2 後編
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「あの……本当に無料で出張していただいてもいいんですか?」
「ええ、構いません。これ程強力な呪いを放つ霊がどんなものか、払い師として興味がありますし」
二週間後────
私と背後のヤツ、そして払い師の三人は、馬車でジェラートの住むフロート伯爵邸へと向かっていた。
『神のお告げにより、ご子息を清めたい』と手紙を送れば、あっさりと訪問の許可が下りたらしい。神殿の力ってすごいな。
さっきから、ふんふんと身体を揺らしたり、鼻唄を口ずさむ払い師。そんなに楽しみなのかしらと心配になるくらいだが、なんとなくいい人なのは分かる。
一方背後のヤツとは、あれから一言も口を利いていない。あ……違う。覗き見問題でまた喧嘩したんだった。何度言ってもお手洗いやお風呂についてこようとするから、変態って言ったらブチ切れられちゃってさ。はあ、視えのも聞こえるのも面倒くさい。
そんなことを考えている間に、気付けばフロート伯爵邸に到着していた。
通された応接室で緊張しながら待っていると、憎きジェラートが優雅に現れた。
くうっ、顔だけはいいんだから!
払い師の背に隠れていた私に気付くと、ジェラートの余所行きの顔が、嫌悪感丸出しの冷たい表情へと一気に変わっていく。腹が立つし、失恋の傷も疼くけれど……彼に憑いているもののせいだと思えば、仕方ないと思える。
本当に浄化なんて出来るのかしらと不安になりながらも、ソファーに向かい合って腰掛けた。
警戒心をあらわにするジェラートに、払い師は事の経緯と、彼の背後に憑いている悪霊について、淡々と説明する。
全てを聴き終えたジェラートは、自分の背後をチラリと見ながら、ふうと浅い息を吐いた。
「……お話は分かりました。ですがそこのメロンだかスイカにとっては悪霊でも、私にとっては守護霊なのでしょう? 私は特に何も困っていませんし、問題なく生活しておりますので。浄化は結構です」
ぬああにをぉ!? と掴みかかろうとする私を、払い師は手でさっと制した。
「貴方の守護霊が抱える怨念は、非常に強力です。知らず知らず、貴方の心身にも影響をもたらしていると思いますよ。そうですねえ……たとえば、人を上手く愛せないとか、そもそも人に対して愛するという感情を抱けないとか」
思い当たることがあるのか、ジェラートは渋い顔で押し黙る。
「浄化を受けていただけば、貴方も貴方の守護霊様もスッキリされると思いますよ。お代も頂きませんし、折角なので試されてはいかがでしょうか?」
しばしの間の後、ジェラートは「分かりました」と頷いた。
払い師さん、ナイス!
私の時と同じように、払い師は例の蝋燭をテーブルに置くと、点けた火をフッと息で吹き消す。ゴホゴホと煙にむせるジェラートの背後には、彼によく似た黒髪黒目の美女が現れた。
「では、四人で対話を……」と言いかけた払い師を、凄まじい冷気がヒュウと襲う。ウエッと嘔吐く苦しそうな身体を支えていると、美女が恐ろしい形相で、私の背後を睨みつけていた。
『チェリシア、どうか……どうか私の話を訊いて欲しい』
ヤツの懇願を無視し、カッと見開いた黒目から、強烈なブリザードを放つ美女。これにはジェラートまで震えている。
ちょっと! 守護霊のくせに、護るべき子孫まで怖がらせてどうすんのよ!
「ウッ……ウエッ、これは……対話どころではありませんね」
払い師は蝋燭をどけると、一枚の紙を素早くテーブルに広げた。そこには小さな魔方陣が描かれている。
「これは?」
「説明は後です。死にたくないのなら、とりあえずこの上に手を置いてください」
訳が分からないまま言われた通りにすると、払い師はブツブツと呪文を唱える。すると魔方陣から、翡翠色の光の円柱が立ち昇った。
天井に届く程の眩しい光に、ううっと怯むジェラートと美女。徐々に淡く小さくなっていく光の中から現れたのは、翡翠色に輝く二つのグラスだった。
うわあ……なんて綺麗なの!
