13・真っ白い満月
その日の夜は、空に真っ白な月が浮かんでいたわ。
まんまる満月の真夜中を、幾分過ぎた頃かしら。
いつも、一度眠ると朝まで起きないミーニャが突然飛び起きた。そして、外の気配を探っている。
あたしも少し前から起きていたから、気がついているわよ。
ウィリアルくんが、離れの自室から庭に出たのよ。
ミーニャは慌てて飛び出したわ。
「ウィリ!」
「ミー……はしたない!」
あらあら。ミーニャ、寝巻きの浴衣がはだけちゃってる。真っ赤な顔をしながらも、目をそらしてくれたウィリアルくんには感謝するわ。
ミーニャはちゃんと襟と裾を整えて、ウィリアルくんのそばに行く。
「ウィリ……どこかへ、行く? 王都、帰る?」
ウィリアルくんはチラリとミーニャを確認してから向き直り、そして改めてため息。
「こんな夜中に行くわけないだろ。寝付けないから外の空気を吸いに出ただけだ」
そう言って、月を見上げる。
ミーニャはウィリアルくんを見てる。
ウィリアルくんが考え事をしていることがわかるから、それ以上は口にせずじっとしているけれどね。そんなに見られてちゃ落ち着かないわよ、ミーニャ。
実際、ちょっと困ったようにあっちこっちに目を巡らせたウィリアルくんは、そのままひとつため息をついて話しはじめたわ。
「正直……今はもう帰りたいとは思わない」
ポツリといったその言葉に、ミーニャのお顔は綻んだわ。でもウィリアルくんは違う。
「けど、帰らなきゃならんだろうな……」
疲れたようにまたため息をつくウィリアルくん。
ミーニャは眉を寄せて首を傾げる。
「なんで?」
ウィリアルくんは、困ったような笑みを見せたわ。
「この森を含む、ロゼロット王国はな。三方にある国から狙われている。それを抑えているのが西方のモレッド領と東方のベールンス領。どちらも初代国王の両腕と言われた忠臣の子孫だったが……今はアレだ」
まあね。アレね。
近隣国は両公が争うのをほくそ笑んで見ているってところかしら。
「三方の内、南方の国はこの森とその先の平原の向こうにあるが、あちらの方が魔獣ラウドロームクヴァルトの伝説が根強い。この森を越えて侵攻しようなんて考えないだろう。が、西方東方が崩れればどう動くかわからない」
そうね。どちらかの敵国と組むかもしれないし、漁夫の利狙いで何か仕掛けてくるかもね。けれど、そんな話をミーニャにしてもね。ミーニャは首を傾げて困っているわ。
ちなみに、北方は海があるだけなんですって。
「えっと、えっと、森はおかあさまの結界があるよ。おじちゃんも強いよ」
「そうだな。この国を支配するのが誰になろうと、魔物たちの生活には関係ないかもな」
そうかしら。
この森は豊かで、人間が求める資源は多いわ。気候もいいし材木も多い。たぶん何かの鉱床もありそうなのよ。ついでに、財宝を隠した遺跡があちこちにあるわ。そのひとつが元ボスがウィリアルくんにあげた剣よ。
この辺りの領地は開拓領なんて呼ばれているけど、ロゼロット国は森まで開拓に入ることはなかったそうよ。実際、ここ数十年は開墾地を広げていないとか。理由はわからないけど、今この地を支配している人間たちはこの森に手出しすることはまずないのでしょう。
けれど、支配者が変わるとどうなるか。
三方から大軍で攻められたらさすがに守りきれる気がしないわね。
ウィリアルくんも、その辺を考えているのかしら。
「俺を捨てた国に未練なんかない。はじめは復讐してやりたかったが、今ではどうでも良くなっている。けど、な……」
二公が内戦をはじめたらそうもいかないと。
「奴らを諫められる王族は、もう俺くらいしかいない。あの頃と違って、体は丈夫になったし身を守る術はいくらか身につけた。閑職に追いやられた王族派を立て直し民心を得られれば……」
独り言のように言ってため息をつくウィリアルくん。
でも、ウィリアルくんはミーニャのことは何も言わない。計算に入れていない。
この国で『聖女』というものが『癒しの手を持つかわいい子』ではないはずよ。それだけならミーニャは追われなかったしマリちゃんは苦労しないし偽物を仕立てるなんてこともなかったでしょう。
ウィリアルくんが、命がけでこの森にやって来ることも。
言われたことを一生懸命考えているミーニャを見て、小さく笑ったウィリアルくん。その目はとても優しいわ。
「……なあ、ミーニャ」
「ん?」
「お前は養母殿のことが大好きなんだよな」
「うん!」
突然の話題転換ね。
でも、ミーニャが笑顔になったわ。
「どんなところが好きだ?」
「ぜんぶ!」
あらまあ嬉しい。
「魔獣の王より強い魔力。それを器用に使いこなし、人語も理解する。かなり頭がいいのだろう。それに見た目もとても美しい。獣ではあるが、妖艶さまで兼ね備えている。ラウドロームクヴァルト殿が虜になるのも頷ける」
まあまあ、具体的にありがとうウィリアルくん。
「うん! それとね、もふもふなの! お耳かわいい、しっぽふわふわ、ミーニャも欲しいの!」
ミーニャってば、対抗して褒め出しちゃったわ。確かに、ミーニャにも似合うでしょうね。想像したらかわいすぎる。あら? ウィリアルくんも想像した? ほっぺが赤いわ。
ウィリアルくん、ちょっと照れながら咳払い。
「あー……実母のことは、どれくらい覚えている?」
照れ隠しとはいえそっちに話題を変えるの?
