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第一章 俺は化物、ハエ男

 ――夢か。

 左腕を見る。大丈夫だ、ちゃんとついてる。

「だよな、あんなの現実にあるわけないよな……」

「おはよう」

「あぁ、おはよう。――って、うおぉっ!?」

 三メートルはとんだな。自己ベストだ。

 目の前にいたのは俺を殺した女と、その女と戦っていたもう一人の女。

「一体、お前ら、なんなんだよ!」

「私? 私は悪魔よ。ベーゼル・バーグっていう悪魔を知っている?」

 長髪の女が答えた。

 ベーゼル・バーグ……聞いたこともない。

「もしかして、ベルゼバブ、もしくはベルゼブブと呼ばれている悪魔のことですか?」

 俺を殺した女が言う。

 ベルゼバブってのは、ハエの姿をした化物だな。昔遊んだゲームで見たことがある。

「ベルゼバブって悪魔なら知っているぞ。ハエの王様みたいなもんだろ」

「そうそう。確か人間はそんな風に呼んでいたわね。でも正確にはベーゼル・バーグだし、完全に別物だよ。私はその悪魔の孫娘、ベーゼル・バーグ・ルカ。よろしくね」

 悪魔ねえ。面白い冗談だ。

「じゃあ、お前はハエ女だな」

 俺の言葉にハエ女はキョトンとした顔をしたかと思ったら、クスクスと笑いだした。

「ぷっ、あはは。私がハエ女? おかし~い」

 何が楽しいんだ。よくわからん女だ。

「命を救ってもらった人物に対してハエ女とはなんです」

 俺を殺した女が冷たい口調で言う。

「なんだ貧乳、命を救ったってのは」

「人のことを身体的特徴で呼ぶのではありません。コロシマスヨ?」

 殺すときたか、こっちは物騒な女だな。

「でも実際、そいつはハエの怪物の孫なんだろ? それにお前は貧乳だしな」

「そうですね、その理屈がまかり通るなら、貴方は“ハエ男”だ」

 は?

