信じ合う二人のホワイトデー
自分で言うのもなんだが、僕は売れっ子の菓子製造人だ。
僕の作った手作りお菓子は、どれも大変な人気で、
実家のお菓子屋に陳列されるやいなや、飛ぶように売れていく。
学校に通う学生でありながら菓子製造人でもある、時代の若き旗手として、
テレビや雑誌の取材を受けたこともある。
たまに、学校のみんなに、僕の手作りお菓子を振る舞うことがあるが、
お菓子を学校に持って行っただけでも大騒ぎ。
学校のみんなは、どこからか鞄の中のお菓子の匂いを嗅ぎつけ、
奪い合いを始めてしまうほどだ。
若くして金も名声も手に入れて、何もかも順調かというと、
実はそうでもない。
そんなものが役に立たないこともあることを実感している。
僕には、幼馴染の彼女がいる。
僕が売れっ子の菓子製造人になるずっと前、
二人が幼稚園に入る前からの付き合いだ。
付き合い、とは言うけども、
僕と彼女は正式に交際しているわけではない。
でも、お互いに相手を友達以上の存在だと思っているのは間違いない。
彼女は、僕が売れっ子の菓子製造人になる前から、
どんな時でもずっと一緒にいてくれた。
菓子製造人の勉強をする時も、いつも彼女が手伝ってくれた。
彼女が今ちょっとふくよかなのは、
僕が作ったお菓子の味見をずっと手伝ってくれていたせいだ。
ところが、僕が売れっ子の菓子製造人になって、
そんな彼女とすっかり疎遠になってしまった。
売れっ子の菓子製造人になった僕は、仕事に勉強に毎日大忙し。
ありがたいことに、ファンもたくさんできて、
学校でもどこでもファンたちが僕のことを取り巻いているものだから、
僕と彼女が二人っきりになるのが難しくなったからだ。
元来、彼女は奥ゆかしい性格だから、
そんな僕に無理に近付こうともしなくなった。
そんな彼女だが、今でもバレンタインデーには、
必ず僕に手作りチョコレートをくれる。
僕が幼い頃から大好きなミルクチョコレート。
僕と彼女は、幼い頃、
おやつによく一緒にミルクチョコレートを食べていたものだ。
彼女もミルクチョコレートが大好きで、
頬を緩ませて美味しそうにミルクチョコレートを頬張っていた。
そんな彼女がとても幸せそうで、
思えばあれが、僕が菓子製造人を目指す切っ掛けだったかもしれない。
僕がまだ駆け出しだった頃から、
彼女はずっと僕を信じて待ち続けてくれた。
「あなたはきっと良い菓子製造人になれるよ。
わたしは、ずっと、最後まで、あなたを信じてる。」
失敗して落ち込む僕に、彼女はよくそう言ってくれた。
僕が売れっ子の菓子製造人になってから近寄ってきた人たちは、
ファンではあっても友人とは言い難い。
僕にとって本当に大切な人は、彼女だけ。
このまま彼女と疎遠になりたくはない。
衆人環視の中、僕にチョコレートを渡すために、
彼女はきっと勇気を振り絞っていたことだろう。
その勇気に報いるため、
僕は、今年のホワイトデーに、
彼女にキャンディを贈ることにした。
彼女にホワイトデーのキャンディを贈る。
そうしようと思ったのは、今年が初めてというわけではない。
今までにも何度か、
ホワイトデーにキャンディを贈ろうとしたことはあった。
しかし、その度に、大騒ぎになって失敗していた。
なにしろ僕は、家でも外でも、一人っきりになる時間がほとんどない。
家では両親やお菓子屋の店の人たちがいるし、
家から一歩外に出れば、途端にファンたちに囲まれてしまう。
すると、鞄に僕の手作りキャンディなど忍ばせていようものなら、
ファンたちは人間離れした嗅覚でそれを嗅ぎつけ、
たちまち暴き出して奪い合いを始めてしまう。
その様子はまるで新鮮な獲物を奪い合う獣の様で、止める間もない。
しかたがなく、彼女だけにキャンディを渡すのは諦めて、
キャンディをたくさん作り、みんなを集めて食事会をしたこともあった。
しかし、その場合も、
食事会に参加した人たちで、やはりキャンディの奪い合いが発生し、
奥ゆかしい彼女の分まで残さず食べ尽くしてしまったのだった。
僕の手作りお菓子は、その美味しさゆえに、
隠し持っていることが不可能。
僕の手作りお菓子は、人を食欲の権化とさせ、
人はそれを奪い合い、残らず食べ尽くしてしまう。
つまり、僕の手作りキャンディは、決して彼女のところに届くことがない。
「隠しておくことも出来ないし、
何個作っても横取りされて食べられてしまうなんて。
それじゃあ、どうやって、
彼女に僕の手作りキャンディを渡したら良いって言うんだ。」
そんなぼやきが僕の口から吐いて出た。
何か方法は無いものだろうか。
最後まで僕を信じてくれた彼女に報いる方法は。
自室のベッドに寝転がって、寝返りを打つ。
そこには、可愛らしい装飾の小箱が。
