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2.西野アメリ

2.西野アメリ


 アメリが目を覚ますと、そこにはガラスに映った自分の顔があった。

 バーチャル世界のアバターに加工をかけていたわけではないので見慣れた顔ではあったが、顔色は青白く、とても健康そうには見えなかった。視線を下に向けるとやせ細った身体が見えた。卵を立てたような形をしたVRインターフェースの中に満たされた神経接続用水には入っている人間が衰弱死しないように栄養分が含まれているらしいが、命を繋いでいるだけということがありありと見える。バーチャル世界がいかに欺瞞に満ちた環境か、可視化されたようだった。


 アメリが目を覚ますのを待っていたかのように、神経接続用水が足元から排出されていく。と同時に、浮力を失ったアメリを重力が襲った。いまだかつて経験したことのなかった力。アメリは立っていられず、ガラスに寄りかかり、そのままインターフェースの底に座り込む。

 用水がすべて排出されると、インターフェースが開き、生温い外気がアメリの肌に触れた。

 このまま座っていると重量を感知して再び閉じることは調べがついていたので、這いずるようにインターフェースの台座から離れた。



 * * *



 アメリの両親は、バーチャル世界の中で出逢い結婚した。その後体外受精を行い、母体に戻すことなく人工子宮で育てられて新生児となり、アメリが生まれた。人工子宮から出るとすぐにVRインターフェースに移され、バーチャル世界で生活することになった。

 バーチャル世界での生活しか知らないアメリは、肉体と精神が乖離していることにずっと疑問を持たなかったが、14歳のとき、突然5歳の弟ができた。


 その弟は「強いAI」を搭載して人間のように振る舞っているだけで、生身の肉体を持たない存在だった。

 両親がそんな弟を可愛がったりアメリにも可愛がるよう求めるのは気味が悪かったが、そんな自分もバーチャル世界ではかりそめの実体を持っているにすぎない。自分の体温や、禁止行為をしそうになったときに走る痛みも、所詮データでしかない。

 アメリは自分の存在のあやふやさが怖くなった。

 そこいらの店で働く従業員AIと弟の違いは何なのか。弟と自分の違いは何なのか。分からなくなった。

 自分の身体に触れたくなってとっさに自分の両腕を掴んだが、そこにはデータの塊しかなかった。



 * * *



 昨日20歳の誕生日を迎えたアメリは、さっそく現実世界への帰還を試みた。両親は決して許さないだろうと思ったので、セキュリティフィルターが外れる年齢まで待つ必要があったのだ。


 初めての現実世界。初めての肉体。初めて感じる重力。初めて触れる外気、床、液体。しかし、インターフェースから這い出しただけで、アメリは疲労困憊になり、感動する暇がなかった。

 アメリは床にうずくまりながら、体力の回復を図った。ただじっと耐えているだけだったが、身体が段々と重力に慣れてきているのを感じた。

 バーチャル世界で仲間と話している中では、現実世界に戻ったばかりでは身体を動かすことすらできない可能性まで考慮したのだ。這いつくばりながらでもここまで動けたのなら嬉しいばかりだ。


 周囲を観察する余裕が出来たところで、電動車椅子を見つけた。バーチャル世界ではまずお目にかかれないレア物だ。アメリも現実世界に興味を持って調べたから知っているだけで、車椅子の存在を知らない若者も多いはずだ。これに乗れば体力を温存しながら、行きたいところに行けるだろう。

 しかし、せっかくなら2本の足で歩きたいと思った。


 しばらくして立ち上がろうとしたが、その瞬間、視界が真っ白になって平衡感覚がふらつき、またしゃがみこんでしまった。「立ちくらみ」という現象だろう。これも考慮の内に入っていた。

 バーチャル世界では体調が悪くなることもなければ、スポーツ競技以外で体力が減ることもない。アメリは身動きの取れない肉体を抱えて、もどかしさと歓喜に打ち震えていた。



 * * *



 アメリは寮のある高校を選んだ。両親と弟から逃れるためだ。

 理数科に進みAIについて学ぶ一方で、民俗学研究部に所属し現実世界について勉強した。

 現実世界に興味を持つ若者は意外と多いらしく、すぐに仲間ができ、他校の生徒や大学生、社会人とも交流を持った。しかし、実際に現実世界に行こうと考える者はほとんどいなかった。

 バーチャル世界の廃止を訴える、過激派グループと呼ばれる人たちと話をしたこともあったが、彼らは抽象的な理想を掲げるばかりで、実際的な思考が欠落していた。聞くと、現実世界に行ったことがある人はほとんどいなかった。20歳を過ぎていて、自分の意志一つで行けるというのに、だ。

 生温い。バーチャル世界からの脱却というレースにおいて、自分より先に誰も走っていないということを、アメリは事あるごとに感じた。きっとみんな何かを叫びたくて、何かに熱中したくて唱えているだけなのだ。誰も恐怖を感じていない。追われるように、逃げ惑うように実体を信仰しているのは自分だけなのだ。


