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第1章------(12) 地の底の国へ



 だが、はるかは早くも途方にくれていた。


(ここはどこ?)


 地獄は広大だ。


 真っ黒い空の下に荒涼とした大地がどこまでも続いている。それは記憶にある地獄と同じだ。けれども、今、降り立ったこの場所は、先日、はるかが見た地獄とはどうも違った様相を呈していた。


 大地の所々に深い亀裂が入っている。今にも崩れそうな低い岩山が連なり、遠くのほうは砂漠のようになっている。


 先日、来た時はもう少し、なだらかな大地だったはずだった。黒黒とした、草木の一本も生えていない寂寞とした土地ではあったけれども、身を寄せ合うようにしてある集落がいくつもあった。


 だが、それらが全く見えない。


 この前、来た時は、地獄の門から続く道を半日ほどかけて歩いてきた。案内役の役人によると、その道は地獄中に張り巡らされている交易路のようなもので、地獄の表面のどの場所にいても、その道だけはあると教えられた。


 だからはるかは、まず道を見つけ、そこからこの前の町に行き、そしてさらに下層の霊界に行くためのガイドブックを手に入れるつもりだった。彼女は、そうしたガイドブックがあの賑やかな市場で売られているのをたまたま目にしていた。


(でも、これじゃあ……)


 彼女は弱気に思った。肝心の、その交易路がないのだ。


 はるかは目を凝らして、上空から、あたりを見回した。丸い地平線が、視界いっぱいに見える。だが、どこにも道らしい直線はなかった。


「どうしよう」


 彼女は不安な声をあげた。


「桜川の里町」


 はるかはタロウの首に手をあてて、先日の地獄の町の名前を告げた。


 だが、天馬のタロウはその町を知らなかった。はるかは続けて、町の外観のイメージを波動にのせて送ったが、タロウは「わからない」と言ったように、首を振る。


 タロウは真吾を乗せて何度も地獄へ来たことがあったが、桜川の里町に立ち寄ったことはないのだろう。いくら賢い天馬であっても、一度も訪れたことのない町へ行きつくことは出来ない。


「そっか。知らないか」


 はるかは考えるように前方を見据えた。


 彼女の背中のリュックサックには、天使の宮殿の図書館の本からこっそり写しとってきた地図が入っている。地図には交易路といくつかの町名が書かれていたが、その地図を広げたところで、ここがどこであるのかわかるはずはなかった。


「仕方がない。それじゃ、どこでもいいから、お前が知ってる、ここから一番近くにある町へ連れていってちょうだい」


 はるかが言うと、今度はタロウはちょっと嬉しそうに嘶いた。仕事を任されたのが、嬉しいらしい。だが、いくら賢いと言っても、天馬は天馬である。いったいどこへ連れてゆかれるのかという不安がよぎるが、このまま、あてどころもなく荒野をさまよい続けるよりはマシだろう。


 何しろ、四日のうちに堕天使ベリアルを探し出さなければならないのだ。


 それはいかにも無謀なことに思われた。だが、彼女は成し遂げるつもりだった。





 タロウは翼を力強くはばたかせ、空を駆け抜ける。


 速度はぐんぐん増した。地上から一定の高さを保ちつつ、風のように疾駆する。地獄の景色がめまぐるしく流れてゆく。はるかはタロウの首にしがみつきながら、躍動するタロウの筋肉を感じていた。


「タ、タロウちゃん……っ」


 天馬の背中はけっこう揺れるので、バランスをとるのが難しい。彼女は何度も落馬しそうになりながら、それでも何とか、耐え続けていた。


(ああ。景色が変わる)


 必死に馬にしがみつき、空を飛びながら、彼女はぼんやり思った。


 一見、どこまで行っても同じような荒れた大地が続いているが、地獄にも僅かながらに変化がある。


 先ほどの大地に刻み付けられたような深い亀裂はもうどこにもなかった。平らな、ゴツゴツした岩地が続き、上空から見ると、その色が少しずつ、変化していることがわかった。同じ黒っぽい岩でも、少しだけ茶色がかったもの、黄色がかったものがある。


 地獄の空気は相変わらずねっとりして、重い。


 だが、その重さにも、いくつかの種類があることがわかった。猛スピードで空を駆け抜けてゆくと、地表を歩いているだけではわからない微細な変化を感じることができる。


 はるかは次第に息苦しくなってきているのを感じた。そろそろ、ドロップを舐めたほうがいいかもしれない、と思って、手綱を引く。


「タロウ、少しだけ止まって。苦しくなってきた……」


 はるかが言うと、タロウは前足をひっかくようにあげて、急停止した。激しく揺さぶられて、はるかは馬の背から放り出される。


「きゃああっ」


 もっとも、上空から落ちたものの、怪我はなかった。地面に叩きつけられたと思ったが、霊人であるはるかの体は肉体的なダメージは受けない。すぐにタロウが空から降りてきて、申し訳なさそうに鼻面を寄せてきた。


