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八花は沈黙に咲く ― 神花戦記 ―

作者: 竹内 昴

第一章 光なき花

夜の地下道は、雨上がりの水を吸って冷たく光っていた。

日向透ひゅうが とおるは、足を止める。

床に――朱の輪。

まるで生きているかのように脈打ち、淡い金の光を放っていた。輪の中央には八つの小花の印。


「……なんだ、これ。」


風が抜け、どこかで鐘が鳴ったような気がした。

彼は指を伸ばしかけ、引っ込める。輪の影が動いた。

逆向きに――透の動きと反対に。


そのとき、背後から声が落ちた。

「見えるのね。」

女の声。

振り向くと、淡い銀の瞳をした女性が立っていた。

黒いローブの裾が風を拾い、彼女は静かに微笑んだ。


「あなたが、“選ばれた者”。」


「選ばれた……?」

八花輪はっかりんが呼んだの。名前は?」

「……日向、透。」

「――そう。では、“光の子”。ようこそ。私はセリア・ルナ。月の導師。」


彼女は朱の輪の中央に手をかざした。

その瞬間、印が呼吸するように光を吐き、透の胸の奥で何かが鳴った。


“ア・イ・サ・ク”


意味のない音。だが懐かしい。

幼いころ、母が亡くなる夜、川辺で光る蛙を見た。そのとき、確かに聞いた声。

彼の心臓が一瞬止まり、再び打つ。


セリアは言った。

「――花が咲くとき、人は己を思い出すの。」



第二章 入花儀にゅうげぎ ― 初咲の道


翌日、透は郊外の丘に立つ古い修道院へ導かれた。

門には、八つの花弁を刻んだ真鍮の紋章。

「ここは“花輪の庵”。八花の記憶を継ぐ場所。」


中庭の中心に、水鉢があった。

セリアは白衣をまとい、透に言う。

「これより“入花儀”。あなたの魂が咲く瞬間。」


水に手を浸す。

冷たいはずの水が、胸の奥に温かく流れこむ。

小さな白い蕾が水面に浮かび、月光を受けて光った。

「あなたの流れを観よ。」


透の呼吸に合わせて、水面が波打つ。

八弁の花が一つずつ開いていく。

「これが“初咲”。」

セリアの声が遠くなり、代わりに母の声が胸の奥で響いた。


――透。恐れないで。花は誰の許しもいらない。


涙が一滴、水に落ちた。

その瞬間、胸の中心に白金の光が灯る。

“ア・イ・サ・ク”。音が形になり、身体の内側を駆け巡った。


八弁の花が炎のように輝く。

セリアは祈るように言葉を重ねた。

「これが、“花人かじん”への第一歩。」

光が静まり、透は立ち上がった。

胸の中には、確かに何かが咲いていた。



第三章 八花の覚醒


それからの日々、透は修行を重ねた。

まず訪れたのは、水の導師――リア・ミズハ。

穏やかな少女でありながら、その眼差しは嵐を宿していた。


「感情は流すもの。押し殺すと淀む。」

リアは透を滝の下に立たせ、何時間も雨を浴びさせた。

「泣けるなら泣け。怒るなら怒れ。どれも、花の水。」


滝の轟音の中で、透は叫んだ。

母を失った痛み。孤独。過去の自分。

そして――影の記憶。

黒い瞳の少年。自分に似ていた。名は……ノワール。


リアは静かに言った。

「恐れも流れ。流れは愛へ還る。」

滝の水が光り、透の涙が混じる。

その瞬間、背中に八つの光点が灯った。


次に訪れたのは、火と氷の戦士――ゼン・カグラ。

闇の鍛冶場で、ゼンは透に短剣を渡す。

「壊せ。だが、創れ。」

透は剣を振るい、氷壁を砕く。

破片が舞う中、ゼンは笑った。

「破壊は終わりじゃない。空間をつくる行為だ。」


訓練の後、透の手の中で短剣は光の粒になって消えた。

「それが“無為創造”の型。お前はよく見ている。」


日が沈み、夜の修道院に戻ると、セリアが待っていた。

「おめでとう。あなたの八花の芽が動き始めた。」


しかし、静寂の夜に、もうひとつの声が囁いた。

――透。俺を、忘れたのか?

