第三章 地獄での日々
日曜日。
午前五時起床。
昨日サボったロードワークをこなすために家を出る。
親父に勧められて半ば強引に入部させられた高校のボクシング部。強い精神は肉体からなんて古臭い考えを最初は馬鹿にしていたが、実際始めてみると、そう悪くなかった。
心地いい朝の風を受けながら、走り慣れたコースを無心で走る。
五キロほど走った頃、公園脇に花を手に持った成人男性が佇んでいるのが見えた。
どこかで見たような顔だが名前を思い出せない。
「あっ、きみ」
顔を眺めていたのがまずかったのか、男性のほうから俺に声をかけてきた。
「きみは……確かうちの学校の生徒の黒城輝君だったね」
どうやら学校の教員らしい。見覚えがあったのはそのせいか。
「俺のこと知ってるんすか?」
「知っているよ。僕は一度受け持ったことのある生徒の顔は忘れないんだ。中でも君は特に印象に残る生徒だからね」
受け持つってことは少なくとも一度は授業を受けたということになるんだよな。……覚えがない。
「質実剛健、文武両道。推定IQ一七0。推定というのは知能指数テストの最中に行方をくらましてしまったため、テスト途中の数値を算出しただけに過ぎないから」
ああ、途中でめんどくさくなってフケたあれか。
「俺のことは別に……それより先生はどうしてここに?」
こんな時間に一人で花を持っているということは献花か何かなのか? まさかな。
「ああ、僕はね、弔いにきたのさ。昨日、ここで僕の教え子だった子が亡くなったんだ」
予想的中……だが、あまり嬉しくはない。そういえばニュースでやっていたな。帰宅途中の女性が背後から刃物を持った男に襲われ死亡。死因は失血死。犯人はその場で現行犯逮捕。
警察の取り調べに犯人の男は心の声に導かれて人を殺したと供述しているらしく、現在、精神鑑定中。
「お悔やみ申し上げます。でもやっぱり苦しいんでしょうね、窒息死ってのは」
「追悼の言葉をありがとう。でも彼女は首を斬られたんだ。絞殺ではないよ」
「……すんません。新聞は流す程度にしか読まないんで、軽率でした。それじゃあ俺はこれで失礼します」
風がそよぎ、教師が手に持つクチナシの花の香りが鼻腔を満たした。
俺は一礼してからその場を離れた。
はぁ、憂鬱だ。億劫だ。
庭で単車を修理していてもそんなことしか頭に浮かばない。
そういえば、前にもこんなことがあった。それはあの二人の女と出会う少し前の話だ。
そのときはどちらかというと不定愁訴に近かったな。漠然としていて原因もわからない。医者にも行ったが精神的な疾患ではないと断言された。だが実際、俺の心は言いようのない不快感に悩まされ続けていたんだ。それがあの夜を境に消えていた。
確かに今は今で頭が痛くなるようなことが山積みの毎日だが、不快ではない。
あの二人が俺の病を治してくれたのか? ……アホらしい。そんなわけないよな。
「何をしているの?」
庭に出てきたハエ女がいつもの調子で俺にたずねる。
「派手に飛んだからな。親父が帰るまでに修理しとかないと殺される」
「私のせいだよね……ごめんなさい」
なんつーか、こいつがらしくないのが俺は嫌いだ。別に深い意味はないけどな。
「気にすんな。命懸けのドライブってのもスリルがあって面白かったしな。あー、スロットルワイヤも交換だな。つーか今こんな古い型のが流通してんのかよ……してないよな……」
まったくもって泣けてくる。
「その乗り物、そんなに大切なの?」
「ん? あぁ、親父も昔はこいつと一緒に随分と暴れたらしいからな。親子二代で惚れた唯一の女かもな」
「……私、ちょっとお散歩してくる」
「なんだ急に、どこ行くんだよ」
「病院」
「怪我でもしたのか」
「違うよ。あなたのお父様のお見舞いにいってくるの」
意味がわからん。もしかしてこいつ、昨日飛んだ時に頭でも打ったのか。
カッ!
ピシャアアアン!!
青天の霹靂とはまさにこのことだな。快晴の空から雷が降ってきた。
俺の足元で爆風が巻き起こり、煙が晴れると稲妻女が立っていた。
「下郎、貴様を地獄に案内してやる」
つまりは俺に死ねということか。
「メリリム、突然どうしたの?」
「お嬢様もご同行ください。ベーゼル・バーグ様がお呼びです」
「おじい様が?」
「はい。どうしてもお話したいことがあるそうです」
「でも……私達は勝負に勝ったんだよ?」
「ご安心ください。ベーゼル・バーグ様は純粋にお話がしたいだけだそうです」
安心なんてできねえよ。昨日の勝負が無駄になるだろ。俺の答えは決まっている。
「俺はいかんぞ。今はバイクを直してんだ」
ハエの王様になんか俺は用がないしな。
「貴様……お嬢様よりもその鉄くずのことを優先すると言うのか」
「あのな、これは確かに鉄の塊かもしれんが、俺にとって最愛の鉄くずなんだよ」
「直してやる……」
「今なんか言ったか?」
「その鉄くずを直してやると言ったんだ。わかったら早く準備しろ、この馬鹿者がぁっ!」
「はっ、はい!」
さすがに今のはビビった。怖すぎだろ。反射的に「はい」って言っちまった。
「――地獄門ッ」
稲妻女は転送装置らしい巨大なリングを出現させる。
「ほんとお前は無理やりだよな。……で、どうすりゃいいんだ」
「上部のリングに飛び込め、そうすれば嫌でも魔界に辿り着く」
こう、見るからに禍々しいオーラさえ出てなければ、すぐに飛び込んでやるんだがな。
「どうした、早くいけ」
「心の準備くらいさせてくれ」
俺の言葉を聞いた稲妻女は「そうか」と呟き、俺の単車に向かって歩いていく。
「なら先に荷のほうを魔界に送るか。――ふっ!」
投げ込みやがった。
乾燥重量二00キロ以上ある俺の単車を軽々と。
「次はお前も飛んでみるか?」
「結構です」
俺は稲妻女から逃げるようにリングの中へと飛び込んだ。
転送って言うから、SF映画みたいな仰々しいワープ的なものを想像していたんだが、ドアを開けて部屋に入るのと変わらないようなお手軽さだった。一言で言うと普通。
魔界も魔界で、イメージとは随分と違った。血の池があるわけでもないし、針の山があるわけでもない。俺の想像よりかは小奇麗な感じだし、不快感もない。
ただ難点を言うとすれば空気が少し重いくらいか。
「何をボケっとしている。ベーゼル・バーグ様の居城に向かうぞ」
いつの間に移動してきたのか、俺の背後に稲妻女とハエ女が立っていた。
「俺の単車は?」
「あの鉄くずは魔皇空軍の整備工場に飛ばしておいた。今頃は整備士が修理に取り掛かっているだろうさ」
大切な単車を悪魔に弄らせるのは不安なんだが、今は信じるしかないか。
ベーゼル・バーグ邸にたどりついた俺は巨大な門を見て呆気に取られていた。
門だけでも山のようにでかい。しかもその先に広がる庭が広大すぎた。十分は歩いているがまだ先が見えてこない。
「もしかして、お前ってすごい金持ちのお嬢様なのか?」
「え? そんなことないと思うけど」
冷静に考えると、空軍を個人が所有している時点で普通ではないよな。
それからさらにしばらく歩いてようやくゴールが見えてきた。まさに居城と呼ぶに相応しい圧巻の佇まい。見ているだけで気圧されるような気高さがその建物にはあった。
「どんだけすごいんだよ……」
「魔界でも五本の指に入るベーゼル・バーグの家名をなめるなよ」
つまりハエ女は本物のお嬢様ってことか。お見逸れしましたと言わざるを得ないな。
城の中に入った俺は稲妻女に客室へと案内された。
「おい、下郎。着替えろ」
「俺はこのままでいいよ」
「ドレスコードだ。礼節くらいわきまえろ」
稲妻女に言われるがままスーツに着替える。
スーツなんて着たことがなかったが、体にフィットする感じがして悪くはない。
「どうだ? ネクタイなんて初めてなんだが、ちゃんとできてるか?」
「ふん、馬子にも衣装だな」
褒め言葉として受け取っておくぜ。
「お嬢様も今着替え中だ。迎えにいくぞ」
「ああ」
俺が廊下に出て稲妻女と一緒に歩き出した途端、
ドン!
