大好きよ
初ホラーです。夏のホラー2018企画に参加しています。よろしくお願いします。静かにじわっと怖いをめざしてみました。
大きな湿地が広がり、小高い木々に囲まれた風情ある屋敷に住む伯爵家には一組の仲の良い双子の姉妹がいた。
名を姉はフローラ、妹はロベリアといい、二人は伯爵である父と伯爵夫人である母の愛情を分け隔てなく受け美しく育っていた。
姉妹は本当に瓜二つだったが、見た目には分からない大きく異なる部分があった。
「フローラ、フローラ! 見てこれっ」
屋敷の広い廊下をバタバタと元気よく走り回る音がするとフローラの部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
重たいレースのカーテンが閉じられた薄暗い部屋の中では天蓋付きのベッドの上、大きなクッションを背もたれにしたフローラが分厚い本を読んでいた。
扉が勢いよく開くと本を閉じクッションの下に入れ、扉を開けた主を眩しそうに見つめた。
「なぁに? ロベリアまた珍しい虫でも見つけたの?」
「ちっがーう! 今日は珍しい花を見つけたのよ。ほら、この紫色の花」
「あら本当に。これは何て言う花なのかしら? アジサイのようにいくつものガクがあるけれど、形が違うわね」
「でしょー。初めて見たからフローラと一緒に見たくて持ってきたの」
「ロベリア、ありがとう」
ロベリアは屋敷の外にある湿地や庭を年甲斐もなく毎日のように駆け回っていたが、フローラは生れつき心臓が弱く病弱で部屋に閉じこもる日々を送っていた。
あまり外へ出ないフローラを気づかってか、ロベリアは毎日のように外で見つけた珍しいものや美しいものをフローラに披露していた。
「フローラはまた本を読んでたの? そろそろお父様の書斎にある本は読みきってしまうんじゃない?」
「そう思うでしょ? 実は先日、伯父様が木箱いっぱいに本を下さったの。だからしばらくは飽きないわ」
「ふぅーん」
「ロベリア、それよりも間もなくいらっしゃる時間よ。着替えてきなさい」
「えっ! もうそんな時間? 急ぐわ」
丁度その時廊下からもロベリアを呼ぶ母の声が聞こえた。ロベリアはスカートについた葉っぱを窓からはらりと投げ捨てるとくるりとフローラの方を向いた。
「フローラ、大好きよ!」
「はいはい、急ぎなさい」
毎日のように言っているセリフを言うと満足したのか、ロベリアは慌てて母の声がする方へ走っていった。
今日はロベリアの婚約者であるヴォーガー伯ブレア・ウェバーが屋敷へやって来る日だった。
ロベリアはヴォーガー伯爵の申し出により半年前に婚約を結び、来月には式を執り行う予定である。
18歳になったロベリアには幾つかの縁談が舞い込んできたが、当初は姉であるフローラを気づかい嫁に行くことを渋っていた。しかし、ある日突然ヴォーガー伯爵との婚約を快諾し、なるべく早く式を挙げようと大急ぎで準備をしていた。
ロベリアが立ち去った部屋では一人フローラが先ほど閉じた分厚い本を再び開き、母が呼びに来るまで無心で読みふけっていた。
大きな暖炉に暖かな火がゆらりと踊る部屋でロベリアは父の横に座り、向かい合って座るブレア・ウェバーと緊張した様子で話をしていた。
「いよいよだな、父さんはロベリアのウエディングドレス姿が楽しみだよ」
「今一番流行りの店で作らせていますからいつも以上に美しいことでしょう。ロベリア、僕も楽しみだ」
「いつも以上に美しいだなんて、ブレア様あまりプレッシャーを与えないでください」
三人で談笑していると伯爵夫人がフローラを車椅子に乗せ部屋に入ってきた。
明るいオレンジ色のドレスを着ているロベリアとは対照的に深い紫色のドレスを着ているフローラは白い肌と美しい金髪が際立っていた。今日は体調が良いのか薄いグリーンの瞳は輝き、頬はほんのりと桃色に染まっていた。
「失礼いたします。ブレア様ようこそお越しくださいました」
「これはフローラさん、お邪魔しています。本当にあなた達姉妹はそっくりですね。何も言われずに二人並んで座っていたら見分けがつかないくらいです」