しゅわしゅわと細かい泡が踊る、鮮やかな翡翠色の液体。大きくて透明な氷の上には、白いバニラアイス? が島みたいにぽっかりと浮かんでいる。天辺にはホイップクリームと……さくらんぼ? 色が赤すぎるけど、柄のついたこの形からして間違いないだろう。それと、ハート型に捻れた細い筒状の何かが二本、液体の中に立っていた。
よく見れば、二つのグラスはトレイの上に載っており、スプーンも四本添えられている。
「異世界から取り寄せた、魔除けの飲み物です。怨念を鎮めつつ、徐々に対話をしていきましょう」
そう言うと払い師は、グラスを一つとスプーンを二本だけ残し、後はトレイごと棚の上に片付けてしまった。
「どうぞ、そちらを二人でお召し上がりください。アイスはスプーンで、筒を吸えばジュースが飲めますよ」
ふっ……二人って、まさかジェラートと二人でこれを!?
ギョッとしていると、ジェラートが怯えた表情で叫んだ。
「むっ……無理だ! こんな気味の悪い色の飲み物を、こんな派手なヤツと一緒に飲めるか! 俺は……俺はこの色が大嫌いなんだ!」
なっ、ぬああにをぉ!?
もう我慢出来ない!
「ふん! こっちだってお断りよ! 真っ黒で、何も面白味のないヤツと一緒に、こんな綺麗な色の飲み物を飲みたくないわ。一人で飲んじゃおうっと」
「何だと!?」
私はふんと鼻を鳴らすと、払い師が教えてくれた通りに筒に口を付け、チュウと吸ってみた。
飛び込んできた液体に、舌がしゅわしゅわパチパチとくすぐられる。
何これ……まさか、毒?
一瞬警戒するも、鼻腔に抜けるメロンの香りと、痺れる甘さにごくんと飲み込んでしまう。すると何とも言えない清涼感が、口から喉へと駆け抜けていった。
美味……しい。
『うま……』
その声にハッと振り向けば、ヤツも目を輝かせながら口を押さえている。そうか、飲んだり食べたりした物は、守護霊とリンクするんだっけ。味覚まで似てるなんて、嫌になっちゃうわ。
一口、もう一口と筒を吸う内に、しゅわしゅわにもパチパチにも、どんどん慣れていく。むしろ快楽を感じるようになっていった。
翡翠色のジュースをある程度楽しんだところで、スプーンを手に取る。うーん、さくらんぼは可愛いから崩したくない。ならばと端からスプーンを入れ、アイスと氷の境目辺りを掬って口に入れる。
おっ……美味しすぎるでしょ~~~!!
『美味すぎるだろ~~~!!』
シャリシャリと凍った濃厚なアイス、そこに絡むメロン風味のしゅわしゅわのジュース。
頬っぺたを押さえ悶絶していると、ごくりと唾を飲むジェラートが目に入った。私はニヤリと笑うと、もう一度アイスを掬い、ジュースにじわりと浸す。
「こんなに美味しいのに、食わず嫌いだなんて勿体ないわね。私のことだって、見た目が派手ってだけで、よく知ろうともせず嫌いだなんて言っちゃってさ。ほうら、早く食べないと空っぽになっちゃうわよ」
これ見よがしにパクパクと食べ、飲み進めては恍惚の表情を浮かべてみる。アイスがジュースに溶け始めたところで、ジェラートはついにスプーンをわしっと掴み、「貸せ!」とグラスを奪い取った。
ああっ!
天辺から乱暴に掬うものだから、さくらんぼがアイスの山から転がり、ドボンと沈んでしまった。
ちょっと何すんのよ! せっかく可愛かったのに!
