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第2章------(2) 美しい虜囚



 はるかは息をのんだ。


「えっと。セラさん」


 確かに彼女は竜に頼まれて、セラを救出するために大森林の町まで来た。


 けれども、彼女の役割はそこまでで、魔界へ来るつもりなど毛頭なかった。だから、ここが魔王ルキフェルの城だと言われても実感できなかったし、そもそも囚われている人を助け出す力が彼女にあるとも思っていない。


 はるかは何をどう説明したら良いものか迷うように、言った。


「……あたしはただの霊人で、何の力もありません。あたし自身、どうしてここにいるのかわからないのよ。気を失って、気が付いて、洞窟を歩いてきたら、この部屋の扉の前に立っていた。鍵があったから、開けてみた。それだけなんだもの」


 セラははるかを見た。驚いた様子も、失望した様子もない。


「それで?」


「だから、そのう」はるかは途方にくれて口ごもる。


「ごめんなさい。期待させちゃったかもしれないけど、あたしには何も出来ないの。あたしじゃ、その鎖を外してあげることもできない」


「魔王の囚人が一人増えたというだけのことか」


 セラは腕を組んだ。手首につけられた鎖が重そうに揺れる。


「でも、お嬢さん。このドアの向こうはいつもは洞窟じゃないんだよ。つまり、君は何かしらの力によって、この部屋へ導かれてきた。ベリアルは近くにいるのか」


「いないと思う……こっちで目覚めてから、ベリアルの波動は全然感じないから」


 はるかは確認するように目を閉じて、開いた。


「信じてもらえないかもしれないけど、ついさっきまで、あたしは地獄の町にいたはずなの。堕天使たちの地の底の国になんて、来るつもりなかった。旅の途中は、何度も小竜ちゃんに助けられた。でも、その小竜ちゃんも大森林の町の前で消えてしまったし――誰かに助言を求めることもできなくて、もう、わけがわからなくて、困ってるのよ」


「待て。その竜――消えたというのはどういう意味だ」


 鞭のような声音だった。


 それまで、多少、苛々しながらも、はるかの話を聞こうとしてくれていた相手が、急変したのを感じ、はるかはビクッとなった。


「あ、あの……」


「答えろ。竜はどうなった。無事なのか、それとも滅びたのか」


「知らない――っ……あっと、うー、違う。死ぬわけじゃないって言ってた。小竜ちゃんは今まで通り、忘却の丘にいる。でも、これから先は、これまでみたいに夢のなかに現れて、あたしと話すことができなくなるって言ったのよ」


「なぜ」


 セラがさらに強い口調で詰問する。


「向こうにいるアオイは精神体のはずだ。なら、忘却の丘という檻に入れられていても、ある程度は自由に霊界を行き来できるはずだ。なのに――」


「あ、葵?」


 日本人らしい名前を聞きとめて、思わずはるかが聞き返す。だが、セラは激しい目で睨みかえしただけだった。


 はるかは恐怖で縮みあがった。自然に、足が後ろに動く。セラはベッドに腰かけたまま、一歩も動いていない。だが、はるかはまるでセラに胸ぐらを掴まれて、ナイフで脅されているような気分になった。


(この人。怖い)


 怒りの波動が伝わってくる。


 そしてその怒りの背後には、底知れない闇があった。


 闇は人々の怨念で出来ていた。セラの美しい体には、無数の、恨みで凝り固まった霊人たちが入り込んでいて、その霊人たちがセラの感じている怒りの炎に油を注いで喜悦している――そのようなイメージが、突然、はるかの脳裏に流れこんできた。


(な――なに……)


 と、驚いたことに、セラの体から飛び出した一人の霊人が、セラの腕を刃物で切り落とした。また別の霊人が、セラの腹を切り裂き、内臓を引きずりだした。そのあまりにも凄惨な様子が、ありありと浮かんでくる。セラが苦悶の叫びをあげる。だが、霊人たちはせせら笑うだけである。はるかは蒼白になって、震えはじめた。


「嫌。あ……ア――」


「しっかりしろ」


 激しく揺さぶられ、はるかは気が付いた。見ると、セラがはるかの肩を掴んでいる。はるかは間近にある美貌に赤面しながら、目に涙をためた。


「僕のあれを見たのか」


 セラが苦々しい口調で聞く。はるかはこくんと頷いた。


「たぶん」


「すまない」


 セラはすぐ謝った。はるかは混乱しながらも、少し意外に思う。彼女のイメージでは、セラはそう簡単に人に謝るタイプのように見えなかったのだ。


 また、はるかはセラと同じイタリア人のベアトリーチェやその兄を知っている。彼らが、日本人とは違って、自分に非があっても、なかなかそれを認めたがらない民族であることを知っていた。


 セラははるかの思考を読んだように、苦笑した。


「それは僕たちへの偏見だ」


「え。あ。いえ……すみません」


 はるかは顔を赤くする。セラは肩をすくめた。


「謝る必要はない。と言うか、日本人はすぐ謝る。それが不思議だ。アオイはあまりそういうところはなかったけど、いや、あれは日本以外で暮らした期間が長かったからなんだろうな。性格もあるだろうけど、あとのほうではすっかり僕たちのやり方に馴染んでいた」