彼女がくれたバレンタインデーのチョコレートが入れられていた箱だった。
それを見て、僕の頭の中に、僅かな光明が差した気がした。
「・・・まてよ。
もしかしたら、方法があるかもしれない。
僕を信じてくれた彼女だけにキャンディを渡す方法が。
よし、早速やってみよう。」
そうして僕は、彼女へのホワイトデーのキャンディを作るために、
家の厨房へ向かった。
それから数日後、ホワイトデー当日。
僕は学校に登校するために、家の玄関を出た。
手にした大きな鞄の中には、
彼女に渡すための僕の手作りキャンディが入っている。
すると、早速、
待ち構えていたファンたちによって取り囲まれてしまった。
「おはよう!」
「私たち、あなたのことを早朝からずっと待ってたの。」
「さあ、一緒に学校に行きましょう。」
ファンたちが笑顔で近付き、僕の手を取る。
すると、ファンたちの表情が笑顔のまま、体が固まった。
凍りついた笑顔で、錆びついた機械の様な動きで、
僕に向き直って口を開いた。
「・・・この香り。
もしかしてあなた、お菓子を持ってる?」
「間違いない。この匂いは、手作りお菓子だ。」
「出して!お菓子を!早く!」
僕の手作りお菓子と聞いて、ファンたちの顔から笑顔が消えた。
ファンたちの顔は今、獰猛な肉食獣の表情を浮かべている。
あれよあれよと言う間に鞄を奪われそうになって、
僕は慌ててそれを制した。
「待って、待って!慌てないでくれ。
確かに今日、僕は手作りキャンディを作って持ってきた。
今日はホワイトデーだからね。
でも、慌てないでくれ。
みんなで食べられるように、量はたくさん用意してある。
こんな往来で奪い合わなくても大丈夫だ。
だから落ち着いて。
学校に行って、昼食の時にみんなで食事会をしよう。
そこでみんなで食べたら良い。
大丈夫。食べきれないくらいにたくさん作ってきたから。」
キャンディが入った鞄を抱きかかえ、僕は叫んだ。
必死の懇願が通じたのか、
僕の手作りキャンディに目の色が変わったファンたちは、
ある程度の落ち着きを取り戻してくれた。
「たくさんあるの?本当に?」
「まさか、私たちを騙そうとしてるんじゃないよね?」
「あなたがそこまで言うのなら、学校まで待っても良いかな。」
「でも、嘘だったら、ただじゃ済まないかも。」
ファンたちは、お預けを食らった猛獣の様に、僕の周りをうろうろ。
僕は肉食獣に囲まれた小動物の様に、
びくびくと体を縮こませながら学校へ向かうことになった。
学校に登校し、授業を受けている間も、
僕の気は休まることがなかった。
授業中でもどこからか視線を感じて周囲を見渡すと、
遠くの席から僕に熱い眼差しを送っている人がいる。
正確には、僕が持ってきた大きな鞄を見つめていた。
鞄の中のキャンディを狙っているのは明らかだった。
昼の食事会まで、誰にもキャンディを奪われないよう、
僕は鞄を抱えて必死だった。
そうして午前中の授業が終わり、やっと昼休み。
予定していた食事会が、学校の食堂で開催されることになった。
奇跡的にも、僕の手作りキャンディは無事。
食堂の使用許可や参加者への連絡などは、
他の人たちがやってくれていたようで、全てが整えられていた。
食堂の隅っこの席に、彼女がひっそりと座っているのを見つけて、
僕はほっと一安心。
彼女は僕と目が合うとそっと微笑んでくれた。
今にもキャンディを奪い取りそうなみんなを席に着席させて、
全員にキャンディを配膳して、
いよいよホワイトデーの食事会が始まろうとしていた。
「いただきます!」
学校の食堂で、食事会に集まったみんなが、
僕の手作りキャンディを一斉に口に入れた。
ふわふわの粉雪をやさしく丸めたような、真っ白なキャンディ。
一瞬の間を置いて、みんなの表情が蕩けていった。
「美味しい!」
「甘酸っぱ~い。口が溶けちゃいそう。」
僕がこの日のために作った、手作りキャンディは、
キャンディの表面が分厚い粉で覆われていた。
この粉は、砂糖や粉末にした果物などを、独自に配合したもの。
さっと溶けた砂糖が甘味を与え、
遅れて溶けた果物の粉末の酸味が合わさり、甘酸っぱさを与える。
ここまでは良い。問題はここから。
酸っぱさで洗い流された口の中を、次の刺激が襲った。
「・・・!?」
「何これ!?」
「苦ーい!」
予期せぬ刺激に襲われたみんなは七転八倒。
耐えきれなくなった幾人かが、
キャンディを口から吐き出してしまった。
吐き出されて転がるキャンディは、当初の真っ白な姿を一変、
禍々しい緑色をしていた。
ご褒美を期待していたのに、予期せぬ平手打ちを食らって、
食堂に集まっていた面々が僕に訝しむ視線を向けてきた。
ここはみんなに、キャンディの説明をすることにしよう。
「おや?みんなどうしたんだい?