少し心配したけど、ミーニャの笑顔は変わらない。
「かあさん? ミーニャを抱っこして高い高いしてくれた。とうさんの話いっぱいしてくれた。でもよく怒ってた。おじさん嫌い。おばさん嫌い。ミーニャがもう少し大きくなったら出ていくって言ってた。ミーニャもそれがいいと思ってた」
……初めて聞いたわ。
ミーニャはあたしに会う前の、ほんの幼児だった時のことも覚えていたのね。
「かあさん仕事が大変で、けがもした。ミーニャがけがを治した。病気も治した。でもそれは誰にも言っちゃダメって」
「そうか。お前の実母もいい母親だったんだな」
子供が生まれてすぐに夫を亡くし、不慣れな夫の故郷で村長である義兄にこき使われ、そんな中でも特異な力を持った娘の力を隠した。娘を利用すればいい暮らしもできたかもしれないのにね。
そうして、最後まで娘を守ったのよ。
「ミーニャ、おかあさまもかあさんも大好き」
うれしいわ、ミーニャ。
きっと実母さんも草葉の陰で喜んでいるわ。
「ウィリは?」
問われてビクリと固まるウィリアルくん。
「……養母殿も、実母殿も、尊敬している」
ミーニャは小さく首を傾げたわ。
そうね。聞きたいのはあたしたちのことじゃないのよね。
ウィリアルくんの、お母さんについてでしょう。
私も聞きたかったことよ。
ウィリアルくんも分かってはいるのでしょう。うつむいて、苦い顔をしたわ。けど、大きく肩で息をついて、答えたわ。
「俺に母親はいない」
強い口調で、言った言葉にミーニャが驚く。
「かあさん、お花の下?」
お墓ね。お花畑でもあるけど。
たぶん違うのでしょう。
ウィリアルくんは悔しそうな、憎らしそうな、なんとも言えない顔をして言ったわ。
「……母親、にならなかったアイツはな、俺と弟を捨てて自分だけ自堕落に生きている。はっきり言って嫌いだ」
ミーニャ、目がまん丸になったわ。あたしもよ。
ウィリアルくんは、ふんっと鼻で笑ったわ。
「今のところまだ王妃だからな。式典なんかには参加しているようだけど、それ以外の政務なんかは放棄して離宮に籠もって愛人を囲って……愛人の子供と好き放題して暮らしている。何か裏があるのか、二公に脅されてそうなったのか、なんて思って調べたが、なかった」
ウィリアルくんの憎々しげな口調に、ミーニャはキュッと手を握り唇を引き結ぶ。あたしもよ。
そんなミーニャを見て、小さく笑ったウィリアルくんは話を続けたわ。
「父王が子供の頃はまだ王派閥が強かったそうだ。王族の忠臣たちが、野心家どもの介入を阻むために用意されたのがあの王妃だった」
何代か前に王族から降嫁した姫の家系だそうよ。もちろん、二公とは無関係の王派閥の貴族。
「けれど、父王と王妃は仲が悪かった。もともと相性が合わなかったこともあるけど、国のためだからと無理やり婚姻させられたことが不服だったようだ。堅苦しく口うるさい王派閥を嫌っていたのは同じだったがな。……そこを二公に付け入られた」
父王は二公にあてがわれた自分好みの愛妾たちにのめり込み、王妃は二公に勧められるまま離宮に引きこもってしまったのですって。子供たちの養育放棄と引き換えに、なに不自由なく気楽に暮らしているそうよ。
なにそれ。
親としても最低だけど、王族としてもどうなの?
