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***

「父ちゃん」


「何だ」


「ジャンボ、好き?」


「ああ、好きだ」


「何で」


「何でだろうなあ」


視線を正面からそらさず、父親は言った。


「子供の頃だ。航空機のパイロットになるのだと言い続けていた」


「父ちゃんが?」


「ああ。絶対なると信じていた。父親が、かつて操縦士を目指していたと聞いたから、その影響もあったのだろうな」


「父ちゃんの父親って……」


自分にとっては祖父にあたる人だ。父親が学生の頃に鬼籍に入っている。双葉からするととうの昔に死んだ人だ。人となりはもちろん、名前ぐらいしかわからない。


「それ……戦争中の話だよね」


「そうなるな」


「もし、操縦士になってたら、死んでたかも?」


「……多分な」


「そしたら父ちゃんも俺も、ここに立ってないんだね」


「ああ……」


小首を傾げ、慎一郎はつぶやいた、「そうなるな」。


「人生は小さな偶然の積み重ねだ。意図しない選択がまったく違う未来を生むこともある」


「それとジャンボとどういう関係があるの」


「父さんがお前の歳より少し上だった頃だ、747が日本に就航した。高輪の家から羽田は近かったから、しょっちゅう空港へ行っていた。あの頃は天空橋が空港への終着駅で、今の国際空港がある辺りに建物があった。成田が開港する前だ、羽田が文字通り日本の表玄関で、今以上に外国からの航空機が到着してた」


「ジャンボだらけ?」


「そうだ、ジャンボだらけ」


「慎一郎少年は、僕もパイロットになるんだあ、って夢を育んでいたわけだね」


賢しげに腕を組んで言う息子の口調に、苦笑しながら「こいつ」と頭を小突いた。


「もっとも、初めて見た時は不格好な奴だなと思ったがな」


頭頂が膨らんだ機体を指差した。


「ユーモラスな顔といえば聞こえはいいが、正面から見ると。新幹線か怪獣の頭のようだろう」


「何となくね」


「そして大きい。滑走路を走る時はもたもた、飛ぶ時も重い腰を上げてよっこいせと離陸する、よくも落ちないものだと感心した。が、人間、見慣れてしまうんだな。不格好だと見えたものが、気にならなくなる。次にはそこに美を感じるようになった。何事も様になり、旋回する姿は優雅に見えた。自分が、操縦したいと思ったんだ」


「ちっさいきっかけだなあ」


正面の滑走路の端から端まで目を走らせ、双葉は言う。直後に言い過ぎたかな、と思った


「そうか?」


答える父の声は普段通りだ。


特に激することもなく、さりとて陰鬱でもなく。深い声で包み込むように話す。


双葉は父と話すのが好きだ、どんな話題でも飽きるまで付き合ってくれるからだ。世間を騒がせたニュースから、今日のご飯のおかずについてや学校で起きたこと、弟とケンカしたことや、果ては今はまっているゲームまで。際限がない。全て受け止めてくれるから止まれない。


そして、わかった風で双葉は思う。子供の夢は他愛ないものだ、と。


自分はまだまだ子供なのに。


けど、他愛無いから純粋で、ひたむきにもなれる。


まだ強烈な夢も将来の展望も持てない自分だけど、もし何に替えても惜しくないほど大切なものがあったとしたら、簡単に手放せるのか? 


双葉の眼前にひとりの少女の姿が浮かぶ。


小さいころからずっと見てきた、いつも一緒だった。


愛の一文字を名に持つ従妹。


あきらめるなんて、できない。


自分には無理。


だから、双葉は聞いた。「父ちゃん、なんでパイロットにならなかったの」


「なれなかったからだ」


「どうして」


「父が命じたからだ、後を継いで教師になれと。父は白鳳の教授だった、死期を前にした人との約束は絶対だ、反古にはできなかった」


初めて聞く、父と祖父との挿話だ。


双葉は父を見上げる。慎一郎は変わらず視線を前に向けたままだった。


「もちろん、パイロットも大学の教授も誰もが就ける職業ではない。非常に狭き門だ。他のどんな職業であろうが、誰しも願えば夢が叶う保障は一切ない。最近になって気づいたんだよ、父の願いを叶える為に夢を諦めたと言い訳してきた自分にね。その気になればあるいは……と自分を甘やかしていた。本心から望んだ進路なら道は自ずと開けていただろう、手立てはいくらでもあったのだから。けれど何もしなかった。挑戦することもせず、自分の夢から逃げたのだよ」


