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1094日前、私は彼女を海に連れて行くと約束した。
1095日後、私は今も借金を返すために働いている。
ボロボロの小屋、一匹のコーギー、そして追放された天使――それが僕の仮初めの家族だ。
今日もまた、狩りに行く。
でも、海はまだそこにあって、待っている。
生活と約束、そして波に溶けていくものたちの物語。
長く広い道を、色褪せた街灯の下で、ひとりの男が疲れ切った足取りで歩いていた。自分では家と呼んでいる場所へ向かって。人気のない丘のそばに建てられた、今にも崩れそうな家。そこには、追放された天使と一匹の犬と、男が一緒に暮らしている。
カチャッ
「帰ってきたのか、カボコ」
扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、肩の落ちた白いTシャツ姿の天使だった。色はすっかり褪せ、長いこと洗っていないように見える。その下には、細く白い太ももがのぞいている。
「ワンワン!」
家の奥から駆けてきたのは、男が引き取ったコーギーだ。名前はミラ。ノコゾウ・ミラ。
まだ重い足にまとわりつき、吠えながら帰りを歓迎する。
「そんなに俺の帰りを待ってたのか」
男はしゃがみ込み、ミラを目の高さまで抱き上げて言った。
「ああ、土産があるぞ」
そう言って手に持っていた袋を下ろし、高級ドッグフードの箱を取り出す。近くの器に山盛りに注ぎ、ミラの前に差し出した。
「それから、俺はカボコじゃない。カブキだ。間違えるなよ、アルゴ」
言いながら、生の牛肉を一切れ、天使のほうへ放る。彼女はいつものように受け取らず、鋭い牙で獣のように噛みつき、肉を引き裂きながら言った。
「はいはい、分かってるよカボコ」
それ以上アルゴに構わず、男は自分の領域へ戻る。そこはほとんどゴミ捨て場のような寝室だ。
扉を閉めると、いつもの夜と同じように、疲れた体を染みだらけのマットレスに投げ出す。手には、幸せだった頃からずっと持ち続けている写真。
家のどこを見渡してもまともな物は残っていないのに、その写真だけは驚くほど丁寧に保管されていた。どれも皺ひとつない。
数え切れない狂信者を冷酷に処理してきた荒れた手が、今は写真の中の若い顔を優しく撫でる。そこに写っている少女は、顔立ちも体つきもアルゴに似ている。ただ、髪の色や瞳の色、牙だけが違う。
真っ白な夏のワンピースに、つば広の麦わら帽子。可憐な笑みを浮かべている。その姿はまるで天使のようだった。
写真は強烈な薬のように、神経の隅々まで刺激し、彼の心を温める。カブキの目は穏やかに写真を見つめる。その視線は、世界そのものを愛しているかのようだった。
「千九十四日か……もうそんなに離れてるのか」
「まだ約束、果たせてないよな……でも明日こそは」
「もうすぐ海を見せてやるよ」
「私の大切な人」
やがて男は眠りに落ちる。疲れた一日が終わる。
夜だけが、この荒んだ人生の救いだった。眠っている時だけが、本当に自分の居場所のように感じられる。隈だらけの目を開けると、時計はもう十時近くを指していた。
ゆっくり起き上がり、つま先を伸ばし、肩を回す。いつものように洗面所へ向かう。
鏡の中に映るのは自分ではない。陰鬱な男。光を失った目。長く伸び放題の灰色の髪。
「Let's start the new day together!」
そう呟いて身支度を済ませ、黒いパーカーと黒い手袋を身につける。キッチンで簡単な朝食を作る。アルゴの分と、自分の分。ミラは器に餌と水を入れるだけでいい。
朝食は、目玉焼きを挟んだトースト二枚、レタスとトマト、紙のように薄い肉。それで十分だ。
「起きろ、アルゴ」
綿とゴミを詰めた段ボール箱に布をかけただけのテーブルに皿を置き、声をかける。
「ほら、起きろ」
揺さぶられたアルゴは目を開ける。
「ん……朝か、カボコ」
「ああ、朝だ」
料理を見た瞬間、彼女は眉をひそめた。
「これ嫌い! もう飽きた! 何回も食べさせたじゃん!」
皿を持ち上げ、投げようとしたその手首を、灰色の男が掴む。
「やめろ。今日だけ我慢しろ。明日は絶対、山盛りの肉を食わせてやる」
「信じない! 何回も聞いた!」
「本当だ。肉だけじゃない。アイスもソーダもだ」
怒っていた顔が、急に静まり返る。考え込むような表情。
やがて彼女は渋々食べ始めた。まるで子どもだ。
食後、カブキはミラの器に餌を山ほど入れる。溢れるほどに。優しい目でそれを見つめながら、どこかに影を落とす。
「行くぞ、アルゴ」
「待って、着替える!」
数分後、白いTシャツに淡いピンクのファーコート、黒のレギンス、黄色いスニーカー、大きな黒い袋を二つ持って現れる。
「行こ!」
「……ああ」
外の世界は家とはまるで違う。雲を突き破りそうな高層ビル。鉄の馬のような車。無数の人間。
「今日は夢の天使だ」
「夢の天使? 楽しそう!」
指定された場所へ向かう。
そこにいたのは、賞金四十万円の首。灰色の肌、光で色が変わる瞳。それ以外は人間と変わらない。
傍らには七歳ほどの少女。父の足にしがみつき、震えている。
「何しに来た!」
「金だ」
その一言で、瞳は深い黒へと変わる。
戦いは短かった。骨のぶつかる音。拳。爪。血。海水。
最後に男は少女の前に立つ。握りしめた拳が白くなる。
首を締め、海水を流し込む。やがて少女は灰になる。
「カボコ……何したの」
「金を稼いだだけだ。腹減ったろ。飯にしよう」
その日、五体の天使が消えた。
夕暮れの海辺。波音。祭りへ向かう人々はもういない。
「タバコ吸わないのか。映画だと格好いいって」
「彼女が嫌いだったから」
「彼女って誰?」
「俺が知ってる中で一番すごい人」
やがて口論になる。平等なんてない。価値で回る世界。殺さなければ生きられない。
沈黙。
「散歩、しよう」
二人は砂浜を歩く。
やがて海へ入る。水を掛け合い、笑う。悪魔と天使が、ただの若者のように。
夜。月が高い。
花火が上がる。
「千九十五日か……」
「……ごめん」
カブキの体は花火の雨の中で溶けていく。
波打ち際に、アルゴだけが残された。
親愛なる読者の皆さん、最後まで読んでくれてありがとうございます!
心から感謝しています。




