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第1章------(2) 地の底の国へ



 はるかは、頬づえをつきながら、ぼうっとしていた。


 大地が黒い。空も黒い。普段、美しい中間霊界の山間の景色を見慣れているはるかの目には、目の前に広がる荒涼とした大地が別世界のように感じられる。


 この数日間に――アフターワールドは永遠の世界だから、地上界のような厳密な時の流れというものは存在しないのだが――起こった出来事を思い返すと、夢のようだったと思う。全てが慌ただしく、目まぐるしかった。


 永遠であるがゆえに、アフターワールドでは変化が少ない。その百年分、二百年分の変化がこの数日間で一気に押し寄せてきた感じだった。


(まさか地獄に来ることになるなんて。しかも、あたしが天使の僕……)


 まず、そのことに驚いた。


 彼女は真吾が自分を天使の僕に推薦していたことなど一切、知らなかったし、その推薦を受けて、天使たちがはるかを審査していたことも知らなかった。


 そして何より驚いたのが、天使の宮殿に呼び出されて、慌てて駆けつけた時、彼女のためのサプライズ・パーティが用意されていたことだった。





「誕生日おめでとう!」


 天使の宮殿のその扉を開けると、一斉に声がした。


 はるかは、呆気にとられた。


 霊人たちが次々にクラッカーを鳴らし、色とりどりのシャワーのような曲線が視界いっぱいに広がる。壮麗な謁見の間に不似合いな、”お誕生日おめでとう”の大きな文字。はるかは「え」と呟き、もう一度、「え」と言った。


「これ、かぶって」


 ベアトリーチェが、ピンクのキラキラした三角帽子をはるかの頭にのせる。自分自身も派手な三角帽子をかぶり、はるかの手を引っ張って、人々の真ん中に進んでゆく。


 人々は、わっと喝采した。彼らは口々にはるかに祝いの言葉を伝え、それから自分たちのサプライズ・パーティが成功したことを喜びあっている。はるかは状況が理解できず、困惑した。


「ちょっと――待って、ベアトリーチェ。これって、いったい」


「あなたの誕生パーティなのよ。皆に挨拶しなくちゃ」


「パーティって――それは見ればわかるけど、そのためにここに来たんじゃ……て言うか、挨拶って……心の準備が」


「そんなもの、いらない。思ったことを言えばいいのよ」


「だって、ここ――」


 霊界で誕生日を祝う習慣はあまりない。だが、比較的、死後から日の浅い若い霊人の場合はすることがある。


 死後、百年以上が経つはるかは、他の多くの霊人と同じように、誕生日を祝われることなどほとんどなかった。去年もその前の年も、ここ五十年くらいは真吾からプレゼントを渡される程度だったのだ。


 それが今年は大大的なサプライズ・パーティである。


 しかも、その会場は神聖で厳粛な、天使の宮殿なのだ。


(嘘でしょ。あり得ない。信じられない)


 彼女は自分の頬をつねってみたり、叩いてみたが、それは現実だった。


 人々の輪の中心には巨大なバースデーケーキが聳えていて、数えきれないほどのローソクが刺さっている。


(百五十八本……)


 はるかは、愕然となった。


 と同時に、三段重ねのケーキを設置する様子や、会場に手作り感満載の飾り付けをする人々の様子が脳裏にひらめく。飾り付けは、どうやらこの場にいる霊人たちがやったようだった。その時の人々の意識の波動がこの場になんとなく残っている。勿論、その指揮をとっているのは、真吾だった。


「はるか、おめでとう!」


 英傑の盛装をした真吾が嬉しそうに手を叩いている。その隣にはベアトリーチェの兄のマルコ、それから真吾の親友の佐吉の姿もある。横田四丁目の住人たちもたくさんいた。はるかが通っていた学校の友達たちも。


 そして霊人たちに混ざって、天使たちの姿があった。天使たちは皆、美しく、凛々しい。その彼らが祭典用のきらびやかな衣装を身に着けている。その中にひときわ目立つ美貌の天使がいることに、はるかは気が付いた。


(大天使ラファエル様)


 彼女は息をのんだ。


 ラファエルの美貌は有名だ。その白銀の炎のように燃える美しい髪の色も。


 その天使がゆったり手を打ち鳴らしながら、微笑みを浮かべて、本日の主役――つまり、はるかを眺めている。その視線をうっかり受け止めてしまって、はるかは真っ赤になった。


 彼女は直接、ラファエルと会ったのはこれが初めてだったが、「なるほど」と納得した。


 天使に性別はない。


 だが、この天使は男性型の天使だった。見つめられると、心を手でつかまれたような衝撃が走る。


 もっとも、彼女はこの大天使の性格が尊大で冷徹であることも知っていたので、天使の外見だけ見て、それ以上、心をときめかせることはなかった。


 しかも、この天使は真吾の大先輩の菊音が長年、思いを寄せていることで内輪で有名な相手である。下手に恋心など抱いたら、後でどうなるかわかったものではないという自己防衛本能もはたらいた。


 彼女は冷静さを取り戻そうとするように、深呼吸した。


(真吾さんの話だと、ラファエル様はそれは厳しい方のはず。その方がこの場所で誕生パーティなんて許すわけない。もしかして、これはただのパーティじゃなくて、何か、例えば、あたしが本当に、天使の僕にふさわしい人格か試すための試験のような……?)


