曇り夜空に花火咲く
曇り夜空に花火咲く
――イタズラものを捕まえた。
最近、そんな話がこの小さな田舎町で飛び交っていた。
それまでは、どこの誰がどんな被害にあったとか、そんなイタズラ被害の話ばかり。
そしていつの間にか、自分の知らないところで捕獲されていた。
イタズラだって可愛いもので、人の仕業なら許してやる程度だ。
人間って恐ろしい生き物だとつくづく思う。
まあ、僕も人間だけど。
そんなこんなで、町を賑わせていたイタズラものは捕まって、そのあとどうなったのかは知らない。
☆
片手に食料品が詰め込まれたビニール袋、もう片手には百円ショップで買った小さいビニール傘をさし、僕は滅多に人が通らない裏道を歩いていた。
山を切り拓いた場所にある大学。そこに通う僕が暮らしているのも、山際にある6畳1間家賃2万円のボロアパート。スーパーまで片道20分。
一人暮らしを始めた当初は料理も毎日して、それなりに上達しつつ家事と学業の両立を思い描いていたのだけど、現実はそう上手くいかない。ビニール袋の中身は、カップラーメンを始めとするインスタント食品、冷凍食品、あとは菓子ばかり。台所は綺麗なまま、ゴミだけがたまる毎日だった。
アパート周辺は、民家もなく畑や空き地が広がる。特に用もある人間がいるわけでもないこの場所は、雨の日なら人の気配は微塵もない。
本来なら、講義もなく雨も降るような日は部屋の中に閉じこもっているのだが、今朝、あまりの空腹で冷蔵庫を開けた結果が今に至る。
つまり、空っぽだったのだ。
そういや明日レポート提出じゃね?
そんなことをぼんやり思いながら歩いていれば、視界の片隅に大きな影が入り込んだ。
始めはゴミだと思った。けど、よくよく見て気付いた。
なんでこんなところに?
誰かを呼ぼうとあたりを見回しても、ここは人通りのないことで有名な通り。当たり前だが、人っ子一人いない。
見なかったことにして、帰ろうか……。
強く鼓動を打つ心臓を早くどうにかしたくて。目の前のそれから目をそらしたとき、何故か母親の顔が脳裏をよぎった。
こんなの見なかったことにした方が、後々面倒なことにならないぞ、自分。大丈夫! 今は誰もいないじゃないか!……だけど。
その場で十分くらい考え込んでいた僕は、渋々、それを連れて帰ることにした。
☆
「はらがへったぞ! しょーた!」
「はいはい。あと、僕はしょうたじゃなくて 颯太だよ、銀太」
「ん! しょーた!」
僕はやれやれと肩をすくめながら立ち上がった。
あの雨の日、僕は子供を拾った。男の子だ。まだ十歳にはなってないだろう。
目を覚ましたら直ぐに警察に連れていく予定だった。それ以上は僕の精神的負担が大き過ぎて、飯もろくに喉を通らなくなる。僕が餓死する前にどうにかしたかったのだけど、少年は警戒してトイレにとじこもって出てこなくなってしまった。
よほど警察に行きたくないらしい――。
さすがにトイレで籠城されてしまっては、白旗をあげるしかない。だけどどんなに言葉を尽くしても少年は出てきてくれなかった。僕は考え抜いた末、またスーパーに出向いた。出かけているあいだにいなくなってないかなとか淡い期待を抱いたんだけど、そんなことはなく、少年は籠城を続けていた。
僕は久々に包丁を握り、フライパンを使って野菜炒めを作った。
「お腹すいただろ? 出てこいよ、飯にしよう」
そういえば、固く閉ざされたトイレの扉がゆっくりと開いた。
空腹は種族、年齢、性別なんか関係なく辛いものだ。ましてや空腹を誘う料理の匂いがあればなおさら。それを利用した僕の大勝利!……と言いたいところだけど、僕の胃袋ももう限界だった。少年の目の前で腹が鳴れば、二人して笑った。
飯を食いながらわかったことは、少年の名前と行儀が悪いこと、それと変な言葉使いをすることだけだった。
「お母さん心配するだろ? これ食ったら送ってやるから帰ろうな」
そう言えば少年、銀太は大粒の涙を流し声をあげてないてしまった。