走ってきた何かが足元にぶつかった。
「いったーい!」
赤毛の……ガキだ。
「悪いな、よく見えてなかったんだ。許せ」
俺が差し出した手を赤毛のガキは全力で払い除けた。
「貴方、なんでそんなに偉そうなのよ。信じられない、自害しなさいよ」
「なんだとこのガキ」
「やめておけ」
珍しく落ち着いた口調で稲妻女が俺を止める。
「どうしてだよ」
「彼女は海軍の総司令官、魔海皇帝様の奥方になるお方だ。ベーゼル・バーグ様が管轄している我が魔皇空軍との折り合いを悪くしたくない。子供の戯言だと思ってここはこらえてくれ」
要するに空軍と海軍の確執をうみたくないってことか。どこの世界も派閥ってのはめんどくさいんだな。
「……悪かったよ。自害はしてやれんが、謝る。申し訳なかったな、クソガキ様」
「最初からそう言いなさいよね。それと、貴女はメリリムね。このことは一応、海軍の上層部に報告しておくから」
「……よしなに」
赤毛のガキはそれだけ言って走っていった。
最後まで小憎たらしいガキだったな。
「おい、言われっぱなしでいいのかよ」
「彼女はまだ子供だ。怒る必要もないさ。成長し、人を愛し慈しむことを知ればきっと立派な淑女になるであろう」
「……あんた、意外といいやつだな」
「お前に褒められても、私は全く嬉しくないのが残念だ」
気を取り直してハエ女が着替えをしている部屋へと向かう。
ギィイイ。
扉を開けてハエ女が部屋から出てくる。
黒いドレスにドレスグローブ、頭には綺麗なティアラを乗せ、足には赤いハイヒールを履いている。普段の黒ワンピースも似合っていたが、これは別格だ。
「すげえ……可愛い……ハッ!」
今俺はなんて言った? あの言葉を言ったのか?
いいや、違う。そんなことはない。確かに今のハエ女は……なんでもない。
「このドレス、久々に着たのだけど。メリリム、どう? 似合ってる?」
「大変麗しゅうございます。魔界広しといえど、お嬢様よりお美しい悪魔は存在しないでしょう」
「それは褒めすぎ。ねえ、あなたはどう思う?」
こいつ、俺がこういうの苦手なの知っていてわざと聞いてやがるな。
「……ふっ、普通だ」
「下郎、口元が緩んでいるぞ」
仕方ないだろ、こんなにリアルにお姫様みたいな格好をした女、生まれて初めてみたんだからな。
それにこいつの顔はあれなんだ、その、つまり、あれだ。そう、整っている。端正だな。
……いかん、俺は何をまじまじとハエ女を見ているんだ。変態かよ。
「さ、いきましょう」
そう言って腕を絡ませてくるハエ女。
「おっ、おい」
「なに?」
「…………別に」
なんというか、まあ、悪くない。
ハエ女と二人でやたらと広い城の中を延々と歩く。
「なあ」
「うん?」
「俺と契約したのがお前でよかったよ」
「また惚れ直しちゃったんだ?」
「……お前じゃなくてもよかったかもな」
いや、それでもさっきのじゃじゃ馬なガキに比べるとこいつのほうが何倍もマシだな。
ハエ女が“謁見の間”と書かれた扉の前で足を止める。
「魔空聖帝ベーゼル・バーグ・ルイ。私のおじい様がこのドアの奥にいるよ」
魔空聖帝って言う割にはルイなんて可愛らしい名前してるんだな。
大きな扉を開いて中へと入る。
「おじい様って、女だっけ?」
俺の第一声がそれだ。自分でも意味がわからないな。とにかく、玉座に腰掛けていたのは老人ではなく若い一人の女性だった。
「あのね、本当のおじい様が亡くなったときから、おばあ様は一人でベーゼル・バーグの家名を守りぬくことを決心したの。だからルイおばあ様、ううん、おじい様は普段は男性で通しているのよ」
なるほどな。だがおばあ様って風貌でもないぞ。見た目はどう見ても二十代後半に見えるし、肌も綺麗でハエ女似のとてつもない美人だ。……待て、また俺は変なことを考えたな。まあいい、忘れよう。
「ルカ、懸想人がいるというのは聞いた。だが人間界で暮らすなどという戯れはやめよ」
落ち着いていて、艶のあるいい声だ。聞いていて心地がいい部類だな。
「こいつにも事情があるんだよ。あんたも身内ならそれくらい汲んでやれよ」
「ほう、人間の分際でわらわに意見するとは面白いではないか。だが身の程をわきまえよ。わらわがその気になれば人間界など一瞬で塵にできるのだからな」
恐ろしいことをさらっと言うが、俺にだって人間としての意地がある。
「あんたハエ女の肉親だろ? 孫が可愛くないのかよ。こいつはこいつのちゃんとした考えがあるんだ。それを見守るのも親心じゃないのか?」
ベーゼル・バーグは冷たい瞳で俺のことを見据えている。
「どの世にも子を思わぬ親などおらぬ」
「なら……」
「事情も知らぬ部外者が余計な口を出すでないわ」
なんか暖簾に腕押しみたいで段々腹が立ってきた。
『おい、お前は人間界にいたいんだよな』
『うん……』
仕方ない、なんとかするか。だがハエ女のためじゃない、ベーゼル・バーグの態度が気に食わないからだ。
「お前、俺と勝負しろ」
「ほぅ、何かと思えば勝負とな? 面白い、言うてみい」
意外と簡単にノってきたな。
「俺がお前の考えをずばり言い当てる。当たっていれば俺の勝ち、ハエ女の自由にさせろ。当たっていなければお前の勝ちだ。俺のことを煮るなり焼くなり好きにしな」