「あの、葵って、まさか」


「僕を助けようとして竜の姿にされてしまった僕の恋人だ」


 セラが寂しげに微笑む。はるかの胸が鈍く痛んだ。


 そうなのだった。


 この短い時間の会話だけでもわかる。


 目の前の青年の心は、今もなお生前、パートナーであり、恋人であった相手のもとにある。竜が囚われた恋人を想って泣き暮らしていたのと同じように、セラのほうも竜の姿に変えられてしまった恋人の身を案じ続けているのだろう。


 竜は今さら自分がセラを愛することなどできないと言ったようなことを言ったが、実際、彼らの関係に、誰かが入り込む余地などないように感じられる。


(霊界に来ると、仲の良さそうな夫婦であっても、本当は嫌いあっていたりして、別れてしまうことが多いのに、この人たちは……)


 はるかは感嘆したように思った。


(葵ちゃん。小竜ちゃん――どんな人だったんだろう)


 この美しい異国の青年にここまで想われている女性。


 外国人と恋に落ちる日本人女性は数多くいるだろうが、わずか十歳でアフターワールドに来てしまったはるかには、その人生は眩しすぎた。


(いいな。そんな恋をしたんだね。小竜ちゃん)


 はるかは、心のなかの寂しさを押し殺すようにした。


(そうだよね。占いのお婆さんはあんなこと言ったけど、これは、絶対、あたしの運命の相手なんてものじゃないわ。期待してバカみたい。あたしは騙されたんだ)


 投げやりに思って、嘆息する。


 出会って、数分で失恋を味わう。その〈運命の恋〉という言葉に大きな希望を抱いていただけに、落胆は大きい。


 だが、そんな事情は知らないセラは誤解したようだった。かれは、はるかから少し離れて、両手を広げて見せた。


「警戒しないで欲しい。僕に敵意はない。わかるね? いきなり肩を抱いたのは悪かった。それに君に期待しているわけでもないから、僕を助けられないことを重荷に感じなくていい。何しろ、相手はルキフェルなんだ。君にどうこう出来る相手じゃない」


「……ハイ」


 少し遅れて、はるかが答える。


「君は多分、霊力が鋭い人なんだろうな。だから、僕の隠していた本質が見えてしまったのだろう。さっき君が見たものは、真実だよ」


 恐ろしい内容を、セラはさらりと告げた。


「真実?」まだ落胆していたけれども、今はそれどころではないと思いなおして、はるかは顔をあげた。


「生前、僕は酷い人間だった。僕についてどのくらい聞いているかわからないけど、他人に対して、僕は常に冷酷無情だった。だから、アフターワールドに来て、報いを受けている。でも、それは君とは関係のない話だ。君がここに来た経緯をもっと詳しく聞かせてくれないか。その、君に頼み事をした竜――アオイのことも含めて、聞かせて欲しい」


 セラははるかに座るよう、促した。





 はるかはこれまでの経緯をセラに語った。


 セラは少女の話を聞き終わると、真剣な表情で考え込んでいる様子だった。はるかも口を開かなかった。この後、彼女自身、どのようにすれば良いのかわからなかったけれども、とりあえず、セラの結論を待つことにする。


(どうしよう。あたし、こんなところまで来て――)


 例によって、ここが魔界であるという実感はない。


 だが、小さな窓から見える青黒い空は見覚えがあった。そして見慣れない形状の尖塔。


 老婆の水晶玉に映っていた光景と同じだった。はるかは尖塔の頂部にある巨大なドラゴンの石像に目をやった。


「あれはアオイの肉体だったものだよ」


 突然、声をかけられて、はるかは振り向いた。セラは静かな声で続けた。


「ルキフェルの怒りに触れて、あの姿にされたんだ。それで悪魔の竜として、堕天使たちに仕えることを強要されたが、アオイは断った。アオイは精神と肉体を分離させられて、肉体をあの塔に、精神を忘却の丘に閉じ込められた。そうしてルキフェルは僕への嫌がらせで、あの竜の石像が見える場所に僕を幽閉しなおした」


「……」


 何と言って良いかわからず、はるかが開きかけた口を閉ざす。セラは首を横に振った。


「慰めの言葉はいらない。アオイをあんな姿にしてしまったのは、僕の自業自得だ」


「…………」


「それで、僕の結論だけどね、お嬢さん」


「あ。ハイ。何でしょう」


「やっぱり君は、君ひとりの力でここに来たわけじゃないと思うよ。地獄の大森林の町というところで堕天使ベリアルと出会ったんだったね? そこで意識を失った。だったら簡単だ。君はベリアルの力で僕のところまで連れてこられたんだよ」


 セラの言葉にはるかは目を丸くする。


「ベリアル。久しぶりだな。いい加減、隠れてないで、出てきたらどうだ」


 セラは叩きつけるように言った。



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