る。だから麗美は、二人のよく眠っている明朝に支度を済ませるのだ。

 周囲からはいたたまれないような目で見られる麗美だが、平気だった。家に帰るのが、楽しみですらあった。

 何故なら彼女は家で眠ることができる。眠ることができれば、最強無敵の魔法少女、れみえるんになることができるのだ。

 れみえるんとしての無双感はなかなかの快感で、目覚めるのがちょっと惜しまれるくらいだ。けれど、ちゃんと学校に行かないと、給食費が勿体ないだのなんだのと言われ、痛い思いをすることになる。麗美としても、給食は数少ない栄養源なので、きちんと食べておきたいところだ。

 ランドセルを背負って、台所を通りすぎようとする。きしきし床が鳴るので、二人を起こしてしまわないか、どきどきするタイミングだ。

 台所を覗いても、特に食べ物とおぼしきものはない。以前、袋ラーメンを開けて食べていたら、卑しん坊、と母に叩かれたため、つまみ食いもしないようにしている。それでも、お腹はぐう、と鳴るので、ついつい覗いてしまうのだ。

 給食まで、倒れないように気をつけなくちゃ、と麗美は心の中で唱える。以前、栄養失調で倒れたとき、学校に呼び出された母は学校では平謝りだったのに、家に帰ると豹変して、麗美のことを罵倒し、蔑み、「オマエサエイナケレバ」と唱えた。麗美にはその言葉の意味がよくわからなかったけれど、父親や母親が子どもに暴力を振るうときは、子どもを叱るときだと聞いた。叱られるのは、子どもが悪いことをしたから。つまり、麗美が悪いのだ、と麗美は考えていた。

「いってきます」

 誰も答えてくれないことなんてわかっている。けれど、家を出るときは「いってきます」と言わないといけない、そういうルールなのだ。

 なるべく音が鳴らないように閉めて、麗美は通学路へと出た。


 学校には、友達がいる。といっても、先生が「おともだちと仲良くしましょうね」「同じクラスのおともだち」などと言っているから、クラスのみんなは友達なんだ、という認識でいる。

 麗美はみんなが大好きだ。みんな麗美を見て笑ってくれる。麗美に話しかけてはくれないけれど、麗美にかまってくれる。そのことがとても嬉しい。

 例えば、机にたくさん落書きをしたり、ロッカーに絵の具を塗りたくって鮮やかにしてくれたりするから。教科書を破かれたり、給食に虫を入れられたりするのは困るけれど、みんなが自分のことを気にかけてくれる、と考えれば、苦痛ではなかった。

 今日も、下駄箱を開けると、かさかさかさかさと物音がして、黒い虫がたくさん飛び出してくる。

 麗美はそれでも泣かなかった。

 だって仕方がない。ここは夢の中じゃない、現実だから。夢の中じゃなければ、麗美はれみえるんになれず、れみえるんになれないということは、無敵にも最強にもなれないのだ。最強無敵じゃない自分が、弱いのなんて、当たり前。

 それでも、今日もみんな元気であることが、自分が夢の中で頑張っている何よりの証拠だ。

「きゃあああああ!!」

 クラスメイトの女の子が、麗美の下駄箱から溢れ出した虫に悲鳴を上げる。無理もない。その虫は虫の中でもほとんどの人々に忌み嫌われ、名前を言ってはいけないとすら唱えられるほどのものだ。

 けれど、物好きは麗美のために、こんなに集めたのである。愛されているなあ、と麗美は思う。

「また麗美ちゃん!? 本当にあなたって子は!!」

 悲鳴を聞いて駆けつけた教師が、阿鼻叫喚の光景に呆れたような声を出す。麗美は先生が少し怒っている理由がわからなかった。

 おそらく、麗美は悪くないはずだ。麗美は下駄箱に虫を入れて飼うような趣味はない。これまでも、下駄箱に虫やら何やらを入れられることはしょっちゅうあった。先生が「また」と言っているのはそのことだ。

 友達に構ってもらえるのは嬉しいけれど、いつも後片付けが大変なのである。それが面倒で、先生はこんな声を出すのだ、と麗美は理解していた。父も母も似たような感じで怒る。ただ、先生は殴ってこないから、麗美は安心していた。

「いい加減お父さんとお母さんに連絡を……」

「だめ!!」

 麗美は咄嗟にそう叫んだ。自分でも、何故なのかわからない。けれど、父や母に連絡が行こうものなら、また殴る蹴るをされる。痛い思いをする。麗美は痛いのが嫌だった。

「でも、麗美ちゃん、あなた、■■られているンだヨ?」

 先生が何を言っているのか、理解できない。声が歪んで聞こえる。うわんうわんと耳鳴りがして、平衡感覚が保てなくなる。

 背筋がぞわっとして、麗美はだめ、と思いながら、床に崩れた。耐えられなかった。そのことに不甲斐なさを覚える。

 お父さん、お母さん、ごめんなさい。許して。麗美に痛いことしないで。

 麗美ちゃん、麗美ちゃん、と声が聞こえる。先生の声だろうか。友達の声だろうか。麗美の中で麗美を呼ぶ声はうわんうわんとした耳鳴りに混じって、よくわからなくなる。

 友達。友達。

 そう、麗美のたった一人の特別な友達は、もういない。クラスの友達はいるけれど、麗美に特別優しくしてくれた友達は、いなくなった。

 レムノンに夢を壊されて、死んでしまった。麗美が守りきれなかったせいで。

 だから麗美はれみえるんとして、夢の中で、誰に知られずとも、懸命に戦うのだ。

「あさひちゃん……」

 レムノンのせいで、失った友達の名前が口から零れる。

 汀あさひ。それが、麗美のたった一人の特別な友達の名前だ。あさひは麗美に優しかった。麗美が怪我をしていれば心配してくれたし、麗美がクラスの友達に教科書やノートを破かれたりしたら、怒ってくれた。

 そんなあさひは死んだ。学校のベランダから落ちた。

「麗美ちゃん、ごめん」

 そう残して、いなくなった。

 あさひちゃん、あさひちゃん、あさひちゃんは何も悪くないよ。悪いとしたら、それはわたし。あさひちゃんを守れなかったわたしのせい。だから謝らないで。

 わたしが、レムノンをちゃんと退治できていれば、あんなことには……

 もう二度と、誰かを死なせたくない。だから、わたしは戦うの。

 夢の中に、落ちて、落ちて、生きながら。

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