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私の愛した旦那様は百姓上がりの陸軍士官様でございます  作者: 蔵前
戦への火花が所々で散っている
19/71

楽しい夜の勉強

 俺はたぶん地獄に落ちるだろう。

 りまと初めて口づけたあの夜から毎夜、りまは夜には俺の部屋に来て、俺の横に座って俺に漢文の指南をしてくれる。

 そして俺は俺の手の中にりまが落ちてくれないかと願いながら、隣に座るりまの存在にうっとりとしながら叶わぬ恋で日干しになっていく気持ちでもある。


 辛いけれどもやめられない。


 それは、俺はこんなひと時、たったこれだけの行為で天にも昇る気持ちになれるのだ。

 それでも頭はそろそろ止めねばと俺に訴えて来ている。

 俺の内にいる獣が、そのうちに彼女を押し倒してしまいそうなのである。

 俺を信じ切っている彼女を押し倒して事に及んでしまえば、俺が彼女を手に入れても、彼女は二度と俺に心を赦すことは無いであろう。


 俺は大きく息を吐くと、この二週間ほど、勉強を教えてくれと頼んだ割には終いを言い出すには短い期間だったが、りまの為にと覚悟を決めた。


「りま、あの、だな。」


「何でしょうか、衛さま?」


 りまは俺の呼びかけにいつものように応えようとしただけなのだが、教本を片付けていた最中だったからか、振り向いた一瞬に俺にぶつかり、彼女が抱えていたものを落としてしまった。

 数冊の本が一時に畳に落ちたのだが、俺は一冊の本にだけ目に入った。

 それはりまが自分用に図書館から借りて来たものらしく、それにだけりま手製の栞のようなものが挟んであったのだ。


「あ、ちょっと、衛様!」


 俺に本を拾われまいとりまは手を伸ばしたが、本を取り上げるのは俺の手の方が早かった。

 俺はそのまま本を開いたのだが、俺はそこで固まった。

 無名の人の漢詩が載っていたのだが、我欲与君相知、それから、長命無絶衰と並ぶ文字がすんなりと理解できたどころか、俺の心そのものだと感じ、俺はその詩を知らぬ間に声を出して読んでいた。

 りまの助けも無く、一人で。


「我は君と相知り、とこしえに絶え衰うこと無からめんと欲す。ああ、いい詩だな。()い会えたから()一生(いっで)愛すると神に()こ詩だ。こげな気持のまま()とた詩もあるんじゃっど。」


 なあと見返せば、りまの大きな目から一粒涙が零れていた。


「どげんした?()りかった、俺に見せたくなかった詩じゃったか。」


「い、いいえ。同じ詩を好きだと言ってくださった事が嬉しくて。で、でも、私はこの詩を書いた人のように言い切れないって。」


 俺はりまの言葉に自分こそそうだ、と認めていた。

 俺は最初の妻に同じように想い、今ではりまに同じように考えているのだ。


「俺もそうだな。藤吾の母親には(おんな)しことを(おも)ちょった。いや、ああ、りま殿が大事(でし)なのは本当だ。な、泣かないでくれ!」


 ボロボロと泣き出したりまを俺はがむしゃらに抱きしめていた。

 俺の腕の中で、りまは、ごめんなさい、と小さく呟いた。


「何がごめんだ?」


 お主が利秋殿にこそ心があるという事をか?

 そう、俺は気が付いていた。

 俺との初夜でりまが泣いていたのも、りまが俺を受け入れられないのも、きっと血のつながらない兄である利秋を好いていたからなのだろうと、そうだ、金木犀での事を聞いてから、俺は自分の中で打ち消しながらも知っていたのだ。


 知って思い知りながらも、俺は自分を止めることなど一切できなかった。

 俺は彼女を求める事を止める事が出来ないのだ。


 りまを抱く腕を一本外し、その代わりに俺は空になった右腕の指先をりまの頬に当て、彼女の顔を俺に向けるや彼女に口づけた。

 まるで自分のものだというような、彼女に印をつける様な深い口づけだ。


 !!


