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洗濯ばさみ

~崎野編~

「そこの少年、ちょっと、キミ」

どこか遠くから声がするので、僕は左右をみる。人はいない。

「そうキミ、上だよ上」

声主に従い上を見上げると女性がいた。

マンションのベランダから手を振る女性。恐らく彼女が声主だろう。

「悪いけど、そこに洗濯バサミが落ちてないかな」

言われて地面を見る。洗濯バサミが落ちていた。気付かなかった。

あります、と大声で言うのが恥ずかしいので、洗濯バサミを拾い手を伸ばす。見えるだろうか。

「そう、それ。よかった~。それさ、悪いけど上まで持って来てくれない?413号室」


僕は学校に行く途中だったが、時間には余裕がある。

それに、なんとなく断り辛かった。大声で、無理ですと言うことは、少し勇気が必要だ。


部屋を確認する。413号室。間違いない。

僕はブザーを押した。「はーい」女性の声が聞こえた。


遠目では分からなかったが、出てきた女性は思ったより若かった。

20歳前後だろうか…。高校1年の男子に年頃の女性の年齢を当てるのは難しい。



女性は僕に、お礼と労いの言葉をくれ、ココアまで勧めてくれたが、それについてはさすがに遠慮しておいた。

「これから学校なので」

女性は少し残念そうにしてから、「ちょっと待って」と部屋に入り、包装されているお菓子をくれた。

「よかったら、また来てね。美味しいココアもらったんだけど…私一人じゃもったいなくて。誰かに飲んでもらいたかったんだ」

僕は適当にうなずいた。少し不用心な気もした。

この女性の外見は男の心を揺すぶるのにそれほど苦労しないだろうと感じられる、つまり美人だった。


僕には自分にはもったいないほどの可愛い彼女がいた。付き合って1カ月だ。

だから、この時は洗濯バサミの女性を見ても運命的な出会いと感じることもなく、学校に着いた時には忘れているほどだった。

電車で席を譲る、その程度の印象だった。




それから1年後、あのマンションで飛び降り自殺があった。

あのマンションは、僕たちの学校から近い位置にある。学校まで徒歩で通う僕の通学路でもあるくらいだ。

事故当日もマンションの前を通ったが、そういえば少し騒がしかったかな、と感じた程度だった。


「20代の、若い女性だったんだって」

僕にはもったいない可愛い彼女は、あれからも順調に付き合い、1年が過ぎていた。

その彼女が暗い表情でクラスメイトから聞いた噂を僕に話してくれる。

僕は洗濯バサミの女性を思い出して胸騒ぎがした。

「遺書もあって、いろいろ疲れたって、そういうことが書いてあったみたい」

「何階から飛び降りたんだろう?」

「さぁ…」

4階から飛び降りたら死ねるのだろうか。

飛び降り自殺をしようと思う人間にとっては少し頼りない高さに思えた。恐らく大丈夫だろう。



そう思いながら心のしこりが取れなかった。



帰り道、僕は洗濯バサミを拾った位置で上を見た。

4階だ、あの部屋だろうか。

この辺りで警察が現場検証をしている様子はない。

現場は通学路からは見えない中庭の方かもしれない。やっぱり無事だろう。

しかし気になる。そうこう考えてる間に、僕は413号室の前に立っていた。



崎野、表札にはそう書かれていた。

1年前は確か何も書かれていなかった。妙な緊張を共にしながらブザーをおした。

もし引っ越していたなら前の住人の知り合いだと言えばいい。「はーい」と明るい声が聞こえた。


「あら」

女性は意外な来客に驚いたのか、一瞬目を丸くし、次第に頬を緩ませた。

「いらっしゃい。遅かったわね」

中に入るよう促してくれた。やはり不用心だと思う。花柄のレースのついた部屋着のような格好だった。


リビングの真ん中にはこたつがどうどうとしていた。

僕は促されるままこたつに入る。こたつの中は温かい。

「ココアでいいかしら?」

「まだココアがあったんですか?」僕は思わず吹き出しそうになる。

「だから言ったでしょ。一人じゃもったいないって」言ってから歯を見せて笑った。左側にだけできるえくぼに、僕は見とれていた

崎野さんはコーヒーを飲んでいた。

「ココア嫌いなんですか?」と聞くと「ううん、コーヒーの方が好きなだけ」と言う。

なるほど、ココアは減らないかもしれない。





そこで、僕の記憶はぷつりと切れた。





警察の呼びかける声で、僕は一度目を覚ました。

辺りは暗く、地面は冷たかった。いつの間に移動したのか、分からない。警察も驚いている様子だった。

「おい、大丈夫かい?」

はい、と答えようとしたものの声が出ない。身体が動かない。

「今、救急車を呼んでいるから」

そこで僕は身体が痛むのに気付いた。崎野さんはどうしたのだろう。

そうして、そのまま眠りについた。




どうやら僕はあのマンションから飛び降りたらしい。

どこからか、そういう情報が耳に聞こえてきた。