「本当にうちの娘達は仲も良い。これでロベリアがもう少し落ち着いてくれたらもっとそっくりなのにな」
「もうっ、お父様ったら!」
フローラはほほ笑みながらロベリアの横に車椅子を付けた。
ブレアは伯爵とウィスキーを交わしながらご機嫌な様子だ。
「ロベリアは本当にお姉さんであるフローラさんの事が大好きだね。いつもフローラさんの自慢話をしてくれるんですよ」
「あら、そんな事をお話ししてるの? なんだか恥ずかしいわ」
「そうよ。だってフローラは頭が良くていつも私に正しい助言をしてくれるわ。悩んだときはフローラに相談すると何でも解決してしまうもの! それに美人だしねっ」
「やだわロベリア、顔は同じでしょう?」
この日フローラは間もなく妹の夫となる男を交えしばし家族の会話を楽しんだのであった。
「はぁー、緊張した! ブレア様はお父様のような豪快な感じではなくてこう……ミステリアスな感じ? がするからかしら、なかなか慣れないわ」
「ロベリアってば、ブレア様はとても落ち着きがあって利発な方じゃない。早く慣れないと駄目よ」
「そう、落ち着いてるのよね。私とは正反対! お仕事も研究職だし……私、難しいお話に付いていけないわ」
「ふふっ、ブレア様がお仕事の話を家庭に持ち込むタイプだとロベリアは頭が痛いわね」
「もう! フローラ! でもブレア様の難しいお話をフローラはしっかり理解しているんだもの。すごいわ」
ブレアが帰ってからロベリアはフローラを部屋まで送り、二人してベッドに寝転びながらあれこれと話していた。
ふと、ロベリアは父とブレアが話す株や相場等の難しい話にすっと入っていける姉を羨ましく思った。
まぁ、自分が外を駆け回っている間にもフローラは本を読み知識を貯えているのだ。ずるいなどとは口が避けても言えない。自分には静かに机に向かって本を読む集中力が足りていないのはよく分かっているのだ。
「そうね、私の方がブレア様に合っているかもね」
「ん? フローラ何か言った? ちょっと考え事をしてて聞いてなかったわ」
フローラがぽつりと呟いたがロベリアの耳には入らなかった。
そんな妹にフローラは顔を傾けてにこりと笑った。
「夕食は何かしら? って考えてたのよ」
◇◇◇◇◇
ロベリアの部屋の片隅には明日に迫った結婚式で着るウエディングドレスがトルソーに着せられ飾られている。
今まで着たことのない豪華なドレスに本来ならばうっとりするべきなんだろうが、ロベリアはぼうっと心ここにあらずといった様子で朱色に染まった空にゆっくりと雲が流れる様子を眺めていた。
「いよいよ結婚式は明日かぁ……」
先月ブレアが屋敷を訪ねてきた少し後にロベリアは高熱を出し、しばらく部屋で療養していたのでこの一ヶ月はあまりにも早く感じた。
ロベリアの高熱が収まると続いて母が高熱を出し、更に父も寝込んでしまっていた。
先週には皆元気になったが準備が遅れてしまったので今日ギリギリになってようやく最終調整されたドレスが届いたのであった。
ロベリアが呟いたその時、隣の部屋から壁をリズムよく叩く音が聞こえた。
隣にはフローラの部屋がある。具合が悪く寝ていることの多いフローラがロベリアに会いたい時に壁を叩くのは姉妹の合図だった。
「フローラどうしたの? 入るわよ」
ロベリアがフローラの部屋に入るとすでにカーテンは閉められて部屋はランプの明かりで照らされていた。
フローラはベッドの上に起き上がっていてロベリアが入ってくると近付くように手招きした。
「いよいよ明日がロベリアの結婚式だなぁって考えてたのよ」
「本当に? 私もよ。明日から私の帰る家はここじゃなくなるのかと思ったら寂しくなっちゃった。何より大好きなフローラにしばらく会えなくなるもの」
ロベリアがこう言いながらフローラの顔を覗き込むと、フローラの瞳には涙が浮かんでいた。
「どうしたの? フローラ」
「ごめんねロベリア、私も……ロベリアが家を出るのが寂しい。でも、それ以上に私はきっとこの心臓のせいで一生この家を出られないんだろうなと思ったら……それでもっと悲しくなっちゃって。こんな時に自分の事ばかり考えちゃう自分が嫌だわ」