さあ、どう出る、魔空聖帝……。
「面白い余興よな。ではわらわの心中、ずばり言い当ててみせよ。だが少しでも違っていた場合、覚悟はできておろうな」
「覚悟を決めずに勝負なんかできるかよ」
俺の言葉を聞いたベーゼル・バーグが小さく口の端を上げた。
『私、あなたを信じてるから』
不安なのか俺の心に直接語りかけてくるハエ女。
『任せろ。俺は勝算の無い勝負はしないって言ったろ? 必ず勝ってやる』
絶対に勝てる自信があっても、さすがにベーゼル・バーグの威圧感には気圧される。
俺は呼吸を整え、神経を研ぎ澄ませてから口を開く。
「お前はハエ女を絶対に逃がすつもりはないだろ?」
これが俺の答え。必ず勝利できる魔法の言葉。
しばしの沈黙。
しばらくすると、ベーゼル・バーグがカラカラと笑い始めた。
「……くっ、クハハっ。なるほど、なるほどな。わらわの負けじゃ。素直に認めようではないか」
勝負は一瞬で決まった。
「えっ? どうして?」
「ルカ、この勝負、最初からわらわには勝ちの目がなかったのよ。わらわが“YES”と答えれば、その男の勝ちでお前は自由。“NO”と答えればその男を殺すことができても、わらわはお前を自由にするしかない。貴様……中々の知将よな」
その通りだ。さすがに魔空聖帝と呼ばれるだけのことはある。
自己言及のパラドックスの応用なんだが、悪魔にも通用するんだな。『ベーゼル・バーグのジレンマ』とでも名付けるか。
「お主、ルカの婿になれ」
「………………は?」
今なんて言った? 突然すぎて意味がわからなかったんだが。
「驚くでない。わららの予想を遥かに超えた奇抜な発想、人間の分際でわらわに意見する度胸、その全てを気に入った故。――メリリム、メリリムはどこにおる」
「――はっ。ここに」
部屋の隅にある漆黒の帳の奥から稲妻女が姿を現した。
「メリリム、お主が言っておったルカの懸想人とはこやつのことであろう?」
「はい、その通りにございます」
「やはりな。わらわの目に狂いはなかったわ」
いや、狂っていると思います。
「魔界全土に伝えよ。今宵、ルカの亭主が決まったとな」
「ちょっ、ちょっと待て。俺の意思はどうなる? ハエ女も何かいってやってくれ」
クスクス。
笑ってんじゃねー! そんなに俺が慌てふためく様が楽しいか、面白いのか。
「なんぞお主、異論があるのか。言いたいことがあるなら言うてみい」
ベーゼル・バーグに反論しようと俺が口を開きかけた刹那、
ゾクリ、と俺の背筋に悪寒が走った。
俺は得体の知れない殺意の出処を探す。
ギロリ。
殺意の出処がわかった。凄まじい眼光を放ちながら稲妻女が俺を睥睨している。
下手なことを言えば首を撥ねられそうな勢いだ。
役に立つかはわからんが、ハエ女に助言を求めることにした。
『俺的に絶体絶命だと思うんだが、どうしたらいいと思う。あと、お前はどうしたい』
『私? あなたのお嫁さんになるのも悪くないのかなって考えてるよ』
『……うるせぇ。そうじゃなくて、お前の親父さんのことだ』
『私は……復讐を諦めないよ。メセル・ギ・デスは必ず私がこの手で殺す』
『……そうか。だが殺すって言葉はもうやめろ。お前には似合わないぞ』
『うん。あなたがそう言うならもう言わないね』
素直でいい女だな。よし、なら俺がもう一肌脱いでやるか。
「メセル・ギ・デス」
俺がポツリと呟くと場の空気が一瞬で凍ったのがわかる。
「下郎、その名をどこで知った」
「ハエ女が人間界にこだわる理由だ。俺はこいつの復讐を咎めない。俺も奴を追う理由があるからな。だから頼む。お前たちもこいつのことを認めて人間界で好きにさせてやってくれ」
俺は精一杯の言葉で思いを述べた。俺なりの必死の言葉は悪魔に届くのだろうか。
「世迷言を、それならなおのこと、お嬢様を連れて行かせることなどできぬわ」
やはり無理か。ならここは俺がハエ女を連れ去ってでも……。
「まぁ待て、メリリム。それで、お前は具体的にどうするつもりぞ。言うてみい」
さすがはハエ女の婆さんだな。話がわかる人だ。
「俺とこいつ以外にもう一人、メセル・ギ・デスを追っている人間がいる。そいつは頼りになる奴なんだ。この三人で必ずメセル・ギ・デスを倒してみせる」
これはハッタリじゃない。俺は本当に倒すつもりでいるからな。
「下郎、貴様は奴の恐ろしさを知らんからそんなことを言えるのだ。二代目ベーゼル・バーグ様でも敵わなかった相手に人間である貴様が勝てる道理はない」
こいつはいつもそうだ。劣等種族だの人間だの、そんなことは関係ない。
「この世に勝てない奴なんて存在しない。俺は人間だがあんたに勝っただろ。勿論策なしで戦おうなんて考えていない。情報を集め、万全を期すつもりだ。頼む。俺を……信じてくれ」
稲妻女は黙って俺のことを見ている。
そして次に口を開いたのはベーゼル・バーグだった。
「……確か、二代目がメセル・ギ・デス討伐に赴いた時は一人ではなかったな。のう、メリリム」
「はい。二代目は虚言の王を連れて討伐に向かったと記憶しております」
「では……虚言の王を訪ねれば何か情報がわかるやもしれんな」
虚言の……王?
