婚約者に婚約破棄された経緯を同人誌にして即売会に参加しましたら、向かいの壁サーがその元婚約者でした
「フロル、君との婚約を破棄したい」
突然、私……フロル・ログワード男爵令嬢は婚約者であるコラン・ウチキリア侯爵令息に部屋へ呼び出されたらと思ったら、いきなり婚約破棄を言い渡された。
「ちょ……。コラン様、突然どういうことですか⁉ 説明をお願いします!」
「詳しい事は言えない。自分でもムシの良い話なのは分かっている。でも、どうか受け入れてほしい」
「そんな……」
私は思わずコランの腕を掴んだが、彼は思いきり振り払う。
「ならば、せめて理由を教えてください! いきなり破棄を突き付けられておしまいだなんて、これでは納得がいきません!」
「すまない……言えないんだ……」
それなりに共にいたからか、その声色には一瞬の躊躇いが覗かせているのがわかった。
私は食い下がるも、それでもコランは一向に理由を言う気にならないようで、彼は頑なな態度に私は諦める他なかった。
「わかりました。コラン様、今までありがとうございます」
「ああ。君の幸せを願っているよ。フロル嬢」
こうして私たちは破局した。
どうやら向こうはかなり以前から婚約破棄の準備をしていたらしい。
既に用意された婚約を解消する書類、いつの間にか呼んでいた立会人の下、その場で婚約破棄はつつがなく行われた。
慰謝料も相当の額が支払われ、我が家もこれ以上は問題にするつもりはないそうだ。
さらには、ご丁寧に学園で私が婚約を破棄されたと噂されたが、内容はコランが浮気をしていた、度々私に暴力を振るっていた、そうした横暴の挙句に一方的に破棄を突きつけてきたという内容のものだった。
おそらくは、彼が私や私の家の名に傷がつかぬように、自分たちが泥を被るようにあえて流したのだろう。
同情と憐憫の視線を向けてくる学園の生徒たちの視線が鬱陶しくて仕方がなかった。
だが、一番の問題が残っていた。
私の気持ちだ。
ふざけるな、と思った。
責任とかお金の問題ではないのだ。
私は彼の事を本気で愛していた。
それなりに良い関係は気付けていると思っていたのに。
上手くやっていけてると思っていたのに。
悔しかった。辛かった。腹が立った。
やり場のない怒りを胸に忸怩たる思いでいた日々が続いていたある日、その手紙は来た。
「ふえっ。うそ……嘘でしょ⁉」
便箋の中に入っていた通知用紙を見て私は震える。
そう。なんと私はあのファンケのサークル参加権に当選したのだ。
ファンケとはファンタズムマーケットという同人誌即売会の略称である。
そこでは自費出版した小説は勿論、はぐれ魔法使いが我流で記した魔導書から冒険者たちの独自のダンジョン攻略法まで、様々な書物が売られている。
そこに身分差なんて関係ない、書きたいものを書き、売りたいものを売り、読みたいものを読む。
まさに探求と創作の坩堝である。
創作趣味を持つ私にとっては、そこは憧れの場所であり、いつか一生に一度はそこで自分の本を出したいと夢見ていた。
それが今叶った。
そんな場所へ私は当選したのだ。
喜びと困惑が胸を占める。
……だが、しかし。そんな喜びも束の間。
今の私には創作活動をする気力が無いことに気付いた。
当選出来たら、自作の小説を出そうと思っていたが、いかんせん今の私は婚約破棄を受けたショックでいまいちモチベーションが上がらない。
「ああもう、これもコラン様のせいよ……! いや、ちょっと待って?」
そこで私は閃いた。
今回の一件を同人誌にして売りさばいてやるのはどうだろうか。
この屈辱をそのまま物語にしてやるのはどうだろうか。
物語の上でコランたちをフルボッコにして読者たちから笑い者にしてやるのだ。
そう思いついたら、萎えていた私のやる気に火がついて、創作意欲がどんどん湧き上がっていった。
「ふふふ! 見てなさい、コラン。絶対にアナタをざまぁしてやります! ……創作の中で!」
決めたのなら、善は急げ。
その日から、私は部屋に籠っての缶詰状態で執筆は行われた。
「なーにが『君との婚約を破棄したい』よ! 気取っちゃってさあ!」
ほぼノリと勢いに任せて、私はペンを片手に、彼の言動を怒りと共に思い出しながら、紙面へと叩き続けた。
「うーん。流石に実名をまんま出すのはアウトよね。じゃあ、もっともじった方がいいのかな?」
「ここはもう少し演出を持った方がいいかしら? あくまで実話を参考にしたフィクションだし……」
「パンチが足りないわね。チート能力でも持たせようかしら? いや、でも――」
衝動で書いた原稿は、翌朝チェックするたびに粗だらけで頭を抱え、何度も修正を重ねた。
