第108話 賢者の修行
ある日、城内の書庫に赴くと、広い机を占領する者がいた。
山積みの書物に埋もれるようにして読み書きしているのはルナだ。
彼女は眉間に皺を寄せて、何事かを呟きながら羊皮紙に文字を綴っている。
その目付きからしてルナは疲労していた。
体力的には余裕のはずなので、おそらく精神的なものだろう。
不慣れな勉強に没頭するのはそれだけ負担に違いない。
ルナはここ一年ほど賢者になるための勉強を続けていた。
主にエイダの武力として働いてきた彼女は、次の賢者として指名された。
他ならぬエイダの意志を託されたのである。
それを契機にルナ自身の希望で学習を行っている。
現在は魔術知識を主軸に勉強していた。
体系化されているので勉強しやすく、何よりも実用的だからだ。
入室後もルナは集中してこちらに気付いていない。
そばに寄って声をかける。
「今日も入り浸っているのか」
「うん。いくら勉強しても足りないくらいだからね。早くエイダちゃんに追いつかないと」
顔を上げたルナは真面目な様子で言う。
その言葉をすぐに否定した。
「お前がエイダに追いつくことはない。彼女は特別だ。努力で辿り着いた境地ではあるが、他人が真似できる域を越えている」
「厳しい意見だね」
「事実だ」
淡々と告げると、ルナが少し悲しそうにする。
その上で言葉を付け加えた。
「だが、エイダがお前に追いつくこともない。それぞれが優れた個性を持つ。無駄な比較で落ち込むな」
「慰めてくれたの?」
「違う。誤った解釈を訂正しただけだ」
すぐさま反論するも、ルナはなぜか嬉しそうにする。
勉強を補助するようになってから、彼女とは話をする頻度が増えた。
向こうは少なからず慕っているようだが、あまり懐かれても面倒である。
ルナが満足するような対応をこちらは持ち合わせていなかった。
話が脱線していたので本題へと軌道修正を図る。
「課題の魔術は習得したか」
「うん、もう失敗しなくなったよ」
そう言ってルナは詠唱を行った。
彼女の指先に小さな炎が灯る。
魔術で構成されたそれは、僅かに明滅しながらも一定の大きさを保っていた。
炎を消したルナは今度は手のひらを上に向けた。
「無詠唱でも使えるよ」
彼女の手のひらから炎が渦となって噴出する。
辛うじて天井を焦がすことはなかったものの、かなりの勢いがあった。
まだ出力の調整が上手くいっていないらしい。
それでも無詠唱そのものは成功している。
ルナは胸を張って術を解除した。
「すごいでしょ」
「勇者の末裔ならば当然のことだ。さらに難解な術を覚えてもらわねば困る」
「えー……」
「エイダを超えたいのなら死ぬ気でやってみろ」
そう告げると、ルナは気を取り直して勉強を再開した。