『ねえ、おじい様は会いに行けって言っているんじゃないかな』
『そういうことだな。よし、すぐに行ってくる』
しまった、場所がわからない。馬鹿正直に聞いても教えてくれないよな。
「あー、えっと、虚言の王ってのはどこにいたんだっけな」
俺はわざとらしく咳払いしてから声を出した。
「お嬢様、シオウルには決して近づかないようにお気をつけください」
稲妻女もわざとらしく答えた。
「うん。シオウルには近づかないよ」
全くもって面倒くさいな。だがこれで場所がわかった。シオウルに向かうぞ。
『ハエ女、お前はここに残ってしっかり話し合っておけ』
『一人で大丈夫なの?』
『余裕』
俺はシオウルに向かうために城を飛び出した。
魔界での一人旅は不安があったが、以外と気楽だった。なんせ普通に悪魔と会話ができるんだからな。
「あんた、人間だろ。悪魔の匂いもするな」
今も一人の悪魔に声を掛けられている。魔界に人間は珍しいらしく、これで三度目だ。
「あー、悪魔と契約してるから半悪魔みたいなものかな。それよりあんた、虚言の王とシオウルについて何か知らないか?」
「シオウルはこの先を真っ直ぐいくと辿り着けるぞ。それと虚言の王か、知っているとも。本名はベリアル。元天使だが堕天して魔界にやってきたんだ」
ベリアルか、名前だけは聞いたことがあるな。
「虚言の王に会うなら気をつけろよ。あいつは本物の悪魔だ」
「ご忠告どうも。それじゃあ、俺は先を急ぐんで」
俺は悪魔の言葉通りに真っ直ぐと歩き続けた。するとボロボロになった立札にかすれた文字で“この先シオウル、命が惜しくば立ち去れ”と書いてあるのを見つけた。
俺は臆せずにシオウルに足を踏み入れる。
荒涼とした大地、殺風景な風景、悪魔もいないし、何もない。寂しい場所だな。
しばらく歩くと砂漠の真ん中で建物を見つけた。いや、建物とも呼べないな。屋根も入口もなく、柱だけが数本立っているだけだ。その空間の中央で椅子に座った一人の悪魔を見つけた。
金髪で長身、切れ長の目に紅い瞳、整った輪郭、一言で言うとイケメンだ。
「よう。あんたがベリアルか?」
「…………死ね」
悪魔流の挨拶かね、これは。
「メセル・ギ・デスって悪魔を知ってるよな。どんな情報でもいい、俺に教えてくれ」
「黙れ、その名を出すんじゃねえ。胸糞わりいこと思い出させやがって」
やはり何か知っているようだ。
「あんた、二代目ベーゼル・バーグと一緒に倒しにいったんだろ?」
「二度目だ、黙れ。次はねえぞ」
「何度でも聞いてやる。メセル・ギ・デスについての情報を俺に教えろ」
バッ!
ベリアルが跳んだ。そのまま俺の目の前に着地したかと思うと、喉元を鷲掴みにされ、全力で地面に叩きつけられる。
「おい、劣等種族のゴミ人間、猿並みの足りない脳みそでよーく考えてみろ。お前は天使でも相手にしてるのかよ、いいや、違うね。わからないなら教えてやる。私は……悪魔だ」
ベリアルが俺の首を掴む左手に力を込め、右の拳を握りこんだ。
また死んだかな、俺。
ベリアルが握りこんだ右拳を俺の顔面に叩きつけるように打ち込もうとした、瞬間。
ピカッ! ゴロゴロ!
突然の稲光、荒廃した大地に鳴り響く雷鳴、吹き荒ぶ風。
バシッ!
俺の顔面に直撃するはずだったベリアルの拳を突如現れた影が受け止めた。
「悪魔が人間に手を出すのは御法度であろう」
稲妻女だ。
いかん、不覚にもかっこいいと思ってしまった。
「……誰かと思えば、空飛ぶ雑魚軍団の総隊長様じゃねえか。昔と変わらず弱そうだな」
「貴殿も相変わらずに口汚いな。さすがに詭弁の王と言われるだけのことはある」
こええー。口を出す暇もない。いや、多分口を出した瞬間に俺は死ぬ。
「私は虚言の王だ。てめえ、死にたいらしいな。二度とお空を飛べない体にしてやる」
「面白い、受けてたとう。二度と悪態をつけなくなるような恐怖を植え付けてやる」
ここでまさかのバトル展開かよ。俺は紳士的に話し合いをしたいだけなんだが。
「後悔……するなよ? 回帰……」
「あぁ、後悔しないように全力で叩き潰してやる。地獄門……」
これ、戦争が始まるような勢いだよな。俺が止めるしか……ないよな。
――ええい、ままよ!
俺は当たって砕けろの精神で同時に拳を繰り出した二人の悪魔の前に割って入り、
「待てっ、やめろっ、ゴハァッ」
見事に砕け散った。
「なんだこいつ、馬鹿か」
「貴殿と同感なのは腹立たしいが、確かにこいつは大阿呆だな」
少しは俺の勇気を買ってくれ。
「どうする虚言の、続けるか?」
「――やめだ、興醒めだぜ。命は取らないでやるからすぐに消えな」
「……だ、そうだ。さぁ、帰るぞ、下郎」
稲妻女が差し出した手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
「……どうして、助けに来てくれたんだよ」
「貴様はお嬢様の婿になる男だ。三代目ベーゼル・バーグになるかもしれん男をこんな場所で失うわけにいかんのでな」
俺がハエ女の旦那になることはもう決定なのかよ。勘弁してくれよ。
「ハッ! 糞蝿王の腰巾着のカトンボがガキのお守りかよ。悪魔も地に堕ちたもんだな」
「貴様……ベーゼル・バーグ様を愚弄することだけは絶対に許さんぞ」
「愚弄する以前に糞蝿の王なんざ、取るに足らない存在だろうがよ」
頼むから二人共仲良くしてくれよ。
「止せよ、ベーゼル・バーグは立派な人物だ。ベリアル……あんたもな」
「何言ってるんだ、おめえ」
「ひねくれた所を含めて、俺とあんたはよく似てるんだ。俺はあんたの気持ちがわかる」
最初の反応を見てわかっていた。こいつは悔やんでいるんだ。
「あんた、自分が許せねえんだろ。自分がいるのに仲間が死んだ。救うことのできなかった自分に反吐が出そうになるほど嫌気がさして、やり場のない怒りを常に抱え込んでいる」
そうだ、あのときの、両親を救えなかったときの俺と同じなんだ。
「へっ、心理治療師にでもなったつもりかよ。五体満足でここを去りたいならそれ以上ピーチク喚くなよ。じゃないとオメエ、ここで死ぬぜ」
震えがくるほどに怖い。殺されるかもしれない。だが俺は退けないんだ。