「フローラ……」
フローラには病弱な体のせいで残念ながら縁談の申込はない。心臓のせいで子も産めず外に出ることもできないのだから仕方がないと本人は自身に言い聞かせていたが、半身ともいえる妹がいざ家を出るとなると、どうしても負の感情が芽生えてしまったのだった。
「フローラ、私のせいで悲しい思いをさせちゃってごめんね。でも本音を話してくれて良かった。私ずっとフローラの為に何かできないかしらって考えてたのよ。だからね、」
うつむくフローラに手を伸ばしてゆっくりと話し出したロベリアの左手に突然、鋭い痛みが走り反射的に体を仰け反った。
「!? 痛っ」
何事かと痛む左手を顔の前に近づけて見ると、手のひらに大きな傷とそこから流れる熱くドロリとした血が見えた。
「ずるいわよ……。ロベリアはこの18年間外を駆け回って健康に、楽しく過ごしたわよね? 双子なのに心臓の機能だけ違うなんてあんまりだわ。だから……その体を私にちょうだい」
「フローラ……急にどうしたの!?」
フローラの右手にはナイフが握られており、ナイフの刃先にはロベリアの血がべったりとついていた。
虚ろな瞳をしたフローラは口もとに笑みを浮かべながらベッドに面した出窓のカーテンを開けた。
外は今正に夕日が真っ赤になりながら地平線へ隠れようとしていた。
部屋は窓から入る夕日に照らされ真っ赤に染まった。
「伯父様が下さった本の中に一冊の古い呪いの書があったの。全て読んで理解した上で呪いを試したらロベリアも、お母様もお父様も高熱にうなされたわ。だから私はこの本が本物だって確信したのよ!」
「なんて事……じゃあ先月から続いた高熱はフローラのせいだって言うの!?」
「そうよ。現にいつもなら一番病弱な私も高熱を出してもおかしくなかったのに出していないでしょう? 病気をしない元気なあなたが床についてるんだもの、笑っちゃったわ」
信じたくないがフローラの様子は今までに見たことのないものだった。怪しく笑い、ナイフまで取りだし人を傷つけるだなんて……。ロベリアはこれが脅しではなく本気なのだと悟った。
本気で姉は自分を殺そうとしていると……!
「ロベリア、あなたは私の事を大好きだといつも言っていたけれど私は……そんな無邪気に笑うあなたが憎かったのよ!! さぁ、しっかり見ていてね!!」
フローラは笑みを浮かべながらロベリアの血がついたナイフを両手に持ち高く上に挙げると、銀色のナイフには真っ赤な夕日が反射した。
そのままフローラはナイフを自身の左胸めがけて真っ直ぐに降り下ろした!
「フローラ、だめっ!!」
◇◇◇◇◇
ロベリアは痛む手を大きく広げてフローラを止めようと身を乗り出した所で、ぷつんと意識を失ってしまっていた。
どれくらい経ったのだろうか? 再び目を開けると窓の外には星空が広がっていた。
なんだか全体的に体が重い気がする。
足もむくんでとってもだるく感じる。
しかしフローラはどうなったのかとあわてて仰向けに倒れていた体を起こすと目の前が大きく揺れたようなめまいを感じて目をぎゅっとつぶった。
「どう? 私の体、使いにくいでしょ?」
何事かと薄暗い部屋で目を凝らすとベッドから離れた絨毯の上にフローラが立っていた。
なんだ、ナイフを胸に突き刺そうとしたのは勘違いだったのか。良かった! そう思ったとき確かつい先程まで左手に感じていた痛みが全くないことに気がついた。
不思議に思って左手を見ると大きな傷も、真っ赤な血も無くなっていた。代わりにベッタリと血がついたナイフが握られていた。
「ひっ!」
慌ててナイフを床に放り投げるとフローラが近づいてきた。そして、左手をロベリアの顔の前につき出した。
ロベリアは何が起こったのかわからずぽかんとその手を見つめた。
フローラの左手には先程自分にあったのと同じ大きな傷と、固まった赤黒い血の塊があったのだ。
「フローラ……その手……」
「さっきナイフでロベリアにつけた傷よ。分かる?」
分かるわけがない。
何でさっきまで自分の手にあった傷が双子の姉の手にあるのだろうか?
