第2章 4.休息
今更ながら、2章がすごく長くなりそうな予感しかしない。
翌朝、俺は麻希の部屋に呼び出されていた。
今俺の目の前には頰を膨らませ、いかにも怒っていると言いたげな顔をした麻希がいる。
麻希は寝台の上で上体を起こしてこちらを見ていた。ちなみに俺は地面に正座している。
ゴツゴツとした岩の感触とひんやりとした冷気が、脚を通して伝わってくる。
そろそろ脚が痺れてくる頃だろう。かれこれ数十分もこの体勢のままだ。そう思い、俺は意を決して口を開いた。
「なぁ、なんで怒ってんだよ」
「怒ってないもん!」
いや、絶対怒ってるよね?という言葉は、火に油を注ぎかねないから飲み込んでおく。
それにしても、何に怒っているのだろうか。全く心当たりがない。
俺が分からないという表情をしたのを見たのか、麻希は膨らませていた頰を更に膨らませそっぽを向いてしまう。
その反応に俺は困ってしまう。
すると、
「――った」
麻希が小さな声で何かを呟いた。
「え?」
思わず聞き返してしまう。顔を近づけより耳を近くへと持っていく。
そんな俺の行動に対して、麻希は
「怖かったって言ってるの!」
大声で返してくる。さっきとは比べ物にならないぐらいの大声だった。耳鳴りがひどい。
怖かった?何がだ?
「ひろとが来なくて怖かったって言ってるの」
「あ」
そういえばそうだった。普段ならば一日に必ずは一回、麻希の部屋へ行っていた。それが昨日は色々とあってすっぽかしたんだった。でも、それでもなんで?という印象が強い。
「なんで俺が来なかったからって……」
「だって、今度はひろとまで、いなくなっちゃったって。もう会えないって、そう思うと、怖くなって」
……そういう、事か。麻希は心細かったんだろう。そりゃそうだよな。目が覚めたら異世界にいたなんて、訳のわからない事態に巻き込まれたんだ。それに、今の麻希は自由には動けない。心細くなるのも無理はなかった。
でも、俺がいたから麻希は今までやってこれたのか。毎日毎日同じように自分の元を訪れて、話してくれる。ウルスラグナも少しは話しかけてくれるだろうが、所詮元は関わりのなかった見知らぬ人間だ。多少見知ったとこで心を許せるようになるとは思えない。
そして、一人で心細かったところに、毎日通い続けてくれた幼馴染が突然来なくなる。そりゃ不安になる筈だ。
だってもうこの世界には麻希のことを知っている奴はいなくなるんだから。
これは気付いてやれなかった俺の落ち度だ。自分の事で精一杯になっていた俺の。
「ごめん」
そう言って俺は地面に手をつく。額を地に押し当て、背中は真っ直ぐに。
今の俺にできることはこのくらいだけだ。
これだけで許してくれるとは思っていない。ただ俺の気がすまなかっただけ。
「もういいよ」
そう言って麻希は俺を許してくれた。だが、ただ許すだけではなかった。
「でも今日は、一日中一緒にいること!」
そう涙目で俺に言った。
◆
という訳で、今日は一日麻希の部屋で過ごすことにした。麻希の魔力供給に来たウルスラグナは、怪訝そうな顔をしていたが、知ったことか。今日の俺は麻希の命に従うだけだ。
それに、最近は休養らしい休養を取っていなかったから、いい機会だと思って有り難く享受しておこう。
俺は机の前に椅子を移動させ、自室から持ってきた蝋燭に火を灯す。今日は昨日写し残していた文をなくすことにしよう。休養だが、これくらいはいいだろう。
「ねぇ、その本なに?」
「これは、勉強のための本、かな」
ベッドから身を起こし、麻希は書きかけの本を覗いてくる。目は輝いていて随分と興味深そうだ。恐らくは暇なんだろう。だが、俺が勉強のための本と言った途端に興味を無くしてしまったのか、ベッドに寝転び天井を見つめている。
「ねぇ、わたしたち帰れるのかな」
静寂の中、ポツリと麻希がそう言った。その言葉に少し動揺してしまうが、すぐさま平静を装い
「帰れるよ」
そう言ってしまう。だが、少し罪悪感を感じてしまった。
そうだ。俺たちの、俺の目的は麻希の症状を改善させること。でもそれは達成できるかは分からない。勿論元の世界に帰る方法だって同じことだ。
少し、暗い雰囲気になってしまった。
それに、この空気はダメだ。せっかくの休養をこんな形で取ることも、麻希の前でこんな気分になることも。
そう思い、俺は気持ちをリセットさせる為に持っていたペンを机の上にそっと置く。そしてそのまま両の手で頰を思いっきり叩いた。
その行為に驚いたのか、麻希は閉じかけていた目を見開き、こちらを見つめてくる。
深呼吸をする。よし、落ち着いた。
「一昨日はありがとな」
「え?」
「お前のお陰で元気でたよ」
俺は伝えそびれていた感謝の気持ちを伝えることにした。少し気恥ずかしいが、あの空気よりはマシである。
それには、当の本人の反応が加担しているのかもしれないな。麻希は何を言っているんだ?と言いたげな顔のまま首を傾げているから。
その反応を見て俺は、強張っていた表情が僅かに緩んだ気がした。そして、小さく微笑む。
別に伝わらなくてもいいと思っている。ただ感謝を伝えたかっただけだから。それにあれくらい、麻希からすればなんてことない事だったんだろう。
そんなことに何故か誇らしく感じてしまった。
そして再び沈黙。だがこの沈黙は先程のに比べれば、まだ心地がいい。
しかし、麻希だけはこの沈黙に耐えられなかったのだろう。先程まで興味なさげにしていた俺の本を勝手に取り上げ、ペラペラとページをめくっている。
「ねぇ、ひろとは今何を頑張っているの?」
麻希が疑問に思ったのか、本を読みながらそう俺に問うてくる。
「ん?ああその最初の〈身体強化〉ってやつだ。いまいち感覚が掴めなくてな。苦労してる」
それに対して、俺は麻希の持っている本の最初のページを指差し、そう言った。
その返答を受け取って麻希は何やら不思議そうな顔をしている。
「あの男の人に聞けばいいんじゃないの?」
その答えに俺は衝撃を受けた。
そうだよ。俺は今まで一人でやってきた。全て一人で。
でも誰かに聞いてはダメだなんて言われてなかった筈だ。
なのになんで俺は今まで。
「多分、ちっぽけなプライドなんだろうな」
また麻希に教えられるなんてな。ここに来て、自分の悪い部分を見つけられる機会が増えているような気がする。
それからしばらくの間、麻希がページをめくる音だけが、テンポよく部屋に響いていた。
だがその間隔が段々と長くなっていく。そしてその音が無くなった。何事かと思い麻希の方を見ると、すやすやと寝息をたてて眠っていた。胸が呼吸に合わせて規則的に上下している。
「風邪引くぞ」
そう呟き、俺は傍にあった毛布をかけてやる。手に持っていた本を取り、蝋燭の火を消す。苔の淡い光が部屋を包み、俺は麻希を起こさないように静かに部屋を出る。
廊下に出ると、軽く息を吐く。
今日は本当にいい時間になったと思う。これからも、たまにはこんな日があってもいいのかもしれないな。柄にもなくそんな事を考えてしまうほど、今日は楽しかった。
これで明日からも頑張れる。そう思い、俺は一人、自室へと帰っていった。