03・ラウドロームクヴァルト
この森はなかなかに食材が豊富だったわ。
木の実に山菜、イネ科っぽい植物も多いから実が成れば雑穀ぐらい取れるかしら。甘い樹液の木もあるし、香草薬草なんでもありね。
よほど気候が良いのか。それともいわくのある森なのか。
妖が多い森だから後者かしら。
今も、いっぱいいるし。
あたしはミーニャを連れて森を歩いていたわ。
ミーニャにはあたしの作った籠を持たせて、食材採集よ。
妖たちはミーニャを見てるわね。かわいくて美味しそうで弱い獲物と思っているのかしら。でも、あたしが手を出させるわけないじゃない。
木の上や灌木の影から襲いかかって来るものは何匹かいたけど、結界で弾かれたし。しつこい奴はシャーと威嚇よ。賢い者はそれで逃げるわ。おバカさんは何度も結界に激突してるけど。
獲って食べることも考えたけど、美味しくなさそうなのよ。ミーニャに変なもの食べさせたくないしね。
「おかあしゃま、おさかなはっぱー」
『ああ、大葉っぽい葉っぱね。採っておきましょうね』
ミーニャが見つけた葉っぱを採集。魚を焼いてこれを巻くと美味しいのよ。
あたし、猫だけど化け猫だから、なんでも食べられるのよ。人間の食べ物だって普通に食べたわ。まあ、近年のお気に入りはちゅーるって食べ物だったけど。ここには流石にないからね。
魚以外の食べるお肉も欲しいけど、今のところ美味しそうなお肉類には会わないわ。妖が多すぎてこの森にはその手の獣がいないのかしら。それはそれで困るわね。ミーニャには美味しいものをたくさん食べさせてあげたいもの。
そんな日々が続いたある日。
静まり返った深夜のことよ。
いつものように結界の周りに妖の気配はするのだけど、とても静かで息を詰めている様子。あたしは、葉っぱの布団で眠るミーニャをそのままに、お家の外へ出たわ。
結界の先。川向こうの広い場所に大きな生き物の気配。
明るい月光に照らされても、それそのものが暗闇のような妖がいたわ。こっちを睨んでいる。
あたしはふわりと浮いてみる。
だって、そいつは大きいのよ。動物園にいた大型の猫より何倍も。歩いて近づいたら見下されちゃうじゃない。第一印象は大事よ。
白い毛並みに月光を纏わせ浮かび上がるあたし。二本の尻尾を揺らしながら結界ギリギリのところまでそいつに近づいてやったわ。
そいつはあたしを見て目を見張る。
真っ黒な中に浮かぶ赤い目が、あたしを強く見ているわ。なんだか熱いわね。
まあいいわ。
あたしはそいつに呼びかける。
『何かご用? 子供が寝ているの。騒ぎはごめんよ』
『子!? 子がいるのか!? 番がいるのか!?』
変な反応ね。
縄張りに入り込んで勝手に家を建てた妖に、抗議に来たのかと思ったのだけど。ああ、家の主はオスだろうと思っていたのね。こういう場にはオスが出てくるものとか? おあいにくさま。
『あの家の主はあたしよ。託された子供を育てる場所が必要だから家を建てたの』
『……番は、いないのか?』
『いないわよ。それより、あなたはこの森の主かしら』
『そうだ。俺はこの森に縄張りを貼る魔獣ラウドロームクヴァルト。この森に住むと言うなら……俺の番になれ!』
なんですって?
あたし、首を傾げちゃったわ。
一度聞いただけじゃ覚えにくい長すぎる名前もだけど、おかしなことを言ったわよ。聞き違い?
『お前の名はっ!?』
『名前……』
いっぱいあるのよね。
なにせ五百年生きてるから。
『一番よく呼ばれたのはシロね。少し前はタマも多かったわ。美しいからヒメと呼ばれることもあったし。でも一番好きなのはユキかしら』
『シロタマヒメユキか!』
なんでつなげて呼んじゃうの?
長い名前が好きなのかしら。
『まあ、好きに呼んでいいけどね』
ため息をつきつつ見下ろすと、尻尾を揺らした真っ黒な大猫は嬉しそうな顔をしていた。なんで?
『勝手にお邪魔したのは悪かったわ。でもあの子が育って巣立つまで、ここに居させてほしいのよ。ほんの十数年よ。いいかしら』
『良かろう! その子供、俺の子供として認める』
なんで勝手に認知してるの?