 俺のことをハエ男だといったのか? ふざけろ。俺は普通の人間だ。

「何をどう解釈したら俺がハエ男になるんだよ」

「現実を受け入れなさい。ではとてもユニークな事実をお伝えしましょう。貴方の左半身は既に貴方のものではありません」

 グー、パー。グー、パー。グー、チョキ、パー。

 適当に左手を動かす。普通だ。普段と何も変わらん。

「俺の体は俺のもんだ」

「……悪魔令嬢(デモンレディ)。彼に真実を」

「真実? そうねえ……なら、ドーンッ!!」

 アホかこいつら。まるで意味がわからん。

「……うっ、うおぉっ!?」

 飛んだ。

 俺の左腕が。

 飛んでいった。

 俺の左腕は直線的な軌道を描いたまま壁に激突すると消滅した。

 シュルルルル。

 奇っ怪な音が聞こえる。

 左腕を見ると、飛んでいき欠損した部分が再生しようとしていた。

 俺は自分の腕を見ながら思った。

 ――あぁ、俺は本物の化物になっちまったんだなってさ。

「待て待て、認める。確かに今、俺の左腕は射出されたな。だがどうして俺がハエ男になるんだよ」

「私が消し飛ばしたあなたの左半身を彼女があなたと契約するという形で復元しました。今、あなたの左半身は悪魔の力、魔力によって形成されているそうです。つまり……」

 ゴクリ。

 生唾を飲む。できればその先は聞きたくないのだが、そういうわけにもいかんよな。

「あなたがハエ女と呼ぶベーゼル・バーグのご息女の力で延命しているあなたも、立派なハエ男ということになります」

 オーマイゴッドだ、くそったれ。

「信じられませんか? ではもう一度切り離してみましょうか」

 貧乳女はスカートの中から大型の鉈、マチェットを取り出した。

「待て、お前、今どこからソレ出した」

「私はいついかなる状況でも戦闘行為を行えるように、体中に世界中のありとあらゆる凶器を仕込んでいるのです。ですから……」

 貧乳女は『やれやれ』といった感じで俺を見ながら、

「私に触れると裂傷しますよ?」

 と、言い切った。そんな危なっかしいことを『俺に惚れると火傷するぜ』みたいなノリで言うんじゃねえよ。

「それ、本物かよ」

「戦闘行為をするといったでしょう。あなたは玩具(おもちゃ)で戦えるのですか?」

 マチェットを手に取り確かめる。本物だ。

「しっかり手入れしてるな。普通は砥石自体が劣化して消耗品にしかならんもんだが」

「お詳しいですね。武器についての知識をお持ちなのですか」

「ん? あぁ、昔親父にサバイバル術を仕込まれたから刃物や銃火器の知識なら豊富だぞ。日常生活ではなんの役にも立たないけどな」

 いかん。こんなことを話している場合じゃないだろ。

「お前たちの目的はなんだ、どうしてあんな堂々と殺し合いをしていた」

 面倒事は御免だが、被害者である俺には知る権利があるよな。

「私はある一人の悪魔を探していたの。そしたらそこの女性に絡まれたのよ」

「私は執行者(エクスキューショナー)という機関の人間です。私の仕事は罪を裁くこと。よって罪を生み出す悪魔を狩ることも当然の責務になります」

 罪を裁くだの、悪魔を狩るだの言われてもよくわからん。

 ここは一つ一つ丁寧に疑問を解消していこう。

「まずハエ女。誰なんだ、その探している悪魔ってのは」

「そうね、あなた、ソロモン七十二柱って知っている?」

 自慢じゃないが、全く知らん。ホラー映画は好きだが、オカルトを全く信じないタイプだからな。それに悪魔なんて興味を持ったことすらない。

「災悪の七十二人の悪魔ですね。実力と権威を兼ね備えた悪魔がそれぞれ独立し組織した地獄の兵団だと私は聞いています」

 貧乳女は知っているのか。

「そうそう。それね、実は七十二だけじゃないの。全部で七十七まであって、その人たちは“番外悪”と呼ばれているのだけど、その中の一人に私のお父様が殺された」

 なるほどな。つまりは父親の復讐を果たすためにその悪魔を探しているということか。

「罪人という存在を生み出して、人の心を弄ぶ。その悪魔の名前は……」

 ハエ女が急に押し黙った。なんだよ、もったいぶらずに早く言えよ。

「奇遇ですね。実は私が属する機関も番外悪を探している。人の心に罪を生みつけ、人間同士、殺し合わせることを至高の喜びとしている忌まわしき存在……名は」

 もしかして、こいつらが探している悪魔って同一人物なのか?

