第1章------(1) 地の底の国へ
はるかは、百五十八歳になった。
と言っても、地上界で実際に百五十八歳まで生きたというわけではない。彼女の人生は、彼女が十歳の時に唐突に終わりを告げた。だから、彼女の百五十八年の人生のほとんどは霊界――アフターワールドと呼ばれる死後の世界においてのものだった。
アフターワールド。
死後の世界。
人は、肉体を持った地上界での暮らしより、死後の世界での暮らしのほうがはるかに長くなる。むしろ、霊界での人生のほうが、人生のメインになる。なぜなら、アフターワールドにおいて、霊人たちは永遠に生きるのだから。
アフターワールドでは二百歳、三百歳、あるいは一千歳などという霊人たちが無数にいる。百五十八歳程度の霊人など彼らのなかでは全く若いほうであり、まだまだ半人前として扱われることが多い。
そして、それがはるかには不満だった。
「そりゃ、千年、二千年近く生きた姉さんたちに比べれば、あたしなんて生まれたての子供みたいなものだろうけど」
おかっぱの、年の頃は十歳程度でしかない少女。
黒い髪と黒い瞳が印象的だ。
あどけなさが残るふっくらとした頬に、可愛らしい唇。あんず型の大きな目は彼女の気の強さをあらわすように強い光を発していたが、その性格はおっとりしている。多分、それは彼女の育ての親の影響なのだろうが、いつも朗らかで楽観的だ。
そんな彼女には悩みがあった。
ごく若いうちから霊界に来た彼女は、既に多くのことを学び、経験を積んでいた。だが、彼女の本質が見えない若い霊人――地上界で七十年、八十年の人生を全うして最近、霊界にやってきたばかりの新参の霊人たちには、彼女は本物の少女にしか見えない。だから、
「おや。お嬢ちゃん。ひとりで出歩いてたら危ないよ? 家まで送ってあげよう」
とか、
「迷子かい。親はどこにいるんだい」
などと、しょっちゅう声をかけてくる。
それが煩わしくて、腹立たしくて、はるかはもう少し、自分の外見を大人びて見えるよう変えようとしてみたが、出来なかった。そのことを話すと、彼女の養い親である桜田真吾は笑った。
「そりゃ、無理だよ。おいらたち霊人の外見は無意識に決まってゆくんだから。こんな姿になりたいと念じたところで、ダメさ。本人が地上界での人生で一番、充実していた頃、楽しかった頃――そんな時の姿形になるようになってるんだから」
「……十歳の頃、あたしはそれほど幸せじゃなかったよ」
はるかは頬を膨らませた。真吾は穏やかに言葉を返した。
「でも、幸せだったんだ。お前の無意識がその姿を選んだということは。その頃、お前はお母さんとお父さんと一緒に暮らしていただろう?」
確かに当時は、親子三人で暮らしていた。
たとえ両親の仲は悪くても、母親が娘をいとわしく思っていたとしても、表面上は、幸せそうな家族であったはずだった。その頃が懐かしくないと言えば、嘘になる。
「そうかもしれないけど、単純に、あたしが地上界で十歳までしか生きられなかったからというのもあるんじゃないの? 十歳で死んだあたしが十七歳の姿になることは不可能だということでしょ」
はるかが不満そうに言うと、真吾は「うーん」と唸った。
「そう……決めつけることはできないけど、まあ、大抵は自分が地上界で生きてきた年齢のどれかになることが多いなあ」
「ほら!」
「別に、いいじゃないか、外見が十歳でも。そんなことはお前の本質に何の関係もない」
「わかってるけど、この姿だと、誤解されることが多いのよ。真吾さんだってわかるでしょ。昔、出会った頃の真吾さんはあたしより少し年上なだけの子供に見えた。その頃、よく人から軽く見られたりしたでしょう?」
「そうだったかなあ。おいら、あまりそういうことは気にしなかったから」
真吾は頭をかいた。
「なあ、はるか。でも、ベアトリーチェだって、霊界では十歳頃のままだぞ。あいつがそのせいで誰かに軽く見られたなんて、聞いたことがない」
ベアトリーチェは、はるかの親友のイタリア人である。
確かに、ベアトリーチェの外見ははるかと同じごく若い少女のものだった。
だが、明るい茶色の巻き毛と黒い大きな目を持つ、絵に描いたような美少女であるベアトリーチェにはある種の風格がある。また、時折見せる、幼い外見に似合わない、何もかもを見透かすような老熟した物腰も板についている。それで誰も彼女を年齢相応の霊人だと思わず、一歩、ひくような態度になる。
「あの子はあたしとは別よ! 可愛い顔してるけど、本当は怖い怖いお婆さんなのよ。確か、七十一歳まで生きたんだから。ねえ、真吾さん。英傑の力でなんとか、はるかの見た目をもう少しでいいから、大人びて見えるように変えてもらえないかなあ」
「無理だよ。それは」
真吾はにこにこしながら答えた。
そんな会話があったが、ともあれ、はるかは百五十八歳になった。彼女は手鏡で自分の顔をつくづく眺めて、ため息をついた。
