第90話 思い……出した!!
本日は大魔将とやらが東京湾にやって来る日。
関東圏の企業に勤める大多数の会社員は休みになっていた。
完全な休みではない。
彼らには義務が課せられている。
冒険配信を見て、大魔将と戦う配信者を応援することだ。
だが、休みといえば休みみたいなものなので、彼はその状況に感謝していた。
「今日も働き続ける電力会社と、通信関係の会社の方には頭が上がらんな……」
R氏は何本ものビールとおつまみを用意し、ノートPCの前に陣取っていた。
戦いは余談を許さない状況だ。
「うーむむむ……。苦しいもんだな、配信者は」
ぐびっとビールを飲む。
美味い。
会社を休んで飲むビールのなんと美味いことか。
画面の中で必死に戦う配信者には悪いが、R氏はこの状況を楽しんでいた。
なにせ、これと言って推しの配信者などいないし。
「いない……? そうだったかな……。俺は確か、去年にはダンジョン配信を見てたはずなんだけど」
見始めたキッカケは、チャラウェイという配信者のアーカイブだった。
そこでチャラウェイは誰かとコラボしてたはずで……。
思い出せない。
一年弱に渡り、配信を見てきた記憶がすっぽりと抜け落ちている。
「……まあ、いいか」
あたりめをかじりつつ、R氏は唸った。
以前からずっとそうだ。
心の中にポッカリと穴が空いたような。
確か、二ヶ月前はそんなではなかった。
もっと充実していた気がする。
時を同じくして、同じ会社の若手社員もなんか精気のない顔をするようになった。
マシロとかいう名前の女子だ。
若い子がそんな顔をしているのは気の毒でならない。
だが、下手な声掛けはセクハラである。
R氏には見守ることしかできなかった。
「配信者、頑張れー。うーむ。なんだかこう……前はもっと情熱的に応援していた気がするのに」
画面の中の配信者たちは必死に戦っている。
海からやってくる、悪意に満ちた海産物みたいなモンスターは数限りなし。
次々に小規模な配信者から倒れていく。
大丈夫か?
大丈夫なのか?
心配になって、つまみの味も分からなくなってくる。
画面の中では、唯一配信者ではない人物……。
迷宮省長官の大京嗣也が、巨大な怪物たちと戦っているところだった。
一体ならまだしも、二体が相手となると分が悪そうだ。
「長官頑張れっ! 珍しく現場で戦う議員!」
思わず応援に熱が入る。
だが、やはり状況は厳しいか……!
その時だ。
きら星はづきがやってきた。
R氏もよく知っている、世界でもトップの配信者である。
彼女の登場から、状況の雰囲気が変わった。
勢いづいた配信者たちは、モンスターの群れを押し返し始めたのだ。
ホッとするR氏。
椅子に深く腰掛けて、ビールをあおった。
ふた缶めが空になる。
良かった。
これでつまみを楽しめる。
だけどなんだろう、この胸の中にポッカリ空いてしまった穴は。
とても盛り上がるシーンなのに、自分はいまいち乗り切れない。
その理由を言語化できず、R氏は唸っていた。
相変わらず、つまみのナッツは味がしない。
画面の中では、巨大なモンスターを撃破したきら星はづきが凸待ちをするところだった。
この状況で凸待ちとは剛毅な。
ちょっと笑ってしまうR氏。
そんな彼の表情は、凸ってきた配信者を見た瞬間に固まった。
『あのっ、自分、この間初配信した黒胡椒スパイスって言います! おじさんなんですけどバ美肉して、一念発起して配信したんです! あのはづきっちさんと話せるなんて光栄っす!』
新人っぽい、緊張した喋り。
だけど、何となく分かる。
そこには計算が混じっている。
見た目は小さな女の子。
だけど中身は社会人経験のあるおじさん。
可愛いツインテールの黒髪に、エプロンドレス姿のその配信者は……。
何か、何か出てきそうだった。
彼女のピックアップが終わった後、R氏はその配信者、スパイスのチャンネルを探していた。
いや、アワチューブトップ画面に戻った瞬間、おすすめ動画として先頭に存在している!
R氏はすぐにそれをクリックした。
流れるようにチャンネル登録。
眼の前で、彼女のチャンネルの登録者数が跳ね上がっていくところだった。
彼女は別の衣装に変身し、魔法を使う。
さらに衣装チェンジ。
このオレンジのドレスは知ってる気がする……。
そして、最初のエプロンドレスに戻る黒胡椒スパイス。
新人がこれほどの衣装を持っているものだろうか?
そんな彼女の周囲を、飛頭蛮マイクと言われるASMR機器が飛び回った。
『そんじゃあ、いっくぞー! 記憶をぶっ飛ばされてるねぼすけの君たちに……スパイスがとびっきりのお目覚めボイスをプレゼントしちゃう! すーっ』
息を吸い込むスパイス。
飛頭蛮マイクがやって来た瞬間、彼女が口を開いた。
『まーだざこざこ魔女の記憶操作にやられちゃってるのぉ? ほんっと、お兄ちゃんとお姉ちゃんの魔法抵抗力ってざーこ。ほらほら。せーっかくスパイスが戻ってきたんだから、思い出せー。思い出せー、スパイスのことー。それともこう言わないと思い出さないかなー?』
電撃に打たれたようだった。
R氏の脳裏に、存在しなかったはずの記憶が溢れ出す。
バ美肉配信者、おじさんなのに可愛い、けしからん、こ、このガキィ……!!
『ハミチキください……』
「うおおおおおおお!!」
叫んでいた。
立ち上がる。
ワイヤレスイヤホンからは、彼女の囁きがまだ聞こえている。
記憶が、消えていた記憶が戻って来る。
「思い……出した……!! スパイスちゃん! 黒胡椒スパイスちゃん!!」
R氏は椅子に飛び乗ると、猛烈な勢いでコメント欄にタイプした。
「おかえりスパイスちゃん!! お肉共の一人、ランプとして我らがメスガキおじさんの帰還を歓迎します!!」
あふれるコメント。
その速度が加速した。
もうまともに読んでいられない。
登録者の増加も加速する。
止まらない。
画面の中で、群がるモンスターたちめがけて、スパイスが手をかざした。
『いまー! お肉どものパワーを受けて! スパイス~復活のぉ~! マインドショック!!』
灰色の波紋が巻き起こる。
それは配信者たちを素通りし、モンスターだけを的確に狙い撃つ。
行動の最中だったモンスターたちは、突然のショックに激しく痙攣し、腰を抜かし、地面に落ち、泡を吹きながらバタバタとのたうつ。
そこに他の配信者たちがとどめを刺していくのだ。
『いえーい! 黒胡椒スパイス、完全復活! みんな、たっだいまー!!』
「おかえりーっ!!」
R氏……いや、ランプ氏はコメント欄にあふれるお肉どもと一緒に、叫んでいたのだった。
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