「「メセル・ギ・デス」」

 お前ら、ほんとは仲いいだろ。

「お前達、利害一致してないか? だとしたら俺が死んだのって無駄死にじゃね?」

「そうなりますね」

 おい。

「そういうあなたこそ何者なのですか。私の力は本来、罪人にしか効果が及ばないのですよ」

 何者って言われてもな。今はハエ男らしいが、それ以前は普通の人間だったはずだ。

「俺の名前は黒城輝(こくじょうかずき)、普通の人間だよ。……あっ、お前、俺を化物呼ばわりして責任転嫁するつもりじゃねえだろうな」

「そっ、そんなことありません」

 声が震えてるぞ。

「でも、どうして俺を生き返らせてくれたんだ?」

「その子がね、すごくうるさかったの。それにあなたは私を助けようとしてくれたのでしょう? だから、お礼だよ」

 生きているのは嬉しいんだが、ハエ女に借りができたような気がしてスッキリしない。

「そういえば、さっき契約がどうとか言ってたな。具体的に俺はどうなるんだ」

 絶対に何かあるよな。悪魔との契約なんてマイナスイメージしかないぞ。

「どうにもならないよ? ただ……」

 ほら来たよ。世の中そんな上手い話があるわけないよな。

「私とあなたが運命共同体になっちゃっただけ」

「運命……共同体?」

「そ、あなたが死んだら私が死ぬし、私が死んだらあなたも死んじゃうの」

 最悪過ぎて言葉が出ねえよ。

 あー、ダメだ。現実逃避しよう。

「おい、貧乳。お前の名前は」

「運命共同体ですか、ユニークですね」

 三秒で現実に引き戻さないでくれ。

「誰のせいでこうなったと思っている……」

「私のせいだと言えば満足ですか? なら、私のせいですね」

 こんの、貧乳女ぁ……。

「それと、名前でしたね。私に名前はありません。アレでもソレでも好きにお呼びください」

 すでに貧乳女と呼んでいるがな。

「じゃあ、名前つけてやるよ。殺す殺す言うからコロスケでいいな」

「コロシマスヨ?」

 ぴったりじゃねえか。

「……あなた、もしかして致命的にネーミングセンスのないタイプですか。テレビゲームの主人公の名前を考えるだけで一日が終了するような」

「おいおい、なめてもらっては困る。俺は主人公の名前選択がある時点でそのゲームをきる男だ」

「終わってますね」

 そんな蔑むような目で俺を見るな。昔から苦手なんだよ、名前考えるの。

「あー、わかった。真面目に考えてやる。じゃあ、なんか好きな物とかないのかよ」

「強いて言うなら、武器と孤独と月が好きです」

 変な女。

「んじゃあ、お前がよく言う殺すのキルと、月を合わせてルヅキでどうだ」

「……あなたにしては上出来ですね」

 あっ、一瞬嬉しそうな顔しやがった。

「やめだ、やっぱりお前はコロスケだ」

「――なっ? 正気ですか?」

「お前たちの好感度なんて間違っても上げたくない」

「ふざけたことを、私は殺すと言っているのではなく、“劉す”と言っているのです」

「すまん、口で説明されただけだと意味がわからん」

 貧乳女がメモ帳にやたら難しい漢字を書いて俺に見せつけてくる。

 どうでもいいが、綺麗な字だな。

「劉すとは切り離すという意味があります。すなわち、人の(よこしま)を断ち切り、悔い改めさせるということです。何がコロスケですか、ふざけないでください」

 へいへい、わかりましたよ。貧乳女さん。

「よし、これでお前らの名前も目的もわかった。もう出て行っていいぞ」

 聞くだけ聞いてみたが、どうにも現実離れしすぎている。ここら辺で厄介払いしとくのが無難だろうな。

「私、ちょっとお散歩してくるね。すぐに帰るから心配しないで」

「人の話を聞いてないのかよ。もう帰ってくるなよ、ハエ女」

 ハエ女は俺に手を振って窓から飛び出していった。

「……で? お前はどうして出て行かないんだ」

「この家に来たときから感じていました。この家には罪の意識に取り憑かれている人間がいます。私にはそれを祓う義務がある」

「お前、何言って……」

 ガシャーン!!

 下の階から聞こえた衝撃音。さっきの貧乳女の発言と合わせて嫌な予感が消えなかった。

 階段を駆け下りて、居間を覗き込む。

 視界に飛び込んできたのは、床に倒れ込んでいる親父とニヤニヤと不気味に笑っているお袋の姿。

「親父、お袋!」

「アヒャ、ウェヒははは」

 狂ったかのように笑い転げる俺のお袋。

「おいっ、親父、しっかりしろ。大丈夫か」

 反応はないが脈はある。よかった、親父は生きている。

 それにしても、あのお袋の豹変はなんだ。

「あなたのお母様は罪の意識にとり憑かれてしまったようですね」

 罪の意識だと? お袋は平凡な主婦だぞ。罪の意識に苛まれるようなことがあるわけない。

「心当たりはありませんか。では、これも偽造された罪。メセル・ギ・デスの仕業……」

「おい、これはどうすればいいんだ。お袋はどうなる」

「安心なさい。罪を祓うために私は存在する。今からあなたのお母様を劉します」

 そう言うと貧乳女はチョーカーからロザリオを取り外し、お袋に向ける。

判定(ジャッジ)