そして銀太は一向にこの部屋を出ようとはせず、数日が経った。
「しょーた!めしまだぁー?」
ダンダンと小さな机を叩く銀太。
「今すぐ作るから大人しく待ってろ」
と言っても大人しく待つはずもなく。今度は足をバタバタし始めた。ボロアパートで音は筒抜け。幸い一階に住んでいること、そしてここに住むもう一人の住人、同じ大学に通う女の子は、彼氏の家に住み着いているらしく、現在このアパートで暮らしているのは僕一人っきりだった。
あのあと、インスタント食品、冷凍食品を銀太に与えたのだが、銀太は匂いをかぐだけで食べようとしなかった。それからだ。腹が減るとしきりに、
「しょーたのめし!」
と騒ぐ。そのせいで、僕は食事を始めとする家事を久々にやり始めるはめになった。
☆
「ごっちゃ」
ごちそうさま、という意味らしい。箸もろくに使わず、手や口を使って食べていた銀太だが、辛抱強く教えたかいあってか、今じゃスプーンくらいは使えるようになった。
「獣みたいな食い方するなよ。ほら、ちゃんと座って食べる。おいおい、よく噛め。誰もとったりしないぞ」
立って腰を曲げ、皿に顔を突っ込む銀太を見てつかず注意した。でも、銀太は皿から顔を上げると汚れた顔で嬉しそうに笑った。
「しょーた、おいら、しょーたのめしくえる! おれ、はらいっぱいでうれしい」
「……銀太には日本語も教えないとダメなのか」
わざとらしくうなだれれば、背中に重みがかかった。
「しょーた、ぼくのこと、すてるのか?」
耳元で寂しげに言う銀太。本当はすぐにでもここを出て行ってほしい。早くもとの平穏な生活に戻りたい。けど……。
銀太の顔を見て爽太は頭を抱えた。
「銀太、せめて一人称くらい定めようよ……」
「いちにんしょー?」
首を傾げる銀太にそれが何なのか説明すれば、一つ深く頷いてにかっと笑った。
「それならボクって言うよ」
そっかと上の空で返事をすれば、銀太はさらに言葉を続けた。
「しょーたも『ぼく』だからね」
僕は、ぐっと喉が閉まる感覚を覚えた。
「……はあ。これだから、子供は」
熱くなる顔を見られないよう、僕は両腕で顔を隠しながら呟いた。
☆
「ただいまー」
大学の講義を受け、帰ってきた僕は自分の言った言葉に思わず口角を上げた。
一週間前までは、このドアを開けた瞬間、「ただいま」なんて言うとは夢にも思わなかった。
「しょーた、おかえりー」
言葉遣いも随分マシになった銀太が、何かを持って走って玄関まで駆け寄ってきた。
何を持っているのか、その手にある物を見て僕はとっさに手を伸ばした。
だけど、銀太の反射神経には勝てず、取り上げることはできなかった。
「銀太! おまっ、それ、どうして」
動揺を隠せない僕が面白かったのか、銀太はにかっと笑うと持っている物を両手で高く上げた。
やめてくれ、と心の中で叫ぶ僕は目眩を起こしそうな気がして、思わず目頭を押さえた。
「しょーた、おっぱい! すっぽんぽん!」
銀太が持っているそれは、僕の持つエロ本だった。
見つからないように、巧妙に隠していたのに――。おのれ、銀太め。
「銀太、お前にはまだ早い――」
「しょーたは、ヒトじゃあないんだ! じゅーじんなんでしょ? そうなんでしょ?」
太陽の光が反射する水面のような瞳をまっすぐ向ける銀太に対し、僕はただ首を傾げることしかできなかった。
ジュージン? 人じゃない?
銀太の言っていることが一つも理解できない。それを察したのか、銀太が頬を膨らませた。
「こーいうことだよ!」
そう言った瞬間、僕は自分の目を疑った。
「……銀太、それ」
「それって耳に決まってるじゃん」
いやいやいや。耳って顔の横にあるものだろ?
何度か目をしばたかせると恐る恐る銀太の頭に手を伸ばした。
頭の上にある、真っ白な耳。くるんっと動くそれは、確かに本物だ。手のひらをくすぐるような毛の感覚は、まさしく犬や猫と同じ。
どういうことだ?
