赤飯とは!!!
俺は夕餉の椀を前にして、ヨキの思惑を測りかねていた。
彼女が俺に赤飯を炊くときは、出兵する前夜だったり、勲章を貰ってきた夜だったり、あ、結婚式の夜にも朝にも赤飯は無かった。
あ、そういう意味か!
今夜こそ襲えと!
いやいやいやいやいや。
俺がまだりまを抱いていないのはヨキも知らないはずだ……知っていた?
それで赤飯が炊かれなかったのか!!
で、この赤飯は一体何だんだ!!
襲えと!!
俺はヨキの思惑が図りかねるとグルグル悩むしかなく、無駄にグルグル悩んだせいで恋しい人の姿と声こそ思い浮かべてしまった。
――エゲレス式とフランス式の挨拶の仕方が違うって(中略)その二つの違いとやらを教えていただけますか?
何を言い出すんだ、りま殿。
いやいや、何を思い出しているんだお前は!
りまが俺の考える様な事を考えているはず無いじゃないか!
俺は自分の脳内で茫然と立ちすくむしかなく、そんな脳内の俺に対し、俺の脳が作り出したりまは真っ白な夜着姿となり、俺の真ん前に立ち、なんと爪先立って俺の顔を覗くようにしてきたのだ。
彼女の柔らかそうな桜色の唇は婀娜っぽく開き、彼女の真っ赤な舌を俺に見せつけた。
――その二つの違いとやらを教えていただけます?
追い詰めないでください、りま殿。
俺は一歩だけ後ろに下がり、しかし、りまは俺を追いかけるようにして、ついっと前に出た。
彼女の着物の裾が割れ、真っ白な右膝の少し上までを俺に晒した。
――ねえ、エゲレス式とフランス式、どっちが楽しいのですか?
ああ、俺はやはり口づけはフランス式が。
待て、何を答えているんだ!
りま殿はそんなことは一言も言っていないだろ!
勝手に作るな俺の脳内。
「衛様?」
「ひゃはい!」
俺の情けない声にりまは目を丸くして、頑張って正座していた藤吾はコロンと畳に転がった。
ああ!完全に白昼夢だった。
俺は家族の食卓で何を想像していたんだ!
混乱をきたした俺はパクパクと口を開けたり閉めたりするだけだったが、ありがたいことにりまは俺の情けない状態など何一つ気にかけていなかった。
彼女は良き妻良き母過ぎるのだ。
そのぐらいに俺をも気にかけて欲しいと藤吾を妬むほどに、彼女の意識は常に藤吾に向かっている。
彼女は転がった幼子を抱き起している所だった。
「まあまあ。横浜で買った小さなお椅子を使いましょうよ。箸を持ったまままた転んだら危ないわ。」
「でも、母上さま。目下のものが椅子を使ったら、えらそうで駄目ではないのですか?仁が無くなってしまったら嫌です。食をおわるのあいだも仁にたがうこと無くって。」
「まああ。藤吾。あなたは蛙さんにも仔猫さんにも優しいわ。それが仁なのよ。誰にも対等であろうとする公正な心持ちを仁というの。」
「君達。君達は論語を読んじょっのか?」
小さな椅子を運び出した妻と妻に纏わりつく息子に、俺は驚きながら尋ねたのだが、二人は俺の質問こそ今さら?という顔で見返した。
「りま、どの?」
「藤吾の勉強は私が見るというお話では?」
「いや、そうじゃったが。論語を?」
「はい。一番最初に読むものですもの。」
りまはなんてことないように答え、小さな椅子に藤吾を座らせると、またなんてことないようにして、幼子の食事の手伝いをし始めた。
「君や漢文が読んがなっのか。」
君は漢文が読めるのか。
俺の声に悲壮感が出ていたのは情けないの一言だ。
俺は漢文が読めず、兵法六韜も知らないからと、学校で生徒達に嗤われている講師だというのにと、仕事場でのみじめさが沸き上がっていた。
「はい。女は学校に行って勉強を続ける事など出来ませんから、勉強を続けるには家で本を読むしかありませんでした。兄様が沢山本を買って勉強を教えて下すったから、私はとっても恵まれているのでしょうね。」
俺は顔を上げて天女を見つめた。
俺の情けない告白を聞いたら、彼女は俺をどうするであろうか?
俺を尊敬の眼差しで見つめながら微笑む彼女は消えてしまうのであろうか。
「りま殿、ええと、今晩相談したい事がある。部屋に来っ、いや、あの、部屋に来てくれないか?」
あれ?
りまが頬を染めて頷いたぞ!