 ロザリオから光が放たれた。居間全体を覆うのは眩いばかりの白光。

「あなたも来なさい。親しみのある人間がいればそれだけで罪に対して有利になれる」

 意識が遠のく。

 俺の意識は刈り取られ、粒子のような“存在”となり、お袋の中へと吸い込まれた。


 ――気がつくと俺は見知らぬ場所にいた。


 その場所の風景は極彩的で幾何学的で、『サイケデリック』とでも言うべきか、とにかく形容しがたい光景が広がっていた。

「戸惑っているようですね。ここは人の心の精神世界、つまりあなたのお母様の心象風景を現している」

 精神世界、心象風景、本当にファンタジーの世界だな。ついていけんよ。

「……つまり、俺のお袋は普段こんなサイコなことを考えてるとでも言うのか」

「それは違うと思われます。今は罪の意識に精神を侵されている。この光景はその影響でしょうね」

 とりあえずは一安心といいたいところだが、そうもいかない。

「それで、今から俺たちは何をすればいいんだ」

「罪の意識を生み出している存在を見つけ出し、劉す。つまりは精神から切り離すのです」

 よくわからんが、とりあえずそうするしかないんだろうな。

 意外と“そいつ”はすぐに見つかった。

「お袋……」

 思わず呆気に取られる。それはそいつの見た目がそのまま、お袋だったからだ。

「あら、なあに? 私と遊びたいんでちゅか? ぷっ、ぷふっ、ふゃああっはっはー」

 何が……可笑しい。何をそんなに笑うことがある。

「俺のお袋の姿で……これ以上俺の家族を馬鹿にするんじゃねえぞ」

「落ち着きなさい。そのままではドツボだ」

 拳を握り込み、飛び出そうとした俺を貧乳女が止めた。

「教えてくれ、“アレ”は……なんなんだ」

「処刑人の間では“罪人”と呼ばれています。罪人は複数のタイプが存在し、中でもあのタイプは喜怒哀楽の内の楽を司る罪人。我々は(ファニー)と呼称しています。楽に取り憑かれた人間は楽しさを見出すために人を殺す、いわゆる快楽殺人者(サイコキラー)になるのです」

 俺のお袋はそんなわけのわからないものに取り憑かれちまったのか。

「それで、その劉すってのはどうすればいいんだよ」

「基本的に罪人には戦闘能力はありません。むしろ危険なのはあなたのお母様の本能」

「は?」

「百聞は一見にしかず。とりあえずは見ていなさい」

 そう言うと貧乳女はゆっくりと歩き出す。

「聞きなさい、ファニーフェイス。執行者条約第七条により、あなたには選択をする権利がある。大人しく処刑されるか、それとも抵抗して処刑されるか、さぁ、どちらか選びなさい」

 それ、選択って言わなくね?

「くっ、クヒッ! 無慈悲なる処刑集団、執行者。フヒャッ、ほっ、本物だよ。シひっ」

 罪人はケタケタと笑いながら大地を蹴り、一気に跳び上がった。

「……抵抗を選びましたか。その意気や良し、と言ったところですね」

 貧乳女がどこからか武器を取り出す。確かあれは射出型のスタンガン、テーザー銃。照準を定め、引き金を絞ると銃口からワイヤーのついた電極が射出される。電極は見事に罪人の体に突き刺さり、

「グベラバッ! ベベべレバ、ぶべ」

 瞬間的に五万ボルトもの電流が体中を巡りまわる。

「おい、やったな。なんだ、ほんとに弱いじゃねえか」

「まだです」

 貧乳女が銃口から飛び出しているワイヤーを掴み、力任せに振り回す。

 すると空中で悶えていた罪人の体は重力に引き寄せられ、凄まじい勢いで地面へと叩きつけられた。

「グひひ、死ぬの……たの……しい? 違う……殺すの……楽しい! いひひっ」

 どこまでも得体の知れないやつだ。お袋の姿をしていなければ、ぶん殴ってやるのに。

「おい、さすがにこれで終わりだろ。こいつ、もう動けねえぞ」

「先程もいいましたが、ここからが本番なのです」

 ――なんだ?

