21.いつだって
私がいるとは思っていなかったのだろう。ぱちくりと目を瞬かせてから、ふふ、と笑みを零した。
「お姉様ったら帰ってきていたのね」
道をあけるように、アニエスが扉の前から離れる。お父様の後に続いて降りると、すかさず手を握られた。アニエスに。
こちらを見つめる翡翠色の瞳が、隠し切れない喜びと――優越感で彩られている。
「お姉様が帰ってきてくれて嬉しいわ。やっぱり、ふさわしくないと思ったのよね? だから言ったのに。一時の勢いに身を任せるなんて、お姉様らしくないわ」
「勢いとは?」
馬車の中から聞こえた淡々とした声に、アニエスの顔が一瞬で固まった。
声のしたほうを見ると、開け放たれた扉のすぐ近くでノエルがこちらを見下ろしていた。降りてすぐ私がアニエスに捕まったので、出るに出られないのだろう。
そっと硬直しているアニエスの手をほどいて、少しだけ離れる。そこでようやく、アニエスの硬直が解けた。
「な、なんでこの人が……?」
「魔術師として依頼を受けに来ました」
「依頼って、なんで……私だけで大丈夫って言ったのに……お父様!」
珍しいアニエスの追及の声に、お父様が気まずそうに口元を引きつらせる。
やはり、何も言っていなかったようだ。魔術師に依頼すると知れば、アニエスは断固として反対しただろう。
お父様はアニエスに弱いし、甘い。本当は呼んだほうがいいと思いながらも、絶対大丈夫だからと懇願されたら折れてしまう。
そう考えて、父親としての感情と、領主としての責任を天秤にかけ――何も言わずに依頼を出したのだろう。
「いや、だが、三日経っても減る気配がないから……さすがにこれ以上はまずいだろうと……」
「こんな見る目のない人たちに頼むなんて……大丈夫って言ったのに」
馬車を降りたばかりのノエルをアニエスが睨みつける。
だけどノエルはそんなことは意に介していないのか、何も言うことなく私の横に立つ。ノエルの代わりにアニエスの言葉に反応したのは、お父様だった。
普段とは違う娘の態度に、お父様の眉尻が困ったように下がる。お父様の前では、アニエスはいつだって穏やかで慎ましい娘で、誰かに敵意を向けた姿を見せたことがない。
だからとまどっているのだろう。でもそんなことは私には関係ない。子供の知られざる一面なんて親にはつきものだろうから、わざわざ配慮しようとも思わない。
それよりも、聞き捨てならないことがある。
「見る目の有無は討伐には関係ないわ」
魔術師たちの見る目は、興味を抱く対象が千差万別なのであるのかないのかはよくわからない。だけど少なくとも、魔物を討伐するのに見る目は必要ない。
魔物を倒すための知識と、その知識を活用できるだけの技術と、その技術を成せるだけの魔力があればいい。
討伐はもちろん、見る目の有無も魔術師の素養には関係ない。アニエスの基準で見る目がないからといって、彼らが貶められるのは間違っている。
「他領の魔物がここまで逃げてきたのに? 見る目が関係ないなんて思えないわよ」
「逃がしたのは魔術師ではなく兵士よ」
「それでも調査をしたのは塔の人よね? 見誤ったのなら、同じことじゃない」
引く気のないアニエスにため息を落とす。私が折れるまで、問答を繰り広げるつもりなのだろう。
アニエスはいつだってそうだった。自分の我が通せるまで、ああでもないこうでもないと言い続ける。折れる気のない相手と言い合っても精神が削られるだけで、結局最後には私が譲った。
だけど、今回ばかりは譲れない。
「調査を行ったのはアンリ殿下よ。塔随一の魔術師の一番弟子である彼を、あなたは無能だと言いたいの?」
声を荒げないように、ただ事実だけを伝えるように、できる限り冷静に言うと、アニエスが言葉を詰まらせた。
ぎゅっと眉間に皺が寄り、翡翠色の瞳が揺れる。必死に言葉を探している姿に、もう一度ため息を零す。
「言えないわよね? だって、ジルを高く評価していたのは――あなただもの」
塔で一番の実力者で、魔術師になってから取った弟子は一人だけ。しかもこの国を率いていく立場にある王太子。
だからアニエスは彼のもとに、熱烈な手紙を送った。弟子に迎え入れてほしいと書いた手紙を。
それを見たジルは興味がわいたからとミュラトール領に来て――私を弟子にした。
一連の流れを忘れたとは言わせない。
「だけど、でも、だって……ええ、そうね。そうよ、評価していたわ。塔で一番なら、この国で一番ってことだもの。だけど今は違うわ。だって結局、彼も見る目がなかったんだもの」
歯噛みし、忌々しそうにアニエスが言うと、お父様の口から小さく悲鳴が漏れた。
ジルはとても簡単に人を呪う。些細なことだろうとなんだろうと――ある意味平等に――彼の気分を害した相手に呪いをかける。
それはとても有名な話で、濃紺色の髪を見たら近づくなと言われているほどだ。
だからここにはいないとわかっていても、今の発言を聞いていたらと考えてしまったのだろう。
「ア、アニエス。そういうことは、あまり言わないほうが――」
「でも、お父様。私、どうしても許せないの。どんなに優秀で素晴らしいかをいっぱい書いたのに、応えてくれないんだもの!」
アニエスの送った手紙は、最初から最後まで賛美に溢れていて、宛名を間違えた恋文かと思ったと、ジルは笑っていた。
本当に、ひどいものだった。ひどすぎてひどすぎて、うんざりするほどに。
『身内からの推薦状はあまり珍しくはないんだけどね』
風になびく濃紺の髪に、興味深そうに輝く金色の眼。あの日、あの時、あの瞬間を忘れることはできない。
『どうしたものかと悩んだんだよ……だけど、ちょっとだけ興味がわいたんだ。ここまで賞賛される人物はどんなのだろうってね』
面白そうに笑うジルの顔を今も覚えている。そして、彼の手に握られていた――
「お姉様に華々しい活躍をさせてくれるって信じてたのに!」
――度を過ぎたシスコンによる、私の推薦状のことも。