あんたの子じゃないわよ。
『番にはならないわよ。認めて欲しいのはそっちじゃなくて安住権よ』
『俺と番えば安住だ!』
思ったよりもバカかしら。
なら……
『あんたを倒して、あたしが主になる方が早いかしらね』
ゆっくりと妖力を放って威嚇する。
あたし、その気になれば国のひとつもぶっ飛ばせるの。どこぞの怨霊より強力よ。眼下の黒猫よりもずっとね。
ふふっ、と笑ってやったらそいつはブルリと身震いしたわ。けれど恐れからではなく高揚からね。熱気がさらに増してきたわ。
『良かろう! その勝負、受けて立つ! 俺が勝てば番になれ、シロタマヒメユキ!』
『お断り。あなたのことは、森の元ボスとでも呼んであげるわ』
『俺は魔物の中の魔物! 大魔獣ラウドロームクヴゥルトだぁぁ!』
後ろ足で地を蹴り、高く跳躍する大きな黒い猫の妖。
いえ、この世界の妖は魔物っていうのね。
主なだけあって、周囲にいる雑魚とは違いそれなりに強そうよ。でも、負ける気はまったくしないわ。
近づいて来る大きな前足をふわりと避ける。けれどそいつは空中で身を捻り再度前足を伸ばしてきたわ。あたしを捕まえるのが目的で殺意がない。それじゃああたしは倒せないわよ。殺意があったら瞬殺で返すのだけど。
長く滞空していたのは妖力、ではなく魔力の賜物かしらね。何度か避けて何度か前足を伸ばしてきたけれど、そいつはゆっくり降下し着地したわ。あたしはそのまま中に浮かんで尻尾を揺らす。
揺れる尻尾にそいつが苛立ったのがわかったわ。
『くっ』
と、唸った後。少し本気になったみたい。前足に爪が伸びる。やっぱり猫化ね。
次に飛び上がってきたときは速度が増していたわ。鋭い爪が私を刺そうと伸びて来るも、なにせあたしは小さいから。勢いで手数が増えてもあたしはそれを全部避ける。けれど今度はあたしも反撃よ。
森の主になるにたる、力を見せねばならないようね。
あたしも、爪の一つを伸ばしたわ。
そして、素早く一撃。
『グアッッ!』
あら、避けた。すごいわね。
でも浅くだけど首元に傷を入れたわ。多くはないけど血が飛び散る。
それを見ていた雑魚魔物たちがおののいているわ。
あいつの毛、かなり硬いわね。
その辺の獣や魔物、人間の持つ刃物程度では傷つかないとか、そんな感じ?
あたしの爪はそれよりずっと鋭いのよ。
あいつはなんとか着地して、身構えつつもあたしを見据える。
『こ、この俺の身を傷つけるとは、さすが俺の惚れたメス』
ああ、やっぱり惚れられてたのね。
よくあることよ。
『だが、この程度ではあきらめん!』
黒い毛が逆立って、黒いモヤのようなものが立ち上ったわ。
魔力ね。
それらはいくつかの塊に分かれ、あいつより少し小さめの分身になったわ。大きめの黒い猫がたくさん。
ほほう。
『ガアァァッ!』
咆哮とともに、再び跳躍。同時に分身たちも飛んであたしを囲むわ。
なるほどね。周囲を囲って逃げられなくしようって寸法ね。
でもね。そっちが魔力を使うなら、私も妖力を使うまで。
あたしは二本の尻尾をくるりと回す。
私の周りに渦を巻く風が湧き起こり、向かって来た者たちを切り裂いて吹き飛ばしたわ。昔、かまいたちに教えてもらった技よ。戦って勝って伝授してもらったの。
『ぎゃああああっ!』
分身は粉微塵になったけど、流石に本体は原型を止めているわ。血塗れで痛々しいけど。
吹き飛ばされて、どさりと落ちる森の元ボス。
『くっ……くそう……、だ、だが、諦めん! 必ず、つがいに──ゲホッ』
血を吐いて、カクンと意識も落ちたみたい。
笑ってたわね。
困ったオスね。
「おかあしゃま!」
『ミーニャ!? 起きちゃったの!?』
呼ばれて振り向けば、お家の縁側から飛び出してきた白い娘。小さな足はそれに相応しくない速さで駆け川を飛び越えたわ。
まあ、なんてこと。
すごいわ、うちの娘。
「おかあしゃま、いたい? いたい?」
あたしにしがみ付いて撫で回すかわいい娘。
血の匂いを感じ取っているようね。
『あたしは大丈夫。イタいのはあっちのおじちゃん』
「おじちゃん?」
気を失って寝っ転がる大きな黒猫。
死にはしないでしょう。たぶん。
傷だらけにした私が言うのはなんだけど、毛はもとより皮膚もかなり硬かったわ。血を吐いたから、中も少しいっちゃってるかもだけど──
……死なれたら、ちょっと嫌かもね。
どうしたものかと思案していたら、ミーニャがスッと動いたわ。
『ミーニャ?』
何かしようとしている。何をする気かかしら。
事によっては止めなければ、と思いながら見ていたら。ミーニャは彼に手をかざしたわ。そして、暗闇の中。白い光が浮かび上がる。ふわりふわり、ホタルみたい。
その光が黒猫の大きな体のあちこちに染み込み、そこにあった傷を癒した。
まあ、ミーニャ。
そんなことができたのね。
それが、あなたが追われた理由だったのね。
聖女、と呼ばれた癒しの力。
「ふぅ……」
白い光が消えて、ぽてりと座り込んだミーニャのそばにあたしは寄り添い頬擦りをする。
『ありがとうミーニャ。ちょっとやりすぎちゃったとは思ったのよ。助けてくれて助かったわ』
褒めるとミーニャはへにゃっと笑ったわ。
……あの時、この子がそばにいればあの母親は死なずに済んだのかしら。
いいえ、悪漢に囲まれた状態で癒しを行っても、あの母親は殺されてミーニャは奴らに奪われただけでしょうね。悲しいわね。
あたしは改めて心に誓うわ。
この子を強く育てようと。
こんな力を持つ子供を育てるために、あたしはきっと呼ばれてきたのよ。
空を見上げたら月が瞬いていたわ。
よく見たら、この世界の月は白いのね。
きれいだわ。