 四方八方から触手のようなものが飛び出して……罪人の体を包んでいく。

「追い詰められた罪人は宿主の防衛本能と直結し、本格的に自己防衛を始めます」

「さっきから専門用語が多いんだよ。俺にもわかるように説明しやがれ」

「……ここからが罪人の本気、そしてそれを倒せば罪人を体の外に追い出せる。これでどうでしょうか」

「よし、わかりやすい」

 俺は罪人に目を戻す。変化は既に始まっていた。

 ばきばきと音を立てながら精神世界の大気が歪む。

 地面が裂け、天が焦げていき、幾何学的な精神世界のエネルギーが罪人を包む触手に向かってとんでいく。不気味な触手はそのエネルギーを取り込み、妖しい光を放っている。

「――生まれます」

 その言葉の直後だった。

「グラァァァァアアアアアアアアアアアアッ!」

 雄叫びと共に触手の中から飛び出してきたのは銀色の獅子。

 獅子は鋼色の鎧を身に纏い武装していた。鋭利な牙、刃物のような爪、まるで全身が凶器だ。

 対峙しているだけで後ずさりしたくなるような圧力、威圧感ってやつか? を感じる。

「おい、あれとも戦うのかよ。完全に化物だぞ」

「言うまでもありません。私は生まれてから今までずっと戦い続けてきたのですから」

 そう言いながら袖口から日本刀を取り出す貧乳女。もう突っ込む気力もない。

「さあ来なさい。もっとも、寄らば斬るだけですが」

 刀を鞘にしまった状態で構えている。抜刀術ってやつだな。

 その言葉に答えるように獅子が咆哮を上げ、飛んだ。

 速いっ!? 速すぎる。十メートルはあった距離を瞬時に詰め、ナイフのような爪を貧乳女に振り下ろす。

「斬ると……言ったでしょう」

 刹那の斬撃。高速の一閃が獅子の爪を切り払った。

「ギャオオォォォォォォォオオオ」

 獅子が悶え、震え、唸りを上げている。

 起き上がった獅子は後方へと飛んで距離を取り、俺の方へと視線を移した。

 あれ……これ、まずくないか。

「――しまっ……」

 獅子が凄まじい勢いで飛んでくる。ダメだ、逃げるにしても遅すぎだ。間に合わん。

 覚悟を決めて歯を食いしばる。

 獅子の牙が俺の体に突き刺さろうとした瞬間、横から飛んできた別の影が俺を突き飛ばした。

「おっ、お前……大丈夫かよ」

「はい、平気です。私の判断ミスでした。申し訳ありません」

 平気なわけがない。俺を庇ったせいで貧乳女の右太股を獅子の牙が掠め、血が流れ出している。

「……お前、俺を守ってくれたんだな」

「仕事の途中で他人を巻き込んだら寝覚めが悪くなります。それだけです」

 素直じゃないやつ。

「今度は俺がお前を守ってやる」

「――えっ?」

 俺のせいで女性が傷ついた。許せないよな、許せるわけがない。

 ――あいつは俺が倒す。

「よし、やるぞ」