するとフローラはけらけらと甲高い声で笑い出した。
「教えてあげる! 私とあなたの体を交換したのよ! 今は私がロベリア、あなたはフローラになったのよ!」
「な、何を言ってるのフローラ!?」
ロベリアが体を起こすと再びめまいがして体に力が入らなかった。
「駄目よフローラ、あなたは心臓が弱くて血の巡りが良くないんだから急に動くとめまいがするでしょ? 体も重くてむくみで痛いでしょ? あぁ、それに比べてロベリアの体は何て軽いのかしら!」
「な、何を……?」
目の前で自身の事をロベリアだと言っているフローラは部屋の中でくるくると回りスカートをなびかせた。
体が弱いフローラがそんなことできるはずがなかった。
そして自分の体の重さ、だるさ、このめまい……うそ、そんなことできるはずがない! どうして? そればかり考えていた。
「どうして? って思ってるわよね」
「そうよ、信じられないわ嘘でしょう?」
「……本当よ。呪いの書に書かれていた通りにしたのよ。体を交換したい相手の血液がついたナイフを真っ赤な夕日のもと、相手の目の前で心臓に強く突き刺すと体が交換できるって」
「……うそ……」
「心臓に突き刺すんだから一歩間違えば死んでたわ。それでも、そんな危険を犯してでも私はロベリアの体が欲しかった! 健康な体を手に入れて、素敵な男性と結婚をする幸せな人生を歩みたかった!! 見て、成功したわ? 二人とも死んでない! やったわ。これから私はロベリアとして生きいくのよ! フローラ、残りの人生そのポンコツな体で頑張ってね」
ロベリアはけらけらと笑いながら呪いの書を暖炉に放り込むとランプの火をつけ燃やしはじめた。
本はあっという間に真っ赤な炎に包まれ、黒い煙をはきながらどんどんと小さくなっていった。
「そろそろ夕食かしら? フローラはお母様が車椅子で迎えに来るまで大人しく横になっていてね。それじゃあね!」
呪いの書が燃え尽き炎が消えたのを見届けるとロベリアは満面の笑みでウインクをし、スキップしながら部屋を出ていった。
「そんな……」
フローラはぽつりと呟くとそのままベッドに倒れ込んだ。
◇◇◇◇◇
翌日、ロベリアの結婚式は厳かに執り行われた。
前日から体調を崩してしまったフローラは欠席していたがロベリアは終始満足そうに笑顔で幸せそうだった。
「今日は一段と美しいよロベリア。それにしてもフローラさんが欠席で残念だったね」
「体か弱いから仕方ないわ。でも、ドレスは昨日見せたから問題はありませんわ」
「ふぅん、いつもはフローラさんの心配ばかりしているのに今日はやけにあっさりしているね。なんだかいつもと雰囲気も違って見えるよ」
「私はもうブレア様に嫁いだ身ですもの。姉離れしなくちゃと思って。それに一生に一度の結婚式ですもの! くよくよしたくはないんです」
ロベリアはブレアと強く腕を組むと肩に頭を寄せて甘えてみせた。
そんな仲良くする二人の様子を出席者は笑顔で祝福したのだった。
「ブレア様、新婚旅行は明日からでしたわよね?」
「そうだよ。ロベリアの行きたがっていた綺麗な海のコテージで10日間過ごそう」
「きゃー、楽しみ! お仕事をそんなに休んで大丈夫でしたか?」
「ああ大丈夫だよ。ほら、ロベリアが新婚旅行から帰ってきたら研究を手伝ってくれるって約束だったしね」
「はい、頑張ってお手伝いしますね!」
翌日から10日間、ロベリアは新婚旅行を全力で楽しんだ。真っ白な海岸を日傘もささずに散歩したり、時おりブレアから離れて全力で走ったりもした。初めて食べる料理にも積極的に口をつけまるで子供のようにはしゃいでいた。
ブレアはそんなロベリアを後ろからにこにこと見守っていた。
「はぁ……10日間はあっという間だったわ」
「ロベリア、君は随分と楽しんでいたね」
「ええ! だってやること全てが楽しいんです」
「それはよかった。思い残すことなく楽しめたかな?」
「はい。こんな素敵なところに連れてきてくれてありがとう。……ふぅ、さっきのワインのせいかしら? もう眠いわ」
「ゆっくりおやすみ。これが最後の夜だ」
ロベリアはまぶたを閉じると、まるで深い深い海の底へゆっくりと沈んでいくような感覚で眠りに着いた。
◇◇◇◇◇
一体ロベリアはどれくらい寝ただろうか?
