小説は「中学生でも分かる文章」で書く必要があるのか? 読みやすさと語彙力
私は小説を書く際には、「できるだけ読みやすい文章」を心掛けています。何がともあれ、状況が分からない、言葉が分からないでは、話に入り込めないからです。
創作活動をする人の中で、しばしば「分かりやすい文章、読みやすい文章とは何か」という議論が挙げられます。そして、一つの基準として挙げられるのが「中学生でも分かる文章」というものです。
しかし、これを挙げると反発する人が多く見られます。
そもそも「中学生でも分かる文章」が「読みやすい文章」になるのか、「読みやすい文章」とはどういうものかについて考えてみます。
【「中学生」の読解力基準があいまい】
「中学生でも分かる文章」に対して反発が起こる理由について、「中学生でも理解力や語彙力に差が大きく出る」ということと、「想定読者が話によって大きく異なる」ということが挙げられます。
中学生でも簡単な計算ができなかったり簡単な文章が理解できない人がいる一方で、大学入試レベルの問題を簡単に解いたりする人もいます。仮に中央値や平均値の話をしているのだとしても、それが一体どんなレベルなのか議論するのもめんどくさいでしょう。
また、小さい子供向けの話もあれば難しい単語をたくさん使った難解な話もあります。
つまり、人によって理解力に差は必ず発生するし、誰に読んでもらいたいのか、誰に話したいのかによってどういう文章を書くのが良いかの最適解が変わってくるわけです。一律に「中学生が理解できる話を」と言われても、個人差がある以上不毛な言い争いに発展するだけです。
【「読みやすさ」の話題が出るのは「読みにくい文章が多い」から】
では何故このような話題がしばしば挙げられるのかというと、「ネット小説に読みにくい文章が多いから」です。ネット小説では想定読者が中高生あたりになることが多く、「中学生でも分かる文章」という基準はある意味妥当であると言えます。
ネット小説は文章を書きなれている人もいない人もごちゃまぜになっており、書きなれていない人の文章はだいたい読みにくいです。単なる知識不足、単に書きなれていないといった理由も挙げられますが、大きな理由の一つとして、「読んだ小説の表現をそのまま使っている」というのがあるのではないかと思います。
日本語には様々な言葉があり、本来はその場面場面で適切な言葉や表現を用いるのがセオリーでしょう。しかし、小説を読んで自分も書いてみたいと思って書いている人は、印象に残った言葉や表現をとにかく自分の小説で使おうとします。
その結果、その場面やその小説ではあまりふさわしくない言葉や表現を使いがちになってしまいます。
また、想定読者を設定していないため、「誰に向けて書いている」のかが分かりにくくなりがちになります。そのため、簡単な表現と難しい表現が混ざっているなどの統一感の無さが感じられます。こういったところに、読みづらさの原因があるのではないかと思います。
【「中学生でも分かる文章」という基準が提唱されている理由】
「中学生でも分かる文章」というのは、語彙や表現の基準が「中学生で習う範囲」であれば、その文章は誰にとっても理解できるととらえられるからだと考えられます。もちろん小学生も読むことがありますし、前述の通り中学生や大人でも理解できない人もいます。ただ、実際に小説を読む人の人数から考えれば、幅広い人が理解できるのではないか、というのは容易に想像できます。
何度も言うようですが、想定読者の年齢を高く取れば、分かりやす過ぎる文章は物足りなく感じます。だからこそそういった反発が起こると思われますが、多くの人に理解できるような文章を書く能力はとても大切です。それらを理解した上で、誰に読んでもらいたいかを考えながら様々な表現、単語を使うのが、小説を書く上では大切なのではないでしょうか。
【「読みやすさ」とは「適切な語句選び」】
「語彙力」という言葉の意味を考えた時、知っている言葉の量だと考える人は多いのではないでしょうか。しかし、実際は違うと思います。
単に言葉や表現を知っているだけでなく、その言葉や表現をどういう場面で使うのが適切なのかという判断が必要になってきます。その判断をするためにも、文章を書くためには多くの文章、とりわけ今書いているジャンル、想定読者と同様の文章を読む必要があります。
そうやってインプットし、適切な言葉、表現を使える人こそ、語彙力が高い人と言え、読みやすい文章、分かりやすい文章が書ける人と言えるのではないでしょうか。
多くの人に支持されている文章は、それだけ分かりやすく、適切な言葉や表現が使われているのです。