「でもどうするのです。(ファニー)は予想以上に素早いのですよ」

「お前、確か全身にあらゆる武器を隠し持っているっていったな」

「? そう……ですけど」

「なら当然、あれもあるよな。“スペツナズ”だ」

「バリスティック(弾道)ナイフですか? 確かに数本所持していますが……」

 貧乳女が腕を振ると、袖口から数本のナイフがガチャガチャと音を立てながら飛び出してきた。本当にどこに隠し持っているんだよ、これ。

「さっきも言おうと思ったが、お前、すげえ面白いな。ビックリ人間かよ」

「そう言うあなたも十二分に愉快ですよ。ハエ男」

「そういや俺も化物だったな。おい、これ借りるぞ」

 テーザー銃のワイヤーを引きちぎり、スペツナズの“仕掛け”に括る。

「よし、簡易だが(トラップ)の完成だ。このワイヤーを持って俺が合図をしたら引けな。――んじゃあ、俺はいってくるぜ」

「は、はあ……」

 スペツナズを四本手に持ち、獅子めがけて真っ直ぐに走る。

「おい、ライオン。ご主人様が遊んでやるぜ。ほれ、こい」

 獅子は遠吠えをし、犬歯を剥き出しにしながら俺に向かって駆けてくる。

 俺は全速力で駆け回り、スペツナズの柄を地面に突き刺していく。

 これで準備は整った。あとは度胸とタイミングだな。

「よし、よく走ったな。ご褒美だ、受け取れ」

 俺が部屋の中央に立ち左腕を差し出すと、銀色の獅子は左腕に喰らいついた。

「ぐっ、ガルゥ?」

 歯ごたえのない俺の腕を噛み砕き、不思議そうな顔をしている。

「今だ! 引けっ!」

 獅子に咀嚼されている左腕を切り離し、仰向けに倒れこみながらそう叫ぶ。

 ポスッ!

 ヒュン! ヒュン! ヒュン! ヒュン!

 刃の弾丸、スペツナズナイフの真骨頂。仕組みは簡単、本体に仕込まれた強力なバネ仕掛け。

 柄の先から飛び出したナイフの切っ先が、四本全て獅子の体に突き刺さり、獅子はうめき声を上げながら悶えている。

 シュルルルル。

 左腕が再生している。この光景にも慣れてきたな。

 俺はゆっくりと立ち上がり、再生した左の拳に力を込めた。

「お袋の体からさっさと出て行きやがれ、畜生めっ!」

 獅子の体に渾身の左ストレートを叩き込む。

「グッ……ギャラアアー」

 俺に拳を打ち込まれた獅子は、もんどりをうって倒れこんだ。

 ベリ、ベリベリベリベリ……

 装甲が剥がれた!

「罪人が逃げます。出ますよ」

「おう」

 俺の意識は再び粒となり、外の世界へと飛び出す。

 ――覚醒する意識、研ぎ澄まされる感覚。

 俺たちは居間で棒立ちになっているお袋の前に立っていた。

 しばらくすると、お袋の体から靄のようなものが飛び出すのが見える。

「あれが知覚できるようになった罪人です。今から罪を裁きます」

 フォォオオン!

