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台風27号と28号は予想より遅く到来し、予想とは違ったルートを辿って本州を避けて通って行った。


10月27日の東京は。


数日続いたの雨とは裏腹の、まるで台風一過の青空だった。


その青空の下、羽田空港の展望デッキに立つのは一組の親子。


長身で半白の髪を持つ初老の男に、彼を若く二回り小さくしたような少年だ。


男は初老にさしかかった年頃で、背がきわめて高い。白髪が物語るように年齢をごまかせない皺を顔に刻んでいる。けれど年の頃を想像させない凜とした佇まいと姿勢の良さは長身を差し引いても人目を惹かずにおかない。ただ立っているだけで存在感を醸す。


対する少年は男を若く、縮小して、3Dプリンターで出力したような容姿の持ち主で、恐い物知らずの瞳を持っている。両名は誰の目から見ても血縁関係を想像させる。


事実、親子なのだが。


「誰だよ、尾翼がでかいからひと目見りゃわかるって言っておいて! 全然見えないけど!」少年はぶーぶーと文句を言う。


「ホントに飛ぶのかよ、父ちゃん、どこにあるかわかんないんですけど!」


「デッキの向こう側にも搭乗口がある。58番だったな、そこに止まっているんだろう」男は答えた。


「ふーん」


少年は鼻を鳴らして言った。


「じゃ、早く行こうぜ。時間あんまないんじゃねえの」


少年の名は双葉という。彼は父である慎一郎の袖を引っ張ろうとしたが。


「……あのう、もしかして、尾上先生ですか?」


声を掛ける年齢ごたまぜの女性の一団に父親はつかまった。


「はい、尾上ですが」慎一郎は目尻を下げ、やんわりと応じる。


双葉の父、慎一郎は、一頃ほどではないにせよマスコミの露出が多く、週刊誌のコラムに連載を持ち、著作もそれなりにあるので、街中で歩いていると声をかけられたり、サインを求められたり、写真を撮らせて下さいと頼まれることは普通にある。


今日もその手合いに見つかってしまったようだ。


こんな時、慎一郎は営業用スマイルで応じ、家族は一歩下がって良き家族を演じる。いや、別に演技はしなくてもいいのだ、彼の一家は今時珍しい円満でTVCMに出てくるような面々なのだから。


息子は知っている、特に眼鏡など必要のない父親が外出時に外すことがないのは、眼鏡のフレームで表情がわかりにくくなるのを期待してのことだということを。


いつものように一歩下がった双葉を、今日のご婦人方は見逃さなかった。


「あのう、息子さんですか?」


その声に応じ、双葉はぺこりと頭を下げる。


わああー、はじめて見たあー、と女性達は声を上げた。


「かわいいですねえ」


「お父さんにそっくり!」


かわいくて似てる。


……どっちだよ!


内心の葛藤は横へ置いておいて。


双葉は再度静かに頭を下げた。うるせえぞババア、どっか行きやがれ、と内心で毒きながら。


一言二言言葉を交わし、求めに応じてサインをし、写真を撮らせてご婦人方にご退散頂いた後に父親は言った。「行ったぞ」


「よくやるよな」


さきほどの殊勝そうな態度とは打って変わって、全身から逆立てた棘丸出しで双葉はつま先で床を蹴った。


「げーのー人じゃねえのに、毎回毎回飽きない? たまには断れよ」


父親はそれには答えず、腕時計に目を走らせる。


「そろそろ行くか」


「当然だ!」


親子は少し歩調を速めて展望デッキを後にした。



◇ ◇ ◇



慎一郎と双葉親子が羽田空港にいるのには訳がある。


遡ること一月程前。


国内で唯一747を保有し運航している航空会社が2014年3月をもって就航を終了する報道をした。


747とはジャンボジェットの愛称で広く知られる、二階建ての大型旅客機で、大量輸送時代の一躍を担った名機だ。ひときわ大きく、丈も高く、一目で見分けがつくフォルムを持つ。現在、日本の航空会社は国際線はもとより国内線でも運航終了や飛行数を減らし、後継機に道を譲りつつある。


