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第2章------(4) 美しい虜囚



 そんなやりとりがあって、結局、はるかは先ほど歩いてきた洞窟を引き返していた。


ただし、今回はひとりきりではない。老婆の水晶玉に映っていたあの青年――セラが隣にいる。


 セラは束縛から解放されると、速やかに魔王の城から逃げることを提案した。はるかに異論はなかった。幸い、はるかがベリアルの鍵で開けた扉は開いたままだった。その扉を引いて、彼らは暗い洞窟に入った。


「普段はあのドアの向こうは階段しかないんだ。この牢獄は塔の上のほうで、ドアの前にはいつも見張りがいる。そしてあのドアはルキフェルが来る時以外、滅多に開けられることがない」


 セラが洞窟を下りながら、説明した。はるかは暗闇のなかで転ばないよう気をつけながら、質問する。


「食事の時は?」


「ドアの小窓から投げ入れられるだけだから、ドアは開かない」


「でも、毛皮が敷いてあったり……小さくてもテーブルや灯りがあったり、牢屋にしては――そのう、あの部屋、ちゃんとしていたね。

それに清潔だったし」


「まあね。ルキフェルは綺麗好きだから」


 セラは肩をすくめたようだった。はるかはセラの言葉に相槌を打ち、不安そうに前方の暗闇を見つめた。


「ねえ。この道、ずっと下っているんだけど、本当に外に出られるのかな」


「大丈夫だろう。どこに出るかは知らないけど、ベリアルが作った道ならどこかには通じてるはずだ」


「そんな無責任な」


 はるかは呆れて言いかけたが、彼女にしても、先に進むしか方法がないことはわかっている。彼女は言い直した。


「――そうだね。あの部屋には扉はひとつしかなかった。扉を開けて、この道しかなかったんだから、この道を行くしかない」


「その通りだ」


「このまま歩いてったら、大森林の町に戻ることはあるかな」


「それはないだろう」


 とセラ。もしかしたらそうであって欲しいと願う、僅かな希望をあまりにきっぱり否定されて、はるかはムッとなった。


「どうしてそんなことがわかるの。あたしは大森林の町からいきなりこの洞窟に飛ばされたんだよ。その反対だって、あるかもしれないじゃない」


 不満気な声が洞窟内に響く。セラは足を止めた。


「不安なのはわかるけどね、お嬢さん。そんなに自分に都合よく物事を考えないほうがいい。ベリアルはあの牢獄から助けてくれたが、それだけだ。僕たちを地獄まで運んでくれるつもりはないよ。あの堕天使はそこまで親切じゃない」


 冷ややかな声だった。その声の冷たさに内心、怯みながら、はるかは声のしたほうを睨んだ。


「……なんで、わかるのよ」


「長いつきあいだから」


「長いってどれくらい?」


「たくさん」


 セラは真面目にとりあう気はないらしく、歩きはじめる。はるかは慌てて、追う。


「待ってよ。まだ話は」


「君とくだらない話をしている暇はない。それよりこの後のことを心配したほうがいい。洞窟を出たら、きっと魔王の追手がいる。僕たちはそれらを何とかかわして、地獄に辿りつかなければならない」


 セラの言葉を聞いて、はるかの顔色が変わった。


「追手。そ、そうなの?」


「当たり前だろう」


 セラは顎を引いた。


「たとえ魔王本人は今、不在だとしても、城は無人というわけじゃない。僕が逃げたことはすぐにわかることだ。今頃、魔王の城は大騒ぎなんじゃないかな。魔王が帰還するまでに僕を捕えなければ、今度は魔王の手下たちが魔王に大変な目に遭わされるだろうからね」


「……――」


 はるかは息をのむ。


 言われてみれば、確かにその通りだった。はるかはともかく、セラは魔王の虜囚だったのだ。その囚人が逃げたことがわかれば、魔王の配下たちはセラを追うだろう。彼女は視線をさまよわせた。


「でも、そうだとしても、ベリアルがきっとまた……」


「助けるわけがない」


「なんでよっ」


 はるかの心に、一瞬、この場でセラと別れて、自分ひとりになれば助かるだろうか、という思念が浮かぶ。彼女ひとりなら魔王と何の関係もない。だが、たとえそうだったとしても、この見知らぬ土地からひとりで地獄へたどり着く自信は全くなかったのだが。