「俺はな、ベリアル。既に一回死んでるんだよ。だがもし、あんたが俺を殺すことで気が晴れるっていうんなら、俺はもう一度死んでやる」
ここで殺されてもいいと思った。俺はあのときの俺を救いたかったから。
「くっ……ククッ。笑えるな、面白いぜ。おい、カトンボ。いい“タマ”見つけたな。こいつはいい悪魔になるぜ」
「当然だ。お嬢様が見初めた男なのだからな」
「完璧だと思ってたルカでもミスをするんだな。こんな変チクリンな男を選ぶなんてよ」
「ふっ……確かにこいつは妙な男だな。だがお嬢様の選択は間違っていなかった」
笑って……る? 稲妻女と虚言の王が笑ってやがる。
「おい人間……お前の将来性を見込んで一つだけ忠告しといてやる」
俺はベリアルの顔をしっかりと見つめて言葉を待つ。
「メセル・ギ・デス。あいつと戦えば必ず一人死ぬ。強いとか弱いとかは関係ねえ、絶対に死なないといけないんだ。私たちのときは二代目の馬鹿野郎が死を選んだ」
必ず一人死ぬ。どういうことだ。
「だがそれでもやつは死ななかった。――お前は私とおなじ轍を踏むんじゃねーぞ」
「任せろ。俺は勝算のない勝負はしないんだ。必ずあんたの分の無念も含めて俺がメセル・ギ・デスを蹴散らしてやる」
「それならもっと実力をつけるんだな。私に片手でやられてるようじゃ話にならんぜ」
実力……か。確かに今の俺は弱いな。強く、俺は強くなりたい。
「話は終いだ、とっとと出てけ」
ベリアルに促された俺たちはシオウルを後にした。
「あ~。すんげー怖かった。なぁ、俺ちゃんと喋れてたか?」
「なんだ、今更になって怖気づいたのか」
「だってよ、あの男、すげえ迫力だし、心を見透かされてるような感覚もしたんだよ」
「……胸を張れ。虚言の王と舌戦を繰り広げた人間など、後にも先にも貴様一人だろうさ」
なら……よかったのか? それにしても俺、もしかしたらすごい奴と話してのかもな。
「それと、虚言の王は男じゃない、女だ」
「お前でも冗談を言うんだな」
「貴様は何を言っている」
稲妻女は真剣な顔をしている。ならマジな話なのかよ。うっそーん。
ベーゼル・バーグの城に戻ると俺は寝室に案内された。
ハエ女と同室だと言われたから、その場で断ろうとしたら稲妻女が「首を撥ねるぞ」だとさ。
魔界では俺の人権なんて無いようなものだと考えたほうがいいな。
仕方がないので俺は寝室のドアを開けて中へと入る。
「ハエ女、帰ったぞ」
「あっ、おかえり。どうだった?」
「めちゃくちゃおっかねえ、イケメン女だった」
未だに女だというのが信じられん。イケメン女って言葉がぴったりだ。
「……でも、悪い奴じゃなかったな」
「だよね。私はベリアルさん、好きだな」
「お前の感性がよくわからん」
「そう? あれでも可愛いとこあるのよ。それにどことなくあなたに似ているし」
「確かにそれは少し思ったが、やっぱり違う。俺はまだ良心的だ」
「同族嫌悪?」
「うるせぇ」
「ふふっ、やっぱり似てるよ」
嬉しそうな顔でハエ女が微笑む。
それにしてもこいつはよく笑うな。まあ笑顔は似合ってるんだがな。
ガチャ。
扉の開く音と共に稲妻女が部屋に入ってきた。
「下郎、ついてこい。貴様の鉄くずの整備が終了したそうだ」
「マジか! 魔界に来て一番テンション上がったぜ。早く連れてってくれ」
綺麗に直っていたら素直に感謝しよう。魔改造とかは勘弁してほしいがな。
ベーゼル・バーグ邸の庭の一角を占めている軍事施設に俺とハエ女は案内される。
工場らしい油と鉄のにおい。苦手ではないが、ずっと嗅いでいると目眩がしそうになってくるな。
「すげえ、新品同様になってるじゃねえか。ありがとな」
これだけでも魔界にきてよかったなんて気分になってきたぞ。
「魔皇空軍の整備士を侮るなよ。これくらいは容易いことだ」
惚れ惚れするような光沢、新品のオイルの匂い、完璧だ。
「おい、ハエ女も見ろよ。こんなに綺麗にしてもらって、ああ、よかったなあ」
「ふ~ん。よかったね」
「だろう? ――アダっ」
突然稲妻女に肘で小突かれた。俺、何かしたか?
「なにすんだ……」
「お嬢様が拗ねていらっしゃる。貴様、なんとかしろ」
稲妻女が妙に小さい声で話すから、俺も小声で答える。
「拗ねてるって、何に拗ねてるんだよ」
「知るか、私は色恋沙汰とは無縁なのだ。だがお嬢様が拗ねていることだけはわかる」
親御心ってもんなのかね。だが原因もわからないのに機嫌を取るなんてできんぞ。
「ハエ女、テストも兼ねて今からドライブでもするか」
「そのバイクさんと三人で?」
「バイクは人じゃねえだろう……アデッ!」
「馬鹿者、悪化しているではないか」
「肘鉄はやめろ、マジで痛えから」
事あるごとに部屋の隅に移動し、小声で話し合っている俺たちは傍から見ればさぞ滑稽なんだろうな。
「どんな方法でもいい、お嬢様は喜ばせろ。さもないと地獄の苦しみを味あわせるぞ」
まいったな。ハエ女を喜ばせないと殺される。
俺なりに必死に考えてみよう。まずハエ女は何に怒っているかについてだ。
わからん。バイク……なのか? 違うよな。
では逆に喜ばせる方法だ。あいつは普段どんなときに嬉しそうにしている。
……俺を小馬鹿にしているときにクスクスしているのしか思い浮かばん。
「なあ、一応あんた女だろ? 他人に何されたときが嬉しいんだよ」
このままでは完全にお手上げだ。不服だが稲妻女に聞いてみる。
「そうだな、私はベーゼル・バーグ様から賛辞の言葉をいただいたときが至福の瞬間だな」
軍人の鏡みたいな女だな。
「要するに褒めればいいんだな」
「贈呈品もいいかもしれんぞ。和睦の際には必須だからな」
戦争基準で物事を考えるなよ。
「褒め言葉とプレゼントな。わかった、試してみる」
無理強いされている感が強くて気に食わんが、仕方なくハエ女に声をかける。
「あの……な。話があるんだが」
「またバイクの話?」
心なしか言葉に棘があるような気がする。
「いや、そうじゃなくてだな、昨日はよく頑張った。偉いぞ」
言いながらハエ女の頭に手を乗せ、軽く撫でてやる。
「――ふにゃっ!?」
なんかこいつ、一瞬変な声ださなかったか?