ほぼ徹夜で作業を行ったが、新しいシーンやセリフを思いつく度に私のモチベーションは充填されていった。
なんか扉の隙間から両親がちょくちょく心配そうに顔を覗かせている。
「フ、フロル。大丈夫かい?」
「大丈夫ですわ、お父様。今忙しいから、用があるなら後にしてくださいませ」
「じゃ、じゃあ、夜食をここに置いておくわね」
「あざっす、お母様」
知った事ではない。
減っていく時間。クオリティを上げたいという欲求。
その中で、なぜだか一抹の楽しさを覚えているのだ。
こうして私は連日連夜創作作業に没頭していった。
そして遂に締め切りの前日。
「できた……できたわ!」
窓から覗く夜明けの日差しを浴びながら、完成した原稿の束を手に私は声を上げる。
これが私が形にした初めての作品だ。
見返せば、色々と未熟な所はまだある。
でも、これが今の私の全力である。
この悔いと学びは次の改善点に生かすとしよう。
「ふふ、うふふふふふ! 待っていなさい、コラン!」
深夜明けのテンションも手伝ってか、私は昇る朝日を前に哄笑した。
――そして当日、私は会場である市場へと到着した。
私は自分のブース場所へと移動する。
既にスタッフさんが運び込んでくれていたようだ。印刷された本がテーブルの上へと置かれていた。
おお、すごい。これが私の本か。
こうして明確に形にされると改めて感動を覚える。
私はいそいそとブースの準備を始めながら、周囲を見てみる。
丁度、私の位置は目の前の向かいには壁……大手サークルの人たちが準備を進めていた。
すごいなあ……。
あそこまで登りつめるに、どれほどの努力を積み重ねてきたのだろうか。
いつか私もあの場所へと立てるだろうか。
「あの……」
考えていると、不意に隣から声をかけられた。
隣のブースの人である。
「きょ、今日はよろしくお願いします。これ、私の本です」
「あ、はい! こちらこそよろしくお願いします」
私たちは互いに本を交換し合う。
隣の彼女が書いたのは絵画……イラスト集だ。
(うわー、絵が上手い!)
目を引くのは向かいの壁サークルの人たちだ。
雇われたであろう幾人ものスタッフが集まって準備を進めていた。
私の本、隣にも送ったし、向こうの壁サークルの人たちにも送った方がいいだろうか?
「いや、やめておくかな……」
さすがにド新人の私が挨拶に行くのは身の程知らずかもしれない。
でも、いつか私もあんな風な大手サークルに……、なんて思っていると、彼らの中に一人だけ見覚えのある顔を見つけた。
「え……?」
最初は他人の空似だと思った。
しかし、そこにいる男性は見れば見る程に彼と瓜二つだった。
やがて、向こうの彼もこちらに気付く。
「は……?」
呆けたようにあんぐりと口を開ける彼、きっと私も同じような顔をしているだろう。
そこからしばらくの間、お互いに固まり、いったいどれぐらいの時間が経過しただろうか。
「ど、どうして……なぜ君が……」
先に声をかけたのは彼の方だった。
私も内心の動揺を隠しながら、平静を装って丁寧にお辞儀をする。
「……お久しぶりで御座います、コラン様。今日はよろしくお願いします」
「え……あ、ああ……」
そこにいたのは先日私に婚約破棄を言い渡した相手……コラン・ウチキリアであった。
「「……」」
私たちは定食屋のテーブルの一つで向かい合っていた。
ファンケが開会して半日。
私たちは売り場をスタッフさん方に任せて、休憩がてらに昼食をとっていた。
しかし、私たちの空気は相変わらず凍りついたままだ。
とはいえ、いつまでもこうしていては何も始まらない。
いまだ気まずい中でも、私は頑張って唇を動かす。
「なぜあなたがここにいるのですか……?」
本が完成して、久しぶりに学園へと復帰したあの後、彼は実家が起こした騒動と共に学園を退学となり、行方知れずとなった事を知った。
私も人づてで探したが、貴族とはいえ所詮は下級の小娘。
できる事は限られて捜索を断念した。
そのコランが今目の前にいて、バツが悪そうにたどたどしく答える。
「いや、その……あそこは私のサークルなのだが……」
……マジですか。
薄々と察していたが、改めて言われると驚きである。
「じゃあ、それが……」
「あ、ああ……。これが私の本だ」
少しだけ気恥ずかしそうに手元にあった本を見せてくる。
「少し読んでみても?」
「えっ、う、うん。いいよ」
私は手渡された本を読んでみる。
ほうほう、二次創作本ですか。
これの元になった小説は私も知っている。
現在も定期的に続編が刊行されている有名な作品だ。
ふむふむ。軽妙で明るい文体。
原作の作風こそ違うが、空気そのものは近い。
個人的には悪くないと思う。
……へえ、こういう解釈もありなんですのね。目から鱗ですわー!
