泥棒猫ごっこ
牧師館に戻ったはいいが、私は美津子と対決した所で牧師館に残した藤吾の身の上の方が心配になった。
私達は礼拝堂の中にいる。
ここから普通に藤吾のいる信者の控室に入ればいいだけなのだが、不用意に入った事で藤吾の身に何か起きたらと、急に恐慌に陥ってしまったのだ。
「どうしました?」
「あの、しほ乃さん。息子がお勉強会に参加中なの。」
「ああ、あの賢いお坊ちゃまですね。仔犬を貰いに来た時も、利秋様のメモをマイヤに嗅がせたじゃないですか。お坊ちゃまは犬へのご挨拶のつもりでしたけどね、あれでマイヤは仔犬をお坊ちゃまに渡したのですよ。あの仔犬こそ元々は利秋様が我が家に持ち込んだものですからね。」
「え?」
「ロシア船って魔除けに犬を乗せているじゃないですか。なんでも、利秋様がお気に入りの犬を連れている船があったそうで。来航したからと会いに行ったら、その犬は港に到着するや仔犬を産んで死んじまっていたそうで。それを引き取ったんだそうです。でも、生まれたばかりで目も開いていない仔犬でしょう?それで我が家の子育て中の犬の箱にね、勝手に入れ込んでくださったんですよ。四匹も五匹も同じって。」
私からは乾いた笑いが出て来ていた。
しほ乃の説明で、幼い頃の記憶を思い出してしまったからだ。
利秋様は家無しの哀れな生き物を見るのが嫌いで、見つけるやすぐにそんな犬猫を拾ってくるのでもあるが、その犬猫が家になじむ前には適当な人に手渡してしまうのだ。
ある時、私は利秋様に尋ねていた。
どうしてご自分で飼われないの?りまはお手伝いしますよ、と。
「可愛がってもらえる場所に行くのが一番だよ。私じゃ、寂しい可哀想な気持ちにさせてしまうからね。」
「まあ!私のお手伝いがあっても不足だという事ですの?」
利秋様は私の頭に優しく手を乗せた。
そして、利秋様の力になれないと落ち込む私に最上の笑顔を見せてくれたのだ。
「りまが飼ったら私が飼うのと一緒じゃないか。犬猫は家を汚すだろう?可愛がりたいときに可愛がるのが一番なんだよ。」
「ああ!あの人はそういう人だった!もう!あんなにスミスさんは悩んでいたというのに。」
「ええ。悩んでいましたね。見覚えのない仔犬の出現に驚くのは当り前でも、他の子の血統が疑われる種になると殺そうとしましたね。」
しほ乃は鼻でふんと息を吐いた。
恋人であるらしいスミス氏に対して、腹に据えかねる憤懣があるかのように。
「しほ乃さん。」
「ああ、すいませんね。何でもありませんよ、では、まずお坊ちゃまの様子だけでも覗きに行きませんか?一度外に出て窓から覗いたりね。」
「あら、そうね。見つかったら、私の藤吾離れが出来ていないで笑い話にすればいいわね。」
しかし、私達が外にもう一度向かおうとしたそこで、礼拝堂の扉が開いた。
私達は慌てながら信者席に身を隠し、その新たな出現者を見つめたが、その人物は私の夫であった。
え?
衛はこの時間は兵学寮で教鞭をとっているのでは無くて?
そんな疑問もわいたが、すぐに私の脳みそは別の思考で塗りつぶされた。
私は衛離れこそしたくはない女だ。
だって、ほら、陸軍の軍服姿の衛は、ああ、なんて凛々しくて素敵なの。
仕事疲れか朝にお見送りした時のパリッとさが消えているが、そのこなれ具合もお疲れ様と腕を絡めたいと思わせる。
「りまさん?涎が。」
「えって、ないわよ!酷いわ、しほ乃さんは!」
私達がひそひそしていると、藤吾がいるだろう信者の控え室の扉が開き、そこから美津子が出てきた。
「時間通りですわね。」
「あなたのお話が聞けるのであれば。」
礼拝堂のステンドグラスからの逆光で影を作った二人の男女の立ち姿。
どちらも背が高く姿勢もいいので、まるで西洋絵画の一場面みたいだと私は眺めてしまっていた。
いや、遠目から眺める衛の姿が我が家で見るものと違って見えて、私は彼の新たな面を見たようで心がときめいてしまってもいるのだ。
彫りが深い彼の顔に深い陰影が落ちると、慰めてあげたくなる表情になるなんて、なんて素敵な男なの!
「まあ、狙いが旦那さんなら、ええ、それなら私も美津子さんの気持ちがわかりますねぇ。旦那さんはほんとうにいい男でいらっしゃる。」
「やめて、しほ乃さん!」
「あらだって、私だって涎が出そうですもの。」
「もう!」
しゃがんだ姿の私達は、まるで女学生のようにして押し合った。
そんな私達の目の前で、衛と美津子はまるで寝ている子を見守る夫婦の様にして、細く開けた扉から藤吾の様子を確かめ合うではないか。
ああ、それからなんと、牧師夫妻の住居区画に繋がる扉を開けて、その扉の中へと消えてしまった!
衛を信用しているが、衛を愛して彼の全部が欲しい私は、広い心も余裕も全くなく、他の女性に微笑む彼の笑顔が悔しいばかりだ。
私はどうするか。
もちろん、後を追う、だ!




