第110話 蔵書狂の決心
ルナは正面からこちらを見据える。
曇りのない純粋な眼差しだった。
「契約のこと、エイダちゃんと話してきたら?」
「そうだな。近日中に決める」
「今すぐがいいよ。勢いで言っちゃった方が楽だと思うし」
ルナに腕を引かれて部屋の出口まで誘導される。
強引だが理に適っている。
放っておいても話をする時は訪れるのだ。
こうして話題に挙がったのだから、即座に行動するのは間違っていない。
自発的には実行しなかったはずなので、こうして背中を押されるくらいがちょうどよかったろう。
部屋を出て振り返ると、ルナが微笑んでいた。
以前までの狂気を感じさせない柔らかな表情だ。
彼女は静かに告げる。
「頑張ってね、ヴィブル」
「……ああ」
礼を言おうとしたが、伝えられないまま立ち去る。
後で伝えなくてはならない。
すれ違う使用人や兵士に頭を下げられながら、先ほどまでのやり取りを思い返す。
(すっかり言いくるめられてしまった。動揺しているのか?)
三年でルナも成長したが、まだ半人前には違いない。
彼女に乗せられた形で話が終わったのは、おそらくこちらの心境的な問題であった。
もはや揺れ動くだけの感情など無いはずなのに、こうして情けない言動を繰り返している。
まるで人間に戻ったかのようだった。
(蔵書狂の名折れだ。冷静さを取り戻せ)
己に言い聞かせながら城内を進む。
ほどなくして辿り着いたのは謁見の間だ。
この時間帯にエイダがいるのは知っている。
今は来客もいないはずなので、二人きりで話すことができるだろう。
意を決して扉を開ける。
奥の玉座に座るエイダは涼しい顔で読書をしていた。
そばにはいくつもの魔導書を重ねて置いてある。
国王であることを示す冠と赤いマントが妙に似合っていた。
数々の執政を経て彼女に馴染んでいる。
年齢的には若いものの、学びを得てそれを活かす姿は老獪とも言えた。
顔を上げたエイダは、意外そうにこちらを見て言う。
「やあ、どうしたんだい。随分と落ち着きがないように見えるが」
「そんなことはない。いつも通りだ」
「嘘はよくないな。私の目を誤魔化せると思わないことだね。君は間違いなく動揺している。何か悩みでもあるのかな?」
エイダは意地の悪い笑みで言う。
実はすべてを知っていながら尋ねているのではないか。
そう思わせる雰囲気を醸し出している。
実際はそこまで正確には把握していないだろう。
何でも見抜けるように装うことで心理的な優位を取ろうとしているだけだ。
そこまで分かっていたものの、やはりエイダからは相応の風格を感じられる。
王の威厳とも呼ぶべきものを纏っていた。