第5話 蔵書狂は選択を下す
椅子に腰かけるエイダは限界を超えて憔悴している。
虚ろな目付きで、乾いた唇は掠れた声を洩らす。
喉を酷使しすぎたのだ。
口端からは一筋の血を垂らしていた。
たった今、エイダはこれまでの人生を語り終えた。
途端に机に突っ伏して動かなくなる。
一瞬、死んだのかと思ったが、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。
辛うじて生きているようだ。
エイダはついにやり切った。
九日を費やして自らのすべてを伝え遂げたのである。
凄まじい精神力の賜物だった。
しばらくして顔を上げたエイダは、やつれた顔で笑みを見せる。
「これで、どう……だろう……? 私の助手に、なってくれない……かな」
エイダは荷物から数本のガラス瓶を掴み出した。
中は緑色の済んだ液体で満たされている。
それをエイダは連続で飲み干していく。
魔術的に調合された水薬だろう。
エイダはここまで飲まず食わずでやってきた。
何かが憑依したかのように人生を語り続けたのだ。
すべての水薬を空にしたエイダは、口元を袖で拭って息を吐く。
落ち着いた彼女は改めて懇願する。
「助手が無理でも、なんとか解決の手立てを授けてほしい。私の人生を懸けたんだ……少しくらい、価値はあったんじゃないかな」
「…………」
黙ってエイダを凝視する。
目を閉じて頭を下げたその姿に欺瞞はなかった。
自業自得で破滅に追いやられた彼女は、心底から救いを求めている。
己の罪を理解して正当化せず、受け入れて、その上でどうにか切り抜けるつもりらしい。
清濁の詰め込まれた姿勢は、まさしく人間らしくあった。
暫し答えずに間を置く。
震えるエイダに向けて知識の報酬を告げた。
「――三年間だ。期間を限定して知識を貸し出そう」
「ヴィブル……ッ!」
「勘違いするな。お前の人生を捧げても、すべての知識を得るには到底足りない。だから一時的に協力するだけだ。その間は助手として行動しよう。三年の猶予でどうにかしてみろ」
立ち上がって歓喜するエイダに釘を刺しておく。
蔵書狂という存在を求めた者は過去にもいたが、いずれも割に合わない知識しか提示できなかった。
たった三年とは言え、そこまで引き出せたのはエイダの覚悟と努力によるものだ。
高笑いをするエイダは、肩の力を抜いて礼を言う。
「ありがとう、十分すぎるよ。さすがはヴィブルだ」
「対価に応じた知識を提供した。それだけに過ぎない」
「いや、君は情けをかけてくれた。私の半生をすべて使っても、蔵書狂を三年間も雇えるだけの知識にはなり得ないからね」
エイダは首を振って断言した。
もうとっくに限界を迎えているはずだが察しが良い。
気の利いた返答を思い付かなかったので、肯定も否定もしないでおく。
髪を掻き上げたエイダは話題を転換した。
「ところで君は外ではどうやって行動するんだい?」
「仮初の身体を用意する」
そう答えると同時に室内の本棚を操作する。
整然と収められた書物が生き物のように飛び出すした。
紙の濁流が渦巻いて一カ所に集まり、一つの形へと編集されていく。
出来上がったのは羊皮紙と革表紙で構築された人間だった。
顔の造形や手足は紙の凹凸で再現されている。
衣服の部分は革表紙を使っていた。
遠目には違和感のない人型だが、近付けば丸分かりだろう。
室内の本棚は空になっていた。
この図書館にある全書物で使用したのである。
物理法則を超越して圧縮し、過去に培った膨大な知識を残さず組み込んでいた。
血肉の伴わないその人型に視点を移すと、久々に重力を感じた。
手足を動かしてみると、特に問題なさそうだった。
仕上げとして、図書館の片隅に放置されていた黒い外套を纏う。
昔の来訪者が置いていったもので、特別な力はない。
それでも書物で作られた身体を誤魔化すにはちょうどいいだろう。
一連の光景を眺めていたエイダは呆けた様子で感想を述べる。
「おお……壮観だね」
「知識を人型に圧縮しただけだ。何も珍しいものではない」
「そ、その基準はどうかと思うよ」
エイダは戸惑い気味に言う。
蔵書狂の正体は知識の集合体だ。
知識を授ける場として適しているので図書館という形を維持しているものの、実際は変幻自在である。
圧縮して人型にしたところで何の支障もなかった。
エイダはなんとか納得すると、図書館の出口へと歩き出す。
「さて、さっそくだけど出発しようか。君にはもう話したが、色々と、問題が……山積み、で――」
発言の途中でエイダが倒れた。
彼女はすぐに静かな寝息を立て始める。
どうやら気絶したらしい。
無事に目的を達成して、緊張の糸が切れたのだろうか。
そんなエイダを担いで移動し、並べた椅子の上に寝かせる。
彼女は尚も安らかな顔で眠っていた。
(エイダ・ルース……面白い人間だ)
ほぼ完璧な記憶力を持つ彼女は、どうしようもなく不純な動機と自己保身と金銭欲を抱えている。
そして恐ろしいほど他力本願だ。
客観的には善人とは言えないものの、突飛な才覚を持っているのは否定できない。
この図書館は知識欲を鍵としている。
エイダの場合、その条件を無視して来訪していたのだ。
厳密には金儲けのために知識を欲しているが、こちらの想定から大きく逸脱してるのは間違いなかった。
かつてこの図書館を訪れた者の中で、エイダだけが知識欲のその先を見据えていた。
エイダは高い野心と虚栄心を持つ。
ところが、それに見合う能力がない。
それでも彼女は決して諦めず、奇怪な結果を掴み取った。
いずれも半端なら取るに足らない常人だったろう。
エイダはすべてが極端で振り切っている。
だからこそ商人から偽りの賢者となり、さらには蔵書狂という助手を手に入れた。
エイダに対する興味が高まっていた。
彼女の人生を知りたい。
これからどういった道を歩むのか。
果たして破滅を避けることができるのか。
図書館で待っているだけでは得られない真実だ。
ならば、彼女のそばで記録するのが最適な手段と言えよう。




