第4話 渾身の知識
室内に静寂が訪れる。
望みを打ち明けたエイダは無言で答えを待っていた。
冗談めかした雰囲気はなく、一目で本気なのが分かる。
だからこそ、その荒唐無稽な要求に正直な言葉を述べた。
「随分と大きく出たな」
「それだけ切迫しているんだ。このままだと私は間違いなく破滅する」
エイダは苦い顔で断言する。
具体的に彼女がどういった状況に置かれているかは不明だ。
この十年で他に来訪者はなく、外界を知る手段は皆無に等しかった。
ただ、エイダが追い詰められているのはひしひしと伝わってくる。
エイダは辺りを歩き回る。
その途中、室内全域に響き渡る声で呼びかけてきた。
「ヴィブル、君がいればこの問題は解決すると思う。知識とは最大の武器だ。その化身である君ならば、私を窮地から救うのは造作もないことだろう」
「他人任せだな」
「自力でどうにかできるなら、喜んで努力するよ。その範疇を超えたから君に頼っている」
ため息を吐いたエイダは、弱ったように首を振る。
いつもの快活な姿からは想像もできない仕草だ。
さすがの彼女も限界なのだろう。
賢者を騙ったことによる弊害は、もはや個人単位で解決できない規模の問題に発展しているらしい。
真実を明かせば、彼女の築き上げた立場は崩れ去る。
否、それだけでは済まされない。
賢者が虚像であると知った民衆は、騙された怒りを容赦なくエイダにぶつけることだろう。
彼女が有名であればあるほど逃げ延びる術は少ない。
早い話、やり過ぎたのである。
当然だが同情の余地はない。
授けた魔導書が原因であるものの、この状況は他でもないエイダが招いたのだ。
故にこちらから言えることは一つだけであった。
それを淡々とエイダに告げる。
「対価を差し出せ。提示する知識が足りなければ、お前の要求には従えない。今までと何も変わらない。ただそれだけだ」
「分かっている。この日のために準備をしてきたんだ」
エイダは鞄から分厚い羊皮紙の束を取り出した。
少なく見積もっても千枚は下るまい。
絵は使われておらず、細かな文字が隙間なく書き込まれていた。
「何の知識だ」
「私の人生を文書にしてみた。生半可な知識では、君を助手にできないと思ってね。これはとっておきだよ。内容に合わせて補足説明もしよう」
エイダは覚悟を決めた顔で述べる。
これが彼女の策のようだ。
知識を求められることを予想して、事前に入念な準備をしてきたらしい。
今まであまり語ってこなかった自身の半生ならば、相応の対価になると判断したのである。
彼女らしい面白い発想だった。
エイダは羊皮紙の束に手を置いて確認を取る。
「すべて語るには相当な時間がかかる。それでも大丈夫かな」
「疲労は感じない身だ。好きにするといい」
「ありがとう。では始めよう」
椅子に座ったエイダは一枚の羊皮紙を手に取る。
一呼吸を置いて彼女は表情を消すと、抑揚のない口調で淀みなく語り始めた。
エイダ本人の口から紡がれる人生は、事実だけを端的に述べていた。
彼女が見聞きしたあらゆる事象を、丁寧に、嘘偽りなく、時系列順に吐露する。
所々で懺悔らしきものが含まれているのは、隠し切れない罪悪感によるものだろうか。
それでもエイダは止まらない。
息継ぎや瞬きもそこそこに、精密な記録を発し続ける。
語る内容の中には、他人の善行や悪行もあった。
そこを彼女は脚色なく余さず話す。
エイダに関わる出来事は例外なく網羅されているように思えた。
流暢に説明しているはずであるのにも関わらず、一向に終わりは見えてこない。
虚実を判別する手段はない。
しかし、彼女の目と言葉の前では、そのような疑念を抱くことすら無粋に感じられた。
常軌を逸した記憶能力を以て、エイダの人生が紐解かれてゆく。
質問どころか相槌も打たず、ただその語りに意識を傾ける。
エイダの話が現在に至るまで、丸九日間もの時間を要した。