目の前が白黒回転しそうな勢いで、脳が大パニックを起こしている。
「ぼく、白いけど、きつねなんだよ。……母さんはきいろだったけど」
そう言って今度は、綿あめのように白く、風にそよぐ草のようにしなやかな尻尾が現れた。
ジュージンって……獣人か!
やっと理解したところで何か解決するわけでもなく。僕の両手は、行き場もなくさまよったあと、銀太の尻尾を撫でていた。
「ぼくはまだこどもだから、ちゃんときつねにはなれないけど――」
「銀太」
銀太はいきなり言葉を遮られ、不思議そうに僕を見上げてきた。興奮して言葉をまくし立てているのが手に取るようにわかる。けど――。
「銀太、あのな。……言いにくいけど、僕は獣人じゃない」
途端、息を呑む音が聞こえた。
「僕は……残念だけど、人間だ」
そう言った瞬間、僕は思いっきり尻餅をついていた。
後ろから吹く風に、はっと振り返れば玄関の扉は開けられていて、部屋の中に冷たく乾いた風を吹き込んでいた。
馬鹿か、僕は。
奥歯を噛み締めながら、さっき見た銀太の表情が脳裏に焼き付いて離れない。
耳や尻尾と同じくらい血の気が落ちた顔に、大きく丸い瞳には絶望の色がありありと現れていた。
その晩、銀太は帰ってこなかった。
☆
翌朝、目の下にできた隈を気にする余裕もなく、僕は朝一で大学にある図書館に駆けこんだ。獣人について調べるためだ。
でも、どこをどう調べても「フィクション」の単語がついて回る。カウンターで雑誌を読んでいた司書にも聞いたが、訝しげな眼で見られただけで結局これといった情報は得られなかった。
「狐と言えば、最近有害な狐を捕獲したって話でもちきりだったじゃない」
残念ながら、新聞もテレビもなく、ましてやご近所付き合いとは縁のない僕は、その話を詳しく知らない。
その狐がどうなったのか、聞くと
「駆除したって話だけど」
と、当たり前のようにその女性司書は言った。
お礼もそこそこに、速足で館内を突っ切って外に出ればすぐに駆け出した。
あのバカ。
走りながら、悪態をつく。
狭い部屋だったから、銀太とは一枚の布団で一緒に寝ていたのだが、ときどき夜中に声を殺して泣いているのに気づいていた。「……母さん」っともらす言葉にどんな事情があるのかあえて聞かなかったが、今すべてがわかってしまった。
いたずらものの狐は、銀太だったのだ。それを捕獲しようと来た人間から息子を守るため、母親が囮になったに違いない。
父親は知らない。多分もういないのだろう。じゃなきゃ、銀太一人、雨の中道端で倒れるはずもない。
文字通り、独りぼっちになった銀太。
遊び半分だったんだろういたずらで、人間に家族を奪われ、生きる術も知らず、母親の敵である人間の僕に拾われてしまった銀太。
「……大馬鹿者だよ、僕は」
そんなことも知らず、真正面から銀太の言葉を否定した僕。銀太のいなくなった晩、厄介事から解放されたと言い聞かせて眠ろうとした僕。
みっともなくて、涙が出てきた。
でも、泣いている暇なんかない。
早くしないと銀太はまた行き倒れるだろう。それにもし、誰かに獣人だとばれてしまったら――。
「銀太あー!」
なりふり構ってられない。道を歩く人に白い目で見られても、僕は叫んだ。
「銀太あー! 返事しろぉ!」
☆
それから三日が経った。その日の晩も僕は懐中電灯を片手に、山際の道沿いで銀太を探した。
星の見えない夜だった。ここは星が見える田舎町。空を見上げれば、厚い雲が覆っていた。
雨が降ったらっと考えてやめた。悪い方向に考えるなと自分に言い聞かせ、土手に続く道を走った。懐中電灯の明かりだけが頼りだった。
そんなときだ。ぼうっと淡い蛍のような光が視界の片隅に入り込んできたのは。
どことなく、銀太の毛色に似たその光の方向を目指して、腰まで伸びた草むらに足を踏み入れれば、斜面だったらしく、随分下まで滑って転んだ。
土手の管理くらいちゃんとしろよ、と立ち上がろうとしたときだった。
目を丸くする銀太と鉢合わせたのは。