北国といえど、冷え込む日が続いた東京とさほど変わらない陽気のこの日。見上げた空には、灰色の雲が低く垂れ込めていた。




名残惜しい時はあっという間に去る。


一時間未満の里帰りは終わった。


747は函館空港を後にする。


復路は往路のS機長から引き継ぎ、Y機長が職務についていた。


両名とも、常より長めの蘊蓄と含蓄に富んだ機内放送を行った。その中でY機長は伝える、往路は追い風に乗り時速1000km出ていた速度も、逆方向になると向かい風となり、現在は時速800kmで飛行していると。


その差200km。


慎一郎は思う、自分は、今、復路を飛ぶジャンボジェットのようだと。


日本に就航して30有余年。就航終了は日本国内だけの話で、海外のエアラインではまだまだ現役で世界の空を飛び回っている。

が、決定事項は覆らない。自らが占めていたポジションを次の世代へ明け渡さなければならない。


翻って自分はといえば。


大学在学中も、留学中も、帰国して研究室に席を与えられても、どこか他人事で過ごしていた過去。深く人と交わることをせず、どこか斜に構えて世間を渡っていたつもりだったが、背中に吹き下ろす風に逆らわず飛び続けていただけだった。


今は家庭を持ち、家族も増えた。人の輪も拡がった。仕事も端から見ると順調で、それなりの地位に就き責務を果たす日々だ。

けれどいつかはブレーキがかかる日がくる。


折り返し地点を過ぎると、それまで追い風だった風向きは一転逆風になる。


恩師が、上司が、先達が一線から退いたように今度は自分の番が回ってくる、向かい風が速度を落とし、燃料が切れたら惰性で滑空するか、風が途切れたら失速して墜落する。表舞台から消えてなくなる。


それだけの話なのだ――


機内アナウンスが秋田県上空を通過したと告げた。


相変わらず雲は眼下を埋め尽くし、地上はまったく見えない。


正午を過ぎた空は色濃く蒼く、雲の白とのコントラストを際立たせる。


往路とまったく同じチャネルに合わせていた機内プログラムは、往路で聞いた曲と同じハイフェッツのシャコンヌが流れていた。



◇ ◇ ◇



順調に南下を続けた854便は羽田空港へのアプローチに入る。


往路とは逆の窓際に座っていた双葉の目には、主翼の先にスカイツリーが遠く霞んで映る。


東京へ戻ってきた。


ただ乗って帰るだけ、観光もせず、土産物もない、旅にもならない移動。


一時間半に満たないフライトも間もなく終わる。


往路と違い、復路は父子共々始終無言だった。


10時半に東京を発って函館に到着したのは12時頃。そして東京へ発ったのは13時より少し前。


いつもなら昼ごはんがどうの、腹が減ったのとうるさい双葉が珍しく文句ひとつ言わない。


父が己の来し方に思いを馳せるのと同様、息子も何か思うところがあったのか。


往路と同様、ソフトなランディングで854便はほぼ定刻通り羽田空港へ到着した。


スポットは地上。


乗客はボーディングブリッジを使うゲートではなく、タラップを降りて地上へ降り立つ。


間近で記念撮影をお楽しみ下さいという航空会社の配慮だった。


「記念に一枚、撮るか?」父親はスマートフォンを掲げて息子に問う。


「いらない」即答した後、すぐに言い直す、「いる」と。


「なら、近くまで寄った方がよくはないか?」


ごったがえす人を避けながら、スマートフォンを構える父に双葉は言った。


「誰かに撮影頼めるかな」

「何故」



「だって……ふたり一緒に写れない」


ぽつりと漏らした息子の願いはかわいいものだった。


家族連れで、あるいはひとりで、同じように撮影を頼む人は多かった、他の乗客に、あるいは航空会社の職員にカメラを、スマートフォンを渡している。


撮影の順番待ちのわずかな間、双葉は、わらわらと機首に向かい、思い思いに撮影をする人の群れを尻目に、ついさっきまで乗ってきた飛行機をきっと見上げる。


「父さん」


父の応えを待つことなく、双葉は続けた。


「俺、パイロットになる。なって、あの席に座る」


まっすく指差した先は向かって右側の左舷。機長席だった。


「もう、これは飛ばない、もしお前がパイロットになれたとしてもその頃には……」


「退役してるって言うんだろ、わかってる、そんなことくらい。でも、先のことはわからない。俺、知ってるんだ、747の最新型がもう運行してるって。今から5年、10年先のことなんて誰も予測つかない。もしかしたら東京オリンピックの頃には、新鋭機で復活してるかもしれないじゃないか? その時、飛ばすのは俺だ。そして――」


双葉は言葉を切る。夢と憧れと愛しい少女を手に入れるのだ、と心の中で宣言して。


慎一郎は瞠目する、若者は、なんと容易く夢を見つけ、未来を設計し、動機を裏付けにして明日を語るのかと。


かつての自分もそうだった、何が自分を変えた、足枷を作った?