その、唯一保有する航空会社がわずか3機となった残存機体で様々なイベントを開催すると発表した。


第一弾が、里帰りフライトと銘打ち、かつて運航していた空港に1日一往復だけ運航をするというものだ。


最初にインターネットで情報を収集し、家族にもたらしたのは長男の一馬と妻の秋良だった。どちらもfacebookを見たと言った。


彼女は客室乗務員出身。しかも今回のラストフライトは所属していない方の会社の話だ。彼女は自社のみならず国内の各航空会社に加えて、主立った航空会社の公式アカウントのほとんどに『いいね!』を押している。同業他社に転職した友人や元同僚が何らかの形で関わっていることもあるし、やはり同業の動向は気になってしまうのだと言う。にしても職務熱心で、豆だ。


そして秋良はかつては国際線に乗務していた。職場はもちろん747。担当はアッパークラスだった。結婚・出産を経て職場復帰後もしばらくは747が定位置だったが、世紀が変わったころから国内線はより燃費が良い双発の中型機に移行した。エンジン数が4発と多い747は規制の対象になり、離発着できない空港も増え、一世を風靡したジャンボジェットはあっという間になくなっていった。彼女の会社では2011年に、業績不振に加えて経費削減の為、前倒しで就航を終了している。


現役機の退役が決定すると、かつてのOBやOGが懐かしがって搭乗することは珍しくない。


いよいよ就航も残りわずか、これが最後と決まった時、千歳空港への往復便に慎一郎夫婦は一般乗客に混じって搭乗した。その日は彼女にとってかつての職場へのお別れを告げる日だった。が、先輩にあたる同僚夫妻のおでましだ、乗務員たちとどうしてもアイコンタクトを取ってしまう。また、他にも元同僚やご同類がごろごろいた。復路千歳から羽田に着いた後は、わらわらと顔見知りが集まり、急ごしらえの同窓会へと雪崩れ込んだ。秋良はこっそりしんみりとしたかったのだが、そういうわけには……いかなかった。


「とうとう日本の航空会社から747が消えるのだね。ラストフライトも間近だな」という父へ「俺、乗ったことない! 函館、行きたい!」と即答したのが双葉だった。


「そうだな、都合つけて皆で行くか」の父親の呼びかけに対して他の家族はといえば。


「私はいいわ」と秋良は言った。「その日は仕事が入っていたのじゃないかしら」


「僕もいいや」長男一馬も母に続く。「予備校あるし、模試も近いし、検定の勉強もしたいし」


「僕もやめとく」とは末っ子三男の三先だ。「父さんと双葉で行ってくればあ?」


「そうね、おふたりでどうぞ」秋良も後押しする。


「何だかんだいったって、父さんと双葉は仲良いよな、どこ行くにもふたりで出かけること多くね?」一馬はさらっと言ってくれた。


そうなのだ、中学生も半ばとなると子供はとかく親を煙たがるものなのに、実際、双葉はひとり輪から離れる傾向があるように見えて、気がつくと父親の金魚のフンをしていることが多い。


思春期まっただ中の双葉は、彼や父親を良く知る人から顔を合わせる度に「お父さんにそっくりね」と言われるのがいやでいやでたまらないから極力離れようと努力をしているのが伺えるのだが、結局。それが果たされることはない。



ふたりは往路、函館行き853便の搭乗口、58番の前に立っていた。


日曜の午前10時前だ、一般の旅行者が一番出発が集中する時間帯である上に、団体客が多い。季節的に修学旅行生の団体があちこちに見られ、検査場は長蛇の列。なかなか通過できず、搭乗口についた時、出発の20分前を切っていた。