「い、いいのよ。でも今度からは気をつけてね」


 はるかは立ち上がり、リュックサックを開いた。そしてドロップを取り出して、口に入れる。彼女はタロウを見た。本来、天使の乗り物である天馬も、この地獄の空気は体に悪いという。彼女は少し考えて、ドロップをひとつ布の上に乗せると、それを短剣の先で砕きはじめた。その砕いた粉をタロウに舐めさせる。


「大丈夫? お前も苦しくない?」


 ドロップを舐めると、驚くほど清々しい気分になる。体中から力が漲ってきて、息苦しさが消えてゆく。はるかは自分でも知らないうちに、地獄の毒気に相当、体がまいっていたのだと気づかされた。


 その後、彼らは再び先を急いだ。


 今度は空を飛ばず、大地を直接、駆けさせた。その頃になると、大地はほとんど平らになっていたし、タロウが足をとられるような亀裂もない。また、上空を飛ぶより、地表を駆け抜けたほうが、大気に含まれる毒気の濃度が薄いような気がしたのだ。


 そうやって、どのくらい走った頃だったろう。


 突然、はるかは前方に道を発見した。交易路だった。





「え……」


 はるかは驚いた。道は前触れなく現れた。一瞬前まで、視界に道らしいものなど一切なかった。それがある地点を通り過ぎた途端、もうずっと長い間、そこにあったというように古びた道が現れたのだ。


「タロウ、ちょっと待って。止まって」


 彼女は手綱を引いた。


「あそこ。道しるべがある」


 古い板を打ち付けただけの、簡素なものだった。手書きの文字のインクは風雨にさらされ消えかけていたが、どうにか読むことができた。


「えーと。右に進むと岩々の町、左に行くと岩の町。どういうこと?」


 岩々の町も岩の町も同じであるように感じられる。だが、別の町であるようだった。勿論、事前にはるかが調べてきた本に、これらの町名は書いてなかった。


「タロウ、お前はどっちの町に行くつもりだった?」


 尋ねると、タロウは前足で右側の道を蹴るようにした。はるかは「なるほど」と呟き、タロウの背中にまたがった。


「じゃ、岩々の町に行ってみよう。町の入り口が見えたら、お前はもう中間霊界に帰っていいわよ。あまり長い間、地獄にいると天馬

は弱ってしまうというからね。悪いけど、あと少しだけ頑張って」


 励ますように首を叩き、駆けさせる。


 それからまもなく後、彼らはようやく町へ行き着くことが出来たのだった。





    ◇





 タロウと別れたはるかは、ひとりで町の中へ入って行った。


 タロウと別れることは心細かったが、大切な天馬をいつまでも地獄にいさせるわけにはゆかなかった。また、はるかは馬笛を持っている。これも真吾の持ち物から失敬してきたものだが、この馬笛を地獄の地表で吹けば、タロウは必ずはるかを迎えに来てくれるはずだった。


 彼女は胸の奥から息を吐きだすと、目の前に現れた町に目をやった。


 岩々の町。


 その名の通り、大きな岩がいくつもある。面白いのは、その全ての岩がくり抜かれて、建物のように使われていることだった。岩のあちこちに窓のような穴が開いている。穴からは灯りが漏れて、人の気配が感じられる。


 町の中心部の繁華街のような通りに出ると、一気に人通りが増えた。これまでずっと寂寞とした大地しか見ていなかったはるかは、その賑わいにほっとした。


(良かった。これで何とかなりそう。まずは――今夜の宿を探そう。道を探すのは明日からだわ)


 堕天使ベリアルが訪れるという町は、地獄のなかでも下層の霊界だ。だから、これからいくつもの霊界を下って行かなければならない。


 実を言えば、その道筋は無数にある。


 だが、そのどれもが正しく、どれもが間違っている。たとえ正しい道だとしても、いつも同じ道を通って、同じ場所へ行き着けるとは限らないのだ。


(ご飯を食べて……情報収集かな。でも、地獄のご飯は不味いって聞いてるし、この前の時に食べたのも、とても美味しいとは言えないものだった)


 彼女は少し考えて、先に宿泊先を探すことにした。


「すみません。この辺に安くてきれいな宿はありませんか」


 はるかは道端で小物を売っている、人の好さそうな中年の女に声をかけた。女は驚いたように顔をあげた。


「あらあら、まあ。こんな可愛い子がひとりでどうしたんだい。親とはぐれたのかい」


 女には、はるかは十歳の外見のままに見えるらしい。はるかはムッとしかけたが、気を取り直して、笑顔になった。


「はい。親と見物に来ていたんですが、どうもはぐれちゃって。おばさん、宿屋を知ってますか」


 彼女はなるべく幼そうな口調で言った。



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