もしかしたら、今日の誕生日を迎えたら、何かの奇跡が起きて、少しだけでも、外見が変わっているのではないかと淡い期待を込めていたのだが、それもなかった。
(不思議だらけのアフターワールドのくせに……肝心なところで、使えない)
がっかりしながら、彼女は町を歩いていた。
アフターワールドには無数の霊界がかさなりあって存在していたが、彼女の暮らす霊界は横田四丁目と言った。この霊界は、英傑になる前の真吾が作ったものだと言われている。それで彼女は霊界で行き場がなくなって真吾に引き取られてからの百四十八年間、この霊界の真吾の家で暮らしている。
家の前にさしかかった時だった。
ピンクのフリルのついたワンピースを着た少女の姿が見えた。少女は戸口のところに所在なげに座っていたが、はるかに気が付くと、手を振った。
「はるかちゃん! 大変よ。良い知らせがあるの! 真吾が呼んでるわ」
「ど、どうしたの」
ベアトリーチェの言葉を聞いて、はるかの胸が高鳴りはじめる。
「真吾さんがあたしを……?」
もしかして、外見年齢をあげたいという切なる願いが叶えられるかもしれない、という期待がむくむくと甦る。しかし、ベアトリーチェが言ったのは、別のことだった。
「今すぐ、天使のお邸に来てだって。あなた、天使の僕にとりたてられるわよ!」
天使の宮殿。
そこは中間霊界に作られた天使たちの住処のひとつで、白大理石と金を基調にした壮麗な空間となっている。はるかはこの霊界に来たのは初めてだった。英傑である真吾がこの宮殿に居室を与えられていることは知っていたが、普通の中間霊人が気軽に足を踏み入られる場所ではない。
彼女は宮殿の美しさに、ぽかんと口を開けた。
「はるかちゃん、早く。こっちよ」
ベアトリーチェがせかすように引っ張る。はるかはベアトリーチェを見た。
「で、でも。本当にここに入っていいの? 前に真吾さんに、ここには近づいたらいけないと言われたことがあるよ」
「いいのよ。向こうから呼び出してきたんだもの。あなたを天使の僕に推薦したのは真吾よ。そうしたら、四大天使のひとりのラファエル様があなたと会ってみたいと仰ったらしいの。でもラファエル様は忙しすぎて、なかなか時間が作れない。それで、あなたをここに連れてくることになったのよ」
「え……え? 何それ――ラファエル様って、まさかあの?」
今、はじめて耳にすることばかりで、はるかは心臓が止まりそうになる。
真吾がはるかを天使の僕に推薦したことも知らなかったし、ラファエルが自分に会いたいと言っているのも信じられなかった。彼女は慌てた。
「だって、ラファエル様ってすごく怖いかたなんでしょ? それに菊音さんが昔から片思いしている天使で……その天使様に呼び出されたなんてわかったら、あたし、菊音さんに恨まれるかもしれない」
「何、バカなこと言ってんのよ」
ベアトリーチェは呆れたように言った。
「あんなの、ただの天使よ。さっさと来る」
「でも、菊音さんが」
「怒らないから大丈夫。あの人は自分より強い相手は叩きのめそうとするけど、弱い相手にはやさしいから。それにあなたは真吾の養い子。自分の弟分の養い子なら、あの人にとって、あなたは孫みたいなものよ。大丈夫」
ベアトリーチェははるかを引っ張りながら言った。はるかは困惑しながら、しぶしぶ磨き抜かれた回廊を進みはじめる。
菊音は平安時代を生きた霊人で、天使の僕のひとりである。
すらりとした綺麗な容姿をしていたが、きつい性格のせいで、他人から誤解を受けやすい。英傑になる前の真吾はこの菊音の下で働いていた。だから、今でも、真吾は菊音に頭があがらないところがある。
また、菊音の上司にあたるはずのラファエルも、どこか、菊音を苦手に思っている部分があるようだった。
「わたくしは孫を持った覚えなどありませんよ」
いきなり声がして、きれいに化粧をした菊音が空中から現れた。ベアトリーチェは「きゃ」と声をたてて立ち止まり、手をつないでいたはるかも転びそうになる。
「き、菊音さん。今のは、何も――」
ベアトリーチェはしどろもどろになった。菊音は二人の少女を睨みつけるように見て、肩をすくめた。
「いらっしゃい。ここからはわたくしが案内します」
どうやら、二人の会話は丸聞こえのようだったが、菊音はそんなものにかまってはいられないと言うように、頭をそびやかして歩きはじめた。
「こっちよ」
「え。――でも、この先の扉は……」
ベアトリーチェが小首を傾げる。彼女がはるかを連れてくるように言われたのは、真吾の私室だった。そこにラファエルがやって来るからと。
けれども、菊音が案内したひときわ豪奢な扉の向こうは、ベアトリーチェの記憶が確かなら――謁見の間になっているはずだった。
「さあ、お入りなさい」
菊音のたおやかな手が扉を押した。