 貧乳女が突き出した右手に集まるのは闇。

 全てを飲み込むブラックホールのような漆黒。

判決(ディサイド)……」

『アハハはっ! 許……して。キヒヒッ、バイバイ、バイバイ』

 泣き叫ぶ罪人、それを冷静な表情で見ている貧乳女。

(デス)……(ペナルティ)……ッ!」

 それは俺を殺した黒球だった。大気を捻じ曲げるほどの凄まじいエネルギーの塊が、罪人を跡形もなく飲み込んでいく。俺はその常識離れした光景をただ呆然と眺めていた。

「えぇ、赦しますとも。罪を憎んで人を憎まず。これでまた罪のない一人の人間が救われました……ありがとう」

 右手に残る闇を振り払い、貧乳女は小さく言っていた。

 その後、俺は床に倒れ込んだお袋と親父を救うために救急車を呼び、病院へと運んだ。

 医者の診断は原因不明の病。いわゆる特定疾患と呼ばれるものの部類にお袋は含まれるらしい。親父も頭を強く殴打されたらしく意識不明の重体。

「おい、お袋は今後どうなるんだ」

 静寂に包まれる深夜の病院のロビーで、俺は救いを求めるように聞いた。

「罪人に憑かれた人間が完治する方法は二つあるとされています」

 逸る心を抑え込み、必ず救済があると信じて疑わず、俺は次の言葉を待つ。

「罪人に取り憑かれた本人が、罪人が宿主の心に生み残した罪悪感に打ち勝つか、罪人を生み出す諸悪の根源、メセル・ギ・デスを殺すかの二つです」

 つまりは、お袋自信が親父を殴り倒した罪の意識を打ち消すか、誰かがその極悪悪魔を倒すしかないというわけか。

 まいった。俺にもメセル・ギ・デスを追う理由……できちまった。

「それでは……私はこれで失礼します」

 頭を下げ、この場を去ろうとする貧乳女。

「おっ、おい、どこいくんだよ」

「今この瞬間にも罪の意識に悩まされている人間が大勢いるのです。私にはそんな人たちを救う義務がある。それが執行者の宿命です」

 引き止めるなんてできるわけがない。俺と同じ境遇になる人間が増えてほしくなかったから。

「おい」

「はい?」

「頑張れよ」

「……あなたも気落ちせず、日々の生活を謳歌してください。私が、いえ処刑人である我々が必ずや、メセル・ギ・デスを倒してみせますから」

 コツコツと歩いていく貧乳女の背中を俺は黙って見送った。

 看護師に両親のことをしっかりと頼み、俺は帰宅する。

 誰も迎えてくれない家、灯りのともらない部屋。

 心なしか居間がいつもより広く感じる。

 俺はどうすればいい。あの女が言った通り日々の生活を謳歌する? とてもじゃないが、そんな心境にはなれない。力が……欲しい。俺にも両親を救うための力が……。

「ただいま~」

 玄関の開く音、底なしに明るい声。

 ハエ女の声だ。あのヤロウ本当に帰ってきやがった。

「ねえねえねえ」

 パタパタと歩いてきたハエ女が俺に詰め寄ってくる。

「あんだよ」

「狭くてもいいから適当な部屋を貸してくれないかしら」

「何をするつもりだ」

「ええとね、いいわ。見て」

 ハエ女が指をパチンと鳴らすと、突然大量の銃火器が俺の頭上から降ってきた。

「待て待て待て待て待て待て待て」

 あれ、俺今、何回待てって言った?