通常ならば、子供連れや介護が必要な人向けの優先搭乗が始まる頃だ。


その後に航空会社が発行する顧客向けマイレージ会員のランク順に搭乗が始まり、アッパークラスの乗客が入り、その後に一般乗客の番が回ってくる。


待たされるのが何より嫌いな双葉は、すでに検査場を抜ける時点で忍耐力の半分以上を使い果たしていた。


きっと優先枠で入れる。いつものことだもの。


ゲートの手前で待つ息子の期待は父にも手に取るようにわかる。


が、今回ばかりは双葉の思惑通りに話は進まない。


仕事柄、国内外へ出かける頻度が一般人より高い父親はヘビーマイラーだ。当然ながら、もう一方の航空会社の方の会員サービスランクは最上級。


慎一郎は出張で、所用で、国内外へ航空機を使って出かける際、まず航空会社が所属するグループを確認する。現在、航空会社は大きく3つのグループにわかれており、日本の航空会社はそれぞれ別のグループに属している。同じグループ内のマイレージ会員であれば、相互にマイルが溜めやすいというだけの区分けだ。普段からマイルやポイントなどを貯めることに興味がない慎一郎も、行き先が決まり、チケットの予約をする際、まずは妻が勤めている航空会社、直行便がなければ乗り継ぎ便、それでも無理な場合は加盟しているグループの便を選ぶ。そこは一応、妻への彼なりの配慮だ。


親の恩恵を受け、幼いころから上位ランカーのサービスを受けるのが当然と思い込んでいる双葉は、一般客より先駆けて優先搭乗ができる世界が当たり前。


「すげえ人だな」双葉はごった返す搭乗口の前に立つ。


「父ちゃん、優先搭乗受けられるんだろ?」


「残念だが。ここのマイルはサービスを受けられる程貯めてない」


「えー、じゃ、無印なの」


「そう。だから、こっちへ来なさい」


手招きされた彼はほぼ先頭に陣取っていた列から外れ、回りを見回して口を尖らせた。いつもならあの列に混じっているのに、とぶつぶつうるさい。


優先搭乗が終わった時、場内アナウンスは告げた、「混雑緩和の為、座席番号29番以降の乗客を優先して案内いたします」と。


「おや」と慎一郎は言った、「左右を分けるだけで優先搭乗が終わったら一般客の番だろう」


「だよな、何でだろ」


「何事も効率を優先して、少しでも早く乗客を座らせる為の工夫なんだろうな」


「なるほどねー、トランクにカート入れる人多いからさあ、通路に人が詰まって立ち往生なんてよくあるもんな」


「手荷物を預けずそのまま持って乗る人が増えたからな、最近の傾向なんだろう」


「昔との比較はいいよ。父ちゃん、俺らの席は?」


「二階」


「じゃ、今は乗れないわけ? 2階は前方寄り?」


どっちだろう、父親はしばし悩んだ。


1階と2階で分かれるこの機の場合、座席番号はどう関係する?


アッパーデッキへ登る為の階段は前部座席付近についている。


「そうだな。前寄りだな」


うんうんと慎一郎はうなづく。


「お前が予約して席を決めたのだろう?」


「父ちゃんが二階だから良いところがあるっていうから! もう、どんだけ待たされるんだよ。」


自分の思い通りに動かないことが気に障る若者はとかくうるさい。ぶつぶつと文句が続くところはまだまだ幼い、小学生のがそのまま大きくなったようだ。


「安心しろ、双葉」父親は腕時計と表示板の時間が合っているのを確認する。


「少なくとも、我々が乗らない限り、この便は飛ばない」


親子は後方座席が埋まって自分達の番が回ってくるのを待った。


そのつもりだった。


が、二階席の座席は71番から始まる。


ふたりが取った席は29の数字を3倍掛けた数字に近い席番だった。


「……二階のたんこぶは後ろについてるのかよ」


双葉の文句はそのまんま、慎一郎の思いでもあった。


だが、席番をきちんと控えていた乗客は、父息子のように二階や前方という言葉に惑わされずきちんと定位置に座り、遅れて二階に上がったのは慎一郎と双葉ぐらいだったのだ。


何か言ってやりたそうな息子の視線を受け流し、父は息子を促して席に着いた。


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