「それと頑張ったご褒美だ、何でも欲しいものを買ってやる」
俺は女の趣味なんてわからんからな。こう言うのが無難だろう。
「何でも……いいの?」
「いいぜ、言ってみな」
しまった。一応こいつ、お嬢様だったな。まさか宝石が欲しいだとか言わないだろうな。
「じゃあ、新しいお洋服と靴が欲しい」
子供かよ。一瞬吹き出しそうになったぞ。
「でも、無理しないでね? 服とか靴って結構高いから」
「俺を侮るなよ。――店ごと買い占めてやる」
さすがに店ごとは無理だったかな。
「ふふっ。じゃあ、楽しみにしてるね」
よし、笑ったぞ。これで機嫌は治ったと考えてもいいよな。
チラリと横目で稲妻女を見る。
稲妻女は無表情のまま親指を立てていた。なんとか俺の首は繋がったようだな。
全くやれやれだ。このままここにいて、ハエ女が機嫌を損ねても困るので俺は足早に整備工場を離れた。
「貴様の好物を言え」
城に戻る道中、珍しく稲妻女から声をかけてきた。
「どうして」
「ベーゼル・バーグ様が今宵の晩餐会に貴様を招待なさるそうだ」
晩餐会ねえ、俺はそういう堅苦しそうなのは苦手なんだけどな。好物と言われても俺は何でも食べるぞ。だがまあ、強いてゆうとすれば……。
「フリチュール」
「ほう。下郎にしては洒落た物を好むのだな。いいだろう、料理長に伝えておく」
魔界の料理っていうとあれか、やっぱトカゲとかカエルとかを食べるのか? ……そういう偏見はやめとくか。考えてみれば、悪魔も人間と見た目がほぼ同じだし、シオウルに向かう途中で街の様子も見てきたが、人間と変わらない生活を送っているようだった。
「どうしたの? 何か考え事?」
こいつも普通の女の子だよな。逆に悪魔ってのが信じられないくらいだ。
「いや、なんでもない。それより晩餐会ってのはいつからだ?」
「えっと、メリリム、どうなってるの?」
「はい、午後の七時からだと聞いております。それまではお部屋でごゆるりとおくつろぎください」
そうなるとまたハエ女と二人きりなのか、苦手なんだけどな、女子と二人ってのは。
「……フリチュール」
部屋に戻るなりハエ女が呟いた。
「なんだいきなり」
「気に入ってくれていたんだ」
ああ、さっきの話か。咄嗟に頭に浮かんだ料理がフリチュールだっただけなんだがな。
「……まぁ旨かったからな」
「じゃあ……また作ってあげるね?」
上目遣いで俺を見て、控えめな声で言うハエ女。
「ん……頼む」
気まずい。妙な雰囲気だ。部屋が少し暑いせいか胸の鼓動が早くなっている。
「ねえ」
「んあっ?」
声が上擦った。とりあえず落ち着け俺。
「私、着替えるね」
「あっ、ああ、いいぞ」
「みたいの?」
そういうことか。
「先に会場いっとく……」
「うん、ありがとう。ごめんね」
部屋を出てから大きく深呼吸して俺は会場へと向かった。
――晩餐会会場。
厳かな雰囲気を予想していたんだが、意外と軽いノリだった。
晩餐会というよりは立食パーティだな。悪魔達は和やかなムードで食事を楽しんでいる。
さて、俺も適当に料理を食べて早々に退場するとしよう。
ドンッ!
俺が料理を取りにいこうとした途端、足元に何かがぶつかってきた。
「いった~い」
なんだこの既視感は。
「また貴方なの? やっぱりあのとき自害すればよかったのよ」
やはり今日の昼、俺にぶつかってきた赤毛のガキだった。
「黙れクソガキ」
「クソガキって何よ。さっきも言っていたけど、劣等種族の流行語か何かなわけ?」
「知らないなら教えてやる。お前みたいなクソむかつくガキのことを言うんだ」
「失礼ね。私にはリリンっていう立派な名前があるの。あなた、救いようのない馬鹿ね」
口の減らないガキだ。
「どうしたの?」
声をかけてきたのはハエ女だ。あぁ、なんか知らんがすごく落ち着く。
「このクソガキに礼儀を教えている最中だ」
「ケンカはだめだよ?」
「あっ、ああ、すまん」
こいつのドレス姿は反則だ。精神が萎縮して反論もできない。
白銀色の髪、黒のロングドレス。絶妙なコントラストだ。
「何よ、誰かと思えば弱小空軍のご令嬢じゃない」
『なっ? むかつくだろ?』
『まだ子供だから。ムキになってはダメ』
心の会話でハエ女にたしなめられた。俺が大人気ないだけなのか?
「やっぱり、魔界は空軍よりも海軍のほうが格上よね。気品や美しさでも貴女より私のほうが勝っているようだし」
底なしにむかつくガキだな。
「おいガキ、お前こそ馬鹿だろ。どこをどう見ても品格ならハエ女のほうが上だ」
これだけは断言できる。少なくとも俺はそう思っている。
「ちょっ、ちょっと、こんな場所でそんなこと……」
確かに周りの悪魔が何事かと俺たちを見ているが、別に気にすることでもない。
「お前……風邪か? 顔が赤いぞ」
「ちっ、違うよ」
否定しているが本当に赤面してるぞ。気分でも悪いのだろうか。
「……ふーん。そうなんだ、そういうことね」
クソガキが八重歯を出しながらニヤニヤしている。なんだ、気色悪い。
「ねえ、貴方。風の噂で聞いたのだけど、メセル・ギ・デスを追っているのでしょう?」
「そうだ」
「海軍の書庫に彼についての資料があるの。もしかしたら役に立つかもね」
それが本当なら是が非でも目を通しておきたい。だが何か不気味だ。
「どうせ何かとんでもない条件でも突き付けてくるんだろ」
「そうよ、貴方、私のモノになりなさい」
「ダメッ!」
なっ、なんだ? どうしてハエ女が叫ぶ必要がある。
『どうした?』
『あっ、ごめん。なんでも……ない』
俺がクソガキのモノねえ。要するにお守りみたいなことか。
「ああ、別にいいぜ。ただし、期間限定でな」
「えっ……」
「そう。なら契約成立ね。バイク……だっけ? 話で聞いて一度乗ってみたかったのよね」
「だっ、だめ……」
さっきからハエ女の様子がおかしい。
『どうしたんだよ。お前、バイク嫌いなんだろ?』
『そう……だけど』
『なら問題なくね?』
『でも、私以外の女の子を後ろに乗せたら……やだよ……』
なんで泣きそうな声になってるんだ。
「書庫にいくわよ。ついてきて」
『……………ばか』
歩きだそうとして足を止める。
『さっきからどうしたんだよ』
『………………ばか、ばかぁ……』
わからないじゃ駄目だよな。考えろ。
…………。
「やっぱり、いけねえ。お前のモノになるって言った俺の発言も忘れてくれ」
「情報、必要ないの?」
「勝つためには情報、これは基本だ。だが、誰かを泣かせてまで手に入れる情報なんてなんの価値もない」
これで……いいんだよな。
情報なんてなくても俺が責任をもってメセル・ギ・デスを追い詰める。絶対だ。
「すまん。やっぱり俺はお前が何に怒っているかわからなかった。でもどうしてもお前を泣かせたくないってことだけはわかった。……部屋に戻るか」
「……うん」
「待ちなさい」
会場を出ようとしていた俺達をクソガキが止めた。
「少し意地悪が過ぎたわね。あなたたち、とてもお似合いよ。いいわ、教えてあげる。メセル・ギ・デスが生み出すのは罪、これは知っているわよね。でも実は彼自身も罪なのよ。だから当然、実体なんかないわ。肉体の破壊で奴は倒せない。それを受け入れなさい。じゃあね」
クソガキはそれだけ言うとさっさと会場を出ていった。
「サンキューな」
俺は小さく呟き、ハエ女の手を取り会場を出た。
「下郎」
会場を出た先の廊下で俺に声をかけてきたのは稲妻女だった。
「もしお前がリリス殿と共に会場を出ていれば、私はお前を殺していた」
「……そいつはおっかねえな」
「だが今貴様の隣にいるのはお嬢様だ。……貴様の行動は、立派だったぞ」
いつにもなく優しい声音。心に突き刺さるような言葉。
「俺にだって本当に大切なものが何かくらい判断できるさ。ありがとな」
「もう夜も更けた。今日は部屋に戻って休め。明日の朝、人間界に送り返してやる」
「そうさせてもらう。――あぁ、それと」
「なんだ」
「これからも、俺のことを見ていてくれ。そしてもし俺がこいつを泣かせるようなことがあれば、そのときは遠慮なく俺を殺してくれ」
「……心得た」
部屋に戻り、ベッドに腰掛けていると隣にハエ女が座る。
「どうした?」
「なんでもないよ」
そう言うわりにはやけに嬉しそうな顔をしている。
「どうして嬉しそうなんだよ」
「嬉しいからだよ」
よくわからんな。いや、これからは理解できるように努力したほうがいいのか?