自殺だとか、事件性はないだとか、どうして、だとか。



僕が聞きたいよ。



飛び降りた記憶も、殺された記憶も、自殺に悩んだ記憶も、僕にはなかった。

可愛い彼女はどうしているだろうか。

無責任なことに、家族よりも彼女が気になった。


そして、崎野さんに疑惑を抱く。

僕の、最後の記憶はそこなのだ。



ふと気付いた時、僕は魂だけの存在になっていた。



眠っている自分の傍に母親がいる。ベッドの隣のイスに座って僕らしきものを見おろしている。

姿形は僕と同じ、僕らしきもの。でも僕は母親の隣に立っていた。

そんな僕には気がつかず、また、涙一つ流さず、

ただ眠っている僕らしきものを見ていた。



これがいわゆる、幽霊というやつか。

僕は自分の死をあっさり受け入れた。




僕は崎野さんのところに行った。

崎野さんは413号室のこたつでコーヒーを飲んでいた。


「こんにちは」崎野さんは笑顔で言った。

「あなたが、僕を殺したんですか?」僕はあまり恨んではいない様子だった。

ただ知りたかった。僕を殺した理由を。ここであった出来事を。


「いいえ」言ってから崎野さんはコーヒーを飲む。

「こたつにはいったら?ココアでいいかしら?」

にこりと笑う。左側のえくぼが浮かぶ。

「話して下さい。記憶がないんです。どうして僕は死んだんですか?」

僕の返事を聞くより早く、崎野さんはココアを作りはじめた。

僕は言われた通り、こたつの中に足を伸ばした。温かい…気がした。


「僕は死んだのですね」確認しておきたかった。

「ええ」崎野さんはコーヒーに視線を落とす。

「今の僕は幽霊なんですか?あなたには何故僕が見えるんですか?あなたの知っていることを教えて下さ

い」

いままで冷静であった頭が熱くなってきた。


知りたい。


その思いが強まる。

どうして今まで冷静に死を受け入れていたか、そのことがむしろおかしく感じた。


「キミが自殺をしたのはキミのせい。って言ったらいくらなんでも酷かな。言いかえると、達の悪い悪霊のせいかしら」

崎野さんは首を左に傾けて上目づかいに言った。うーん、と考えながら話している。


「キミは少し霊に好かれやすい体質だったから、私がその体質を変えてあげるって提案したの。その代わり代償をいただくけどね」にこりと笑う。可愛らしいえくぼが浮かんだ。


「キミはその提案を断った。だからキミは霊のせいでひどくナーバスになって自殺という道を選んだ」

崎野さんは僕の方をまっすぐに見ていた。


そうですか、と納得できそうな気もした。

しかし、どこかで納得するなと叫ぶ僕がいる。


「いろいろ聞きたいことがあるんですが」僕は混乱していた。

「どうぞ」と崎野さんはにっこり笑う。

「まず、僕が霊に好かれやすい体質っていうのは、本当ですか?」

崎野さんは眉毛をよせて、ムッとした表情を作った。

「今の説明に嘘はないわ。信じる信じないはキミの勝手だけど、信じないなら説明するだけ馬鹿らしいから質問しないで」

慌てて「すみません」と僕は言った。「信じます。ただ色んなことが突然すぎて、うまく飲み込めなくて」

崎野さんは頷いた。「しょうがないわね、他は?」

「代償ってなんですか?」

「彼女と別れることよ」崎野さんは即答した。

「彼女?」僕は驚いた。

「どうして彼女がいることを、いえ、彼女のことを知っているんですか?」僕は訊いた。

崎野さんは少し黙ってから、「その辺の詳細は長くなるから省かせていただきたい」と変にかしこまって言った。

「彼女と別れたら、僕は自殺をしなかったんですか?」

「少なくとも、今回の自殺は免れたわ。でもね、人は早かれ遅かれ死ぬの。その時悔いのない決断をしたんだから、あまり気にしないことね」コーヒーをすする。呑気な人だ。

「どうして僕は記憶がないんですか?」

「それは私が消したの。契約を結ばない場合はこのことを他言されないように記憶を消すの。契約成立の場合も、他言しないように約束させる」

「このマンションでもう一人、若い女性が自殺しましたよね。それも悪霊のせいですか?」あなたのせいですか?という皮肉もこめたつもりだったが。

「それは秘密」唇に指を当てウインクをして、それを流した。


「僕と出会ったのは偶然ですか?」

「出会いはいつも偶然よ」

「崎野さん、あなたはいったい、何者なんですか?」

目が合った。崎野さんは僕の目をまっすぐ見る。

「あくま、かな」曲線を描いた唇がそれを告げた。


僕はこのまま成仏をしてした。

事の真相は知りたくもあり、また知りたくもなかった。


人は遅かれ早かれ死ぬのだ。


もし悪魔の取引が交渉しても、この先の人生苦しんだだけだろう。

なぜだろう。素直に死を受け入れられた。


崎野さんの笑顔を思い出した。

どちらかというと天使のような、愛らしいえくぼを見せる温かな笑顔だった。


最後までお読みいただきありがとうございます。


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