 なんと、りまは嫌がるどころか俺にしがみ付いて来た。

 俺の身体はそれで燃え立ち、口づけを深くしていきながら、情熱のまま俺の指先は彼女の身体の探索にと伸びていった。

 指先は彼女の柔らかい肌に触れ、触れた指の先から炎が生まれ、終には俺の身体が炎に巻かれていった。

 りまがどうしてこんな俺に我慢しているのか。

 愛してもいない俺に、どうしてこんなにも従順にして体を預けてくれるのか。


――私は衛様と離縁はしたくありません。


――利秋様が、エゲレス式とフランス式を。


 りまの以前の言葉が思い出され、俺の身体は一瞬で抱いていた炎を失った。

 真面目なりまは、俺と離縁することになれば海軍と陸軍の間に面倒が起きると考え、そのことで彼女の家、桐生家についても考えているはずだ。

 さらに、藤吾を悲しませたくないという、為さぬ子への愛情だって多分過ぎる程に持っているだろう。


 何と立派だと、俺の中で皮肉な声が出るのは、俺に惚れているから別れたくないと言って欲しいと、俺の心が血の涙を流して嘆いているからだ。


「あの、こ、衛様。」


「いや、すまなかった。」


 俺は慌てて抱き締めていたりまを解放し、りまは顔が真っ赤に染まった様子で恥ずかしそうに、俺に探索されたばかりの乱れた襟元をそっと直した。

 もう少し押しただけで、きっと彼女は簡単に落ちることだろう。


 そんな確信もしているが、今の俺はりまの身体よりも心が欲しく、さらに言えば、俺がりまの体を奪う事を望んでいる間男の存在を思い出しもした事で、俺の欲情を完全に押しとどめてしまったのである。


 ヨキの話では、りまが俺に告白した通りのことが金木犀の下で行われたようだが(ああ、りまはなんと正直者なのだ)、和郎が聞いたという台詞を元に考えれば考える程に、あの桐生利秋はりまに惚れており、りまを抱きたいと考えていると考えるしかないのだ。


 りまの純潔を俺より先に散らせば、俺にりまが折檻を受けると思ったか。

 あるいは、俺との行為が無いのにりまに子供が出来てしまうと困った事になると、そこまで落ちぶれた考えを抱いてしまったのか。


「あの、衛様。」


 俺はりまのか細い声に彼女を見返した。

 彼女はとっても潤んだ目をしていて、そんな目で俺に何かを強請るような一途さで俺を見つめているではないか!


「な、何事だ!なぜそんなに泣きそうなのだ!」


「きゃあ!」


 俺はりまを自分の膝に乗せ上げて抱き締めており、りまは俺のその衝動的な行動に驚いて小さな悲鳴を上げた。


「す、すまな、い。」


 全く申し訳さなど無いどころか、俺は自分の身体が勝手にしでかした事を褒め称えながらりまをぎゅうと抱き締めた。


「あの、あの。教えていただきたい事が。」


「何だって君に教えてあげようとも!」


 よし、綺麗な標準語で言えたぞ!

 いざという時に言葉が通じないと困るからと練習していて助かった。

 俺はりまを見返してみて、……りまは眉根に皺を寄せていた。

 おや?

りまと衛が言い合う漢詩は、上邪という無名の人による詩です。


上邪 我欲与君相知 長命無絶衰 山無陵 江水為竭 冬雷震震 夏雨雪 天地合 乃敢与君絶


上邪:個人的意訳

天よ、私があの人を愛したからには、この気持ちが長く衰えることなど無いと誓います。山に高さが無くなり、河川の水が枯れてしまい、冬なのに雷が轟き、夏なのに雪が降り、そして、天と地が合わさって終わってしまったその時まで。


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