僕の手作りキャンディが気に入らなかったかな。
そのキャンディは多層構造になっていて、
舐めていると味が変わるようになってるんだ。
最初は甘酸っぱいフルーツ味で、
次は数々の薬草を練り込んだ部分が現れるんだ。
ちょっと独特の風味と苦味があるけど、体にとても良い。
みんなの健康ことを考えて作ったんだけど、
気に入ってもらえなかったかな・・・?」
僕は精一杯済まなそうに、みんなの顔色を伺った。
ちょっと独特の風味と苦味なんて言ったが、それは嘘。
実際には、青臭くて苦くて、とても食べられない代物で、
例えるなら、原っぱの雑草を煮詰めて口に入れたような、
そんな酷い味がしたはず。
とてもキャンディを舐め続けられないように、あえてそういう味にした。
しかし、集まったみんなはそんなことは露知らず。
体に良いと言われて無理に舐め続けようとして、
しかし、あまりの不味さに、
一人また一人とキャンディを吐き出していった。
「ぺっ!ぺっ!
悪いけど、私はもういらない。」
「私も。期待してたのと違うと言うか。
不味いとは言わないけど・・・。」
「外側の部分だけは美味しかったな。」
「売れっ子の菓子製造人でも、たまには失敗もするものなんだね。」
キャンディを吐き出した人たちは、次々に食堂から去っていく。
そうして、あれだけ集まっていた人たちは姿を消し、
食堂の食事会には、僕と彼女だけが残された。
僕の手作りキャンディの不味さにみんな帰ってしまい、
最後に残っていたのは、彼女だけだった。
彼女は食事会の最初から今まで、端っこの席にひっそりと座って、
僕の手作りキャンディを静かに味わい続けていた。
彼女が今、口にしているキャンディも、みんなが食べていたものと同じ。
青臭くて苦い味に、流石の彼女も少し苦しそう。
しかし彼女は、決してキャンディを吐き出そうとはしない。
今もなお、青臭くて苦いキャンディを舐め続けていた。
そんな彼女に、僕は祈るように話しかけた。
「君は、僕の手作りキャンディを吐き出さないのか?」
「・・・うん。
あなたは何の意味もなく人に悪戯するような人じゃないもの。
わたしは、ずっと、最後まで、あなたを信じてる。」
彼女のその答えは、僕が期待していたもの。
どうやら、彼女にだけは、
僕の手作りキャンディの意図が伝わっていたようだ。
やがて、彼女の口の中で変化が起こる。
青臭くて苦いキャンディが溶けて、
内に潜んでいた本当の中身が姿を現した。
「うわぁ、甘~い!これ、ミルクシロップかな?
キャンディの中から、甘いシロップが出てきたよ。
それも、あなたとわたしが大好きな味。
覚えててくれたんだね。」
「・・・うん。
君が最後まで僕を信じていてくれてよかった。
僕の手作りキャンディの本当の味は、君にだけ味わって欲しかったから。」
上っ面だけ甘くて、中は青臭くて苦い、
でもその奥にある本当の僕を信じて待っていてくれるのは、
やっぱり彼女ただ一人だけ。
僕と彼女は、しばらくぶりの逢瀬を楽しむのだった。
終わり。
もうすぐホワイトデーなので、ホワイトデーとキャンディの話です。
キャンディには舐めていると味が変わるものがあって、
キャンディの味は最後まで舐め終わらないとわかりません。
それって人も同じかも知れないなと思って、
手作りキャンディを最後まで舐めてくれた彼女だけが、
本当の自分を理解してくれていた、という話にしました。
最後まで味わって貰えるような、そんな存在でありたいものです。
お読み頂きありがとうございました。