「あのね、私、いつも助けてもらってばかりだから、お礼がしたいの。何かあればなんでも言ってね? 私にできることならなんでもするから」
何でも……ねえ。なら、俺も少しこいつに甘えてみるか。
「じゃあ、一つだけ相談……ってか話を聞いてくれないか」
「うん。なあに」
「強く、なりたいんだ」
「どうして?」
「俺は人間だからだとか、戦う力がないだとかの言葉で逃げたくない。俺は自分で戦って、戦い抜いて、負けたとしても納得して死ねるだけの力が欲しい」
ベリアルが言っていた通り、俺は弱い。メセル・ギ・デスを追うなら、それに見合った力が必要なんだ。こいつに言ってどうこうなるかは別として、それだけは不安で仕方なかった。
「なら、私達と特訓してみる?」
「それで強くなれるのか?」
「うん」
「あぁ! する。頼む」
「じゃあ、肉体的な強さはメリリムにお願いするとして、私は魔力の使い方を教えてあげるね。でも今日はもう遅いから、明日からにしよう?」
俺は大きく頷き、そのまま寝具に横になった。
翌朝。
俺は軽い朝食を済ませてから稲妻女のもとに向かう。
「お嬢様から話は聞いた。だが私に教えを請うことを後悔するなよ」
「ああ。血反吐を吐いても、倒れ込んでも文句は言わねえ、へこたれねえ」
それだけの覚悟は決めた。強くなるためなら俺はなんだってやってやる。
「甘い。それだから劣等種族は進歩できんのだ。魔界では血反吐を吐いてからが本番だ」
とんでもない鬼教官だな。
だが今の俺にはそれくらいが丁度いい。
「どうした? 怖気づいたか」
「……逆だ。燃えてきた」
「精々燃え尽きないことだ」
そして地獄の特訓が始まった。
走力訓練。
「三千メートルを五分で走れ」
「はぁ? 普通に死ぬだろ。単純計算で五十メートルを五秒だぞ。不可能だ」
「泣き言などいらん。できないのなら死ね。――地獄門」
稲妻女は転送装置を呼び出し、リングの中から悪魔が飛び出してきた。
「お呼びでしょうか総隊長様」
「そこの下郎が速く走りたいそうだ。手伝ってやれ」
「承知いたしました」
悪魔が飛空し右手を突き出す。
チュドン!
「うぉっ!」
悪魔が怪光弾を打ち放ちながら追ってくる。
……五分後。
「はぁっ……はっ、不可能では……なかった……、な」
「当然だ。貴様の体にはお嬢様の魔力が流れているのだぞ。それでは次だ」
「少し休ませ……いや、なんでもねえ」
開始五分で音を上げてどうするよ。まだまだこれからだよな。
防御訓練。
「今度は何すればいいんだよ」
大量の砂利を手の平の上で弄んでいる稲妻女に聞く。
「今からこの石礫を貴様に向かって全力で投げる。貴様はそれを受け止めろ。今回は体ではなく頭を使えよ。避けるのではなく受けるのだ」
受ける……か。常識の範囲内なら砂利程度が体に当たってもダメージは少ない。最悪、自分の体で受けて衝撃を抑えてからキャッチすればいい。だが今回は事情が違うからな。
砂利が飛んでくる速度と威力を見てから対策を練るか。ならとりあえずは様子見だな。
稲妻女が大きく振りかぶり、手にもった砂利を……投げた。
シャッ!
ゴォォォオオオオ!!
「イイッ!?」
飛んでもない速度、まるで弾丸、いや光線だ。こんなのを受け止める? 無理だ。
俺の頭脳が『逃げる』という判断を神経に伝達する前に砂利は届いていた。正確に言うと、あまりの速さに大気との摩擦熱が生じ、俺の顔面ギリギリで自己消滅していたんだがな。
「今のはテストだ。小さい礫を選んでおいた。次は貴様の体を容赦なく貫くぞ」
まあ、今の速度で飛んでくるのなら人の体を貫くくらいわけないよな。
こうなりゃヤケだ。文字通り体で覚えてやるぜ。
「さぁ、きやがれ。俺は負けねえぞ!」
「言われなくてもそうするさ」
貫かれても再生できる左半身を前面に出し、両足でしっかりと大地を踏みしめる。
稲妻女が右腕を振り上げた。……くる!
アニメでヒーローが弾丸を掴んでいる姿をイメージ。俺は取れる。俺ならできる。
最善のタイミングを見極め、左腕を伸ばす。
パァァアアアアン!
俺の左肩が吹き飛んだ。
シュルルルル。
くそっ、ダメだ。もう一回。
ズバァアアン!
今度は左足、その次は左脇腹を砂利が貫通していった。
スピードには大分慣れてきた。だが圧倒的に硬度が足りないんだ。今のままでは砂利を掴めても手の中に維持できない。
「一つだけ助言をしてやる。貴様の左半身を形成しているのは魔力、魔力は血液、魔力は万能、使いこなせ。魔力を使いこなせたとき、貴様は一歩悪魔に近づく」
相変わらずわかりづらい説明だ。だが考えるのも修行の一環だよな。
魔力は血液、つまりは体を巡っている力だと考えよう。
俺の身体が再生しているとき、魔力が破損箇所に集まっている感覚がある。つまりは無意識のうちに魔力を一点に集中しているわけだ。それを再生以外で試してみるか。
肩、腰、足の魔力を腕に集中……。
バランスが難しいな。足の魔力が少ないと立っているのが困難になる。
「さぁ、再開だ。次はどこが吹き飛ぶかな」
稲妻女が振りかぶる。
集中、集中。魔力を集中した左腕が熱い。まるで腕の中に台風が潜んでいるようだ。
砂利が飛んでくる。俺は真っ直ぐに左腕を突き出す。
砂利と左拳が接触する……弾いた!