意識を取り戻したのはまぶしい朝日を感じたからではない、小鳥のさえずりを耳にしたからでもなかった。
ゆっくりと深い眠りの海から浮上したロベリアは嗅ぎなれない薬品の臭いで目を覚ました。
「ん……?」
ゆっくりと重たいまぶたを開けると寝るときに見た真っ白な天井ではなかった。
ふかふかのベッドに寝ていたはずなのに何故か背中が痛い。起き上がって確認しようとしたが意識あるのに金縛りにあったように体が動かなかった。
「おはようロベリア、薬が体に合っていたようだね。よく眠っていたね」
「ブレア様……? ここは? くすり……?」
「どうしたんだい、寝ぼけてるの? 今日は約束の日だよ。ほら、右隣を見てごらん」
かろうじて顔だけをゆっくりと右に動かすと、隣には鏡が……いや、同じように硬い台の上に寝かせられたフローラの姿があった。フローラにはいくつもの管がつけられていて完全に眠らされているようだ。
一体なぜ!? どうして!? と、ロベリアはブレアに問い詰めたかったが薬のせいか口が痺れてうまくしゃべれない。
「ど……して」
「本当にまだ寝ぼけてるのかい? ロベリア、君が言い出したんじゃないか。自分の体を使ってくれって」
「から……だ」
「僕が君に結婚を申し込んだとき、初めはフローラさんを一人にさせたくないと拒否したろう? でも僕の研究内容を話したらぜひ自分を使って研究を実践してくれって言い出したんじゃないか。それが結婚条件だと。家畜で何度も試したけれど、僕も実際に人間で試してみたかったからね。ロベリアには感謝しかないよ! 大丈夫、必ず成功させる自身はあるよ」
ロベリアの頭の上でカチャカチャと金属音をたてながらブレアは機嫌良く饒舌に喋ると、ロベリアの腕に注射針を射しゆっくりと薬を注入しはじめた。
「さぁ、心臓移植をはじめよう」
「───っ!??」
「大丈夫、君が言っていたとおり暫くしたら君は落馬で死んだ事にするから。おてんばな君が落馬したなんて誰も疑わない、うまい死亡理由だね」
助けて!
私はフローラよ!!
逃げなければ! 拒否しなければ!! そう思ったがすでに体は自由がきかない。
ブレアが注射器の薬を全て注入し終えるとロベリアは二度と浮上できない深海に落ちた。
◇◇◇◇◇
「傷はしっかり塞がっていますし、経過も問題ありませんね」
「いやぁ、手術からもう半年か。あっという間だなぁ! フローラも前より明るくなったし何よりだ」
「そうですねお父様、私も体が軽くて嬉しいです」
ある日の午後、ブレアは屋敷を訪れフローラの胸に聴診器を当て診察をしていた。
「今月の検診はおしまいです。そろそろ外に出て体力をつけてくださいねフローラさん」
「はい、さっそく湿地を散歩します」
「ブレア君、結婚式が終わってからロベリアは顔を出さないが元気でやってるかい?」
「ええ、とても元気です。今日は近所の奥様方と一緒に茶会だと言っていました。忙しいようで顔を出せずに申し訳ありません」
「いや、それもロベリアの大切な仕事だ。よろしく伝えておいてくれ。それと、移植の件でドナーのご家族にお礼を伝えたいんだがやっぱりだめかい?」
「すいません、以前にも言いましたがドナーの個人情報はお伝えできない決まりなんですよ」
「そうか、それは残念だ」
ブレアは診察道具を革の鞄にしまうと次の診察があるからと帰ってしまった。
「良かったなフローラ、心臓移植がうまくいって。ブレア君は優秀だな!」
「ええ、本当に」
「そうだ、兄さんから手紙が来てたんだ」
「え? 伯父様から?」
「あぁ、近くまたフローラに本を贈ると書いてあったが前回は若い女性向けの小説を送ったが次は何か希望があるか教えてほしいそうだ」
「そうですか、ではお返事を書きますから後程お父様にお渡ししますね」
フローラはさっそく自分の部屋に戻って手紙を書いてくると小走りに出ていった。2階に上がると湿地が見渡せる大きな窓のある自分の部屋に入るなり本の山を見渡した。
部屋の隅には伯父からもらった若い女性向けの恋愛小説が山になっている。どれもキラキラとした恋愛が描かれていて世の女性の理想はこうなのかとある意味勉強になった。
本にくるりと体を背けると今度は壁にかけた姿鏡の前で立ち止まり胸元をあけた。
鏡に写るフローラの胸には痛々しい手術の大きな傷跡が残っていた。
すでに痛みはない傷跡にそっと指を這わせると、傷跡の部分はひんやりとしていた。フローラはそのまま上から下に傷跡をゆっくりとなぞった。
「……バカなフローラ。あんなことをしなければ健康な心臓が手に入ったのにね。フローラも私の事を大好きでいてくれていると信じてたのに……まさか私の事を憎んでいたなんて。念のために試しただけだったのに、悲しかったわ」
フローラが伯父からもらったのは女性向けの恋愛小説ばかりだったはずなのに、どこで怪しい呪いの書が紛れ込んだのかは……呪いの書はすでに灰になっておりもう誰にも分からない。
呪いの書を紛れ込ませた張本人にしか。
フローラとなったロベリアは胸元を閉じると鏡に写る姿をうっとりと見つめ、にこりと笑いかけた。
「大好きよ、フローラ。やっと一緒になれたわね。これからずうっと……永遠に私たちは一緒よ」