「七回だと思うけど?」

「ああ、ありがとう。……って……ん?」

「ふふっ……かわいい」

 それにしてもすごいなこれ、まるで世界の銃火器の展覧会だ。手の平サイズの小型拳銃(デリンジャー)から重量が四0キロ近くある重機関銃ブローニングm2まであるぞ。

「戦争でもするつもりかよ」

「あなたを生き返らせるのに魔力を使いすぎて、今の私は人間より少し強い程度まで力が落ちているの。だから戦うためにはこれくらい集めないとね」

 そうか、こいつも親父さんを殺されたとか言っていたな。今ならこいつの気持ちが痛いほどわかる。少しくらいは協力してやるものいいのかもしれない。

「親父の書斎、今は使ってない」

「使ってもいいの?」

「武器庫としてしばらく貸してやる。だがそれだけだ。家には泊めんぞ」

「……うん。ありがとう、嬉しい。この武器、運んじゃうね」

「さっきみたいにしまったり出したりできないのかよ」

「さっきの力も魔力を使うの。メセル・ギ・デスを倒すまでは魔力を極力節約しないといけないから」

 そう言って女の細腕で銃火器を持ち上げ、書斎に運ぼうとしている。

「待てよ、重いだろ。俺がやる」

「え? うん」

 大量の銃火器を書斎にしまい込むのに軽く一時間はかかった。

 まてよ? あの銃の出処はどこだ。もしかしてヤバイ所から持ってきたんじゃ……。

「あっ、安心して? ちゃんと上手くやってきたから」

「さっきも思ったが、なんで俺の考えていることがお前にわかるんだ」

「私の心にあなたの感情が流れてくるの。だからなんとなしにあなたの考えがわかる」

「……俺のプライバシーは?」

「契約すると、そうなっちゃうの……ごめんね」

 まあ、考えていることを悟られるのは嫌なんだが、そのおかげで今生きていられると考えれば安いものか。

「もうこんな時間か……腹減ったな」

 そういえば晩飯も食べていなかった。俺は料理ができないし、これからどうするかな。

「私、お料理できるよ」

「だったらなんだよ」

「ついでに言うと、お洗濯もお掃除も得意」

 随分と家庭的な悪魔様だな。

「つまるところ、お前は何を言いたいんだよ」

「家事をするからここに住まわせて?」

「嫌だね。これ以上面倒事はごめんだ」

「でも、どっちにしてもあなた、私のそばにいないと魔力が切れて左半身を維持できなくなっちゃうよ?」

「親もいない家で得体のしれない女と同棲するくらいなら、死んだほうがマシだ」

 グゥゥウウ。

「お腹……鳴ってるよ」

「そうだな」

 本格的に空腹だ。だがここで引き下がってこの女に料理を作らせたら、まるで俺が餌付けされているみたいじゃないか。そんなのはゴメンだね。

「我慢しないで? じゃあ私、お料理だけ作ったらすぐに出て行くから。それならいいでしょ?」

 そう言ってハエ女はキッチンに歩いていく。

 しばらくすると香ばしい香りとともにハエ女の声が聞こえた。

「できたよー」

 俺は食卓に座り、箸を手に取る。

「なんだ、これ」

 揚げ物のようだが日本ではあまりみないような形をしている。

「チキンのフリチュール。私の得意料理なの。美味しいから食べて?」

 フリチュールと呼ばれた食べ物を口に運ぶ。

 一回、二回と咀嚼するうちに自然と涙が溢れた。

「どっ、どうしたの? 美味しくなかった?」

 突然の出来事にハエ女が仰天している。

「俺のな……お袋が作る唐揚げそっくりなんだよ……ちくしょう……涙が……止まんねえよ。ばかやろう……」

 完全に不意打ちだった。俺の頭に浮かぶのは倒れたお袋と親父の姿。

「お母様……どうかしたの?」

「俺が……俺が弱いから……守れなかった。親父もお袋も……俺のせいで」

 情けなかったよ、惨めだったよ、俺はなんて無力な人間なんだって考えると涙が止まらなかった。

「それは違うよ。あなたは弱くなんてない。今だって必死にお父様とお母様を助ける方法を考えているじゃない。大丈夫……きっと二人共助かるから。だからたくさん食べて明日から頑張ろう?」

「あぁ……ああ……」

 少し塩辛くなったフリチュール。俺はこの味を忘れない。

 食事を終えるとハエ女は食器を綺麗に洗い、食卓周りを掃除した。

「じゃあ、私はこれでいくね。武器が必要になればまたくるから」

 ハエ女は明るい笑顔でそう言う。

「おい」

「うん。なあに?」

「お前、親父さんを殺されたんだろ」

「そうよ」

「辛くないのかよ」

「辛いよ」

「悲しくないのかよ」

「悲しいよ」

 俺の問いかけにこの女は淡々と答える。考えるまでもなかった。親を殺されて平気な子供がいるわけがない。だからこそ、俺はこいつの明るさが気に食わなかった。

「ならどうして、そんなに平然としていられるんだよ。俺なんかに笑顔を見せるんだよ」

「私の名前……ルカって、魔界の言葉で“明るい光”って意味なの。お父様は殺されてしまったわ。でもどこかで必ず私を見ていてくれていると思うの。だからお父様がどこにいても私のことがすぐにわかるような、そんな明るい女性に私はなりたいから」

 俺は馬鹿だ。自分だけが世界で一番不幸にでもなったかのような気になって、他人を妬んで。

「お前、どこか行くあてあるのか」

「ううん、ないよ。でも平気、いざとなれば野宿でもしてみるから」

「メセル・ギ・デスを倒すまでなら……家にいても……いいぞ」

「本当に?」

「妙なことをすれば、すぐに追い出すからな」

「ふふっ、優しいのね。ありがとう」

 ああ、くそ。最悪だ。どんな形であれ、俺が女と同棲だなんて。

 恥ずかしくて女性を名前で呼べない癖……直さないとな。





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