本編のこのエピソ-ドはいい感じのバッドエンドであったが、これはIFのハッピーエンドである。
だが、決して原作破壊ではなく、原作をよく理解した上での再解釈と少なくとも私は感じた。
正直、感心した。
「ど、どうだった?」
「悪くなかったです」
「そ、そうか……」
どこか安堵の息を吐くコラン。
その様子を見て、私はかつての彼との日々を思い出す。
活発で明るい兄姉と比べて引っ込み思案で部屋で本ばかり読んでいた当時の私、婚約者として顔合わせに来ていた彼はそんな私を咎めもせずに『何を読んでいるんだい?』と尋ねたのだ。
それが彼との最初の馴れ初めだった。
あの時は私のお気に入りの本を読む彼を緊張しながら感想を待っていたが。
今度は真逆だ。
「あの、一部下さい」
「え……」
私の言葉にコランはキョトンとしていた。
「聞こえませんでしたか? 一部下さいと言ったのです」
「は、はい!」
慌ててコランは硬貨を受け取る。
やがて再び気まずい静寂が場を支配するが、今度はコランがそれを破る。
「そ、それなら君の本も読んでいいかい?」
「……どうぞ」
私から本を受け取ったコランはゆっくりと読む。
まさに最初に出会ったあの時のような静寂が場を支配する。
やがて彼はゆっくり本を閉じた。
「……どうでしたか?」
「うん。面白かったよ」
嘘つけ、と思った。
内容はかつて私が目の前の彼から受けた婚約破棄だ。
自分がボコボコにされる小説を読んで面白いはずがないだろう。
「そんなことないよ。横暴で意地悪な婚約者がずる賢い浮気相手と共に切り捨てた元婚約者に仕返しされて後悔し絶望していく様は見ていて痛快だよ」
自虐なのか、それとも自分がモデルだと気付いていないのか。
まあ、そこら辺はかなり脚色したからなあ。
作中のざまぁされる敵役の男は見た目は高身長金髪のイケメン。優し気な風貌のコランとは真逆だし、そもそも彼の場合は浮気もしてなかったし。
「もう一度聞きます。……なぜ、婚約を破棄したのですか」
私の問いにコランは無言で俯く。
「もう君らの所にも届いているのではないかな。私の家の事を……」
「そうですわね」
ああ、やっぱりそうだったのか。
先日、彼の父であるウチキリア侯爵様が横領及び違法薬物の売買で逮捕された。
当然ながら侯爵家は取り潰し、一族も彼含めてほとんどが離散したそうな。
「なぜ私に一言言って下さらなかったのですか!」
「君を巻き込みたくなかったんだよ」
弱々しい声色でコランは絞り出した。
なるほど。父君がやっていることを知ったこの人は、事が明るみになって、私たちまで巻き込まれる前に、関わりを断とうとしたわけか。
なんというか、この人らしいと思った。
「ならば、ここで本を出しているのはなぜですか?」
「……実は本を書くのは何年も前からやってたんだ。貴族令息が物書きなんてみっともないって父上からは反対されていたから、売り場とかには人を雇って表には出ないようしてたけど。……もう何もかも無くなっちゃったからね。それならばいっそ大手を振って活動しようかなって」
「なるほど。ド新人の私への当てつけですか?」
「えっ、違っ、そんなつもりじゃ……ごめん……」
作家として先輩な上に、しかもそれで壁サークルとか。色んな意味で腹が立ったのでちょっとばかし嫌味を言ってやろうと思ったら、こちらが思っていた以上に慌てふためいて謝罪してくるコラン。
やっぱり、この人可愛いなあ。
「……それで、生活の方はどうされているのですか?」
「運良く、僕の事を従業員として雇ってくれる商会があってね。そこで細々とやっていってるよ」
貴族令息としての貯金も使い切ったため、しばらくはファンケにも参加できそうにない。
そう苦笑するコランだが、私は何故だか今の彼に少しばかり羨望のようなものを感じてしまった。
彼は自分の好きな事をしながら、生活できるようになっている。
……私との婚約を破棄しておいて。
面白くない。それが私には実に面白くなかった。
「じゃあ次は私と合同で本を作りませんか?」
「へ?」
唐突な私の誘いに、コランはポカンと口を開ける。
「いや。……いやいや、なんだい、その提案は! なんでそうなるんだ⁉」
「聞けば、生活自体はまだまだ安定しておらず苦しいようではないですか。それでは創作活動も思うようにはいかないでしょう。ならば、男爵とはいえ貴族である私が製作費や時間の工面など色々とフォローしてあげようというのです」
「いや、しかし……」
コランはいまだに悩んでいる。
「貴方の事情なんて知りません。私は貴方の本の続きが読みたいだけです」
そんな彼に私はピシャリと殺し文句を言ってのける。
「私に続きを読ませてくださいな」
「ずるいな。本当にずるいよ、それは……」
彼は涙を流しながら頷いた。
「物書きにとってその言葉は本当にずるいよ」
どんな理由があっても、私は彼が勝手に婚約破棄をしたのを許したりはしない。
この人は勝手に全て背負って、私の下から去っていった。
だから、これぐらいは償ってくれても良いだろう。
それにだ。
勿体ないと思ってしまったのだ。
後に私たちは合同サークルを立ち上げオリジナル本を出版、書籍化して一般流通、劇になるまでの大ヒットするのだが、それはまた別の話である。