幽霊騒動
「ど、どうしましたか?伊月様」
若干声を上擦らせながらも優しく問い掛け、皇は顔だけこちらを振り返る。
が、直ぐさま前を向いた。
『な、涙目なんて反則……!』と呟く彼を前に、俺は気にせず口を開く。
「幽霊だ!幽霊が出た!」
「はい……?」
素っ頓狂な声を上げて再度こちらを振り返る皇は、『幽霊……?』と戸惑った。
意味が分からないといった様子で瞬きを繰り返す彼に、俺はこう捲し立てる。
「今すぐ、盛り塩をしないと……!それから、霊媒師も呼んで……!」
「ちょ、ちょっと待ってください。具体的に何があったんですか?」
混乱中の俺を宥めるように肩を掴み、皇は『詳しく説明してください』と述べた。
とにかく一度落ち着いて話をしようとする彼に対し、俺は焦れったい感情を抱く。
『それどころじゃないんだよ!』『早くしろよ!』と怒鳴り散らしたくなる衝動を押さえ、前髪を掻き上げた。
「タオルケットだよ、タオルケット!」
「えっ?」
「俺の部屋は完全な密室だったのに、何故か掛けられていたんだ!」
「あぁ……」
納得したように首を縦に振り、皇はどこか遠い目をする。
思ったより小さい被害に、呆れてしまっているのかもしれない。
何となく気まずそうに視線を逸らす彼の前で、俺はムッと顔を顰めた。
「嘘じゃないぞ!本当にタオルケットが掛かっていたんだ!」
「あっ、はい。それは分かっています。伊月様の発言を疑ってなど、いません」
慌てたように表情を取り繕い、皇は『大丈夫ですよ』と優しく優しく言い聞かせる。
まるで、子供を相手する時みたいに。
こいつ……俺を馬鹿にしてんのか!
これでも、一応お前と同じ二十歳だぞ!
まあ、大学生の皇と引きこもりニートの俺じゃ社会的地位やステータスは違うかもしれないが!
でも、この対応は納得いかない!
釈然としない気持ちを抱え、俺はギロリと皇を睨みつけた。
「もういい!お前になんて、頼らねぇーよ!」
そう言うが早いか、俺は皇の傍を離れ、キッチンへ直行する。
様々な調理器具や食材が並んだ空間を一瞥し、俺は塩を引っ掴んだ。それも、袋ごと。
ん?ちょっと待てよ。塩って、普通のやつでいいのか?
それとも、この岩塩?粗塩?焼き塩なんてやつもあるな。
棚にある塩のストックを見やり、俺は『とりあえず、全部持っていくか』と考える。
でも、そうなるとかなりの量になるため引きこもりニートの俺には重労働だった。
『クソッ……!もっと鍛えておくべきだったか』と思案しながら何とか全ての塩を持ち、来た道を引き返す。
が、やはり量が多くて一袋落としてしまい……また、運が悪いことに俺はソレに足を取られた。
その結果、見事体のバランスを崩す。
やべっ……!このままじゃ、頭を打つ!
後ろに倒れる体を前に、俺はギュッと目を瞑った。
その瞬間、何かに背中を支えられる。
おかげで、転倒せずに済んだ。
「大丈夫ですか?伊月様」
聞き覚えのある声に導かれるまま目を開けると、そこには皇の姿が。
どうやら、俺の体を支えてくれたのは彼らしい。
「だ、大丈夫だけど……」
「なら、良かったです」
安心したように表情を和らげ、皇は俺から手を離す。
と同時に、床へ落ちた塩と俺の手にある塩を全て回収した。
「これから重いものを持つ時は、私に声を掛けてくださいね。いつでも、お手伝いしますから」
「お、おう……」
まだ衝撃が残っていて素直に返事すると、皇はニッコリと微笑む。
『約束ですよ』と言いながら俺の隣に並び、ふと階段のある方向を見つめた。
「それから、幽霊退治についてですが────本当に懲らしめてしまって、よろしいんですか?」
「えっ?」
「だって、その幽霊は何も悪さなんてしてないじゃないですか」
「!」
カッと目を見開く俺は、口元に手を当てて考え込んだ。
た、確かに……悪さなんて、してない。
むしろ、俺が風邪を引かないよう気遣ってくれたように思える。
それなのに、いきなり盛り塩だの霊媒師だの呼んで懲らしめるのは……可哀想っつーか、罰当たりだよな。
相手が幽霊だからと過敏になり過ぎていたことを反省し、俺はようやく冷静になる。
「そうだな……皇の言う通りだ。退治はやめる」
『守護霊的な存在かもしれないし』と思いつつ、俺は肩から力を抜いた。
すると、皇はホッとしたように胸を撫で下ろす。
「では、この塩たちは元の場所に戻しておきますね」
「ああ。悪いな、余計な仕事を増やして」
「いえいえ、これくらい何ともありませんよ。それに私は伊月様のお役に立てるのが、嬉しいんです」
茶色がかった瞳をうんと細め、皇は機嫌良く笑った。
かと思えば、チラリと掛け時計を見る。
「おっと、そろそろお夕飯の時間ですね。直ぐに美味しい料理をお作りしますので、伊月様はリビングでお待ちください」
『下拵えは終わっているので、本当にすぐ出来上がります』と補足する皇に、俺は首を縦に振った。
一人で自室に戻るのは、少し怖くて。
たとえ、相手が親切な幽霊でも。
さっきは頭に血が昇っていたから一人でも行けるような気がしていたけど、冷静になった今は無理だわ。超怖い。
『今日、眠れるかな……』と悩みながらキッチンを出ていき、俺はリビングのソファへ腰を下ろした。