「やつに僕たちを助ける義理がないからだ」


 そんなはるかの気持ちを見透かしたように、セラは冷たい目を向けた。


「で、でもっ」


 はるかは食い下がった。


「そんなの、わからないじゃない。さっきベリアルは困ったことがあれば、呼べばいいって言ったじゃない。だったら――」


「わからない人だな」


 厳しい声だった。はるかはハッとなって、背筋を伸ばす。


「いいか。ベリアルは堕天使だ。迂闊に信じていい相手じゃない。それにあいつが僕たちに救いの手を差し伸べるとしたら、それは何らかの代償を求めるからだ。そしてその代償はけして安くない」


「あ、あの……」


「わかったら、洞窟を出る前に武器になりそうなものを探しておくがいい」


 はるかは途方にくれて、呟いた。


「もしかして……あたしも戦う、の?」


「無事に魔界を出たいのなら、そうなるだろうな」


「そう……」


 はるかは、これまで地獄をひとりで旅してきたが、誰かと戦うような場面に出くわしたことは一度もなかった。いや、彼女の生前と死後の全ての人生をあわせても、たった一度も、誰かに殴られたことも、彼女のほうから手をあげたこともない。


 彼女は自分の置かれた状況が信じられず、呆然となった。


「あのね。セラさん」


 彼女は無駄だと知りつつ、言ってみた。


「あたしは女で、日本で、平和な時代に生きてきた。真吾さんたちみたいに生前、戦争を体験したわけでもない。武器の持ち方なんて、知らないよ」


「なら、おとなしく、魔王の部下に捕まるか。僕は御免だ。それに僕の知っている女たちは、皆、戦うすべを心得ていた。女だからというのは、戦えない理由にならない」


 予想通り、厳しい言葉が返ってくる。


 はるかは宙を仰いだ。


 このセラという青年はリアルのいつの時代を生きたのだろう、と思う。


 あの忘却の丘の竜とは話が合った。生きた時代のギャップをあまり感じなかったから、彼女は漠然と竜が戦後の生まれだと思っていた。だが、その恋人であった青年は、なんだかとても、平和であったはずの戦後の世界に生きていた人間にしては物騒なことに慣れているようだった。


(この人はイタリア人だけど、もしかしてイタリアには住んでなかった? あの頃戦争をしてたのは――中東とか……あのへん? わからないけど、そこで戦乱に巻き込まれていたとか?)


 はるかは不確かな知識を思い出しながら、悩む。


 と、その時だった。


(マフィアのボス)


 不意に、竜の言葉がよみがえる。はるかがセラの職業を聞いた時、竜はそのように答えたのだ。その時は、全然、そんなことは信じなかったはるかだったが、ぎくりとなる。


(まさかね)


 彼女はその思いを打ち消した。


「あまり離れるな」


 セラが声をかけてきた。


「ここはベリアルの作った洞窟だ。このまま道が続いているように見えても、突然、終わる。どのタイミングで外に出るかわからない。すぐ対処できるように、僕の近くにいろ」


「――わかった。有難う」


 はるかは頷いた。それから心の中で、ため息をついた。この綺麗な外人は怖いのか優しいのかよくわからない、と。





 セラの言った通りになった。


 彼らはそのまま暗い道を歩き続けていたが、突然、視界が反転した。凄まじい勢いで空中に吹き上げられ、数秒の浮遊感の後、落下する。はるかは悲鳴をあげた。


「きゃああっ」


 眼前に映ったのは、切り立った崖。ものすごい勢いで近づいてくる大地。頬を切り裂くような冷たい空気。恐怖と苦痛で、彼女は我を失った。


「イヤぁぁっ――息が……」


 冷気が咽喉をふさぎ、呼吸が出来ない。セラの手がはるかの腕をつかみ、引き寄せた。はるかはセラに抱かれながら、目を見開いた。


 セラが低い声で呪文らしい言葉を唱えると、彼らの周りを包み込むように球形のものが出来た。落下の速度も弱まった。彼らはふわふわと空中を漂いながら、着地した。


「な、何なの」


 地面に着いた途端、腰を抜かしながら、はるかが喘ぐ。


「あなた――セラさん。霊人……じゃなかったの?」


 アフターワールドの霊人はいくつかの不思議な技を使うことができたが、今のような魔法のようなことは出来ない。セラは肩をすくめた。


「僕は少し、普通の霊人と違ってしまっているからね」


「どういう意味」


「話は後だ。言っただろう。やっぱり迎えが来ていたようだ。僕たちはすっかり魔王の部下に囲まれているよ」


「えっ、えっ――」


 はるかは慌てて周囲を見渡す。見ると、岩場の影から、光る眼をした獣人たちが現れる。セラはそのあたりに落ちていた枝をはるかに渡した。


「僕がなるべく活路を開くから、お嬢さんはその棒をふりまわしながら、ついてきてくれ。逃げ遅れたら、置いてゆくよ」


 はるかは耳を疑った。



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