暁草
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは「暁草」を知っているかい?
――「鐘」の別の呼び方だろ?
うわっ、ものすごくマイナーじゃない? それ。歌集とかだったら、見ることができるかな?
いや、マイナーさだったら僕が思い浮かべているものだって、負けてないかな。暁草は文字通り、夜明けごろに採ることができる、ある特殊な草のことを指すんだ。
いや、草というのも怪しいものかな。太陽の光は、太陽が山に隠れると同時に消えてしまうよね? あれと同じように暁草は、夜明けとともにその姿を消してしまう草なんだ。
陽の光を浴びてのその姿、その手触りを確かめられるのは、ほんの一瞬だけのこと。そしてこれらは、僕の地元において、昔からしばしば駆除の対象となってきたんだ。
――その理由を知りたい?
うん。そういうと思って、この話を調べてきたんだよ。そのうちの事件のひとつ、聞いてみてくれ。
むかしむかし。歳のころ7つばかりの少年が、父親に起こされた。
外はまだ暗かったが、空は全体的に黒から青へ色を薄め始めている。夜明けが近づいてきていたんだ。
「暁草を刈りに行くぞ」
子供に外へ出る準備を促す父親が、子供からわけを尋ねられたときの答えが、こうだった。
家を出る時、軒先を伝って落ちる夜の露が、ぴちょんと子供のうなじではねる。ぞぞっと肩をこわばらせながらも、子供はずんずん進む、自分の父親の後をついていった。
それなりの厚着をするから、どれほど遠くへ行くかと少し冷や冷やしていたものの、場所は家からそれほど離れていない、木立の中だった。
まばらに生える木々の間からは、遠くに山の影をのぞむ、空の顏がにじんでいる。すでに星々は、顔を出さんとする「朝」の気配に追いやられ、もはやその姿をとどめてはいなかった。
父親は子供に小さな鎌を持たせてきたうえで、こう告げた。
「今から草を刈るがな。できることなら、『暁草』だけ刈ってゆけ。
見抜き方は簡単だ。実際に手で草を触っていけばいい。ほとんどは夜露に濡れた冷たさが刺してくるだろうが、暁草ならそのようなものは感じない。
覚えるのは、人肌を思わせる温もりだ。そして胸の奥へじかに触れたかと思うほどの、拍動だ。
切れば血が出て、悲鳴があがる。ついそんな想像をしてしまうほど、生命の気配に満ちているだろう。
それを断つ。情け無用に刃を立てて、土ごとごっそり掘り刈れ。
期限は、山から陽が姿を見せるまでだ。たとえ駄々をこねようが、こればかりはどうにもならん。慣れていけ」
父親に担当する区域を申し渡され、子供は教えられた通り、背中を丸めてかがみ込む。
そのほとんどは、父親が事前に話した感覚そのままだった。ひとつ目に触れた草からは、時季外れの冷たい湿り気が指を伝い、「おお」と手どころか腕全体を震わせる。
そもそも、これほどの朝早くに起きる経験は、今まであまりなかった。生来、身体が少し皆より小さくて、力仕事を任されるのも遠慮されていたくらいだ。
朝飯前の仕事を手伝わせるのも、もう数年して身体ができてから……。そう大人たちの間で話されていたくらいだった。
その点、草刈りに関しては図体の大小はさほど関係ない。子供はどんどんと草に触っていく。そのことごとくが外れで、すでに手がかじかみかけているのが分かる。
空も先ほどに比べ、よりはっきりと色を宿し始めていた。このまま収穫なしだと、父親に怒られるかもしれない。
片っ端から手を伸ばしていく子供は、やがてある木の影で「暁草」に出会ったんだ。
最初触れた時、それが草だと分かるのに、だいぶ間が開いた。
人肌に触れたと思った。見た目は他の草たちと大差ない、短刀の刃をそのまま緑に置き換えたかのような形の葉っぱたち。指にも満たない太さのそれらをつまんで、沈みこむような弾力を味わえるなど、誰が思うだろう。
そして暖かい。家を出てから、いやそれよりもずっと昔。母親に寝かしつけられ、一緒に横になったとき、押し当てられる肌の感触に、そっくりだったんだ。
そこにいるだけで全てを投げ出し、身を横たえて目を閉じたくなる……。そんな歳にそぐわない乳臭い気持ちがとっくりとっくりと、胸の奥からしみ出てしまうんだ。
草の拍動が、それを後押しする。こちらが息を吸えば強く、吐き出すにつれて弱く。自らの心臓と同じような速さ、大きさで動くそれらを感じるのは、心の置けない仲間を得られたかのように気持ちよいものだった。
陶然とする子供の背中から、不意に父親の声がかけられる。「早くに、その草を刈ってしまえ」と。
――そうだ。これこそ「暁草」だ。刈り取らなきゃ。
そうして気を取り直し、鎌を根にあてがったところで、信じがたいことが起こった。
暁草は、ふっと消えてしまったんだ。
鎌をあてられた根の部分から、指でつまんだ葉の部分に至るまで、あっという間に。
残るのはぽっかりと空いた、むき出しの地面。初めからそこに何もなかったかのように。あるいは周りの草たちが意図的に避けたかのように。細かい土と石の粒がぎゅっと詰まる土が横たわるばかりだった。
代わりに、鎌の刃が夜露とは別の光を受けて、きらりと光った。山を越え、頭を出した太陽。そのほんの先端ほどの輝きが、ここまで届いていたんだ。
「仕損じたか……」
苦々しい表情を浮かべる父親は、ヘマをやらかした息子をなじることなく、ぽっかり空いた地面に目をやる。自らの手にした鎌で、ほんの二、三。さくりさくりと掘り返してから、ふっと小さいため息をついた。
それから子供を振り返って告げる。
「こいつらはこれから数を増やすぞ。しばらくは今日と同じくらいに起きると、心掛けておけ」
父親の宣言通り、毎日早起きをするようになった子供は、暁草を刈るようになった。
父親がいうには、暁草にはやっかいな性質がある。その繁殖力と、根生やしの早さと広さだ。
一日逃せば、後れを取り戻すには十日以上がかかる。そう脅されて作業を続ける子供は父親から聞かされる。
「暁草を放っておくとな。その根がやがて、地中をあまねくめぐっていく。
その強さは傲慢ともいえてな。他の木々の根を縮こまらせ、腐らせてしまうのだ。
そうなればどうなるか。土は支えとなるべきものを失い、結果として我らの足元が脅かされる。
暁草はしたたかでな。自分に害が及ぶとなれば、すぐさま身を退いてしまう。一度決めれば、どっしり腰を下ろして動かぬ、他の草木と違ってな」
その言葉が現実となったのは、数十年後のこと。
奇しくも、例の子供が父親となり、自分の子供に暁草の刈り方を学ばせようとした。その日の翌日に起こった。
昼前から降り出した雨は、あっという間に勢いを増し、村全体へ叩きつけんばかりの勢いで降り立った。皆はこぞって家の中へ避難するも、しばらくして各々の家がぐらりと動いたのを感じたそうなんだ。
それからほどなく、地面の上を村全体が滑った。屋内の人や家具を横倒しにしながら、木や石にぶつかったり、くぼ地へはまり込んだりするまで、家々は動き続けたとか。
いずれの建物もすっかり土台を失い、土の上に乗っかっているだけの状態となってしまったんだ。安全のためには建て直すよりない。
建材を再利用しようとする動きもあったが、ほどなく吹き寄せた大風により、その多くは吹き飛ばされてしまった、という話だよ。