砂利の威力に負けてない。俺の拳は明らかに硬く、強くなっている。
失敗しても次、魔力が切れて腕が飛んだら再生。俺はそのサイクルで稲妻女が投げる砂利を次々と弾き、そしてその回数が千回近くになろうとしたとき。
パシッ!
「と……れた? どうだ! 見やがれこのやろう! できたっ! できたぞ!」
手の平の中で白煙を出している砂利を確認して泣きそうになった。
「それが魔力のコントロールだ。より本格的な指導はお嬢様が貴様に伝授なさるそうだ」
「ああ……よかった。俺にも……できた」
「今回ばかりは素直に褒めてやる。貴様には素質があるぞ。さて、では次だ」
人が感動の余韻に浸っているのにもう次か。アメとムチがうまい女だな。
戦闘訓練。
「貴様、何か格闘技はやっているか」
「ボクシングを少々」
「ほう、拳闘か、面白い。かかってこい、貴様の実力を見極めてやる」
その場で構える稲妻女。
トン、トトン、トーン、トーン。
俺は構えを取り、ステップを刻む。最初はゆっくり、そして徐々に大胆に。
相手の動向に注意し、様子見の左を……
スパーン!
閃光一閃。
俺の顎が弾ける。飛んできたのは稲妻女の左。
バットで殴りつけられたかのような衝撃。これが左かと思うと恐ろしくなる。
「脇を締めろ。拳を下げるな。格上の相手には足を使え。今のままでは下級悪魔にも勝てんぞ」
そう言われても速すぎる。目で追えない速度の拳をどう避ければいいんだ。
そうか……避けられないのなら、避けなければいい。
顔の前でガードをガチガチに固め、足先に魔力を集中。
ドッ!
今俺が出せる最高の速度で走り、一気に距離を詰める。
繰り出すのは右。まともに戦えば負ける。ならば全霊の一撃で勝負を決める。
スッ!
稲妻女のスウェー。俺の右拳が虚しく空をきる。
カウンターの拳がくる。大丈夫だ、わかっているから耐えられる。堪えろ、俺。
パン!
頭の中を響き渡る打撃音。それは、まるで稲妻のような速度の一撃だった。
耐えられる、耐えられないの話じゃない。俺の意識を根元から持っていくような衝撃。
――次元が……違う。
柔らかい。それにいい匂いだ。心地がいい。
「起きた?」
ハエ女の声だ。
「ん……あぁ」
むくりと起き上がる。俺が寝ていたのはハエ女の膝枕の上。
普段の俺なら飛び上がっていたんだろうが、今の俺はとても心穏やかだった。
「清々しいほど完璧に負けた」
「そうみたいだね」
「笑うか?」
「ううん。笑わないよ」
「そうか」
情けない。初日からこれじゃあ、先が思いやられるな。
「よし、特訓の続きだ。俺に魔力の使い方を教えてくれ」
ハエ女は小さく頷いた。
「あのね、魔力は基本的に自由なの。肉体の強化もできるし、空も飛べる。その人の存在能力によって千差万別の力になるの」
そういえば、俺も魔力を使っているのではないかと思う瞬間があった。稲妻女との鬼ごっこのときだ。感覚が研ぎ澄まされ、バイクと一体になっていたかのような不思議な体験をした。
「なあ、自分の能力を具体的に知る方法はないのか」
「普通は自分の力と向き合って、ゆっくり知るものなのだけど……うーん」
難しい顔で考え込むハエ女。
「少し荒修行になっちゃけど……いい?」
「スパルタは稲妻女で慣れてる。やってくれ」
「じゃあ今から私の魔力を飛ばしてみるから、受け止めてみて?」
「ああ」
要するにさっきの砂利飛ばしの魔法版みたいなものか。
ハエ女が右手を突き出す。そこから広がるのは海。いや、海を彷彿とさせるような蒼色の光。綺麗だ。自然と見惚れてしまう。俺の魂を引き寄せるような閃耀。
「じゃあ、いくよ」
ハエ女の合図に俺は慌てて左腕を突き出す。
「ああ、いいぜ」
蒼球が飛んでくる。俺は魔力を集中、左腕で迎え撃つ。
俺の左腕と蒼球が衝突する。
――ドクン。
まただ、またあのときの感覚だ。俺が単車と一体になったときと同じ……
蒼球は俺の腕に触れた瞬間に消失、いや……吸い込まれたように感じた。
俺の体にハエ女の魔力が染み渡っていくのを感じる。
「すごい……これは吸収? いえ、支配。私のお父様と同じ能力」
稲妻女との修行で蓄積していた傷と疲労が消えていく。これが支配の力なのか。
「じゃあ俺は単車やお前の魔力を支配したっていうのか?」
「そうだよ。私の魔力やバイクが自分の体の一部になったような感覚にならなかった?」
「まさにそんな感じだ。しかし支配か、どうにも悪役みたいな力だな」
「別にいいんじゃない? だって私達は悪魔なんだもの」
「俺はまだ半分人間だ」
この力は使える。これからみっちりハエ女に鍛えてもらおう。
――魔界で修行を始めてから五日が過ぎた。
午前中は稲妻女にシゴかれ、午後はハエ女と魔力の鍛錬。
過密で過酷なスケジュールを耐え抜き、俺もそれなりに強くなれた実感がある。
「じゃあ、最後の確認。いくよ?」
「おう!」
ハエ女の右手から飛んでくるのは極大の蒼球。俺は呼吸を静かに整える。
「――融結ッ!」
蒼球に向けて左手を突き出し、魔力の塊と左腕を結合。“支配”する。
「うん。合格だよ。大分スムーズにできるようになったね」
「まだ完璧ではないけどな、相手の力に合わせるのが難しいんだ」
「そうなの、それが一番大事。戦う相手と波長を合わせないと融結の力は使えない……」
俺が以前、単車を簡単に支配できたのは親父に頼まれて長年整備をしていたから。要するに愛着があったからだな。有機物でも無機物でも、相手を理解し、波長を合わせることができれば能力が発動するらしい。まあ、それがとんでもなく難しいんだけどな。
「テストも合格したことだし、そろそろ帰るか、家に」
「うん!」
修行は終わった。だがここからが本番だ。待っていろよ、メセル・ギ・デス。
俺とハエ女はベーゼル・バーグに挨拶を済ませ、人間界に帰るために稲妻女のもとに向かった。
城の外で腕組みをして立っていた稲妻女。こいつともしばらくお別れか。
「今までありがとな。あんたのおかげで俺は強くなれた」
「よくぞ、生き抜いたな。だが己の力を過信するなよ。上には上がいるのだからな」
「ああ、肝に銘じるよ」
「不思議だ、お前は二代目ベーゼル・バーグ様によく似ている。お嬢様を任せたぞ。――地獄門」
「任せろ。必ずこいつと一緒にメセル・ギ・デスを倒してみせる。じゃあな!」
俺たちは転送装置に飛び込み、魔界を離れ人間界へと帰還した。