アイスとクリームが重なる貴重な天辺を口に入れたジェラートは、黒い瞳をカッと見開く。続けて筒に口を付けると、「何だこれは」と呟き、ごくごくと吸い続ける。どんどん下がっていく翡翠色の水位に私は慌てた。
ちょ……ちょっとちょっと! 私の分がなくなっちゃうじゃない! とグラスを奪い返そうとした時、ジェラートの背後から、しくしくと泣き声が聞こえてきた。
ふと見れば、美女が顔を手で覆い、肩を震わせている。いつの間にかブリザードもすっかり収まっていた。
『美味しい……心も身体も死んでしまったのに、こんなに美味しいものが食べられるなんて』
あまりにも切ない声に、私もジェラートもスプーンをそっと置く。
「怨念が強すぎて、今まではジェラートさんが何を食べても、味を感じることが出来なかったのでしょう。綺麗なものを綺麗だと思うことも。……辛かったですね」
払い師の言葉に、わあっと泣き叫ぶ美女。
ヤツめ……こんなに綺麗な女性を、悪霊化するまで苦しめて! キッと背後を振り返れば、ヤツもボロボロと涙を流している。
ちょっと……どうしたのよ。
可哀想なくらいにしゃくり上げるその姿に、戦意を削がれてしまう。やがてヤツは美女に向かい、さくらんぼ色の唇を開いた。
『チェリシア……すまない。本当にすまなかった。謝って赦されるとは思っていないけど』
『オメロン様、どうして私を捨てたのですか? 結婚する日を心待ちにしていたのに。愛し合っていると思っていたのは、私だけだったのですか?』
『……愛していたよ。死んで、こうして肉体を失ってしまっても、ずっとずっと愛している』
『ならば何故!』
一瞬ぶわっとブリザードが吹くも、ジェラートが素早くジュースを飲んでくれたお陰で、すぐに収まった。
『私では君を幸せに出来ないことが分かったから。だから君を手放したんだ』
『……どういうことですか?』
『君に婚約破棄を告げた半年前に、私が熱病に罹ったのを知っているだろう? あの時の後遺症で、私は子を成すことが出来ないと診断されてしまったんだ』
『そんな……そんなっ、だって貴方は……貴方には子供が!』
『ああそうだ。君と別れてから十五年後、新薬と新しい治療の効果が出て、私は完治した。その時には既に、君は他の人と結婚してしまっていて……私も家名を存続させる為に、遅い結婚をして子を成すことを決意したんだ』
『どうして? どうして何も仰ってくださらなかったの?』
『君は優しい人だから。本当のことを言えば、女性としての幸せを捨ててでも、私と結婚すると言い張ると思ったんだ。だから……私に見切りをつけて、良い人と出会えるようにと、愚かな別れ方をしてしまった。それが未だに君の心や、子孫までも苦しめていたなんて。本当に……本当に申し訳なかった』
ヤツ……いえ、守護霊様にそんな複雑な理由があったなんて知らなかった。一方的にぎゃんぎゃん責めてしまって、悪いことをしたわ。
私も一口ジュースを飲めば、漂う空気が更に柔らかくなっていった。
『……謝って済むと思っているの? 私は一生貴方を赦さないわ』
『チェリシア』
『だってそうでしょう? 女性の幸せなんて、勝手に決めつけて。私は子供が欲しかった訳じゃない。貴方を愛していたから結婚したかったのに。二人だって、幸せな家族になれたのに』
美女……チェリシアさんの言葉に、嗚咽を漏らす守護霊オメロン様。互いに手を伸ばしているも、爪の先しか届かず、もどかしそうだ。
そうか、守護霊だから、背後から離れられないのよね。(覗き見問題もそれで揉めた)
ここは生きている私達が頑張るしかないと覚悟を決めれば、ジェラートも同じことを考えていたのか、緊張した面持ちでこくりと頷く。
すっと立ち上がり、私の隣に座るジェラート。広い胸にぎゅっと抱き締められれば、背後の二人も長い年月を経て、ようやく触れ合うことができた。
『チェリシア』
『オメロン様……』
温かで幸せな感情が流れ込んでくる。翡翠色の光に包まれながら、私とジェラートも涙を流していた。
アイスがほとんど溶けてしまうくらい、長い間そうしていた。
「メロン……」
「メロリーナ」
「メロリーナ。よく見たら、君の色はすごく綺麗なんだな。この飲み物みたいに」
「貴方の色も綺麗よ。何にも染まらない色だもの」
守護霊達の姿は視えなくなっても、寄り添い、手を繋いだままの私達。同時に筒に口を付ければ、頭がコツンとぶつかり、思わずふふっと笑ってしまう。溶けたアイスで白っぽくなってしまったジュースは、甘すぎるほど甘くて。あんまり綺麗じゃないのに、とても美味しかった。
あれ、そういえば……
チラリと部屋の隅を見れば、浄化そっちのけでもう一つのグラスを空にしている払い師。お行儀悪く床に座り込み、ふうと腹をさすっている。
「これだから払い師は辞められないのよね。派手な色の人ほど、珍しくて美味しい異世界グルメを提供してくれるんだから」
もしもし、心の声が漏れちゃってますよ。
まあ……上手くいったからいいかと、真っ赤なさくらんぼを掬い(救い)、ジェラートの美しい唇へ差し出した。
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こちらは異世界の、とある島国にある小さなカフェ『つじっち』。
作ったばかりの『ラブラブ♡クリームソーダ』が二つ、客に出す前にトレイごと忽然と消えていた。
ありがとうございました。