あの影の声。胸の奥が冷えた。

外界では、黒い花が咲き始めていた。




第四章 神花の戦士たち


修道院の鐘が鳴る。

夜明け前の薄闇を切り裂くように、セリアが走り込んできた。

「虚界ヴォイド教団が動いた。花輪の封印を狙っている。」


外界――それは愛を“欠陥”と呼び、感情を消すことで人を完全にしようとする思想の集団だった。

彼らの神は“無”。すべての存在を“等化”する黒い理。


八花尊たちは、光の大聖堂に集結した。

リア・ミズハが水晶の泉を前に祈り、ゼン・カグラは火を纏う。

ネオ・ハルヴァが音叉を鳴らすと、空気が震え、オリス・テイラの木々が呼応した。

リオナ・ステラの掌に小さな星が灯る。

クロウ・ヴェインは静かに目を閉じ、雷のような息を吐く。


セリアが透の肩に手を置いた。

「日向透。あなたの中の影が、鍵になる。」

透は頷いた。

その影こそ、ノワール。彼は今、敵として現れようとしていた。


第五章 影の侵入


その夜。

デコイ経蔵――教団の記憶を守る巨大な空間が、黒い霧に覆われた。

虚像曼荼羅が作動し、侵入者の姿を偽装するはずだったが、今回は逆だった。

曼荼羅が“実像”を映し出したのだ。


そこに立つのは、透に瓜二つの青年。

瞳だけが深紅に染まり、胸に黒い八花が咲いていた。


「やあ、透。」

ノワールが笑う。

「ずいぶん明るくなったじゃないか。けれど、光はいつか燃え尽きる。」

「お前は何者だ。」

「お前だよ。」


リアが前に出る。

「離れなさい!」

だが黒い蔓が瞬時に伸び、彼女を水ごと吹き飛ばす。

ゼンの炎が応戦するも、黒炎に呑まれた。


セリアが祈りの印を結ぶ。

「デコイ・コード起動、虚像展開!」

曼荼羅が展開し、ノワールの動きを一瞬止める。

しかし彼は微笑んだ。

「この場所は俺が造った。虚像は俺の影だ。」


床が割れ、光と闇の渦が広がる。

透はセリアに叫んだ。

「封印を!」

「だめ、彼を閉じればあなたも……!」

透は微笑んだ。

「いいんだ。俺は俺の影と向き合う。」


第六章 カズラとカワズの試練


透の意識は、暗い湖の底に落ちた。

音がない。光もない。

ただ、水面に映る過去の自分。

泣いている。叫んでいる。

母を失い、世界を呪い、何も信じられなくなった少年。


――それがノワールだった。


水面を裂き、カズラが伸びる。

彼の手に絡みつく。

「結び、流れ、また結ぶ。」

リアの声が遠くから聞こえた。


透は蔓を握りしめた。

過去の痛み、怒り、後悔。

全部、結ぶ。

「ありがとう。」


蔓が光り、水が金色に変わる。

その中でノワールが立っていた。

「赦すのか?」

「違う。抱きしめる。」

透は歩み寄り、影を抱いた。

冷たさが胸を貫き、次の瞬間、温かい波が全身を包んだ。


水面から二人が浮かび上がる。

ノワールの黒い花が白に変わり、風に散る。

「これが……“結びの術”か。」

透は静かに微笑んだ。


第七章 神花戦記


湖の上――八花尊たちが再び集う。

虚界の軍勢が押し寄せ、黒い空を覆う。

ヴォイド教団の首領“ゼロ”が姿を現した。


「愛は欠陥。苦しみを生む毒だ。世界は無で完成する。」


透は前に立つ。

「無もまた愛の一部だ。だから俺は、否定しない。」

「ならば消えろ。」


ゼロが放った黒い光線が大地を裂く。

リアが水の盾を展開し、ゼンの炎が黒を焼く。

リオナが星光で空を裂き、ネオの音が敵を震わせる。

クロウが稲妻を放ち、オリスの木々がそれを導く。

セリアの月光が全員を包み、戦場は一瞬、夜空のように静かになった。


透は胸の中の八花印を押さえた。

白金の花弁が一枚ずつ剥がれ、彼の背に光の翼が生まれる。


「俺は、“八花”そのものだ!」


光の矢が放たれ、ゼロの胸を貫く。

だが、ゼロは笑った。

「光は闇を生む。お前もまた、闇だ。」


その言葉に、透は頷いた。

「そうだ。俺の中に、闇がある。だからこそ――咲ける!」


爆音。

八花曼荼羅が展開し、光と闇の衝突が世界を包む。

すべてが止まり、時間が一瞬だけ凍った。


第八章 逆転法輪


静寂の中、声がした。

「透。」

アリア・ソル――八花輪の教祖が、白い衣をまとって立っていた。

「戦いは終わりではない。花は、内に咲くだけでは足りぬ。」

透は問いかけた。

「どうすればいい?」

「外へ咲きなさい。」


曼荼羅が反転し、光が逆流する。

八花尊たちの力が透に集まり、ひとつの“新しい花輪”が生まれた。

その名は――永花法輪えいかほうりん


アリアの声が風になる。

「愛は沈黙。沈黙は永遠。あなたはもう、“導師”ではなく、“人”として咲きなさい。」

透は目を閉じ、頷いた。


第九章 外へ咲く


それから数年後。

透は都市の片隅で、小さな花屋「ルミナリエ」を営んでいた。

看板もなく、名前も出さない。

けれど、訪れる客はなぜか後を絶たなかった。


「この花、優しい香りですね。」

「ありがとう。花は、沈黙で語るから。」


ある日、少女が店を訪れた。

病院にいる母に贈る花を探していた。

透は白い小花を差し出す。

「この花の名は?」

少女が尋ねる。

透は微笑んで答えた。

「“ア・イ・サ・ク”。」


少女はその言葉を繰り返した。

外の光が店に差し込み、花弁がきらめく。

まるで、世界がもう一度息を吹き返したようだった。


終章 八花は沈黙に咲く


夜。

透はひとり、地下道に立っていた。

かつて朱の印を見た場所。

今は何も残っていない。


彼は指で空気に円を描く。

八つの花弁。

光はない。けれど確かに形があった。


風が吹き抜け、遠くで誰かが笑う。

“ア・イ・サ・ク”

音ではなく、記憶のように胸に響く。


透は微笑んだ。

「花は語らず、しかし香る。」


彼の背後で、見えない八花がひっそりと咲いた。

その香りは、誰にも気づかれぬまま、街全体を包み込んでいった。


――八花は沈黙に咲く。

そして、世界はもう一度、愛に目を覚ました。



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