 そんな思いもあり、元々やっていたエッセイブログに熱がこもり始めたころ、出版社からエッセイを本にしてみないかと話があった。

 自分の熱量が大人の商売の道具になることは気に入らなかったが、同士が見つかれば、という思いから出版することにした。しかし、寄せられたのは薄っぺらい賛同の声ばかり。

 読者の層が違うのかと思い、出版社に乗せられるがままに小説も書いてみた。

 しかし、現実世界に行ったことがないのに現実世界の様子を描写することへの抵抗は大きかった。

 読者に、世間に嘘をついている。現実世界を知らなければ。アメリの思いは一層強くなった。



 * * *



 しばらく耐え忍んだことで、体力が回復してきた。インターフェースから抜け出して、どれくらい時間が経過したのだろう。現実世界では、いくら視界の端を見渡しても時間は表示されない。

 ゆっくりと立ち上がる。体勢と重力は関係ないはずだが、立っている方が疲れるのはなぜだろう?位置エネルギーが関係しているのだろうか。古代ギリシャ人は地球の成分を多く含む物ほど重力の影響を受けると考えたらしいが、神経接続用水から人工の栄養を摂取してきただけの自分にはどれくらいの地球の成分が含まれているのだろうか。


 改めて部屋を観察してみる。インターフェースは個人宅の地下シェルターに設置されることが多いらしい。

 アメリが抜け出したものの隣にあと2つ設置されている。中には両親が入っている。分かってはいたが弟の分はない。弟は、こちら側にはいない。

 フーッと、安堵とも失望ともつかないため息がこぼれた。


 出口と思われるドアの方を向き直ったのは、3つしかないインターフェースから目を逸らしたかっただけかもしれない。

 それでも部屋の外に出ることは重要なことだと思った。

 現実世界に来てから何をしようとは考えていなかった。そのままここで生きていくのか、バーチャル世界に帰るのかも決めていない。ただ恐怖心、焦燥感に駆り立てられてここまで来た。

 ただ、どちらにせよこのままこの部屋にいても何も得られない。


 ドアに近付くと、黒一色だったドアに桜並木の風景が映し出される。ドアそのものがモニターになっていたようだ。

 と思ったら再びモニターが暗転し、緑色の手のマークが現れた。

 「顔を認証できません。静脈認証を行います。マークに手を合わせてください。」

 高音ながらも穏やかな合成音声が流れた。

 このドアにアメリの顔は登録されていないようだ。当然だ。生まれてすぐにバーチャル世界に連れていかれたのだから。

 ということは、静脈認証も通らないのではないか?嫌な予感がした。

 マークに手を合わせたが、やはり「認証できません。」と返ってきた。

 くそッ!

 悔しさからつい声を荒げる。

 拳を握ってドアを殴る。ドアはびくともせず、アメリは生まれて初めての痛みに悶える。涙が滲む。

 ぐっ!

 今度は両手で押してみるが、当然動かない。


 体力の限界を感じ、ドアに背をもたせかけるように倒れ込む。

 息が切れ、両肩が上下する。

 …。

 次は拳ではなく何か物で殴ってみようか。

 ……。

 その前に……体力の……回…復……を…


 アメリが疲れから急激な眠気に襲われ、意識を手放そうとした、そのとき、


 ゴポゴポオッと大きな音がして、眠気が吹き飛んだ。

 顔を上げるとインターフェースの1つが開いている。

 中から人が出てくる。母だ。

 母がインターフェースから出て、電動車椅子に乗り、こちらに向かってくる。

 現実世界に行くことは、両親はもちろん誰にも言っていない。

 なぜばれたのだろう?


 倒れ込んだアメリの前で止まった母は、44歳の等身大の姿だった。バーチャル世界ではアバターを加工して若さを保っているので、その落差に少し驚いた。

 「アメリの作品は全部読んでるのに、まさか本当に現実世界に戻ってくるなんて、思ってなかったわ。」

 怒られるのかと思ったが、どちらかといえば落胆したかのような、諦めたような声だった。

 「怒ってる?」

 なんとか立ち上がって、恐る恐る訊いてみた。

 母は何も答えないまま、アメリに近付いた。


 「顔を認証しました。ドアが開きます。」

 AIの声が流れる。母が近付いたことで顔認証が作動したのだ。

 「お説教はバーチャル世界でするから、ちゃんと帰ってくるのよ。」

 母はゆっくりと微笑んだ。

 アメリは「分かった。」とだけ返し、自分の力だけでは到達できなかった世界に踏み込んだ。


重力うんぬんのところは、アメリが筋力にまで考えが行ってないということを表現したかったのですが、ちょっと分かりにくいですね。

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