なかったのだ、最初から枷など。


しなやかに若木が伸びるようにはいかない、自分はもう若くない。


けれど……終わりたくないのだ。


まだまだできる、まだがんばれる。


がむしゃらにしがみついてみても、物わかり悪くなっても、醜態をさらしても……いいのではないか?


子供の頃に立てた夢を諦めたようなことは、もうすまい。


一陣の風が髪をなぶり、航空機の轟音が交差する中を親子はそれぞれの思いを胸に機体を見上げた。その時、歓声が上がり、前後左右の乗客達が一斉に手を振った。


機長席付近から、振り返す掌がひらひらとひらめいていた。


後書きという名のあがき


はじめましての方も、二度目、三度目…それ以上の方も。


作者です。


ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。


2013年10月に、実際に搭乗し、函館を往復した経験を元に書いた本作、

書きたいことは書き尽くしていますので

付け加えることはありません。


…じゃ書き終わっちゃいますので少しだけ付記。


作中では具体的な名称や個人名は書いておりませんが、

2014年3月にとうとうANAもジャンボジェットの就航を終了することになりまして、

それに合わせたイベントが、JALの時と同様行われることになりました。


そろそろ運行が終わっちゃうは決定してましたので残念だなあ、と思ったところへ、

facebookの公式アカウントでイベントの告知がばーんと出まして。


中に、以前就航していた空港へ、1往復限定でのフライトをする

里帰りフライトというものがありました。


その告知初日に速攻で函館便を予約したのは私です。

日帰り速攻便に乗ったのも私です。


尚、JALが就航を終了した時も同様の告知が出まして、

数少なくなってきたフライトにも搭乗しました、

それは千歳行きだったんですけど、これもトンボ帰り。

ひとえに1回でも多く乗りたかったし、時期が冬場、2月の北海道です。

何があるかわかんないよねえ、その日のうちに帰れないと大変、ってわけで

乗った便で帰るという、アホなフライトをしたのですが、

元CAだった方にそれ話して大笑いされました。

つうのも、そーいう乗り方をする乗客は乗員内でチェックされるそうなんですね、

マークされた可能性ある? と聞いたら、

あー、絶対されたね、とのお答え。

航空ファンとかアヤシイ人と思われたらどーしよう。

ああ、なんてこったでごさいます。


また、運航終了する機体が出ると、懐かしがって搭乗する元OGやOBが

少なからずいらっしゃるのだそうです。

これも元CAさんからの情報。


同業と間違われたかもねえ、とも元CAさんは曰ってくれましたが。

それは絶対ないと思うに100万点懸けてもいい。


で、ANAの里帰りフライトです。

単純に北海道だから、でとった便でしたが、

里帰りフライトの第一便だったんですね。

搭乗時にノベルティの配布とか、ちょこっとしたサプライズとか、

普段のフライトとは違った味付けがされています。

きっと残りのフライトも、各地趣向を凝らした催しものがあるのでしょう。

そうやって最後へむけてのカウントダウンを重ねられていくのだと思います。


津軽海峡を旋回した時の感覚は、多分、一生忘れないと思います、

虹が間近でキレイだったこととか、

海も近くて、一瞬「大丈夫か、おい」とびびったこととか。

放水アーチはただの水ぶっかけにしか感じなかったこととか。

いろいろね。


ジャンボジェット運用終了という決定事項は翻らないから仕方ないですが…

ぜひ、次世代747を飛ばして下さい、日本の航空会社の人、待ってます。

ああ、でも、伊丹空港には降りないんだよな。

一番使うのが東京ー伊丹便で、伊丹空港は3発機以上の航空機は

条例で運航できなくなっております。

残念だ。


尚、里帰りフライトは、2013年内一杯各地へ飛ぶことになってます。


できれば航空ファンに食い散らかされることのないように、

一般のお客様に楽しんで頂けるフライトになるように、

心から祈ってます。


だって、もう、747は国内を飛ばないんですよ、

あの乗り心地とおさらばだなんて、ホントさびしすぎます。


…と書き出すときりがないのでこの辺で。

全然少しじゃないじゃん。


この辺でいつもながらの結びの言葉を。


ここまでの御拝読、本当にありがとうございました。

いつも感謝しています、もう、読んで下さる方がいらっしゃるから

ここまでがんばれます。

拙い本作ではありますが、少しでも皆様の時間つぶし以上のものになっていれば幸いです。



作者 拝


追伸・当日の雰囲気、双葉君が見たジャンボのイメージとかは


http://blog.goo.ne.jp/t-catfox/e/73d6c5b3b2e8cc71a3d95ee3aaa592c5


こちらでご覧いただければと思いますー。

(作者のメインblogです)

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