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俺を俺から解放されるは白き天女

 俺は自分の息子が素晴らしい息子だと、今夜こそ世界中に向かって褒めたたえたい気持ちでいっぱいだった。

 彼は食事の後に自分の部屋に俺が抱いて連れて行ったそのまま、なんと、俺の腕の中でこてんと眠りこけるという初めての行動をしたのだ。


「まあ!食事前に散々に私達に放り投げられて騒いだからかしら。」


「明日の俺の腕は上がりそうにもなかどんね。」


 俺の声は上ずって無かっただろうか。

 俺の後ろから息子の寝顔を覗き込んで来たりまは風呂上がりで、白い肌はほんのりと桜色で、ああ、何となまめかしくも美しくなっているのか。


「まあ!嘘ばかり。」


 清純なりまがそんな俺の劣情に気が付くはずもなく、俺達は顔を見合わせて熟年の夫婦のように笑いあった。

 俺の心は笑う度に乾燥していくようでもあったが。

 りまに惚れていると気づいてから、俺は彼女に好かれたいと思い詰め、けれども彼女から心が戻って来ないと勝手に嘆いているという情けない男だ。


「では、すまないが。お、俺の部屋にき、来てくれ。」


「わかりもした。」


 ぷ。

 俺は口元に手を当てて吹き出した。

 りまのこういう所が好きだ。

 りまはいつだって体当たりの人ではなかったか?

 俺は深呼吸をそこですると、部屋に向かうはずの足を止めた。


「衛さま?」


「部屋で聞いてもらおうと()もたが、俺はまじまじ君に見つめられての告白は出来そうもない。(なさ)けんね男ですまんね。」


「いいえ。あの、告白って何でしょうか。」


 俺はぐっと唇を噛みしめた。

 数秒後に思い切って口を開き、己の恥をりまにぶつけた。


「俺は漢文も()めん男だ。兵法も()たんと生徒に馬鹿にされるよな男だ。俺に、俺に漢文を(いっか)せっくれんか?」


 ……返事など無く、俺は後ろを振り向けないまま立ち止まっていた。

 臆病者め。

 どうせ彼女の心も獲得できない唐変木だろ、俺は。

 ここで粉々になってしまえば良いではないか。

 俺は下唇をグッと噛んだ。

 それから、単に振り向くだけであるのに、これが最期と死地を走り抜けた時の様な心持と自分を奮い立たせねばならなかった。


「りま、どの。」


 振り向いたが、なんと、そこにはりまの姿形も残って無かった。

 俺は自分の首筋を揉んだ。

 何を落ち込む。

 わかっていただろ。


 トテテテテテテテテテ。


 あれは裸足で板間を走る音ではないのか。

 俺が音の立つ方を、つまり、振り向いたそのままの方向だが、ずっと見つめていると、廊下を軽やかに走る音が俺に向かって近づいて来た。

 廊下の暗がりを白く明るくさせたのは天女の後光か。


 暗がりから姿を現わせたりまの腕には、二冊の古い本が抱えられていた。

 そして俺のもとに戻って来たりまは、上気させた頬という顔で俺を見上げ、物凄く嬉しそうに、いや、にかっと悪戯坊主のように微笑んだのだ。


「私に出来ることは何でも申し付けてくださいませ!貴方様のお役に立てるなんて!光栄この上ない事でございます!」


 俺は粉々になっていた。

 完全に白旗を上げた状態だ。

 美しくて白雪のような純粋な妻を、気付けば俺は両腕で抱き締めていた。


「衛様?」


「すこし、こんままで。俺が貴方(おはん)を抱ける幸せに、今少しだけ浸らせてくれんか?」


「あなたは私を持ち上げすぎです。あなたのような素晴らしい人にそんなに褒められては、私は虚栄心の塊になってしまいますわよ。」


貴方(おはん)くさ持ち上げすぎだ。俺は兵法も()たん雑兵あがりだぞ。」


「兄様は申しておりました。敵の大将は勉強した馬鹿の方が良いと。兵法通りにしか兵を動かせないから簡単に潰せると。」


 俺はりまを腕に抱きながら、彼女の言葉で俺の中のみじめさが一瞬で消えたと、重苦しいものが消えて視界が明るくなった清々しさに浸っていた。

 そうだ。

 俺はなぜか敵の裏をかけ、敵の思惑を外しながら進軍し、人斬り半次郎様、いまや陸軍少将の桐野利秋様に見出された男ではなかったか?


 そこで俺は笑い出した。

 りまの兄、あれの名も利秋だ。

 俺が兄と勝手に慕っているあのお方は全く、ああ全くあの人は冗談が過ぎる。

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