慌てて逃げようとする銀太を、どうにかして留めたくて、僕は尻尾を思いっきり掴んでしまった。
ぎゃんっと悲痛な鳴き声が夜空に響く。
「ごめんっ」
ぱっと手を離せば、銀太も落ち着いたのかもう逃げようとはしなかった。
お互い、何か話したいのにどう言葉を紡げばいいのかわからず、沈黙が辺りを包んだ。
「あ、そうだ。これ」
そう言って僕はリュックサックの中から、おにぎりを二つ取り出すと、銀太に差し出した。
「飛び出してから、何も食ってないだろ?」
そう言えば、銀太は暗闇でもわかるほど、みるみる目に涙を溜め、飛びついてきた。
「そうたぁ」
あ、やっと僕の名前を言えるようになった、と思いながらポンポンっと白い耳の生える頭に手を乗せた。
「本当はそうたが悪いニンゲンじゃないことくらい、とっくにわかっていたんだ」
おにぎりを食べたあと、しゃっくりを上げながら、銀太は言う。
「でも、そうたがニンゲンだってぼくの前でそう言ったら、急にこわくなって」
「うん。わかってる」
全部言わなくても、わかってる。
僕は、銀太の頬を軽くつねった。そうしたら、銀太はその手を取り、じっと眺め始めた。どうしたのかと思いきや
「爪が割れてる」
と指摘された。
そりゃ、いきなり慣れない家事をし始めたからな。伸び放題だった爪も、いきなり忙しなく働き始めた手について行けなくなって割れてもしょうがない。
帰ったら整えるかな、と頬をかきながら思っていると
「ぼくのしっぽ、使っていいよ」
と銀太が言ってきた。意味がわからず首を傾げれば、銀太が尻尾を振った。見れば、毛並がやすりのように固くなっている。
「本当は、変化できればいいんだけど……」
まだ、できないし、とうなだれる銀太の尻尾に爪を立てると、猫が爪とぎをするように動かした。
ふふっと笑い声が聞こえた。
「意外とくすぐったい」
「そうか。……それはいいことを聞いた」
銀太が逃げる前に、僕はこしょこしょっと尻尾をくすぐった。
大きな笑い声が、曇天の空に響き渡った。
「そう言えば、あの光は何だったんだ?」
銀太に聞くと、銀太は首を傾げた。
土手の上で見た光の事を話すと、今度は「やったー」と嬉しそうに声を上げた。
まるっきり話が見えてこない。
「ぼくも、狐火ができるようになったのかも!」
そう言って銀太は手の平を見せると、その一点を見つめた。しかし、いくら経っても何の変化もない。
「おかしいな」
んーっと悩む銀太をみて、くすりと笑うと、僕は立ち上がった。
「帰ろう、銀太」
一瞬、きょとんとした銀太だったが、徐々に理解したのか、表情が綻んでいった。
「うん! 帰ろう、そうた!」
満面の笑みで飛び上がった途端、銀太の全身から眩い光がほとばしり、一瞬のうちに空へ昇って行った。
「あっ」
ふたり一緒に声を上げたとき。
空に上がった光は、白い花を夜空に咲かせた。
「……きれい」
自分から発した光なのに、どこか他人事のように呟く銀太。
「……花火みたいだな」
そうぽつりと呟けば、銀太が食いついてきた。
「祭りがあるとき、連れて行ってあげるよ」
嬉しくてはしゃぎまわる銀太と一緒に、僕らはあのボロアパートに向かっていた。
狐火が出せるようになった銀太は、
「れんしゅうしないと」
と力んでいたが、力の制御が難しいみたいだし、部屋の中で練習されたらアパートが崩壊するかも、と思って思わず苦笑をもらした。
「そーた」
機嫌がいい銀太はそう言って、僕の手を掴んだ。
小さなその手は人間のものと変わらない。ただ、銀太の行末には、数多の困難が待ち受けている。それは紛れもない事実だ。そんなとき、せめて力になってあげられればと思う。
最初の頃は、後悔ばかりだったけど、今はそうでもない。
早く一緒に花火が見れたらいいのにな、と曇り夜空を見上げて僕は思った。
完
ツイッターの「獣人小説書くった―」より「ショタな妖狐で爪とぎする話」というお題をいただきました。
書いててとても楽しかったです。
あまりもふもふ感がないので、獣人……?って感じですけど。
とにもかくにも、楽しんでいただけたなら幸いです。