 用心深く考える。


 すると、はるかの心を読んだように、ラファエルが口を開いた。


「気にするな。これはただのサプライズ・パーティだ。英傑たってのお望みでな」


 美しい顔に諦めのような苦笑いを浮かべ、真吾に目をやる。


 真吾は家ではのんびりしたただの霊人だったが、このアフターワールドの二十六代目の英傑である。英傑は四大天使を従え、霊人たちを善へ導くための先導者たる存在であり、その権力は絶大だった。おそらく、その特権を使ったのだろう。


「……本当に……?」


「本当だ」


 それでは、このパーティは本物の誕生日のサプライズ・パーティなのだ。


 はるかは、自分を喜ばせようとして一生懸命な育ての親を呆れた思いで見た。真吾は嬉しそうに叫んだ。


「はるか、頑張れっ!」


 その声を聞くと、はるかの心に温かいものが溢れてくる。


 思えば、こうやって、彼女はいつも真吾の愛情に育まれてきた。真吾は、実の母親に捨てられ、霊界で頼る者のなかったはるかを引きとってくれた。仕事が忙しいのであまり家にいることはなかったが、出来る限り、目にかけてくれる。はるかにとって真吾は尊敬する父親であり、頼れる兄であり、最良の友人であった。


(真吾さんったら、あたしより嬉しそうだ)


 誕生日を祝われる側より、祝う側のほうが興奮しているというのもおかしな話だった。だが、真吾は顔を真っ赤にして、感じやすい目元をうるませている。


 彼女はひと呼吸すると、この場に集まってくれた人々に礼の言葉を伝えはじめた。





 そのパーティは、百五十八年の彼女の人生のなかで最も盛り上がった誕生日パーティのひとつだったろう。だから、そのパーティが終わった後、英傑の私室に呼び出されて告げられた言葉のほうが印象が薄くなってしまうくらいだった。


「井上はるか。お前を天使の僕として用いたい」


 パーティの、やや酒臭い息の残る真吾が、こほんと咳払いして言った。真吾が振り返ると、大天使ラファエルが進みでた。


「英傑の推薦だ。我らに異存はない。お前はこの推薦を受けるか、否か」


 はるかは緊張した面持ちで、真吾と大天使を見つめた。


 天使とは、このアフターワールドを創生した創造主に使える者たちだ。天使は人々を善に導き、霊界を正しい秩序のもとに管理し、地獄にいる堕天使たちからの攻撃から霊人たちを守る使命を持っている。そして、天使の僕は天使たちに仕える僕のことで、これは一部の霊人たちから選ばれる。


「……」


 はるかは息をのんだ。


 彼女はずっと天使の僕になりたいと思っていたが、その思いを言葉に出したことはなかった。なぜなら、自分がそれにふさわしい人格である自信がなかったし、その動機を人に知られたら恥ずかしいと思い込んでいたからである。


 真吾は英傑になる前、天使の僕だった。


 はるかは真吾に近づきたくて、真吾のような温かい、優しい気持ちを持った霊人になりたくて、真吾と同じ天使の僕になりたいと思っていた。それは尊敬する親を喜ばせ、少しでも認めてもらいたいという気持ちにも似ていた。


「お前は心根が素直で、とても良い子だ。おいらはお前の長所をもっと伸ばしてやりたい。最終的にお前がどんな仕事を選ぼうが、お前の好きにさせるつもりだけど、そのための経験として天使の僕の仕事をしてごらん。霊界のこと、地上界のことがもっとよく見えるようになるから」


 真吾がやさしく言った。はるかは真吾の愛情を感じて、泣きそうになる。


「真吾さん……あたしなんかで、なれるのかな」


「大丈夫だ。おいらだって出来たんだ」


「いつも私に迷惑ばかりかけていたがな」


 ラファエルが言う。真吾は屈託なく笑った。


「そう言うな。確かにそうだったかもしれないけど、お前だって結構、楽しんでたくせに」


「私が貴方を僕にしたのは、光の君の御言葉をたまわったからだ。あれがなかったら誰が天使の僕になど――」


 ラファエルがぶつぶつ言う。真吾は肩をすくめて、はるかに向き直った。


「受けてくれるか? おいらはお前なら出来ると思ったんだけど」


「は――はい。受けます」


 はるかは言った。





 それが三日前。


 その後は慌ただしかった。天使の僕になったはるかは早速、仲間たちに紹介され、上司に挨拶し、その日から泊まり込みで初期研修を受けることになった。二日間、みっちり講義を受けた後、三日目から実地の訓練に入った。


 その訓練で、はるかに与えられた初仕事は、地獄のとある町にいる役人に書類を届けることだった。そうして、彼女は生まれてはじめて地獄の地を踏むことになったのだった。



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