「ほんの小さい頃だけだが、俺は王派閥の養育係に育てられた。奴らは俺に二公のやりようを恨みつらみごと聞かせてくれたよ。マリエリーとの婚約後は全員解雇されたけどな。それからはもう……むちゃくちゃだ」
モレッド公は第一王子を確保しながらも守ることはしなかった。
ベールンス公の暗殺者に毒を盛られ苦しむウィリアルくんを、マリちゃんの癒しで救うことで恩を着せようとしたんですって。モレッド公に忠実で従順な王様に育てようとしていたそうよ。わかりやすすぎで腹が立つばかりだったって。マリちゃんの癒しは中途半端で逆に苦しくて仕方がなかったとも。
「……奴らのいいようにされるのが嫌だった。打開策を求めて、情報を探っていたら聖女ミアナの資料を見つけた」
「ミーニャ?」
「そうだ。ミーニャのことだ。ベールンス公はモレッド公の娘に対抗するための聖女を欲していた。モレッド公はそれを阻止すべく、聖女と疑われていた少女を始末していた」
とんでもない話ね。
「そんな中、そのどちらの手からも逃げ延びた聖女がいた。あの二公の手を逃れた聖女。逃れ得るだけの手段を持っている。俺はそれを手に入れようと思って、ここへ来た」
ウィリアルくんは最初、異国の勢力が聖女ミアナを匿っていると思っていたのよね。聖女よりそれをあてにしていたのかしら。けれど、聖女を庇護していたのは魑魅魍魎、妖と魔物の類い。さぞびっくりしたでしょうね……いえ、むしろその方が好都合、って顔してた気がするわ。
下手に異国を頼るより、魔物を操れるならむしろ良し。って感じかしら。
なかなかの度胸に驚いたものよ。
なんて、昔のことを思い出したらウィリアルくんが「ぷっ」と吹き出したわ。
あら、なに? ウィリアルくんも思い出し笑い?
「ウィリ?」
「はは、いや、俺もな、多分に漏れず聖女に夢を見ていたなと、思い出した」
「?」
「ミーニャに会うまでは、聖女とは清楚でしとやかで儚げな泣き虫だと思っていた」
それはマリちゃんのイメージが大きくない?
「でっかい鳥の首を引っ掴んで持ち帰り、笑いながら羽根をむしりはじめた時は、情けないが驚きのあまり気を失ってしまった」
あったわね、そんなこと。
ウィリアルくんがここに来たばかりの頃。
「変?」
「世間一般に想像する聖女像とはまるで違う。平民の娘と聞いていたから粗野なのは仕方がないと思っていたが、それどころではない。まるで野生の獣だ」
「……ダメ?」
「いいや。驚きはしたが、俺は今のミーニャが好ましい」
あら。
「それに、野育ちのわりに身綺麗でたたずまいが美しい。知らなければ猪にかかと落としをくらわす姿なんか想像もできないぞ」
「…………ほめてる?」
「褒めている。そうだな、なんとなく養母殿と似た感じか」
「おかあさまっ!?」
あらあら。
ミーニャもうれしそうで嬉しいわ。
そうよ、あたしは美しい白き獣。強く誇り高い化け猫にして猫又。
ミーニャはその娘。
「養母殿は、すごいな。魔物の身でちゃんと人の子である聖女を育てあげた」
「うん! おかあさますごい!」
「それに、強い。養母殿が張った結界と、ラウドロームクヴァルト殿がいれば、ひとまずこの森は安全だろう。あの家も住み心地がいい」
「うん! ミーニャ、森もお家も好き!」
「ミーニャと逢えたことも、幸せだ」
「うん! ミーニャも、ウィリを見た時、大事な人だとすぐにわかった!」
え?
これまで以上にびっくりしたわ。
ウィリアルくんも目を見開いて固まっている。
「木の上から見たの。ウィリだけ光って見えた。ウィリは宝物だと思ったよ。大事な大事な宝物」
ミーニャ……
あの時。木の上から見た平原で、ミーニャはウィリアルくんだけを見ていたのね。弟くんも別の聖女も、負傷した兵たちも、ミーニャの目にはなかったの。
ウィリアルくん。そんな大告白に真っ赤になってる。
そして一筋、涙がこぼれた。
「ウィリ!? どうしたの? どこか痛い?」
「いや……まるで伝説に聞く、初代王と聖女の逸話のようだと思ってな」
どんな話かしら。
ミーニャに聞かせていた童話の中に王と聖女が出てくるものはあったけど、今の状況に似たものなんてあったかしら。
詳しく聞いてみたいけど、ウィリアルくんはそれ以上言わなかったわ。
涙を拭いて、なぜかあたしに向き直ったわ。
そして、深く礼をした。
「ウィリ?」
「そろそろ夜が明けるな。ミーニャはもう少し寝ていろ。俺は……少しラウドロームクヴァルト殿と話をしてくる」
「わかった! 朝ごはん前に起きて美味しいもの作るね!」
「……ああ」
そうして、ウィリアルくんは森に向かって歩き出した。
ミーニャはそれを見送って、お家に戻って来てしまったわ。
気がつかなかったのね、ミーニャ。
ウィリアルくんが、成人式に贈った普段着でない服を着ていたことを。
剣を腰に下げていたことを。
あたし、あえて止めず。教えることもしなかったわ。
日が昇り、白い月が消える頃。
ミーニャはやっと、ウィリアルくんの意志を悟ったの。




